Black Out

「しのぶちゃん!大変なの、名前ちゃんが!」

しのぶが蜜璃に出会したのは、まだ夜明け前、担当地区の見回りを終え、蝶屋敷に帰宅した直後のことだった。涙で顔をくしゃくしゃにした蜜璃に背負われた名前の様子を見てしのぶは驚いた。

「すぐに診察室へ」

診察台に寝かせられた名前は、完全に意識を失っている状態だった。傷は右のこめかみに一箇所、咄嗟に受け身を取ったようで右半身に数カ所打撲の跡が見られた。

「頭の傷は大したことはないようです。おそらく脳震盪を起こしているだけかと」
「ごめんなさい、私が一緒にいながらこんなことに…!」

すっかり気が動転している蜜璃に状況を聞くことは今は困難なことのように思われた。確か昨夜は二人での共同任務と聞いていたが、それ以上のことはしのぶは知らなかった。

ここのところ名前の様子がおかしいことを、しのぶも薄々は感じ取っていた。先日の任務で名前が負傷したこと、それをひた隠しにしていることにもしのぶは気付いていた。目を覚ましたらゆっくり話を聞かねばならないと、寝台に横たわる名前の姿を見てしのぶは小さく息を吐いた。

「それで、鬼の方は」
「ごめんなさい、私が駆けつけたときには…」
「そうですか…すみません。この子の師範として私にも責任があります」
「そんな、しのぶちゃんは何も!」

蜜璃が慌てて首を横に振る。しのぶは努めて冷静に、そしていつものように柔和な笑みを浮かべた。

「名前が目を覚ましたらすぐに知らせます。お館様への報告もあるでしょうから、後は任せてください」

蜜璃は肩を落とし、もう一度ごめんなさいと小さく呟いて蝶屋敷を後にした。



名前が家族を失ったのは、祭りの夜のことだった。年に一度、村の若者が五穀豊穣を願って獅子舞を被り夜通し舞う。村に古くから伝わるその伝統行事に、名前は父と共に参加していた。家に残っていた母と幼い弟は、その祭りの賑わいの最中、静かに鬼に襲われた。

眠気に襲われた名前が父に背負われ家に帰り着いたとき、部屋の中は一面血の海であった。激昂した父親の叫び声で名前は目を覚まし、そのまま土間に尻餅をついた。部屋の真ん中で二人を貪る鬼に父は立ち向かったが、敢えなく返り討ちにされてしまった。

ほんの一瞬の出来事だった。まだ自分が夢を見ているのではないかと、名前はその場に蹲ったまま指の一つも動かせないでいた。

『お前うまそうだな』

鬼の手が名前へと伸びても、名前は一歩も動けなかった。嗚呼、死んでしまうんだ。名前がそう悟った瞬間だった。音もなく現れた薄桃の刀身が、鬼の頸を刎ねたのは。



混沌とする意識の中、名前は思った。またあの夢を見てしまった。家族を亡くしたあの日の光景は、幾年が過ぎても名前の記憶にこびりついて離れず、こうして夢の中で何度も繰り返される。そしてその夢を見るたびに、名前は何度も家族を失った悲しみに打ちひしがれるのだ。

名前はゆっくりと目を開いた。それは蜜璃に担ぎ込まれてから丸一日が経った翌朝のことだった。

「名前さん!目が覚めたんですね!」

寝台の傍にいたなほが名前を見て嬉しそうに声をかけた。すぐにしのぶ様を呼んできます!と、嬉々として部屋を後にする。

名前は半身を起こして部屋の中を見回した。いくつか並んだ寝台には誰もおらず、部屋には名前しかいないようだった。

すぐになほがしのぶを連れ立って戻ってきた。変わりのない様子にしのぶも安堵の息を吐く。

「よかった、目を覚ましたのですね。どこか変わったところはありませんか?」
「変わったところ…?」

そう言われ、名前は自分の腕や体を繁々と眺める。

「あの、この服は…」
「隊服のことですか?」
「隊服…?」

名前は首を傾げた。その様子にしのぶはえも言われぬ違和感を覚えた。慌てて寝台の傍に駆け寄り、置いてあった簡素な椅子に腰掛ける。

「名前?」
「はい」
「私のことがわかりますか?」

しのぶは自身の胸に手を添えてそう尋ねた。一抹の不安がしのぶの胸によぎる。そばに立つなほが心配そうに二人を見つめていた。

「すみません、どなた様でしょうか」

名前は申し訳なさそうに眉尻を下げたままそう答えた。


(210629)