四月の雨、上がれば

前の晩から降り始めた雨は朝になっても止まず、細い糸のような雨がしとしとと草や花を濡らしていた。格子窓の向こうを覗いてため息をひとつつく。暦は四月を迎えていた。

鬼がいなくなったことで、義勇の生活は何もかも変わってしまった。鍛錬をすることもなくなったし、刀を持つこともなくなった。何より失ってしまったのが利き手だったので、生活をする上で困難なことも時折あった。

「名前、ちょっといいか」

外の景色をぼんやりと見ていた私に義勇が後ろから声をかけた。振り返った私に義勇が手渡したのは鋏だった。

「どうしたの?」
「髪を切ってほしいんだ」

そう言った義勇はいつのまに準備したのか部屋の隅に広げたボロ布の上にすとんと座った。私は渡された鋏と義勇を交互に見やって、慌てて義勇の後ろに続く。片手だと髪を結ぶのが煩わしいとは言っていたけれど、まさか切ってほしいと言い出すなんて。

「本当にいいの?」
「ああ、頼む」

結紐を解くと義勇の長い髪が背中に広がる。鋏を持つ手が微かに震えた。一束つまんで静かに鋏を入れると、シャキンと小気味良い音がして床に髪が散らばった。

それからは、窓の向こうで葉に雨の粒がすべり落ちる音と、髪を切る鋏の音だけが小さな部屋に響いていた。とにかく失敗してはいけないと慎重に髪を切る私に、義勇は遅いとも早くしてくれとも言わず、また身じろぎ一つせず真っ直ぐ前を向いていた。

ようやく義勇が口を開いたのは、随分と短くなった義勇の髪を右に左にと確認しながら長さを整えているときだった。

「名前」
「なぁに」
「狭霧山を出て、二人で暮らさないか」

その言葉の意味を正しく飲み込むまでに、数秒ほど時間がかかった。右側の髪を梳いていた私の手を、肩越しに義勇が握る。それを合図に心臓が大きく波打ち始めた。

「俺は痣物だ。いつまで生きられるかはわからない。だけど、だからこそ、残りの人生は全て名前に捧げたい」

人生とは、いつ何が起こるかなんて誰にもわからない。大切な人はいつも私の指の隙間をすり抜けていった。鬼に殺された両親、藤襲山から帰らなかった錆兎。義勇が狭霧山を去って私たちの道が分かたれたときから、もう二度とこんな日は訪れないだろうと思っていた。ただ義勇の傍で穏やかに過ごす、こんな日は。

「泣いてるのか」

義勇がそう言うまで自分が泣いていることにすら気が付かなかった。義勇は少し困ったように笑いながら、こぼれ落ちた私の涙を優しく拭った。

「嬉し涙よ」
「そうか」
「義勇には泣かされてばっかり」
「名前は昔から泣き虫だ」

涙で目の前が滲んで、もう鋏は握れなかった。座り込んで泣き始めた私の背を義勇が優しく撫でた。その心地よさに思わず息を吸い込んで顔を上げると、義勇は晴れやかな顔で私を見つめていた。その笑顔が、短い髪によく似合っていた。

「それで、返事は」 

そんなの、言わなくたって答えは一つしかない。

いつのまにか雨が上がっていた。格子窓から差し込む日の光が、私と義勇のいるところを優しく照らしていた。


(210407)