「ふ〜…」

ようやく荷物を2階の自室に運び終えて、伸びをしながら息をついた。ちょくちょくこっちに戻ってきてたとはいえ、やっぱ改めて帰ってきた感じするなあ。

「…ん?……うわ!?」

強烈な視線を感じて窓の外を見ると、道路を挟んだ向かいの家、その2階の窓から、少年がこちらを凝視していた。私と目が合ったことに気づくや否や、忙しなく部屋を出ていく少年。まさか、…まさかまさか。
10秒経つか経たないか、というくらいの時間を置いて、彼が再び姿を現した場所は玄関だった。一本道を横切って彼はこっちの方へ足を進め、そのまま見えなくなってしまう。私の部屋からは姿が追えない位置関係なんだよなあ、家の玄関に近づかれると。まもなくして、ピンポーンと我が家のインターホンが鳴った。


「り……律氏…」
「氏?」

怪訝そうに片眉を跳ね上げたのは、少し年の離れた、私の幼馴染だった。向こうが生まれた時から知っているとはいえ、この年齢差で「幼」馴染が成立するのかは、ちょっと分からないけど。


「もうこっちにはずっと居るんですか」
「う、うん……まあ今までも全く帰ってなかった訳ではないんだけど…」
「知ってます。母から聞いたので」

私の帰省情報が(おそらくうちの親から)影山家に伝わっていたことを、律くんはツンとした声音で教えてくれた。いや違うんだよ、別にわざとキミを避けてたとかそういうことじゃなくてさあ……茂夫くんにだって会ってないし……

「わざわざ2年だけ引っ越したんですか?」
「あ、ううん。友だちが学校の近くに住んでてね、そこにちょっと」
「……」
「ちょ、顔怖…!女の子の友だちだよ!?」

これだから爛れた大学生は……みたいな顔をされた。去年まではキャンパスが遠かったから、その子のところにお邪魔していたのだ。都心でウェイ学生になるためでは決してない。

「にしても、ほんとに久しぶりだねえ。ずいぶん大きくなって」
「小学校に入学して間もない頃と比べられても困りますよ」

こうしてまともに話したのは何年ぶりだろう。彼ら兄弟が小学校低学年の時くらいまでは親交があったと思うのだが、私が高校に上がったあたりから、ぱったりと付き合いが無くなってしまった。帰りの時間がまったく合わなくなったとか、そういう何てことない理由だ。

「でも律くんたちの話は聞いてるよ、二人とも色々頑張ってるって」
「そうですか、僕はなまえさんの学年しか知りませんけど」
「か、数えれば分かることのみ…」

まあ、母も大学生活をだらだらと送っている娘についてわざわざ話すことなんて無いのだろう。部活を頑張っている訳でもなし、生徒会のように特別な役職についている訳でもなし。青春してるうら若き少年たちの話を聞いてる方がそりゃあ楽しいわ。

「勉強も運動も出来て、律くん高校行ったらもっと人気出るよ、きっと。運動出来る子は大体モテるから…」
「……なまえさんも、そういうのが好きだったんですか」
「そ、そういうのって……ううん、どうだったかなあ……格好良く見えたことはあったかもしれないけど」
「……」
「そ、そんな顔しないでよ」

俗物を見るような目をされてしまった。昔の話だって!
いやあ、しかし律くんはチャラい訳でもオラついてる訳でもないから凄いことになりそうだなあ。だからといって、女の子を選り取り見取りするタイプでもないし。

「だけどびっくりした。久々に会ったのは確かだけど、あんな勢いで訪ねてくるとは思わなかったから」

ちょっと怖かったからね。変な呼び方しちゃったし。
ちらりと隣の様子を伺おうとしたら、彼も目だけでこちらを見ているところだった。意図せず視線が合ってしまい、一方的に気まずくなる。マジでわかんねーのか?みたいな表情である。

「おかしいですか?僕がなまえさんを数年ぶりに見かけて驚いたら」
「い、いやそこまでは言ってないけども……あんまり、こう……親しみやすい関係ではないじゃない…?年がちょっと離れた異性のご近所さんって……」

それも中学生と高校生、ではなく中学生と大学生だ。15↓と成人済だ。だって私が中学生だった時なんて、高校生がめちゃくちゃ大人に見えたもんな。
と、少し昔のことに思いを馳せていたら、ハァー……とそこそこのため息が聞こえてきた。ええっなんでよ、もしや年が「ちょっと離れた」って表現に何か異論があるのか律氏よ。20代は皆年寄りなのかティーンエイジャーよ。びくびくと恐らく彼と精神年齢はあまり離れていないであろう成人女性が中学一年生に怯えていると、律くんは何だか不満げな雰囲気を纏いながら口を開いた。ほ、ほら不満なんじゃん何かが!!年齢!?年齢なんだろ!?

「……少なくとも、なまえさんにとって僕がそうであることは分かりました」
「えっ」

お、思ってたのとは違うベクトルからお怒りが来た。そっち?確かに冷たい言い方をしてしまったかもしれないけど…。年上としての心遣いが足りておりませんでした、申し訳ございません。

「ご、ごめん……でもほんとに、てっきり律くんの中で私は薄れた存在になってるものだと…」

最近見ねえな〜今あいつ大学生だっけ?とか、精々その程度では?そこまで頓珍漢なことは言っていないと思うのだが、相変わらず律くんの顔には、「納得いってません」という思いがありありと浮かんでいた。
勉強を教える必要は無かったし、よく外で一緒に遊ぶほど私は元気なお姉さんでもなかったし。親の仲が良かったから、それに合わせて子供たちもこんちゃ〜っすとへこへこ交流していただけの、そんなうっすい接点。私としてはそういう認識だ。嫌々付き合っていた訳ではないが、特別仲が良かった訳でもない。と、思っていたんだけど、どうやら彼にとっては少し違っていたらしい。このままでは難しい年頃である律少年の機嫌を損ね続けることが明白であるため、私は素直に向こうの気持ちを聞いてみることにした。

「わ、わたしにはキミがそこまで覚えてくれてることについての心当たりが無いんだけど、いったいどうしてなのかな…?」
「……」

再び遠慮の無いため息。彼は私が同じ年だった頃よりも遥かに賢い子なので、このため息は間違いなく、私を申し訳なさで縮こまらせるために、意図してついているものだ。すまぬ…すまぬ…

「おかしいですか、単なる年がちょっと離れた異性のご近所さんを、僕がいつまでも覚えていたら」
「お、おかしいとは言わないけどさあ…」

ただ覚えているってだけなら、ああしてなかなかの勢いで私を訪ねて来たりはしないよなあ。私だっていたずらに少年を苛立たせたい訳ではないけども、律くんは理由分からんがとりあえず謝っとこみたいなの絶対嫌なタイプじゃん…
どうしたものかと内心で唸っていると、この調子では埒が明かないと考えたのか、律くんは続けて口を開いた。正しい判断です……

「徹底して弟扱いされた方がまだマシなので、認識を改めてください、今。」
「え、や、あの…」

ま、まだマシ、とは。ただの他人よりかは、ということ?だけどやっぱり彼がそこまで言ってくる理由は謎のままで、少し傾いた私の頭は、未だ元の位置へ戻せそうになかった。

「…」
「ええっと…」
「………分かりました、もうはっきり言います。僕はなまえさんが好きなんです」
「……え!?な…なんで!?だって、律くんは、」

自分で言うのもどうかとは思うんだけど、仮にね、彼が幼い頃……多分中学生くらいのさ、私に…まあ……そういう感じだったとしてだよ……その感情を、今の今までずっと持ってるって、それは、なんというか……律くんらしからぬ、というかさあ…。

「…僕、なまえさんが思ってるほど利口じゃないですよ」
「利口じゃない、って…」
「昔からずっとあなたが好きなままなんです、僕はまだ子供なので」

それはもう子供の台詞じゃないんだけど……。彼の冷静さも相まって、余計にそう感じる。まったく鈍い女だぜ、という呆れは表情に浮かんでいるものの、そこに「好きだ」と告げたことに対しての動揺みたいなのは一切混じっていないのだ。な、なんだその余裕。


「で…でも、あの、私がキミに応えちゃうのは物凄く不味いことだっていう、それは分かるよね…?」
「応える気が無いのにそういうこと言わないでもらえますか」
「えっ、ご、ごめん」

かと思えば、私のちょっとした言葉に反応してツンとした態度を返してくるのだから、どうにもやりづらい。思わず素直に謝ってしまった。

「律くんもきっとそのうち分かるって……未成年に手を出す大人は全然大人じゃないんだからね、然るべき手段で身を守らないとダメだよ」
「じゃあ聞きますけど、僕が成人したら良いって言うんですか?」
「そ、それは難しい話だけどさあ…そもそも相手が大人になるや否や手を出すっていうのも正直思うところあるし……」
「この場合成人するのを待ちわびているのは僕の方なので、関係無いと思いますよ」
「いま怖いこと言わなかった?」

なんでこっちが児童を守る法律に逆に守られてるんだよ。つい眉間を揉んでしまった私の心情を知ってか知らずか、律くんは「じゃあ荷解き頑張ってください」と言い残して、お向かいに戻っていった。そこは手伝ってくれないのかよ。何も無い状態ではお互い部屋が丸見えの位置関係であるので、とりあえずカーテンを閉めた。

後日、母から「お向かいの律くんってずいぶんあんたに懐いてたのねえ、色々聞かれたわよ」なんて言われたことにより、どうやら少年が外堀から埋めようとしているらしいことに気づいてしまった。かといって変に避けるのもおかしいし、誰かに言えばヤバい目で見られるのは私の方だし。中学生とは違って法が守ってくれない自分の身を、いったいどうやって守ればいいのやら、私はうんうんと頭を悩ませることになったのである。
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