前夜

次の日はまた同じように、義勇に駅まで送ってもらい、列車を使って狭霧山に帰った。家に戻った私を鱗滝さんはこっぴどく叱ったが、最後には頭をぽんぽんと撫でてくれた。

「悪かった、お前がそれほどまで炭治郎のことを心配していたとはな」

炭治郎にはお詫びの手紙を書いた。返事はすぐに来て、心配で見舞った人に逆に心配をかけてしまったようで、やっぱり慣れないことはするもんじゃないなと反省した。

夜になって狭霧山から見た月は、義勇の屋敷の庭から見たのと同じだった。目を閉じて一つずつ、ゆっくりと思い出す。夕方の風の匂い、笹の葉の擦れる音、水面に反射する光の粒。

もしも私の体が丈夫で、しのぶさんのように刀を持てていたのなら、今頃どんな未来が待っていたんだろうか。藤襲山で錆兎を助けられただろうか、少しでも義勇の役に立てただろうか。どうして私はこんなにも非力で生まれたんだろう。

そこまで考えて首を振った。もしもの話なんて、いくら考えたって今が変わるわけではない。明日は錆兎の月命日だ。たくさん花を摘んで墓前に手向けよう。錆兎に聞いてもらいたいことがたくさんあるから。



狭霧山に幾つかの季節が巡ったある日、鱗滝さんが首を捻ったのは、夜も更けた灯りを消す前のことだった。

「鬼の気配が消えた」

禰豆子ちゃんが陽光を克服したことは炭治郎から聞いていた。いつだったか、あの日の義勇からの手紙を思い出していた。人を襲わない鬼、それは人間と鬼の現状を変える突破口のようになるかもしれない。何度も何度も手紙の中で詫びていた義勇を思い出して、指先から体が冷えていくのがわかった。

「油断はするな。藤の香は変わらず焚き続けなさい」

部屋に戻って藤の香りで部屋中を満たしても、心の奥の方がざわついていた。背筋がぞわりとする感覚。義勇のことが只々心配だった。

それから俄かに鱗滝さんの周辺が慌ただしくなっていった。鱗滝さんは私に何も言わなかったけれど、何かが大きく変わろうとしているのは私にもわかった。鬼がいなくなったことで炭治郎は以前にも増して鍛錬に励んでいるようだった。でも義勇は、義勇からはやっぱり何の報せもなくて、私は一人変わらぬ日々を狭霧山の中で過ごしていた。


(210313)