25.
「それじゃそろそろ行ってくるよ。明日の夕方には帰れると思うからそれまで家で良い子に待っててね。僕が帰るまで部屋の前に二人、護衛として立たせとくから何かあったらソイツらに言って」
「護衛なんて大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃないよ。僕が居ない間に何かあってもすぐに駆け付けてあげられないし、組の会合だから僕が留守にするって知られてるだろうし、そのタイミングを狙って名前ちゃんを拐おうとする輩がいるかもしれないでしょ」
「そういうものですか…?」
「そういうものなの!まぁ、何も無ければそれで良いんだし大人しく守られてよ」
「わ、分かりました」
「うん。じゃあ本当にそろそろ行くね。僕の帰り、ちゃんと待っててね」
「はい。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
バタン、と無機質な音が鳴って、五条さんは出ていった。
やっと行った、と胸を撫で下ろしたのも束の間、私は慌てて自室へ駆け込んだ。
今日はこのマンションで暮らす最後の日。五条さんの顔を見る最後の日。
決して多くない私物を大きめのボストンバッグや紙袋に詰めていく。キャリーケースがあれば便利だったのになぁ、と思うけど、元々旅行に行く習慣のない私はキャリーケースを持っていない。
マンションを出て行くと決めてから買うべきか悩んだが、旅行の予定も無いのにいきなりキャリーケースを買えば五条さんに怪しまれる。
ただでさえ勘の鋭い人なのだ。ひとつでも疑問を抱かせてはいけない。
この引越しは五条さんには秘密の、夜逃げ同然のものなのだから。
◇
「よし…こんなもんかな」
荷物を纏めるのに時間はあまり掛からなかった。元々荷物が少ない上に、五条さんにバレないよう少しずつ整理していたのだ。
バッグに詰めやすいよう一括りにしておいたり、纏めておいたものもある。
ものの一時間半でマンションを出て行く全ての用意を済ませた私は、最後に家の掃除と惣菜の作り置きを数品作った。
これは私からのせめてもの感謝と、それから謝罪。
結局五条さんがどんな思いで私を追い詰め、そしてまた手を差し伸べてくれたのかは分からなかった。
私達の考察にどれだけ説得力があろうとも、結局真実は神のみぞ知ることで。
それでも私は五条さんの前から消えることを選んだ。怖くなったのだ。五条さんが、では無い。
また裏切られることが、五条さんに惹かれてしまうことが、怖くなったのだ。
友人と話したあとでいくら考えても私の中の矛盾は消えてくれなかった。
五条さんに惹かれ始めている自分を最早無視できない。
だからこそ傍に居るべきではないと思ったのだ。
仮に、これが友人の言うように初めから仕組まれた事だったら、今度こそ私は正気を保っていられないかもしれない。
そうでなかったとしても、矛盾を抱えたまま五条さんに惹かれていくのはとても辛いことだと思った。
今度こそ本当にお別れだ。この家に上がることはもう二度とない。勿論、五条さんに会うことも。
「今までありがとうございました」
白で統一された開放感のある玄関でそう呟いて、大きな扉を開いた。
扉の外に居る護衛の二人の男はどこへ行くのかと声を掛けてきたが、外出することは五条さんに伝えてある、と言えばあっさり見送られた。
このことでこの二人が五条さんに怒られなければ良いなぁ、と願いながら内廊下を足早に歩いていく。
よくある物語なら、エレベーターの扉が開いた時、中に五条さんが乗っていて私を部屋まで引き摺っていくのだろう。
だけどこれは物語じゃない。五条さんは此処には居ない。五条さんは今日、実家に帰っている。それに今頃は会合の真っ只中で、私の動向なんて見ていない。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせても、胸の騒めきは消えなかった。
軽やかな電子音がエレベーターの到着を告げる。ゆったりと開いた扉のその先には。
「……いない」
そこには誰も乗っていなかった。
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