おかえり

一晩中祈り続けてやがて夜は明け、一報を伝えに来てくれたのは寛三郎だった。

「義勇、無事…」

寛三郎は真っ直ぐに腕の中に飛び込んで、そう言ったきり全身で呼吸する以外はぴくりとも動かなかった。きっと持てる力の限りを尽くしてここまで飛んできてくれたんだろう。寛三郎が伝えてくれた言葉とその気持ちに、涙が溢れて止まらなかった。

「ありがとう、寛三郎…」

頬から流れ落ちた涙が寛三郎の羽根をころりと転がって落ちた。待ち侘びた朝の光に反射した涙の粒を、心の底から美しく思えた。息を整えた寛三郎はすぐに体勢を立て直し、私の腕の中から飛び立っていった。

「待って、寛三郎!」
「行カネバ…」

きっと私のように今日の朝日を待ち侘びていた人がたくさんいるのだろう。寛三郎のその言葉に、鎹鴉たちがこの夜の行方を一人一人に届けてまわっているのだと理解した。若くないその体に鞭を打つように飛び立った姿は、何よりも力強く美しかった。

鱗滝さんの鴉が仔細を書き連ねた手紙を持ってきたのは、夕刻になってからだった。鬼の始祖は滅び鬼はこの世からいなくなったこと、禰豆子ちゃんも無事に人間に戻ることができたこと。義勇も炭治郎も無事だけれども怪我の具合が思わしくなく、しばらく療養に付き添う故狭霧山に戻るには時間がかかるだろうと書かれてあった。

本当はすぐにでも蝶屋敷に飛んでいきたかった。鎹鴉達が伝えてくれた戦況によれば、鬼殺隊にはたくさんの犠牲者が出た。亡くなった隊士の名前の中にはしのぶさんの名もあった。胸が張り裂けそうになるのを必死に堪え、そしてまた義勇や炭治郎たちも相当な深傷を負っていることは想像に容易かった。それでも狭霧山に踏みとどまったのは、あの日の義勇の言葉を思い出していたからだ。

“待っていてほしいんだ。名前に、ここで”

義勇は必ず帰ってくる。だって約束してくれたから。不安になったらたくさん泣いて、義勇の言葉を心の中で何度も唱えた。義勇が狭霧山に帰ってきたら笑顔で迎えられるよう、涙は全部流してしまおうと思った。



錆兎に、そして狭霧山に眠る子供たちにも、鱗滝さんに代わって改めて最後の戦いを報告した。

「みなさんの思い、ちゃんと繋がりました」

さらさらと優しい風が吹いて、墓前の花を揺らした。

「錆兎、ありがとう」

きっとどこかで見てくれているんだろう。炭治郎が狭霧山にいたあの頃と同じように、きっとどこかで。錆兎の思い、ちゃんと繋がったよ。義勇を、炭治郎を、守ってくれてありがとう。私たちはもう二度と会えないけれど、繋がる思いの中に錆兎が生きているということにようやく気がついた。ずっとずっと、そうやって繋がっていけたら。朝の明るい日差しが真っ直ぐに差し込んで、ここに眠る皆を照らしているようだった。



義勇はなかなか狭霧山には帰ってこなかった。私が思う以上に義勇の怪我は深刻なようだった。手紙はいつも鱗滝さんからで、帰郷の報せが届いても義勇からはただの一度も手紙は来なかった。それでもよかった。義勇が生きて、また狭霧山に帰って来てくれれば、それだけで。

桜の蕾が一つ二つ綻び始めた頃、ようやく義勇が帰ってきた。一足早くやってきた寛三郎がそう教えてくれた。その報せを聞いてからはもう何も手につかなくて、義勇に会ったら何を話そうか、頭の中はそんなことでいっぱいだった。

「義勇!」

麓から続く小道の向こうまで私の声が届いたとき、義勇は柔らかい笑みを浮かべた。たまらず傍まで駆け寄ると、義勇が左手で私の体を抱きとめた。けれど右手はそのまま、動くことはなかった。葡萄色の裾は春の風にさやさやと揺れるだけだった。

「義勇、腕…」
「腕の一本くらい安いもんだ」

義勇は優しい顔をしたままそう言ったけれど、どうして義勇がそんな顔をしていられるのか私にはわからなかった。安くなんかない。今までその右手がどれだけの人を救ってきたか、たくさんの人の命を守った尊いものだというのに。義勇の療養が長引いているのも、手紙を書くのがいつも鱗滝さんだったのも、その意味を今になってようやく気がついて、義勇の腕の中で涙が止まらなかった。

「約束、ちゃんと果たせてよかった」

その言葉に顔を上げると、夜の海のような瞳にはいつのまにか朝が訪れたかのようで、そんな風に笑う義勇を見たのは本当に久しぶりだと思った。私は自分の右の裾で涙を拭った。この言葉を義勇に言うときは、絶対に笑顔でと決めていたから。

「おかえり、義勇」

それは風の心地良い、春の始まりの日のことだった。


(210404)