Sunrise

蜜璃と名前は仲の良い友人同士であった。義勇と名前の仲を知る数少ないものの一人が蜜璃であった。蜜璃が名前の手を取り大丈夫よと言うと、不思議と名前も大丈夫だと思えた。

「名前ちゃんは名前ちゃんのままよ。何にも心配することないわ」

しのぶも焦る必要はないと言ってくれた。一晩経っても何も思い出せない自分に焦燥感を覚えていた名前だったが、二人の言葉で幾分か心が楽になったように思えた。それでも義勇の悲しげな瞳が頭の中から離れない。

蜜璃が蝶屋敷を去ったあと、入れ替わるように名前の鎹鴉が戻ってきた。

「手紙、預カッテキタワヨ」
「ありがとう」

鴉の足に結ばれた文を解き広げてみると、一週間後の早朝迎えに行くと綴られていた。



約束の朝、脚絆を巻き終え草履を履く名前の背中にしのぶが声をかけた。

「あまり無理をしないように。何かあればすぐ鴉を飛ばしてくださいね」
「わかりました。行ってきます」

上り框から腰を上げ、名前はしのぶに小さく頭を下げた。

忘れ物がないかもう一度確認し、名前は蝶屋敷を後にする。門を潜って空を見上げると、まだ薄い水色に何故か心が安堵する。

「名前」

義勇の声だと、名前は反射的に振り返る。一週間振りに見るその姿に名前はたまらなく嬉しくなって、小走りで義勇の元へと駆け寄った。

「変わりはないか」
「はい。あの、今日はありがとうございます」
「いや、これくらい構わない」

名前がゆっくりと歩き出し、義勇もその速さに倣って隣を歩き始めた。少し頬を赤らめて俯き加減に歩く名前は、どこからどう見てもごく普通の女子のようだ、と義勇は思った。全集中の呼吸も止まってしまったままだ。名前の故郷へ到着するのには随分と時間がかかるだろう。

義勇の隣はどうしてか心地よく、名前は目に映る景色やこの一週間の他愛もない出来事を取り止めもなく話した。その話に義勇は小さく頷いたり相槌を打つだけだったが、名前は気にも留めなかった。まるでそう言った義勇の性分をはじめから全てわかっているかのようだった。

日も高く昇ったころ、名前の歩く速度がやや落ちてきた。少し休むかと義勇が声をかけると、名前は小さく頷いた。

小道の脇に小さな社へと続く階段があり、その端に二人並んで腰掛けた。名前はにこにこと笑いながら背負っていた風呂敷包みから飯行李を取り出した。

「おにぎりを作ってきたんです。冨岡さんの分もありますから、よかったらどうぞ」

“冨岡さん”というひどく他人行儀な呼び方に、義勇は一瞬躊躇った。だがここで手を止めてしまえば先達ての二の舞だと思い直し、義勇は飯行李の中へと手を伸ばした。

「ありがとう」

義勇が一つ手に取ったのを見て、名前も嬉しそうな顔をしておにぎりを一つ取り出した。

それにしても、こんなにも屈託なく笑う名前の顔を見るのはいつ以来だろうか。いや、もしかしたら初めて見る表情なのかもしれない。特にここ最近は何か思い詰めた顔を見せることが多かったように思う。悪い夢も見ていたようだ。

義勇が名前の横顔を見つめながらそんなことを考えていると、視線に気づいた名前と目が合った。赤くなった頬はすぐに照れたように目を逸らしてしまったが、そんな反応を目の当たりするのもやけに新鮮で、義勇は僅かばかりに口元を緩めた。



二人が名前の故郷に到着したのは、それから数時間経ってのことだった。名前の生家は誰も住むものがなく、数年前にすでに取り壊されてしまっていた。そのことに少なからず動揺はしたものの、記憶にある懐かしい風景に名前は安堵もした。自分にもまだ覚えている景色があるのだと。

村の外れにある寺の墓地に赴き手を合わせた頃には、日はすっかり西の空へと沈み始めていた。

「夜は近くの藤の家に厄介になろう」
「藤の家?」

名前の問いかけに答える間もなく義勇が歩き始めたので、名前も慌ててその背中を追った。


(210714)