07.




 お疲れー、と手を挙げた五条さんは満面の笑みで固まる私の事など意に介さず此方へ歩いてくる。

 いつまでもお店の中で固まっている訳にもいかずシューズショップを出たが、どうしてこんな所に五条さんが居るのかさっぱり分からず、また、偶然とは言えない出会し方から不気味ささえ感じていた。

「コンチワ!この間も会社の前で会いましたよね!」

「こんにちは。覚えてるよー、虎杖君」

「え、俺の名前…あっ、先輩から聞いたんスか?」

「ふふ、名前ちゃんの後輩だっけ。2人で何してんの?デート?」

「いやいやいや!そんなんじゃ無いッスよ!先輩今日靴壊れちゃって、この後予定あんのに壊れた靴じゃ行けない、っていうから靴屋案内してただけです!」

「あー、なるほどね。そっかこの後僕ん家来るのにその靴じゃあね、歩きずらいもんね。言ってくれれば僕が買っといてあげたのに」

「え!お兄さん、先輩の彼氏さんっすか?!」

「あはは、どうだろうねー?」

「ちょ、そこは否定してください!彼氏じゃないよ!」

「え、彼氏じゃないんスか?友達…?って感じでも無さそうだけど」

「あ、えーっと、その……ただの知り合いというか」

「酷い!名前ちゃんてば僕達の蜜月を無かったことに…!?」

「ちょっと!誤解を招く様な言い方しないでください!ごめん虎杖君!今日は本当にありがとうね!今日のお礼は明日するから!また明日ね!」

「あ、ハイ!じゃあ俺ここで!お疲れ様でーす!」

 私達に会釈をした虎杖君は踵を返すと歩いていった。
虎杖君の背中が遠くなったのを見計らって五条さんを見上げると、五条さんもこちらを見下ろしていた。

「さ、僕達も帰ろっか」

「あの、聞きたいことが幾つか…」

「まぁまぁ、お話なら家でゆっくりしよう。僕今日はもう空きだからさー」

「いや、私は遊びに行くんじゃなくて家事をしに行くんですからお話してる暇なんて、ってちょっと!五条さん!」

私の話など聞こえていないのか端から聞く気が無いのか、恐らく後者だろうけど、五条さんはホームとは反対方向へと歩きだした。

なるほど、五条さんくらいお金持ちになると電車は使わずタクシー移動らしい。
私だってお金があったらわざわざあんな人で溢れかえった狭い鉄の箱で移動したりしないだろう。
特にこの時間、帰宅ラッシュの電車内は地獄だ。

 あの地獄に放り込まれないことに内心"五条さん来てくれてラッキー"なんて現金にも思っていたのだが、駅ビルを出た五条さんが真っ直ぐ向かったのはタクシーでは無く黒塗りの高級セダン車だった。

黒塗りの高級セダンを見てヤクザの3文字が頭を掠めたが、普通に五条さんの車かもしれない。
こういう車に乗っているからヤクザ、はあまりにも短絡的──と思ったが、バタン!という音と共に運転席から現れたスーツ姿の男があまりにも綺麗な角度で五条さんに頭を下げ、「お疲れ様です!」と言ったことで、結局疑心は募るのだった。




「お邪魔します…」

「はいはーい」

 2ヶ月間通い詰めた五条さんの家は、私にとって落ち着ける空間になりつつあった。
ここで過ごす時、私は殆ど1人で家事をこなしているので五条さんの家だという認識はもちろんありながらも何処か自分のテリトリーのような感覚があった。

少なくとも先程まで乗っていたセダンの車内よりは落ち着ける空間だ。

 特に言葉を発さない五条さんと気配を消して運転に徹するスーツ姿の男性。
運転手、と言うには服装がそぐわない男性は私よりも若く見える。
所謂"若い衆"と言うやつだろうか。
いや、まだ五条さんがヤクザだと決まった訳じゃないけど。

「んで、聞きたいことって何?」

「え?いや、もう良いですよ。私これからやる事いっぱいあるし…」

「ね、たまにはソレ休んでゆっくり話さない?お金は払うからさ」

「駄目ですよ!お金頂くならちゃんとお仕事しないと、」

「はー、全く真面目だねぇ。じゃあ言い方を変えよっか。今日の仕事は僕の話し相手になること。これは命令」

「な、強引な…!まぁ私はお話してお金貰えるなんて有難い話ですけど……」

「じゃー決まり!これからの為にも親睦を深めようか」

 にっこり。そんな擬音が聞こえてきそうな程口角を上げて笑った五条さんに曖昧に頷いてコーヒーを淹れる為にキッチンへ向かった。

白を基調としたアイランドキッチンは、そこだけで私の部屋と同じくらいあるのでは無いか、と思うくらい広い。
勝手知ったるこの家の中でもキッチンはとりわけ"自分の城"という感覚があったし気に入っていた。

上等そうなカップを2つ取り出し、ケトルでお湯を沸かす。
インスタントコーヒーの粉を適量カップへ入れ、お湯が沸くのを待った。

そういえば、コーヒーミルを使ったことはない。
ここで働き初めてすぐの頃にコーヒーを淹れて欲しいと頼まれ、コーヒーミルを使おうとしたけれど"僕コーヒーの香りとか拘り無いからインスタントで良いよ"と言われ、それから五条さんにコーヒーを淹れる時は専らインスタントだ。

と言っても実家で父がよく飲んでいた安くて苦いだけのコーヒーでは無く、グラム数百円もする高級なものだったが。


 カップにお湯を注ぎながら、どのタイミングで辞めると切り出すか、そればかり考えていた。
元々、帰りが早いと聞いていた今日、五条さんが帰ってきたら切り出すと決めていたのだ。

私の脳内で勝手にシミュレーションされた予定では、一通り家事をこなして夕飯を用意し、一緒に夕飯を摂ったあとで辞めたいと切り出す、というものだった。
理由は"後輩が副業していたのがバレてクビになった。そのせいで色々と厳しくなってしまったから"で良いだろう。

それなのに、"これからの為にも親睦を深めたい"なんてこのタイミングで言われたら切り出しづらい、と心の中で独りごちた私は大量の角砂糖をぼちゃぼちゃ落としながらダイニングテーブルに座る五条さんを見遣るのだった。




 話が入ってこないのは、辞めると言い出すタイミングを伺っているせいだろうか。

五条さんの話に曖昧に笑って質問に答えて、そんな時間が暫く続いた頃五条さんが不意に黙り込んだ。

コーヒーカップに落としていた視線を上げると、いつもの柔和な微笑みが消えた顔で私を見ている五条さんと目が合い背筋が冷えた気がした。

「…あ、あの、五条さん…?」

「そろそろ本題入ろうか」

「本題、とは…」

「僕に言いたいこと、あるんじゃないの?」

「あ、え…何で」

「名前ちゃんの言いたいこと、当ててやろうか。辞めたいんでしょ?バイト」

「ど、どうしてそれを…」

「一応聞くけど、理由は?」

「……会社の後輩が副業してたことがバレてクビになったんです。元々副業は禁止されてましたけど、もっと厳しくなって…調査とかされたら、バレるかも、だし……」

「ふーん。でもコレって僕が個人的に雇ってるからバレようが無いと思うんだけどなぁ。給料も手渡しだし足付かないよ、ってそんな事も分からないほど名前ちゃんって馬鹿じゃないよね。本当の辞めたい理由は?」

 痛いところを突かれた、と思った。
五条さんの言う通り、私はこのバイトが"バイトとしてバレる"ことについてはあまり懸念していない。
どちらかと言うと五条さんが反社会的勢力だったと仮定して、五条さんとの関係がバレる事を危惧していた。

「う、あの……お、怒らないで聞いてくれますか…?」

「それは理由次第」

 果たして五条さんがヤクザかもしれないから、と言うのは、怒る理由になり得るだろうか。
しかし悩んだところで正直に話さないことには五条さんは納得してくれないだろうし、適当に嘘を並べても青い瞳の前では全て見透かされる気がした。

「……五条さんが、その……反社会的な組織に属してるんじゃないかと思う事がありまして…後輩がクビになった、って話したじゃないですか。あれ、実はただ副業がバレただけじゃなくて、暴力団の人と関わりがあって、その組が経営してるお店で働いてたことがバレてクビになったんです。バイトそのものは会社にバレないんじゃないかって私も思ってます。でも、五条さんが仮に…そういうお仕事をされてた場合、関係があるってバレたらそれだけでクビになる可能性があるって気付いて…本職を失うわけにはいかないから一応辞めたいな、って……」

「……なるほどね」

「……今までありがとうございました…今日の分はちゃんと仕事して行くので…本当にちょっとの間でしたけど、気にかけてくれて、こんな好条件で雇って頂いて、ありが──」

「ちょっと。何勝手に辞めたつもりになってんの?」

「え?だってなるほど、って」

「ただの相槌だよ。そもそも僕がヤクザだとか何で思ったの?」

「ち、違うんですか…?この間、猪野さんからお荷物預かった時にちょっとお話したんですけど、その時にそれっぽいことを…」

「猪野が僕のことヤクザだって言ったの?」

「いえ、ハッキリそうとは言ってませんでしたけど…」

「具体的にどんな話したの?」

「具体的…結構時間が経っちゃってるんで細かいところまではあんまり覚えてないですけど、確か私が働いてたお店の裏に自分達が付いてる、とか、お店を経営してるのは五条さんと夏油さんの舎弟、とかって言ってたので、てっきりソッチの方なのかなって…」

「……あー、なるほどね…猪野はさ、昔ヤンチャしてたから言い回しとかちょーっと独特なんだよねぇ」

「え、で、でも、さっきも何か如何にもな車と運転手さん…?も厳つい感じだったし…それに五条さんの若さでこんな凄い所に住んでて、あと猪野さんだけじゃなくて夏油さんと七海さんも堅気には見えないと言うか…」

「うーん、名前ちゃん、一旦コレ受け取ってくれる?」

「…名刺…?」

 五条さんが胸ポケットから取り出したのは私にも馴染み深い厚紙で、それが名刺だとひと目で分かった。
この流れで名刺を渡されるとは思っていなかったが、いつもの癖で恭しくそれを受け取り紙面に目を通す。

「….代表、取締役…?」

「そ。それが僕の職業」

「あ、え…?この会社の社長さんってことですか?でも猪野さんは経営者では無いって…」

「うん。店自体の経営者は僕の部下。難しい話しても仕方ないから詳細は省くけど僕の会社があの店の経営のお手伝いをしてるって言うのかな?まぁ、そんなとこ。ココに住めてるのも運転手が居るのも、一応社長だからねー。傑と七海が堅気に見えないってのは良く言われるよ。アイツらとは学生の頃からの付き合いなんだけど、まぁヤンチャしてた時期もあったしね。けど今は僕の会社で一緒に働いてくれてるんだ」

「なるほど…?」

「他にも気になることあれば答えるけど」

「いや…多分大丈夫かと…あれ?じゃあ、五条さんがソッチの人じゃなくて足がつかないならバイト辞める必要無い…?」

「そうなるね。僕としても君が来てくれるようになってかなり助かってるから出来れば辞めて欲しくは無いんだけど」

「す、すいません!変な勘違いしちゃって…!これからも是非バイト続けさせてください」

「いいよいいよ、これからは何か疑問に思ったり気になったら気兼ねなく聞いてよ」

「はい…!ありがとうございます!」

 改めてよろしくね、と差し出された手は握手を意味している。

 変な誤解をして辞めると騒いだ私を咎めることもなく辞めて欲しくない、と引き留めてくれた。
思い返せば、初対面こそ最悪の印象だったけど何故か気に入られて、そこからは本当に良くしてくれていた。
こんなに優しい人なのに、私はそれに気付いていなかった。
五条さんが何をしていようとどうでも良いと言ってこの人の本質を知ろうとしていなかった。

これからはもっと五条さんの事を知りたい、そしてハウスキーパーとして支えたい。

そんな気持ちで握り返した掌の温度はどこか冷たかった。



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