17.




「苗字、ちょっと良いか」

「はい。何でしょうか」

「……ここじゃ少し話せない内容だ。付いてきてくれ」

 部長に呼び出されたのは、会社に出勤して僅か10分後のことだった。
わざわざ部長に呼び出されるなんて余程のミスか、もしくは嬉しい知らせか、どちらにせよ只事ではない。

煩く鳴る心臓を宥めながら、何だ何だと遠巻きに此方の様子を伺う同僚達に見送られ部署を出た。

部長に連れられてきたのは会議室で、中は暗く当然誰も居ない。
電気を付けた部長に促されミーティングチェアに座ると、ふぅ、と小さく息を吐いた部長が話し始めた。

「…朝から急に悪いな」

「いえ……あの、お話って何でしょうか」

「…これから話す事について、真実だけを語ってくれ」

「え…?」

「……苗字、お前…反社との繋がりはあるか?」

「は、はい?反社、って…繋がりなんて無いですよ!」

「…それなら、聞き方を変える。五条悟と繋がりはあるか?」

「っ!」

 部長の口から出た名前はとても聞き覚えのある、そして二度と聞きたくない名前だった。

「その反応は、繋がりがあるという事で良いんだな?」

「…は、はい。あの…えっと…どういうこと何ですか?その言い方、まるで…」

「何も知らないのか…それとも惚けてるのか?五条悟は…ヤクザだぞ」

 部長の声が遠くなる気がした。
そんなまさか。いや、違う。私は心のどこかで疑っていた。
一度は本人の口から違うと聞いて信じることにした。
厳密に言えば、信じると、信じたのだと自分に言い聞かせた。
都合の良いバイトを、安定した生活を手放したく無かったが為に。
鈍感でお人好しな女に甘んじたのだ。
その結果、私はきっと本職を失うことになる。


「……五条さんと私の繋がりは、どこで…」

「それは…とある社員からのリークだ。お前と五条悟が親しくしていると報告があった」

「どうして部長は五条さんを…?」

「アイツはな、この辺を広範囲で纏めてる組の若頭だ。お前みたいに真面目な奴は関わることも見掛けることすら無いかもしれないが、あの繁華街に行き付けの店がある奴は大体知ってるよ」




 その後、部長から聞いた話を纏めるとこうだった。

 五条さんは大きな組の若頭で、私が働いていたキャバクラがある繁華街一帯は五条さんの組が纏めていること。
主にみかじめ料の回収に出るのは五条さんより下の人達で、五条さんは目立つ行動はしないらしいが見回りや様子見を兼ねてあちこちのお店に出没していること。
店内では必ずVIPだし、移動も車が基本だからそう姿を見られる訳ではないがその美しさと、それから冷酷さで有名だということ。

『俺も若い頃はヤンチャしてたし今もあの辺にはいくつも馴染みの店があるからよく顔を出すんだ。直接五条悟と話したことはないが、ヤツは子供の頃から有名だった。飲み屋に居ると、色んな話が耳に入ってくる。俺は五条悟と話したこともないし、反社の人間との関わりもないが、それでも分かる。五条悟はヤバい男だ』


 部長はそう言うと溜息を吐き、ある種私にとっては五条さんがヤクザだと知るよりも辛い言葉を言い放った。

『残念だけど、反社と繋がりがある以上…ね』

 何となくそんな気がしていたとは言え私は五条さんがヤクザだなんて知らなかった。
一度確認だってした。それでも五条さんは確かに"違う"と言った。それなのに。

 どうしても受け入れられずに食い下がった私に溜息を吐きながら次に部長が言った言葉は、私を地獄へ突き落とすには充分だった。

『それなら…五条悟の家で家事代行の仕事をしてるらしいじゃないか。これは、五条が反社だと知っていたかどうか以前の問題だ。ウチは副業禁止なんだから』

 ぶわりと嫌な汗が吹き出た。まさかそこまで知られているなんて。どうして、と狼狽える私に部長は言った。

『電話があったんだ。匿名で。苗字名前は五条悟の家で家事代行のバイトをしてる、とな』


 その後のことはよく覚えていない。
確か、仕事は辞めるということで纏まってそのまま帰された。
細かい話を幾つかされたと思うけど、詳しくは覚えていない。

やっとの思いで乗り込んだ電車の中で部長とのやり取りを思い返していると、少しずつ冷静さを取り戻し初め今後のことを具体的に考えられるようになってきた。
もちろん、一番に考えなくてはならないことは仕事をどうするか、ということだが、それよりどうしても考えてしまうことがある。

それを確かめる為に私はスマートフォンを取り出し、メッセージを送った。


『お話したいことがあるのですが今夜時間ありますか』




 歩き慣れた筈の道が違って見える。
都心の喧騒が今だけは煩わしく感じない。
私の頭の中は五条さんのことでいっぱいだった。
それは決して甘やかな意味ではなく、例えるなら恐怖に近いもの。

何に対しての恐怖か、と聞かれれば、五条さんがヤクザだったことはもちろん、気付いてしまった五条さんの異常性、それに匿名で会社に掛かってきたという密告の電話。

あれは、私の勘が当たっていれば五条さんの身近な人間の仕業だ。
それを五条さんが仕向けたのかどうかまでは分からない。
だけど、私が五条さんの家でバイトしてることを知ってるのはこちらサイドでは遠方で暮らす友人のみ。
友人が密告したという可能性もゼロではないが、友人にメリットが無いしそもそも五条さんのフルネームを友人は知らない。
もちろん、五条さんがヤクザだということも。
怪しいよね、という話はしていたし私以上に怪しんでいたが確証がある訳でもないのに"五条悟の家で家事代行のバイトをしている"なんて言い方をするだろうか。
仮にバイトしていることを密告したいだけなら、家事代行のバイトしてますよ、とそれだけ言えば良い話だ。
わざわざ"五条悟の家で"と言った辺り、五条さんの素性を知っているものが、"あの"五条悟の家で就労規則で禁止されているバイトをしている、と伝えたかったのだ。

まぁそれも友人が何かのきっかけで五条さんの素性に気付いて─という可能性も無くはないが、やはりメリットが無いし何より親友を疑いたくない。
五条さんサイドに私の存在が気に入らない人間が居ると考えた方がしっくりくる。

思い当たる節は無いか、何か事情を知らないか、私はそれを確かめる為に数日前二度と来ないと決心したマンションへやって来たのだ。


 すっかり顔見知りになったコンシェルジュと会釈を交わしエレベーターを待つ。
到着を知らせる音に顔を上げるとエレベーターのドアが静かに開いた。
誰も居ない小さな箱は、早くおいでと私を呼んでいる。それに乗り込んでしまえばあとは真っ直ぐ一番上まで上がっていって、五条さんだけが暮らす最上階へ私を連れて行く。

今では禍々しささえ感じるその箱に乗り込むと、静かに扉が閉まり、穏やかに上昇を始めた。
時間にしてほんの一分にも満たないような一瞬であったはずなのにやけに長く、最上階が遠く感じた。

 辿り着いた最上階はもう何度も何度も訪れた、一時は自分のテリトリーだとすら感じていた場所。キッチンの事情については家主より詳しい自信がある。それなのに今では扉に手をかけることすら躊躇いを感じる。

すう、と深呼吸をひとつした時、見計らったかのようなタイミングで扉が開いた。
思わず肩をビクつかせた私を見て家主は笑った。


「そんなビビらなくても良いのに」

「……こんばんは。いきなりすみません」

「あは、いいよ。来ると思ってたから。立ち話も何だし、とりあえず中入りなよ」

 普段と全く変わらない様子の五条さんが怖かった。
にこにこと絶えず笑みを浮かべる様子はまるで私が遊びに来たとでも思っているように見える。

「すぐ終わりますからここで結構です」

「そう?でもほら、僕しか住んでないとはいえ気分的に嫌じゃない?」

「私は別に──」

「嫌じゃない?」

 有無を言わせないとはこの事か。と、この家で働かせてもらうようになってから初めて見た五条さんの高圧的な態度に私はそんなことを考えていた。
声のトーンも口調も決して恐ろしいものでは無く、むしろ親しみやすさを感じる、明るいものなのにどうしてか恐ろしい。
これは質問では無く私に許された答えは"はい"だけなのだと悟った。

「…嫌、ですね…」

「だよね〜お茶でも飲みながら話そうよ」

「……お邪魔します」

「はーい」

 五条さんが色んな意味で"コワい人"だと知ってしまった今、一挙手一投足に緊張が走る。
こんな人の元で自分は数ヶ月も働いていたのか。
何も知らなかったとは言え家を出入りし夕飯を共にして泊まらせて貰って。

知らぬが仏とは言い得て妙だ。
こんな人に"会社クビになったんですけど何かしましたか?"なんて聞けない。
"した"と言われたらなんて答えれば良いのか分からないし、"してない"と言われても信じることは出来ないだろう。

 私が会社をクビになった事実は、今更何をどうしても覆らないのだ。
五条さんがどんな返答をしようと、ヤクザの家でバイトしていたということは紛れも無い事実なのだから。

「座ってよ。何飲む?紅茶かコーヒー、それかココア」

「…五条さんと同じ物で」

「激甘ココアね」

「私のはあまり甘くないと嬉しい、です…」

「りょーかい」

 五条さんの柔らかな態度に、何かの間違いだったのでは無いか、という気になってくる。
もしかして、ヤクザの五条悟というのは同姓同名の別人、とか。

五条という苗字はかなり珍しいが、全く居ない訳では無いのだろうし。
色んな情報が錯綜して、同姓同名の別人である目の前の五条悟がヤクザだと勘違いされているとか。

──いや、無理がある。人違い説を信じたいが、それよりも五条さんが私に嘘を吐いていたという方が、俄然しっくりくる。
近いうちにまた来ることになるよ、とか、来ると思ってた、とか言ってた辺り、五条さんが今回のことに一枚噛んでると考える方が自然だろう。


「はい、お待たせ。熱いから気を付けてね。それで、今日の用件は?」

 湯気が立ち上がるマグカップを二つ手にキッチンから戻ってきた五条さんは、それをテーブルに置くと静かに椅子に座り私に視線を向けた。

用件は、と聞かれれば勿論会社をクビになったことについてだがやっぱりそれを聞く気にはなれなくて、だけど五条さんは私がここに来た理由にきっと気付いていて、どうすれば良いのか分からず視線を彷徨わせた。

そんな私の様子を穏やかに微笑みながらココアを啜る五条さんは、あくまでも私が話を切り出すまで待つつもりらしい。
あわよくば助け舟を出して貰えないかと少しだけ期待していたのだが、それは諦めることにした。
埒が明かないので腹を括り、ひとまず会社をクビになったのだと切り出して様子を見ることにした。
『私が会社クビになるように仕向けましたか』なんて馬鹿正直に聞かなくとも反応を見れば何となく分かる筈だ。


「……実は、会社をクビになりまして。」

「…それは大変だったね。理由は?」

「えーっと……副業がバレたというか…」

「おかしいね。どこから足付いたんだろう」

「電話があったみたいです。私がここで働いてるっていう…」

「へえ。誰だろうね。名前ちゃん、僕の家で働いてること誰かに言った?」

「…遠方に住んでる親友にだけ…」

「そう、じゃあその子がリークしたのかもね」

「それは無いです!あの子はそんな事するような子じゃないし、それに…」

「それに?」

「…私がバイトしてること、心配してくれてたんです、色々と大丈夫なのか、って…」

「ふぅん。じゃあ、バイト辞めさせたくてリークしたんじゃない?ま、バイトだけじゃなくて会社まで辞めさせられることになっちゃったけど」

「そんな事しないです…!私が副業してまで稼がなきゃいけない事情も知ってるから本業をクビになるようなこと…」

「随分その子のことを信用してるんだね。でもさぁ、名前ちゃんにはその子が何を考えてるかなんて分かんないよね?もしかしたら本当は名前ちゃんのこと妬ましくて疎ましくて憎くて大嫌いかもしれないよ?この世に絶対なんて存在しないし、他人の気持ちは分からないんだから」

「何でそんな、そんな酷いこと言うんですか…!」

「酷い?僕は心配してるんだけどな」

「心配だなんて…!」

「本当だよ?とりあえず、簡単に人を信じちゃう所は直した方が良いね。名前ちゃんがもっと人を疑う子だったら、もっと色んなことに敏感な子だったから、こんな事にはならなかったんだから」

 五条さんは語気を荒らげるでも私を睨み付けるでもなく、ただ穏やかに微笑みを携えてココアを啜っている。
その形の良い唇から発せられる言葉の意味と美しい微笑みのアンバランスさが私を混乱させた。

 どうしてこの状況でこんなにも穏やかでいられるのだろうか。親友のことを悪く言われ声を荒らげた私がまるでおかしいみたいじゃないか。
そんな事を考えていたせいで、五条さんの言葉の違和感に気付けなかった。

「名前ちゃん。名前ちゃんが今日ここに来た理由はこの件に僕が関係してるんじゃないか、って疑ったからでしょ?」

「え…」

「あ、それから僕がヤクザだってことももう知ってるよね?会社の人に聞いたでしょ?」

「なんで…」

「だから僕言ったでしょ?『また必ず僕の所にくるよ、近いうちに』って」

「……嘘、嘘でしょまさか全部…」

 どうしてこの人の言葉を忘れていたのだろうか。
どうしてこの人の異常性に気付いていたのにもう一度尋ねてしまったのだろうか。

「そうだよ、ぜーんぶ僕が──」



「仕組んだんだ」


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