「あっ!島崎!!」

そうだ、この支部にはガキが居るんだった。子供特有の甲高い声に、不躾に名前を呼ばれて、島崎は面倒臭いという感情を欠片も隠さずに声の方へ振り返った。コツン、コツンと硬い音が、狭い感覚で近づいてくる。小生意気なフォーマルシューズに、はん、と島崎は笑い混じりの息を飛ばした。ピーピーと鳴る笛付きの靴の方がお似合いでは、なんて言ってみたらギャーギャーと暴れられ、(支部が)大変なことになったのを思い出したのだ。最高幹部である島崎に強く出ることも出来ず、責任を取らされ僻地に左遷されたのは、ここを任されていた傷のメンバー数人だった。が、そんなのは島崎の知ったことではない。

「あなた帰ってきてたのね!」
「……はて、何のことでしょう」
「わたし知ってるのよ、島崎はセキドーチョッカに飛ばされてたって!」
「…へえ、誰に聞いたんですか」
「眼鏡セーター!」
「……羽鳥」
「それ!」

とはいえ5超最強の一角島崎とて、この件についてまったくの不問では済まなかった。流石に直接罰として言い渡された訳ではないが、唐突に組織の幹部ただ一人だけに命じられた東南アジア出張はどう考えても不自然で、おイタが過ぎてしまった彼への制裁であったのは明白である。

「……キミ、羽鳥が自分のことをなんと呼ぶか知っていますか?」
「あの人、ボスの前だとワタシって言う!」
「何故だと思います?」
「なんで?」
「かっこいー私に憧れてるからですよ」
「そうなの!?今度聞いてみる!」
「ええ、そうしてあげてください。否定すると思いますが、それは照れ隠しです」
「わかった!」

ちゃっかり陰湿な反撃を彼女に仕込んでから、島崎は話題を切り替えた。

「今日はお一人ですか」
「ひとり?」
「保護者……失礼、ショウ君とは別行動で?」
「ショウはね、何かホーコクがあるんだって」
「そうですか、私も急ぎの用事があるのでそろそろ行っても?」
「それはおかしいわ!だったらテレポートを使ってるはずだもの」
「余計な知恵を…」
「なあに?」
「なんでもないですよ」

正直、用事があろうが無かろうがさっさと姿を消したかったし、呼び止められた時点で瞬間移動を発動させていてもおかしくはなかった。しかし、それが出来ない理由があるのだ。
島崎は、なるべくこの少女に自らの十八番を披露したくないのである。覚えられでもしたら余計面倒なことになる、そう確信しているからだ。生意気で煩い子供のくせに、教育係もつけられず比較的自由に行動することを許されているのは、彼女の生まれ持っての能力が優秀だったからである。
クソガキ…と、もはや何度目かも分からぬ悪態と舌打ちを、貼り付けてある笑顔の裏で飲み込んだ。

次からは、ここに来る時だけは感知くらい常にしておくべきだろうか。やれやれ、と島崎は小さく息をついた。
5超である己と傷──ペケを付けられた哀れな欠陥品達との間にある実力差は絶対的で、たとえ彼らに不意打ちをされたとしても数秒で伸せるという確固たる自信が、島崎にはある。まああくまでも仮定の話で、流石にこの力の差が理解出来ていないほどあいつらも馬鹿ではないだろう、とも思っているが。
つまり本来であれば、(島崎にとっては)たいしたエスパーもいないこんな場所で、わざわざ自分の能力を使う必要などないのだ。島崎の微かな嘆息は、それなのにたかが子供一人との接触を避けたいがためにか、という自嘲のようなものだった。しかし彼にとってはそれほど御免蒙りたいことなのである、ガキのお守りなんて。


「あっおいなまえ、お前こんなとこに居……げえっ、島崎!」
「おやショウ君。いけませんねえ、お子さんから目を離すなんて」
「誰が親だ!…お前苦手そうだもんな、そーいうの」
「ハハ、する必要が無いからしないだけですよ」

もちろん島崎の適当な返事を真に受けた訳ではなかったが、ショウはその言葉を聞いてにっと口角を上げた。島崎から発せられている、さっさと連れて帰れ、という隠す気もない圧なぞ何処吹く風である。

「俺まだ用事あるから、そんならもう少し相手頼むわ」
「は、」
「苦手って訳じゃないんだもんな!」

わざとらしく急いだ様子で、ショウは来た道を戻るのではなく、すぐ横の壁を抜けていった。再び二人きりにされ、見えずとも感じるキラキラとした鬱陶しい視線に、ハア…といよいよ島崎は大きなため息を抑えられなかった。眉間のシワは、先ほどよりも深く刻まれている。


「キミの相手が務まるほど愉快な人間であるつもりはないんですがね…」
「そう?島崎は面白いわ!」
「はあ、」
「わたしにデスとかマスなんて使う大人、あなただけなんだもの!」
「はあ?」
「とってもふしぎ、そんなしゃべり方なのに島崎ったら全然テーネイじゃないんだから」
「はあ…」

少女の独特な感性に、島崎は同じ音で間の抜けた相槌を返すほかなかった。これだから思考の読みづらいガキは…と、普段は他人を翻弄している側であることを棚に上げつつ、どうにかこの状況から抜け出せないかと考えを巡らせる。しかし間の悪いことに、彼女を押し付けられるような人間の気配は、今のところ周りに存在していなかった。いつもは無駄にぞろぞろと群れている癖に、とあまりに理不尽な苛立ちを、この支部に配属されている下っ端たちに募らせる。


「……そうだ、もうひとつ面白いことを教えてあげましょうか」
「面白いこと?」

なまえによってきゃんきゃんと飽きずに続けられる取り留めの無い話を雑に聞き流しているうちに、ちょっとした意趣返しを思いついたようで、島崎は再び間接的な反撃を彼女に仕込むことにした。島崎の辞書に、大人げないなどという言葉は存在しない。

「ショウ君と私を見て、何か気づくことはありませんか?」
「ショウと…島崎……?」
「ええ、簡単なことですよ 」
「………髪がすこし似てる?」
「はい、正解です」

自分たちの居る場所へ近づいてくる一つの気配を、島崎はしっかりと感知していた。それがここへ姿を現すタイミングを正確に読んだ上で、更に言葉を続ける。それはもう愉快そうな顔で。

「まったく、人気がありすぎるというのも困ったものですよねえ」
「人気…困る……、えっ、もしかして!」
「ふふ、それも聞いてみるといいですよ」
「そうする!……あっショウ、もう用事は終わったの?」

なまえが戻ってきたショウの方を振り返ると同時に、待ってましたと言わんばかりに島崎はテレポートを発動させた。あいつ…と呆れながらも、ショウはやけに楽しげな彼女の様子に首を傾げる。自分が無理矢理状況を作り出した割には、なかなか二人の会話は盛り上がってたんだな、と。

「ね、ショウ」
「おー、なんだ?」
「ショウのその髪型、島崎に憧れてるからなんでしょ?」
「…………は?」

あまりにもあんまりな台詞が飛び出してきたために、ショウの頭は一度受け取りを拒否した。なまえの言葉を何度か繰り返して、少しずつ意味が分かっていくのと同時に、彼の表情がわなわなと引きつっていく。


「ッッッッなワケあるかァーーーッ!!!?」
「島崎が言ってたの、否定は照れ隠しだって」
「ふざけんなーーッ!!!」

この反応こそがあの男の求めていたものであることは十二分に理解しつつも、それでもショウは支部中に響く声量で叫ばずにはいられなかった。当然そんな事実は無いため肯定なぞする訳がないが、いくら首を横に振っても照れ隠しであると片付けられてしまう堂々巡りであった。地獄か。どこか生温かい気がするなまえの目に、くっと奥歯を噛み締める。
いくら実力主義とはいってもあんなロクでもない大人を幹部に据えるなんて正気なのかと、少年はますます「クソ親父」に対する反抗の気持ちを燃え上がらせるのだった。
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