ひたり、ひたり。知らない足音が、段々と近づいてくる。確かにドアの前で止まったはずなのに、それを開ける音はしないまま。
次に足音が聞こえてきたのは、部屋の中からだった。

「……あなたは誰?」
「おや、拍子抜けですね。怖がらないのですか?」
「ふふ、そんな口調で物騒なこと言うのね」

まるで怯えさせるためにわざわざ来たかのような、そういう反応。ゆっくりと再びこっちに向かってくる音は何だか固くて、不審者に礼儀を求めるのも間違っている気はするけど、うわあ土足?と思わず文句のひとつも言ってやりたくなった。

「ねえ、ドアを開けずに入ってこられたのはどういう仕掛け?」
「聞くことを間違えてません?」
「そっちの方が気になるんだもの」

それに、素直に尋ねたのに自分が誰なのか教えてくれなかったのはそっちの方だ。私の隣まで来て足音は止まり、さっきと同じ少し癖のある声が頭上から降ってきた。発せられたのは、私が座っているからというのを含めて考えても、なかなかに上の位置。背、高いなあ。

「瞬間移動…と言われて、信じます?」
「……信じるどころか納得!」
「ほう?」
「なんであなたが家に来たのかも分かっちゃった」
「ハハ、ではお聞きしてみましょうか」
「お目当ては、私じゃなくて弟でしょう?」

ふ、と微かに笑いの混じった息が聞こえたので、多分合っているんだろう。瞬間移動が出来ると言われてすぐに信じられたのも、単純に色々なタイプの人が居るんだなあと思ったからだった。私の弟は、いわゆる超能力者という類の人間だ。そして、私と両親にそういった力は一切無い。

「ご名答ですが、驚きましたね。そこまで理解しているとは到底思えない落ち着きぶりでしたから」
「姉弟仲、あんまり良くないの」
「これは薄情なお姉さんだ」
「不審者に言われてしまったら終わりだわ」

滞ることなく返される台詞は、どこまでもただただ言葉遊びをしているかのような軽い口ぶりだった。この人、あんまり他人の人間性をとやかく言えるような性分ではないと思うんだけど。

「あの子、わざわざ攫いに来るほど見込みがあるの?」
「さあ?詳しいことは特に。私は暇潰しにと来ただけですから」
「ふうん」
「……弟君は、キミに似た性格なのかな」
「そうだったらもう少し仲良くできたかも」
「おやおや」

別に憎たらしいと感じるほど嫌っている訳ではなくて、なんというか……どうしようもなく合わない人間って世の中に居ると思うんだけど、残念ながら私たちにとっては、お互いがそれに当たるのだ。多分。いや、まあ……だとしても、攫いに来たと言われてこんな反応しか出来ないのは、結局私の性根の問題なのだろうか。

「あなたはどうしてここに?」
「……ああ、危害を加えるつもりはありませんよ。一般人にはなるべく手を出さないように、とのお達しですから」
「“超能力者”の弟は?」
「躾係ではないので、私には何とも」
「…あの子気が強いの。苦労しそうね」

とはいえ何も出来ることはないから、ズレたことを言っているのは理解しつつも私なりに弟を心配してみたら、再び笑いと一緒に吐かれた息が、くすりと空気を揺らした。やっぱり大概な性格をしている、この人。というかまたこっちの質問に答えてないし。そもそも暇潰しのつもりで人攫いに同行する時点でまともな人間ではないことに、私はようやく思い至った。

「惜しいなあ、キミの方がウチには向いてそうなのに。身内が能力者なんだし、駄目元で覚醒実験とか受けてみません?」
「そんなお墨付きを貰っても」

どう考えても反社会的な部類に属しているであろう組織の人間に、そこに向いているとはっきり言われてしまった。しかも彼、こういう単独行動を許されているってことは、それなりの立場にいるのではないだろうか。余計に複雑。

「あなた達に反抗するつもりはないし、する力も無いけど……ひとつだけ、恨み言を言っていい?」
「へえ、ひとつで済むんですか」
「…」

愉快そうな声音を聞いて、どうやらまた言葉選びを失敗してしまったらしいことに気づいた。やだな、これでも自分のことは真っ当な人間だと思っていたのに。

「弟が誘拐されたとなったら、私はますます外に出してもらえなくなりそうだから」
「それはそれは、どうもすみません」
「わあ、欠片もそんなこと思ってないでしょう?」
「おや、そう聞こえました?」

謝罪が下手だとはよく言われます、とまったく気にしてない雰囲気で彼は続けた。下手だとか言っているけど、単に上手くやろうとしていないだけなのだろう。この人の底は分からないけど、なんとなくそういう性格であることはさすがに理解できてくる。
ふむ、と何かを考えるような間が数秒だけ空いて、提案が一つ投げられた。

「…では、少々外の風に当たってみますか?」
「……あなたなら出来るでしょうけど、どうして?」

そんなことを親切心で持ちかけるような人なら、端から人攫いをする組織になんて所属しない。そう考えてしまうのは当然のことだと思う。やっぱりというかなんというか、私の予想は間違っていなかったらしく、私の質問に彼はどこまでも彼らしい理由を返してきた。

「案外退屈しませんでしたから、キミとの会話は」

「失礼、触れるのが発動条件なもので」と、肩に手が触れてくる。そこは律儀なんだ、と笑ってしまった。こういう質の人間に面白がられたことが、幸運だったのか不運だったのかは分からないけれど。

「……あ、少し待って。私、外に出るなら…」
「いえ、大丈夫ですよ。心得ているつもりですから」

立ち上がったのは、彼に応えるためではなく物を取りに行くためだったのに、お構い無しに彼は不思議な力を発動させた。ふわっと一瞬身体が浮くような心地がして、次に飛び込んできたのは室内では感じられない風と、匂い、それと少しの音。


「………初めから分かってたの?」
「私が部屋へお邪魔する前から、気配に勘づいていたでしょう?その感覚には覚えがあります」
「……じゃあ、あなたも?」
「ああ、言ってませんでしたか。見えない者同士、ということです」
「私のところへ来たのはそれが理由?」
「ふふ、それはどうでしょうね」

白杖を持たずに外へ出ているっていうのは、どこか落ち着かないけど。すう、と息を吸ってみたら、自然の匂いがした。風が肌を撫でていくと、その後ろで葉がそよぐ音がする。時折響く少し高い音色は、きっと鳥の声だ。たまに買い物へ連れ出してもらえるくらいだから、車の音や人の声がしない、こんなにも落ち着いた場所へ来るのは、もしかしたらはじめてかもしれない。素敵な体験をさせてくれたのが不審者のお兄さんであることを思い出して、思わず苦笑した。

「……風がまっすぐ吹いてくる。何も遮る物が無いのね」
「ええ、街が下に広がってる場所ですから。多分、いい景色なんだと思いますよ」

少し屈んで足元に手を伸ばすと、背の低い草と、その中に交ざって咲いている小さな花に指が触れた。隣に立っている彼に、ふと思い立って投げかけてみる。

「ねえ、あなたは瞬間移動以外にも何か、特別な力を持ってるの?年の功にしては、色々と器用な気がするんだけど」
「そう言われるほど年を食っているつもりはないのですが……まあ、感知に長けているという自負はあります。大体の物は把握出来ますし」
「なら、ちょっとお願い」
「お願いですか」
「なんでもいいから、ひとつ花を摘んできてほしくて」
「はあ、」
「だって私、一歩も動けないのよ。あなたは家の中まで靴を履いて入ってきたんだから外も歩けるでしょ?」
「それはすみません」

二度目の下手な謝罪が返ってきた。草を踏み分けていく音がしたので、一応わがままに付き合ってはくれるみたいだ。家に来た目的が目的だから、優しいとはさすがに言えないけど…やっぱり変な人。


「とりあえず手頃な物にしましたが……どうするつもりなんです、これを」
「押し花でも作ろうかと思って。せっかくなら思い出を形にしておきたいでしょ、弟が攫われたっていう」
「ハハハ、やっぱりキミこちら側の人間だと思いますよ」
「それは不名誉極まりないわね」


彼が去った後本当に行方不明になった弟は、連れていかれた先の、支部…?とかいう所が解体されたらしく、1ヶ月も経たないうちにけろっとして帰ってきた。あの1時間にも満たない非日常の証は、彼に摘んでもらった花だけになったのだ。

やっぱり両親は私たちに対してより過保護になったけど、変わったのはそれだけじゃなかった。なんと、弟が私に少し優しくなったのである。なんでも行った先では度々イヤ〜な喋り方をする男が現れて、「キミのお姉さんは私たちよりよっぽど恐ろしい性格をしていますよ」などと脅しをかけてきたのだとか。なんてこと言うの。あの人が躾係とやらを任されていないのは、立場が上の方だからという理由だけではないような気がした。

「ね、姉ちゃん本気で怒ったら俺の頭なんか一瞬で吹っ飛ばせるってマジ…?」
「どういう脅され方してきたの?」
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