06.




『で、結局そのまま続けてると…。駄目だよ!絶対駄目!今すぐ辞めな!?』

「そう、だよね…でも"そう"だって確証は無いし、何か今となっては私の聞き間違いとか猪野さんが紛らわしい言い方しただけで、経営に携わる会社?で働いてるとかそういうことなのかもと思えてきちゃって、お給料も良いし出来れば辞めたく無いんだけど、やっぱり危ないかな…」

『……私は自分の耳で猪野さんって人の話聞いた訳じゃないから何とも言えないけど…でもなぁ、どうも嫌な予感がするのよね。』

「正直私も、五条さんがヤクザだったらしっくりくるっていうか、辻褄が合うなあとは思ってるんだけど。でもなぁ……周りの人は厳ついけど、本人は全然ヤクザっぽくないんだよ。小指は勿論あるし刺青だって、背中は見たことないけど腕には入ってないし…」

『今時、ヤクザですって絵に書いたように分かりやすい人は居ないよ。普通の優しそうなお兄さんとか、一見ただの中年のおじさん、みたいな人が多いって。小指だって詰めないし刺青だって入れてない人も多い。だから見た目じゃ分かんないわよ?』

「そ、そうなの?えぇ、じゃあもう、どうしよう。貴方は暴力団組員ですか?なんて聞けないし…」

『知らないフリして働き続けるか適当な理由付けて辞めるか、しかないね。…っとごめん、旦那帰ってきたみたい。またどうするか決まったら教えて!じゃね!』

「あ、うん!話聞いてくれてありがとう!またね」

 通話が切れたスマホを意味も無く見つめ、今後どうすべきか考えた。

結局バイトを続けながら様子を見る、という安牌な選択をした私は週に3日から4日、五条さんの家で家事を行う生活を続けているが、特に変わりなく進んでいく日常に、そろそろ五条さんが何の仕事をしていようがどうでも良いような気持ちになっていた。
仮にそうだったとしても自分に危害が無ければ構わない、くらいに思っていた、ちょうどその頃。

会社で別部署の後輩が解雇されたのだ。
理由は暴力団幹部との交流、また、その暴力団が経営に関与している飲食店での勤務の発覚。

それを受けて全部署に通達されたのは、
"副業の徹底禁止"と"暴力団等の反社会的勢力との関係を持たない"というもので、他人事と思えない私はごくり、と唾を飲んだ。

 そもそも会社の就業規則には"反社会的勢力との関わりを禁止する"という規定と"反社会的勢力の維持や運営に関わる行為をしない"という規定があり、この禁止されている行為が発覚した場合会社は社員を解雇することが出来るのだ。

『まぁ、よっぽどじゃなきゃ解雇なんてされないと思うけどねぇ。大体個人がそういう人と繋がってるかどうかなんて分かんないんだし、会社だって一々平社員の交友関係まで調べてる暇無いでしょ。解雇された子は運が悪かったんでしょうね』

とはその日のランチタイムに上司が言っていた言葉だ。
詳しいことは上司も知らないらしいが、副業がバレ、芋ずる式に暴力団との関係までバレてしまったとか。

『まー、虎杖はちょっとヤンチャなとこあるからねぇ、交友関係気にならなくも無いけど、まぁ大丈夫でしょ?苗字ちゃんは真面目だし心配するまでも無いわね』

と言った上司に『俺だって真面目ッスよ!?』とツッコみながら笑う虎杖君に合わせて笑いながら、背中に嫌な汗が伝うのを感じた。

そして1人で抱え込むことに限界を感じ親友に電話を掛け、先の会話に至るという訳だ。

 副業というだけでも本当は禁止されているのだ。
それに加えて五条さんがヤクザだったら。
あの後輩のように解雇されるのは間違いない。
父の借金や苦労している母、何より可愛い妹や弟の事を想うと副業は辞められないが、本職を失う訳にもいかない。

給料や働きやすさを考えると非常にもったいないが、ハウスキーパーは辞めてクリーンな、それでいてバレなさそうな副業を探そう、と決心した。


 気合いを入れるように太ももを叩いて立ち上がると、つい数分前まで太陽が顔を覗かせていた青空が灰色の雲に覆われていることに気が付いた。
ゴロゴロと不穏な音を立て始めた空を見て慌てて洗濯物を取り込みながら、何故か無性に胸が騷ついたのだった。




 今日は何時かの日を思い出すような、非常にツイていない1日だった。

 何故かスマホが充電されていなかったせいでアラームが鳴らずに寝坊して、トイレが詰まり、パンが焦げた。

あぁなんか、少し前にもこんな朝があったな、と思いながら慌ててパンプスを突っかけようとした時、前回はパンプスのヒールが折れたことを思い出して、その手には乗らないぞ、とオペラシューズに足を通した。

オペラシューズでは取れるヒールもあるまい、と思っていたのだが、駅のホームをいそいそと移動している時に底がパカパカと珍妙な音を鳴らし始め、まさか、と思い確認してみると底が捲れていた。

折れるヒールが無いなら底を剥がしてしまえば良いじゃない、なんて神様は中々手荒だ。

 パカパカのオペラシューズで出勤した私を同僚は笑ったし虎杖君も笑ったし、上司も『アンタってそういうとこあるわよねぇ〜』と言って笑った。

この痴態を笑ってもらえたのは幸いだと思う。
同情されたり、反応に困られる方が恥ずかしい。

しかし、退勤後にバイトを控える私には笑い事ではなくて、この靴で向かうのか、と頭を抱えた。

もし、仕事を巻きで終わらせられそうなら少し早く退勤して靴を買ってから向かおう、と決めたあとは張り切って仕事に取り掛かったのだが、見事にトラブルの連続。

やはり二十数年生きてきた経験則は裏切らない、いや、今ばっかりは裏切ってくれ、と祈りながら涙目で仕事を捌いていた午後3時。

定時まであと2時間となった所で、虎杖君が私の席までやってきてこっそり仕事の半分を持って行ってくれた。

困惑する私に、
『俺今日中に片付ける仕事終わったんで手伝います!仕事終わったーって言ったら新しいヤツ押し付けられちゃうんで内緒で』
とメッセージをくれた虎杖君が天使に見えた。
流石は出世コース爆走中の人誑し男だ。

ありがとうございますの文字の下でおじさんのキャラクターが土下座しているスタンプを送信して、無我夢中で仕事を片付けた。

そして今、やっと終わりを迎えたのである。
Enterキーを軽快に叩いて時計を確認すれば16時25分。
奇跡の35分巻きだ。
もちろん虎杖君のおかげだけど。
当の虎杖君はと言うと、彼も仕事が終わった様で大きく伸びをしている。


「虎杖君ー、本っ当にありがとう!お陰様で終わったよー」

「お礼はコーラで!」

「お易い御用だよー!何ならランチ奢っちゃう」

「いやいやそれは悪ぃっす!そんな大した事してないし!てか先輩今日何か予定あるんスか?めっちゃ急いで仕事してたけど」

「あ、そうそう。ちょっと用事あるんだけど靴がコレでしょ?買ってから向かいたくて、それでどうしても定時には上がりたくて。虎杖君のおかげで定時どころか30分も早く終わっちゃったけどね!本当助かった!」

"どういたしましてッス!"という、普通なら咎められそうなおかしな日本語も彼が使うと違和感がない。
むしろ虎杖君らしくて微笑ましいとすら思えてくるのだから、彼の人誑しっぷりと言ったら。

 そんなこんなで無事仕事を終えた私は上司に事情を説明していつもより早く会社を出た。
『もうやる事ないし俺もたまには良いッスか?!』と、虎杖君まで一緒に早上がりして、2人で向かったのは駅ビルに入っているシューズショップだ。

 何年もこの駅を利用しているのに、シューズショップへ立ち寄ったのは初めてだった。
と言うより、駅ビル自体まともに散策したことが無い。
仕事以外で職場の最寄り駅に行こうという気にはなれないし、仕事終わりは一刻も早く帰宅したく散策する気になれない。

だから、駅ビルと言っても娯楽施設が建ち並ぶ都心の駅ビルより随分こじんまりしたこのビルにシューズショップが入っているかどうかすら知らなかったわけだが、駅ビルにシューズショップが入ってると虎杖君が教えてくれたおかげで無駄に歩き回らず済んだ。

とりあえず今履いてる物に似た靴を適当に買えば良いと思っていたのに、案外可愛いデザインの物が多くて目移りしてしまう。

無難に黒も良いけどベージュも捨て難い。あ、こっちのも控えめなビジューが上品で可愛い。なんて迷うこと数分、結局は今履いている物と同じ、黒で無難なデザインのオペラシューズを手にレジへ向かった。

お会計を済ませて店員のお姉さんから紙袋を受け取り出口へ踵を返した時、向かいのテナントの前に見慣れた白い頭が見えた。

なんで、と固まる私の隣で虎杖君が「あれ?あの人先輩の知り合いの人じゃないっスか?」と呑気に声を上げた。



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