09.
『だぁから、アンタはどこまで能天気なのよ!そんな怪しい説明をどうして簡単に信じるの!』
「え、怪しい!?だって名刺渡されたし、そこにはしっかり会社の名前が書いてあって…あ、そうだよ、会社名検索してみたらちゃんとホームページ出てきたし!嘘じゃないと思うんだけど」
『あのねぇ、ヤクザが馬鹿正直に"はい、私はヤクザです"なんて言うワケ無いでしょ。それにね、表向きは会社の経営者だったり、下っ端はそういう会社の従業員ってことにしてる人が殆どよ。所謂世を忍ぶ仮の姿、ってやつ?』
「そうなの…?うーん…いや、でも確かに腑に落ちないことはいくつか……」
『まぁ、私は会った事も話した事もないから何とも言えないけど、五条って人が言ったこと丸っきり信じちゃうのは危険だと思うわよ』
例によって親友へ近況報告の為に電話を掛けた私は、またしても大きな溜息を吐かせていた。
危機感が足りない自覚も、人を信じやすい自覚もあるので親友の辛辣な意見は非常にありがたい。
親友の指摘に影を潜めた疑念が再び燻りはじめたが、しかし私は五条さんを信じたいと思った。
決して長い付き合いでは無いが、比較的近くで見てきたつもりだ。
疑わしいところがないと言えば嘘になるし、五条さんの言い分を100%信じている訳でもない。
正直、名刺に書かれた会社名を検索してヒットした時には9割方信じたが、それでも疑念は消えなかった。
胸に突っかかる違和感や疑念に蓋をしてまで信じたいと思うのは、五条さんから確かな優しさや温かみを感じられるからだろう。
私のイメージするヤクザとは掛け離れていて、どうにもそうとは思えない、いや思いたくなかった。
最近顔を合わせる機会が増え、週末には一緒に食事をとることが恒例化しつつある。
そうした関わりの中で五条さんは優しく、愉快で、親しみやすい。
五条さんとの時間が楽しみになりつつある自分がいる。
楽しくてお給料が貰えて、こんなに良いバイトは今後見付かる気がしない。
それに五条さんがヤクザだろうとそうでなかろうと、辞める辞めないの一悶着があったすぐあとにやっぱり辞めます、と言うのは気が引ける。
一先ず得意の様子見だ。
「…とりあえず、バイトは続けながら様子を見てみる。きっと大丈夫だと思うけど、あんまり鵜呑みにはしないで変だと思ったら今度こそ辞めるよ」
『まぁ、バイト自体は魅力的な内容だしね。でも五条って人の素性がイマイチ分からないうちは距離感間違えない方が良いよ。間違っても好きになったりしないように』
「分かってるって!そこは大丈夫。私、五条さんはタイプじゃないし、何より雇用主とハウスキーパーという立場を弁えてるから!」
そうだ、私は弁えている。
五条さんとの時間は楽しいが、それはただマンネリ化した私の人間関係に新鮮味を加えてくれるから。
五条さんはあれでいて案外聞き上手で、しかも話は突飛で面白い。
シンプルに一緒にいて楽しい、ただそれだけ。
それだけなのだ。
◇
「来週の土曜?構わないけど。珍しいね」
「はい。実は飲み会に誘われて」
「へぇ…会社の?」
「あ、いえ!実は会社の先輩に合コンに誘われまして…そういう場は苦手なんですけど、どうしても人が足りないからって泣き付かれちゃって…」
心做しか五条さんの声が低くなった気がして、何故か悪いことをしてる気になった私は『困っちゃいますよ〜』と言いながら至極面倒そうな雰囲気を全面に出して笑った。
五条さんは基本的に出勤は自由で構わないと言ってくれていて、残業になって遅くなる日や予定が入った日は休んだって良いし、その逆で出勤出来る日は急でも来れば良い、と言う極めて自由なものだったが、生来真面目な質の私にはどうにもそれがしっくり来なくて、半月毎に出られる日をピックして五条さんに伝えていた。
五条さんの家にお客さんが来るなど都合が悪い時は連絡が来るようになっているけど、今のところそれは一度も無い。
いくら自由とは言え、"働きに来てる"以上ちょっとやそっとの事で休むまいと決めてるし、バイトが入ってる日に他の予定を入れることもしない。
至って真面目に平日3日週末1日のペースで働かせてもらっていた。
今週の土曜日もバイトが入っているのを覚えていたので、予定がある、と断ったのだが食い下がられて根負けした。
まぁ、これだって一応仕事の様なものだ。
何せ先輩は気性が荒い所があり、無碍にすれば今後の会社での立場が危うくなる可能性があるのだから、誘われた時点で"食い下がられたら断りきれないな"と諦めていた。
あっさり引き下がってくれることをほんの少し期待したが、既婚女性や恋人持ちが多い私の職場では誘える人物は限られており、その全員に断られ私が最後の砦だと言う。
お願い、ランチ奢るから。ね?と手を合わせる仕草こそすれどどこか圧を感じる物言いに結局私は屈服した。
とにかく、そんな訳で土曜日に予定が入ってしまった私はそれを申し訳なく思いつつも『全然休んで良いよ〜』というフランクな答えを期待していたのだが、五条さんの纏う空気が変わったことに頭の中はハテナでいっぱいだった。
もしかしたら、いつでも休んで良いよというのは建前で、たかが飲み会の為にバイトを休むことに呆れているのかもしれない。
いや、それとも恒例化している週末の夕飯が無いことを残念に思ってくれているのかもしれない。
理由はハッキリしないが、重たくなってしまった五条さんの雰囲気をどうにかする為に努めて明るく声を出した。
「ご、五条さん!もしご迷惑じゃ無ければ土曜日お休み頂く代わりに日曜日、来ても良いですか?」
「うん、構わないよ」
「ありがとうございます!じゃあ、日曜日は五条さんの好きなお料理いっぱい作るので、ってもしかして日曜日はお仕事ですか?」
「いや、急な呼び出しでも無ければ家に居られると思うけど」
「本当ですか!じゃあ土曜日にお休みを頂くお詫びと言ってはなんですが、私精一杯ご飯作るので!」
「お詫び?いや、普段から言ってるけど休むのは全然構わないよ?まぁでも名前ちゃんが一生懸命ご飯作ってくれるのは楽しみだから、そういう事にしておこうか」
先程から一転、という程では無いけれどまぁまぁ軽くなった雰囲気に安堵しながら、休むことは構わないなら何が気に食わなかったのだろう?と疑問に感じつつ、それを五条さんに問える勇気は私には無かった。
◇
憂鬱な予定というのは、どうしてこうも早くやって来るのだろう。
楽しい予定はまだか、まだかと待ち遠しいというのに。
そんなことを考えて大きな溜息が出たのは、今日が合コンの当日だからだ。
本来なら今頃─、と言っても五条さんの家で家事をしているだけなのだけど、それでも先輩と先輩の友人、そして先輩がセッティングした知らない男性とお酒を飲むよりは何倍もマシで有意義な時間を過ごしていた筈なのに。
数合わせで呼ばれただけとは言え、ある程度はきちんとオシャレをしなくては先輩の面子を潰すことになり兼ねないし、初対面の男性に微妙な顔をされればそれなりに傷付く。
数日前から決めていたキレイめのワンピースに着替えて、普段よりしっかりメイクを施しヘアアレンジ、は苦手なので緩く巻いた。
家を出るギリギリまでパンプスの形で悩み、キャメルのローヒールパンプスに決めたのは家を出る3分前だった。
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