08.
※五条さん視点です
「チッ……ったく、なーんか変だなと思ってカマかけたらコレ。猪野のお喋りにも困ったモンだよ。ベラベラ余計なこと喋りやがって。後でキツく言っとかねーとな」
『猪野もまさか君がヤクザだってこと隠してると思わなかったんだろ。そもそもあの店で働いてたんだ。私達に会ったことが無くても何者なのかは知ってると思うのが普通だろ』
「まぁそうだけどー」
『それであの子はどうしたの?辞めるって?』
「いや?名刺出して適当に誤魔化したら納得したっぽくて、『これからも是非バイト続けさせてください!』だとよー。世間知らずっつーか鈍いっつーか…」
『へぇ、意外。バレたら終わらせるとか言ってなかったっけ』
「バレてねーもん。確信は無かったみたいだし」
『ふぅん。それでまだ内緒にしたままメイドさんごっこ続けるんだ』
「気持ち悪ぃ言い方すんな。…だってアイツ中々しぶてぇんだもん。盗みもしねぇし気色悪ぃこともしねぇし。たまに早く帰って一緒にメシ食ってもちっとも落ちる様子ねーし?」
『なるほどねぇ。わざわざ家に仕掛けたカメラで逐一行動をチェックしてるのにボロを出さないわけだ』
「カメラはアイツが来る前から元々あっただろ!」
『でも増やしたよね』
「うるせぇな」
『のめり込むのも大概にしなよ。組の若頭があんな素人に入れ込んでるなんて知られたら困るからね』
「のめり込んでねぇし入れ込んでもねーよ。ただのお遊び。傑が辞めろってんなら今すぐ捨てるけど」
『別に私としては"問題"を起こさないでくれれば構わないよ。それじゃ、迎えが来たからまたね』
通話が切られたスマホを耳から離し、ソファに雑に放った。
"今すぐ捨てるけど"なんて大口を叩いておきながら、1人で過ごすには広すぎるリビングに散らばる名前の痕跡に心地良さを感じている。
例えば埃一つ落ちていない四隅も、元気に葉を揺らす観葉植物も、ゴミが一つも置かれていないテーブルも。
ほんの数ヶ月前まで床掃除は全自動ロボット掃除機に任せっきりで埃が取り切れていなかったし、観葉植物は萎びて慌てて水をやる始末、テーブルの上はペットボトルや空き缶、適当に食べた飯の残骸で溢れ返っていた。
元々綺麗好きな方ではあった。
単純に掃除に費やす時間が無かっただけで。
いや、正確に言えば時間はあった。寝る暇も家に帰る暇も無いほど多忙という訳では無いのだから。
ただこの広すぎる家はどこか居心地が悪くて落ち着かない。
仕事が忙しいせいで帰れない日がザラにあったことと、適当な女とホテルで一夜を明かす夜が多かったせいで気が付けば家で過ごす時間は殆ど無くなっていた。
シャワーを浴びて寝て着替えるだけの家が、今ではすっかり自分の帰る場所として在る。
家で過ごす時間が悪くないと思えるようになったのは、名前の痕跡を見付ける度に独りじゃない、という気になるからだろうか。
ふと、ふたつ並んだマグカップが目に留まり、食器なんてアイツが来るまで1人分しか無かったのに、と寂しかった頃の食器棚を思い出した。
ただのお遊びで雇ったハウスキーパーの1人相手にわざわざ食器まで増やして、傑に知られたらまたお小言を貰うことだろう。
──のめり込むのも大概にしなよ。入れ込んでるなんて知れたら──
のめり込んでも入れ込んでもいない。
今は、まだ。
しかし、自分にとってアイツの存在が大きくなっていることは事実だった。
◇
どこの店に行ったってつまらなそうにしている猪野と七海が笑ってたから気になった。それが名前に興味を持ったきっかけだった。
見た目は普通、まぁ一般的に見たらそこそこ美人な類だろうが夜の世界では埋もれてしまう程度。
スタイルも特出して良いわけではない。
俺に呼ばれた事で嬢から睨まれて青ざめた顔は面白かったが、それ以外は全て普通。
記憶にも残らないような女、の筈だった。
怯えた様子で隣に座った名前はどうして自分を隣に呼んだのか、なんて聞くから"コイツも他の女と同じか"とゲンナリした。
猪野と七海を笑わせた女のお手並み拝見、と期待していたのに、結局俺を前にしたらこうだ。
隣に呼んだのは見た目がタイプだったから、なんて甘い返答を期待しているのかもしれないが、生憎俺はお前みたいな地味女はタイプじゃない。
期待させるだけ面倒だし、可愛がってる後輩が気に入ったらしい女が結局、有象無象と変わらない女だったことが何となく腹立たしくてキツい言い方をした。
羞恥から顔を真っ赤に染めて涙を浮かべる、とか、何も言えずに俯く、とかこういう時の女の反応はいくらでも浮かんだ。
この地味な女は性格も大人しそうだし、大方俯いてめそめそ可哀想な私ちゃんタイプかな、なんて厭らしい想像をしていたのに、予想に反して生意気な態度を見せた姿に面白いかも、と思った。
俺に媚びない女なんてガキの頃から俺を知ってる身内の女か腐れ縁の硝子くらいだ。
自分で言うのも何だがこんな見た目だから女はバカみたいに寄ってくる。
多少蔑ろにしたって喜んで媚びてくるようなヤツばっかりだ。
だから、俺に媚びない姿勢が面白くて気に入って、初めて惚れさせてみたいと思った。
そして、惚れさせたあとで酷く捨ててやろう、と思ったのだ。
地味な女には似合わない店は辞めさせて俺の家で家政婦でもやらせてみようか。
丁度、家が荒れる度に若衆達に片付けさせるのもどうかと思っていたところだ。
それに、頻頻に顔を合わせる機会があればすぐに落ちるだろう。
あんな生意気な態度をとっていたって結局はアイツだって女だ。
初対面の印象が良くない自覚はあるが、それでもこのルックスを持つ俺が紳士的に振る舞えばそう時間は掛からずに落ちるはず。
そんな打算的な考えで1週間後に訪れた店に、アイツはもう居なかった。
俺達が帰ったあと、その場で辞めさせてほしいと申し出たらしい。
『五条さん方は大切なお客様だからと散々忠告したのですがよく伝わって無かったようで…失礼を働いてしまった様ですし、どのみちクビにするつもりでしたのでその場で了承してしまったのですが…』
と説明する店長は可哀想なほど怯えている。
こんな短期間に訪れることなど基本的に無いので、何かやらかしたとでも思ってるのだろう。
店長を叱責するつもりは無いが優しい言葉を掛けてやるつもりも無い。
キャストの個人情報が纏められているファイルを持ってくるよう指示すると、冊子や書類等が雑多に詰め込まれた棚から黒いファイルを1冊取り出し、おずおずとそれを差し出した。
そのファイルにはキャストや黒服の身分証のコピーが纏められてている。
この店で働く為に必要なのは簡単な面接だけで履歴書はいらないのだが、何かあった時や未成年が歳を誤魔化して働けないようにするため身分証は必ずコピーを取らせるようにしている。
今は警察が煩いのでこの辺は徹底してやらなければならない。
今回ばかりは警察に感謝しながらアイツの身分証のコピーを抜き取ると店を出た。
店の前に停められた黒のセダンに乗り込むと運転席に座る伊地知にそれを渡し、探して。とひと言掛ける。
『分かりました』と静かに返事があったあと、静かに車が動き出した。
このやり取りだけで家はもちろん職場、地元、家族構成から友人、その他諸々まで調べ尽くしてくれる伊地知は俺の最も優秀な部下の1人と言える。
そんなこんなで見つけ出したアイツ、こと名前は都内の中小企業に務めるOLで、家は23区内ではあるが家賃が安い事で知られるベッドタウンにある築年数30年超えのアパート。
ちなみに家賃は俺のネクタイより安い。
家族は両親に兄、姉、それから犬が1匹。
祖父母も健在で実家の近くに暮らしているらしい。
交友関係も友達が多い方では無いようで、特別仲良くしている友人からたまに遊ぶ友人、地元の先輩後輩、会社での付き合いまで殆どが割れた。
名前自身はSNSに個人情報が割れる投稿を上げていないようだが、友人や先輩後輩、それから会社のSNS等に度々写りこんでいて、そこからこうしてバレることもあるんだから気を付けなよ、と忠告した方が良いかもしれない。
たかがお遊びの相手にここまで用意周到に情報を集めてしまうのは職業病だろうか。
まぁ、多く知っておいて損は無い。
万が一の時に"交渉"する材料にもなる。
この時点で、俺が名前の情報を探してると伊地知から聞いたらしい傑が訝し気に『ストーカー?』と言ってきた時は危うく手が出るところだった。
今でも出先で家に設置したカメラを確認してると『出たよ、ストーカー』と言って揶揄ってくるから、実は名前のスマホにGPSを仕込んだことや、それを使って名前を迎えに行った事は傑には言えない。
そんなこんなで始まった俺と名前の、家主とハウスキーパーという関係は驚く程何も起きないまま2ヶ月が経った。
初めこそ"たまに一緒にメシ食って適当に優しくしてりゃ勝手に俺に惚れるだろ"なんて思っていたのに、惚れるどころかむしろ"家主とハウスキーパー"という線引きをキッチリされてしまったらしく、俺から誘わなければ同じテーブルに座ってすらくれない。
帰宅すれば笑顔で出迎えてくれるし、一緒にメシを食うのも嫌がらない。
嫌われてる訳ではないらしいが、名前にとっての俺は完全に家主、雇い主、という位置付けだ。
俺に落ちないのならそれはそれで構わない。付き合いたいとかそんな目的でこうしている訳ではなく、俺に生意気な口を聞いた名前が狼狽する姿が見たいだけなのだから、俺が居ない間に盗みなり何なりしてくれればそれでも良かった。
とにかく弱味を握りたい。
何でも良いからボロを出せ、とカメラで行動を監視したがそこに映るのは家事をこなしていく姿だけで、疚しい事は何一つなかった。
敢えてアイツが恥ずかしがる様なことを挙げるとするなら、頻繁に聞こえてくる独り言と熱唱している姿くらいだろうか。
ここまで来ると、もう弱味がどうとかやめてハウスキーパーとして正式に雇用するか…?なんて思っていた頃、名前がよそよそしくなった。
顔を合わせる機会がめっきり減って、今日は早く帰るから夕飯を、と誘っても予定があると言って俺の分だけ作り置きして帰宅してしまうのだ。
何の予定だよ、とGPSを確認してみても名前の位置情報は名前の家になっているし、そんなことを数回繰り返しているうちに避けられてると確信した。
しかし俺には全く心当たりが無かった。
名前と接する時は一人称まで変えて、口調だって荒くならない様に気を付けてる。
GPSを確認するに、名前は会社と家、そして俺の家を行き来するだけの代わり映えない生活を送っていて特別何かがあったわけでは無さそうだ。
直接聞いたところでどうせ何も言わないと踏んだ俺は名前の周辺で変わった事が起きてないか調査させた。
そして、名前の会社で"暴力団と関わりがあった社員が解雇された"ことを知った。
一瞬、自分の組の関係か?とも思ったけど、クビになった社員が関わっていたのは別の組の構成員でホッとしたのも束の間、何となく話が見えた気がした。
あの鈍くさい女がどこまで勘付いているのかは分からない。
しかしこのタイミングで態度が変わったことはどうしても無関係とは思えない。
とにかく、名前が俺を避けることにどんな意味が隠されているのか聞き出さないことにはどうしようもない。
元々、今日は早く帰れるから一緒に夕飯でもと考えていたところだ。
家で大人しく待っていても何だかんだと理由を付けて逃げられる可能性があるため、サプライズを装い会社まで迎えに行くことに決め定時10分前に着くように車を呼んだのに、車に乗り込み確認したGPSは既に会社の外を指していて柄にも無く慌てた。
車を飛ばさせること10分、位置情報は駅を指したまま移動しない。
名前は駅ビルに留まっているようだった。
駅ビルで何をしているのか知らないが、とにかくそこから動くなよ、と念を送り、それから更に10分程して駅に着いた。
普段は近寄りもしない駅ビルに足を踏み入れると明らかな場違い感で視線が痛い。
昔ほどガラが悪いとは言われなくなったがオフィス街に位置する駅の利用者達に混じるとやはり浮いている。
どう見ても会社員には見えねぇよな、と己の風貌を思い出していると、シューズショップが目に留まり、いつだか俺に『このパンプス、処分セールで980円だったんですよ!良い買い物しました!』と言って安っぽいパンプスを満面の笑みで見せてきたことを思い出した。
980円の靴って何?俺9800円の靴すら持ってねぇけど、とは言えず、良かったねと笑顔で返した。
今度上等な靴でも買ってやろうか。
ひとつくらい上等な物を持っていないと─と思った時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『先輩…んて……ッスか!……ます…』
喧騒の中から聞こえて来た声は名前の後輩、確か虎杖悠仁、と言ったか。
ソイツの声がすると言うことは名前もそこにいる可能性が高い、と声が聞こえた方に目をやると、シューズショップの奥に虎杖悠仁の特徴的な髪がちらりと見え、名前の声も聞こえてきた。
会社を早く出たと思ったらこんな所で後輩とショッピングとは。
てっきり俺の正体に勘付いて避けられてると思っていたが、もしかして虎杖悠仁が好きだから、とか付き合い始めたから、とかそんな可能性もあるのでは。
いくらバイトとは言え男の家に出入りして、時には一緒に食事をするなんて普通の男は嫌がるだろう。
勝手な想像を膨らませて、虎杖悠仁みたいな男がタイプなら俺に靡かないのも分かるな、と納得しながらも、モヤモヤした嫌な感覚が胸に広がっていく。
その感情の正体が分からないほどガキでは無いが認める訳にはいかなかった。
だってこれはただの暇つぶしで、俺はアイツの狼狽える姿が見たいだけなのだから。
俺があんな女に惚れている、なんてあっていい筈がない。
だから、数分後に店から出てきた2人の距離感とか、『そんなんじゃ無いッスよ!』という否定の言葉に安堵したのは、おもちゃを取り上げられなかったことにホッとしただけだ、と自分に言い聞かせたのだった。
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