尊いもの

宇髄さんの奥さん達は、顔も性格も三者三様。けれどそれこそが秘訣なのか、三人はとても仲がいい。奇妙な家族の形もこの四人だからこそ成り立っているのだろうと思った。

須磨さんは私が赤ちゃんについて何か尋ねる前に、私と冨岡さんの関係について根掘り葉掘り聞いてきた。須磨さんが私に会いたがっている理由というのがなんとなくわかった気がした。冨岡さんは少し離れたところですごく居心地の悪そうな顔をしていた。

「もうそれくらいにしとけって、須磨」
「だってまきをさん!名前ちゃんの話、なんかふわっとしててよくわかんないんだもぉん」

そうなってしまうのは勘弁してほしい。私と冨岡さんの関係について一番知りたがってるのはこの私なのだから。

「須磨、それくらいにしたら?ねぇ名前ちゃん、せっかくだから赤ちゃん抱いてみない?」
「いいんですか?」

もちろんと笑う雛鶴さんの言葉にとても嬉しくなって、思わず振り返って冨岡さんに手招きをした。こんな小さな赤ちゃんを抱っこする機会なんて今までなかったし、これから先あるかどうかもわからない。冨岡さんは遠慮がちに首を横に振った。

「いや、俺は…」
「まあそう言わずもっと近くで見てやってくれよ」

宇髄さんがそう言って、冨岡さんは渋々私の横に座り直した。ここに来た時は眠そうにしていた赤ちゃんは、私たちが来たことによって目が覚めてしまったのか、今は雛鶴さんの腕の中でパタパタと元気に手足を動かしている。雛鶴さんが私の前にやってきて、少し緊張しながらも慎重に赤ちゃんを受け止めた。

「わぁ…」

私の腕の中で赤ちゃんは雛鶴さんに抱かれていた時と同じようにパタパタと手足を動かしていた。ほんのりと、なんというか甘いようないい香りがする。冨岡さんが私の横から赤ちゃんを覗き込んで、左の人差し指を赤ちゃんの手に近づけた。すると赤ちゃんは冨岡さんの人差し指をぎゅっと握り返した。強く強く、ぎゅっと。

その様子を見ていたら、胸の奥がきゅうっと締め付けられるのがわかった。

「どうしたの?!名前ちゃん、大丈夫?」

雛鶴さんが慌てるのを見て、その時初めて私は自分が泣いていることに気がついた。涙が次々と溢れてきて、赤ちゃんの白い産着を濡らしてしまった。

「ご、ごめんなさい…!あの、なんていうか…」

両親が死んで、鬼殺隊に入ることに寸分の迷いもなかった。もう誰にも同じ思いをしてほしくなかった。一人でも多くの人を助けたかった。足を怪我して刀が握れなくなっても、どうしても鬼殺の道を諦められなかった。守りたかったんだ、命を。

「命って、こんなにも温かくて、重いものなんですね」

私は最後までやり遂げられなかったけれど、冨岡さんや宇髄さん達が懸命に守ってくれていたものは、こんなにも尊いものだったんだ。雛鶴さんが微笑みかけてくれながら、私の背中を優しくさすってくれた。

「…なぁ、冨岡。ちょっといいか」

ぐずぐずと泣き続ける私をチラッと見て、宇髄さんが冨岡さんにそう声をかけた。冨岡さんは一つ頷いて、赤ちゃんの手を優しく振り解いた。

***

「もっとゆっくりしてけばいいのに〜!」

日が暮れてしまう前に私と冨岡さんは宇髄家を後にすることにした。須磨さん筆頭にもっとゆっくりしていってと何度も言っていただいたけれど、明日も仕事なので早めにお暇することにした。

来た道はほんのりと傾いた夕方手前の太陽に照らされていた。私たちは行きと同じようにゆっくりと家路へ向かう。冨岡さんはやっぱり私の右隣を歩いていた。

「赤ちゃん可愛かったですね」

伊之助くん風に言うなら、なんだかずっとほわほわとした気持ちだ。温かくて柔らかくて、心の底から幸せな気持ちにさせてくれる。小さな赤ちゃんだけれど、持っている力はすごいものがあるんだなとしみじみと思った。

私の言葉に冨岡さんからの返事はなく、右隣を見上げると難しい顔をした冨岡さんの横顔があった。冨岡さん?と声をかけると、ハッと気づいた冨岡さんがこちらを向いた。

「すまない、何の話だったか」
「あ、いえ、大したことじゃないので」
「そうか」

そう言ったっきり冨岡さんはまた元の難しい顔に戻ってしまった。少しだけ胸の奥がチクチクと痛む。なんとなく声をかけづらくなって、それからはお互いにほとんど無言のままだった。

「今日は付き合わせて悪かったな」

下宿先の手前、いつも送り届けてくれるところで冨岡さんがそう言った。別れ際のいつもみたいに優しく笑う冨岡さんはおらず、少し強張った表情がどうしても気になった。気づけば私は足早に去ろうとする冨岡さんの袂を掴んでいた。

今しかないと思った。今言わないと、このまま一生冨岡さんに会えない気がした。

「私、冨岡さんのことが好きです」

心臓がどくどくと波打っている。ほんの少しだけ息が苦しい。袂を握りしめる手に力が入った。振り返った冨岡さんは真っ直ぐに私の瞳を見ていた。

“義勇さんは、名前の気持ちを蔑ろにするような人じゃないよ”

いつだったか炭治郎が言ってくれた言葉が頭に響いて、その言葉だけが今の千切れそうな思いを止める細い細い糸のようだった。

「すまない、少し時間をくれないか」

そう言って冨岡さんは私の手を優しく振り解いた。私の腕に抱かれた赤ちゃんにしたときと同じように、本当に優しく。冨岡さんは踵を返して夕方の薄暗い路地に消えていった。手が触れたのは、これが初めてだと思った。


(210512)