Take Me Out

また来ると、義勇はそう言い残し蝶屋敷を後にした。去りゆく義勇の背中を見つめながら、名前は早く記憶を取り戻さなければと思った。あの人に、二度とあんな顔はしてほしくない。

六畳ほどの小さな自室に戻ると、しのぶが運んだ名前の日輪刀が立てかけられたままだった。その傍には丁寧に畳まれた隊服。そのどちらをも触れる気にはなれず、代わりに部屋の隅の文机の引き出しに名前は手をかけた。

引き出しの中には一冊の日記と、いくつかの文が入っていた。自身の文字で綴られた初めの頁の日付は家族を亡くした後の日を指していて、何かを思い出すにはちょうどいいかもしれないと名前は頁をめくった。

日記の日付は飛び飛びで、鬼殺についての記述はあまり目立たず、そのほとんどが他愛無い日常の一部分を切り取ったものだった。義勇の名も随所に見られた。名前は自身が綴った文字を眺めながら、しのぶの言葉を思い出していた。

あの祭りの夜、名前を救ったのは当時の花柱でしのぶの姉であるカナエであったこと。家族を失った名前がカナエに鬼殺隊に志願したいと泣いて懇願したこと。カナエが名前を連れ帰り、師として名前の面倒を見てくれていたこと。そして、そのカナエはもうこの世にはいないということ。

義勇のことも、カナエやしのぶのことも、何一つ思い出せない自分がひどく薄情な人間に思えて、名前はため息をついた。何故忘れてしまったのだろう。何故記憶は戻らないのだろう。現にこうして日記をめくってみても、知らない誰かの生活を覗き見しているような気持ちにしかなれない。

半分ほど日記を読み進めたところで、名前はあることに気がついた。年に一度、今時分の頃に必ず故郷を訪れている。

「…命日だ」

記憶が間違っていなければ、村の祭りはちょうどこの季節に行われていた。自分は毎年家族の命日に墓参りに出向いていたのだろう。生家へ赴けば何かを思い出す手がかりになりはしないだろうか。名前は淡い期待を胸に頁をめくり続けた。



翌日、名前はしのぶに呼ばれ診察室を訪れていた。しのぶは名前の頭の傷や打撲の跡を丁寧に診ていく。

「昨日とどこか変わったところはありませんか?どこか痛んだり、何か思い出したことがあれば言ってください」
「ごめんなさい、何も…」

名前が申し訳なさそうに頭を振ると、しのぶは少し困ったように、けれども優しい笑みを名前に向けた。

「謝らなくていいのですよ。そんなに焦ることはありません」

名前の経過を書き留めながら、頭の怪我についてはもう少し観察が必要ですとしのぶが伝える。その言葉に名前は頷き、あの、と小さく呟いた。

「どうしました?」
「命日のお墓参りに故郷へ行きたいんです」
「ああ…そういえばそんな時期でしたね」

毎年この時期になると名前が故郷へ帰ることをしのぶもよく知っていた。窓の向こうの景色を確認しながら、そういえば今年はまだだったかとしのぶは考える。

「構いませんよ。ですが一人で行かせるのは心配です。私が付き添いましょう」
「ありがとうございます」

名前が嬉しそうに笑って頭を下げる。その時ふと、しのぶの頭に一人の人物の顔が浮かんだ。

「…いえ、私より適任者がいましたね」
「適任者?」

しのぶはにっこりと笑って人差し指を立てた。

「冨岡さんですよ。今名前の故郷の辺りを担当している柱は冨岡さんですから」

思わぬ人選に名前は昨日の義勇とのやり取りを思い出し、頬を赤く染め俯いた。その様子にやはりこれ以上ない適任者だと、しのぶは満足そうに微笑んだ。


(210706)