ただ一つだけの小さな願い

柱になってからの義勇は本当に寝る間も惜しむほど多忙のようで、手紙の回数もぐんと減ったし、任務も過酷なようだった。それでも今日だけは、錆兎の命日には必ず姿を見せてくれた。

「じゃあ、俺はこれで」
「炭治郎に会って行かないの?」
「いや、いい」

錆兎に手を合わせる時、義勇の横顔は子どもの頃のままだ。でも義勇が鬼殺隊へ戻って行く時は、私の知らない横顔をしている。麓までの帰り道、一歩進むたびに別れに近づくこの時はいつも切ない。いつかこのまま、義勇は私の知らない人になってしまうのだろうか。

「炭治郎のこと、すまなかった」
「どうして謝るの?」
「迷惑をかける、ことになるかもしれない」

ふっと歩みを止めた義勇が、少し後ろを歩いていた私を振り返った。下ろしていた髪の隙間からすっと義勇の手が伸びて、私の頬に触れた。

「顔色が、よくなったみたいだ」
「炭治郎のお陰かな。三人でいた頃のこと、時々思い出すの」
「そうか」
「だから謝らないで」

ひんやりと冷たい義勇の手に、自分の手のひらを重ねる。

「この間鱗滝さんに叱られた。ちゃんと前を向きなさいって」
「うん」
「錆兎にも義勇にも生きて帰ってきてほしかったの。それは本当の気持ちだよ。でもね、」

季節の巡りを教えてくれるのも、こうして一年に一度だけでも義勇と会えるのも、全部錆兎が遺してくれたことだと思うのは、生きている人間の私欲に過ぎないのかもしれない。けれども、私も義勇も、あの夜を越えなければならない。錆兎は悪くない。悪いのは、自分の弱さに背を向けた臆病な自分の心なのだ。

「あの日帰ってきたのが錆兎だけだったとしても、私の気持ちは変わらないよ」

「私が好きなのは、ずっと義勇だけなんだよ」

その青い瞳が苦しげに歪んで、義勇は私のことをきつく抱きしめた。衣摺れの音の向こうから義勇の心臓の音が聞こえた。冷たい手からは想像もつかないほど、義勇の腕の中は温かいということを、私は今まで知らなかった。

「名前」

待ってるなんて、そんな都合のいいことは言えないけれど。いつか義勇が私を必要としてくれた時、それに応えられる人になりたい。その時が来ることを、心の奥で小さく願って。


(210206)