22.
※五条さん視点です
「……五条さん…ありがとうございます……」
そう言って小さく頭を下げた名前からは困惑の色が滲み出ていた。
俺に頼って良いのか、という迷いが全く隠しきれていない。
そりゃそうだよね。それだけの事をした自覚はある。悪いとは1ミリも思ってないけど。
それなりに大きな会社で働きながら、余裕は無くとも安定した生活を送っていた名前。
俺と出会わなければ、そのうち普通の男と出会って普通に結婚して子供を産んで、そうやって"普通"を享受出来たのに、俺と出会ってしまったばっかりにそれを手放さざるを得なくなった。
ツイてないね、人を見る目が無いね、と思う。
可哀想で、可愛い。
戯けてみせれば小さく笑って、だけどまたすぐに頬を引き締めて、何て分かりやすい子なんだろう。
それで良い。そうやって落ちてくれば良い。拒絶する気持ちの中にほんの少しだけの隙があれば良い。
これから始まる二人の生活を思い浮かべて、緩む口元を隠しもせず、アイスクリームがどろどろに溶けたメロンフロートを啜った。
◇
「それで?あの子との生活は順調?」
「順調順調!いや〜、家で待っててくれる人が居るって良いモンだね」
「何言ってるんだ。人が多くて鬱陶しいからって家を出てマンション借りたくせに」
「そりゃ野郎共が俺の帰り待ってたって嬉しくねーよ。可愛い女の子が待っててくれるから嬉しいんだろ」
「全く…随分惚れ込んでるな。あの子、そんなにイイ?普通の子っぽかったけど」
「分かってねぇな、その普通さが良いんだろ」
「そういうもの?あ、顔に似合わず結構過激とか?」
「過激?まぁ、あれで結構気が強いとこもあるっつうか、主張はするかもな」
「へぇ。ギャップだね。あんな大人しそうな顔して夜は主導権を握ってるっていうのか…」
「はぁ…?あ、ソッチの話ね。名前とはまだヤってねぇよ」
「嘘だろ、一緒に暮らしてるのに?」
「一緒に暮らしてるったってまだ一ヶ月も経ってないし。ま、でもそろそろかな」
「考え無しに家に置いてるって訳じゃ無さそうだね」
「そりゃあね」
考えならある。むしろ、初めから全て計算だ。名前が仕事をクビになったことは勿論、その後の就職が難航したことも家を追い出されたことも父親の借金返済額が増えたことも全部俺がそうさせたのだから。
「だけどあの子には随分優しくしてるんだね。今までの悟なら有り得ないだろ、どんな算段かは知らないがこんなに時間を掛けてやるなんてさ」
「今回はマジなんだよ」
「ふぅん。あの子もツイてないね。よりにもよって悟に気に入られるなんて」
本当にツイてないと思う。
あの日、あの店で出会ったことからして、名前は運の尽きだった。
俺にとっては幸運であったし、今となっては運命とさえ思う。
普段なら一ヶ月に一度顔を出す程度のあの店で、週に2、3回だけ出勤していた名前と出会ったのだから。
運が悪いね、と思うことは幾つもあったけど、ここまで来ると流石に哀れだ、と思ったのは、名前の親父が手を出した闇金の元締めがウチだったことだ。
父親に借金がある、という話を聞いた時点では知らなかった。
数ある凌ぎの中の闇金の、更に顧客なんて俺には関係無いと言っても過言では無い。勿論、トラブルが起きれば出ていくのは俺達だが、それだって直接現場に赴くのは俺より下のヤツら。まぁ良いとこ七海か傑ってところだろう。
余程のことをやらかした奴なら名前くらいは覚えているが、その殆どはもう海の底か山で土に還っている。
それに、名前の地元はこの辺りでは無かった。
俺達のシマじゃないから関係無い、と思っていた。
それでも、この計画を思い付いた時に念の為調べさせて名前の親父がウチの闇金から金を借りてると知った時は鳥肌が立った。ゾクゾクした。やっぱりこれは運命で、神は俺に味方している、と。
「俺は運命だと思ってるよ。それにさ、見方を変えたらむしろ運が良いと思わねぇ?だって俺と結婚したら一生安泰だぜ?金に悩まされる生活から解放される上に旦那はルックス良しとか、むしろ幸運だろ」
「えぇー…自分でそれ言っちゃう?てか結婚する前提なんだ」
「するでしょ。名前を逃したら多分一生独身な気ィするわ」
「悟は知らないかもしれないけど、結婚はお互いの同意が無いと出来ないんだよ。あの子が悟を好きになるとは思えないけどねぇ」
そんなことは俺が一番解っている。簡単に惚れてくれるなら、もうとっくにそうなっているだろう。
初めは不純な動機だったとは言え、俺に惚れてくれるようにこれまでやってきたんだ。
だけど名前は俺に全く靡かなかった。
だからやり方を変えた。気持ちが手に入らないなら、まずは身体から。と言っても、抱くとかそういう意味ではなくて、俺を頼らざるを得ない状況を作った。
「悟があの子を手に入れる為にあの子のことを監視したり仕事辞めさせたり挙句の果てには就活の邪魔して家追い出したことは絶対あの子には知られないようにね」
「何でオマエがそれ知ってんだよ!」
「あ、あと親父さんの借金の返済額を上げさせたことも知ってるよ」
「はぁ!?マジで誰から聞いた!」
「ふふ、私は悟のことなら何でも知ってるんだよ」
「ったく…まぁ、知ってんならもう良いけど。…傑に言ったら小言言われると思って黙ってたんだよ。名前に入れ込むなってオマエよく言ってたじゃん」
「あぁ、そうだったね」
「何も言わねーの」
「言ったところでもう手遅れだろ。本気になった悟は面倒だからねぇ」
大方、伊地知から聞いたか、細々した雑用を頼んだ若衆に聞いたのだろう。
傑に聞かれて困ることは無いが、傑の小言と正論は耳に痛いので今まで黙っていたのだ。
ヤクザのくせに正論をぶちかましてくるものだから何度喧嘩になったかしれない。
しかも、正論野郎のクセに自分は平気で倫理に欠けた行動をするのだから傑のボーダーはよく分からない。
「でもさ、名前ちゃんは不審に思わないのかな。自分のスマホがハッキングされてるかも、とか、裏で手回されてるかもって考えないのかね。仕事をクビにさせるような異常な男があっさり引き下がるわけないって普通なら思いそうなものだけど」
「名前は抜けてるからな。アイツの友達に一人鋭い女が居て、そんなようなこと言われてたけど名前は大して気にした様子じゃ無かった」
「ふぅん。平和ボケしてるねぇ。今まで本当にのんびりとお日様の下を歩いてきたような子なんだね」
「クソみたいな父親だけど家族仲は良かったみたいだしな」
そのおかげで全て計画通りに進んでいるので、ギャンブルで借金を作った挙句自分の娘にそれを背負わせるようなクソ親父でも、妻と子供を大切にしていたことには感謝しなければならない。
「益々、運が悪い子なんだね。家庭環境から悟と出会ってしまったことから、全部。ご愁傷様だよ」
「いつか幸運だったって言ってみせるよ」
「これが全部悟の策だったってバレなければきっと上手くいくよ。それから、あの子に夢中になり過ぎて仕事をおざなりにするなよ」
「分かってるよ」
正直言って、今は仕事なんてする気にもなれないがそう言ってられないことは重々承知している。
それに、名前に何不自由無い生活をさせてやるには俺の稼ぎが無いことには仕方ない。
本当は今すぐにでも帰宅して名前に「おかえりなさい」と優しい声で出迎えてほしいが、生憎仕事は残っている。
傑が書類を広げて仕事を始めたことを確認すると、テーブルの上にタブレットを設置して家のカメラと繋いだ。この時間は恐らく洗濯物を取り込んで畳んでいる頃だろう。それが終わったら夕飯の準備に取り掛かるのだ。
毎日毎日名前を見ているせいですっかり一日のルーティーンが頭に入ってしまった。
「さてさて……あ?」
名前が居ない。順番に全ての部屋を見て回るが、どの部屋にも名前の姿は無かった。
「何?どうかした?」
「名前が居ない」
「買い物にでも出たんじゃない」
「いや、食材も日用品も家に届くようになってて昨日届いたばっかり」
「ていうかトイレか風呂じゃないの?……え、まさかそこにもカメラ仕掛けてる?」
「便所か風呂で何か起きる可能性もあるだろ」
「無いよ。まぁそれは今は置いといて、じゃあ普通に出掛けたんじゃないの?自分の物買いに行ったとか何か食べに行った可能性もある」
「でも出掛ける時は連絡するように言い付けてあんだよ…なんで何も…あ、そうだGPS」
「君の周到ぶりには恐れ入るね」
スマホの位置情報を確認すると、名前はマンション近くの定食屋に居るようだった。
「定食屋ぁ?なんで定食屋なんか…」
ウチで一緒に暮らすようになってからマンション周辺のお店を開拓したいと言っていたのは記憶に新しい。この定食屋も気になると言っていた店のひとつだ。だから、遅めの昼食をとりに一人で行ったのだと考えるのが自然なのに、名前は一人じゃないという確信があった。男の勘だろうか。
「ちょっと悪ぃ、俺出てくる」
「はいはい。今日はもうこのまま帰らないのかな?」
「多分」
雑に荷物を纏めて伊地知を呼び付ける。車を回させて定食屋へ向かうように指示を出す。
何か、妙な予感がするのだ。
一人じゃ無かったとして、友人や元同僚と食事をするくらい何らおかしくない筈なのに、妙な胸騒ぎがする。
そこでやっと、名前のスマホのメッセージに手掛かりがあるかもしれないことに気付いた。
普段なら真っ先に思い付くであろうに、俺は余程焦っているらしい。
開いた名前のメッセージアプリには、俺と親と親友だと言う女と、それから虎杖悠仁の名前。
アプリの最上部に表示されているのは虎杖の名前で、直近でやり取りをしたということになる。
迷わずそれをタップすると、二人のやり取りが表示された。
『ちょっと今電話して良いっすか』
『いいよ』
『ありがとうございます!掛けます。』
『急にすんませんでした!俺、今から出るんで着くの40分後くらいになりそうっす!』
『了解だよ、それに合わせて私も出るね』
そんな二人のやり取りから、今名前が一緒に居る相手が虎杖だということは明らかだった。
虎杖は何の用で名前に電話を掛けたのか、どうして二人で会うことになったのか、2人で会って何を話しているのか。
それを確かめない訳にはいかなかった。
.
prev next
top index