しのぶさんは少しだけ驚いた顔をし、でもすぐにいつもの笑顔に戻って予想外の言葉を言った。
「どうしてそんなに恋の呼吸に拘るのでしょう?」
「え…」
「適性がないのでは?恋の呼吸でなくとも、他の呼吸を試したり、新しい呼吸を派生させたり…方法はいくらでもあると思うのですが」
そう言われると言葉に詰まってしまう。しのぶさんの言葉はいつも鋭く、そして正しい。手土産に持ってきた小さな蝶の形をした落雁を、しのぶさんは一つ口に運んだ。
「とっても美味しいですね。名前ちゃんもお一つ」
「恋の呼吸でないと駄目なんです…」
「どうしてです?」
私には両親がいない。兄弟がいたのかもわからない。育ててくれたじーちゃんだけが家族だった。悲鳴嶼さんに継子になることを断られた私に、あの日優しく笑いかけてくれた蜜璃ちゃんのあの笑顔の眩しさを、私は今も忘れられない。
「私には家族がいませんから、兄弟や姉妹がどういうものがわかりません。でももし姉がいるとしたら…」
初めてじーちゃん以外の人に優しくされた。あの太陽のような笑顔に、私は誓ったのだ。必ず強くなって、尊敬する恋柱の名に恥じぬ剣士になると。
そこまで言ってしのぶさんを見ると、先程までのニコニコとした表情ではなく、少し寂しそうに笑っていた。そういえば、しのぶさんのお姉さんは…。あまり聞きたくない話題だっただろうか。私があたふたしていると、
「名前ちゃんの気持ちはよくわかりました」
そう言ってもらえて私は安心した。
「ですが、」
「すまない、胡蝶はいるか」
しのぶさんの言葉を遮って部屋の扉を開けたのは、いつもの無表情の冨岡さん。…と。
「足を怪我している。診てやってくれ」
冨岡さんにおぶされたその女の子は、私と同じ隊服を着ていた。可愛らしい潤んだ二つの瞳は、冨岡さんにベッドに降ろされたあともずっと冨岡さんを見つめている。…なんだろう、胸の辺りがもやもやする。しのぶさんがその子の隊服の裾を捲り上げながら冨岡さんに話しかけた。
「冨岡さんがおぶってきたんですか?」
「ああ」
「隠を待てばよかったのに」
「怪我人は一人だ。隠を呼ぶまでもない」
胸の辺りがもやもやする。そしてそれ以上に、冨岡さんにイライラする。私さっきからずっとここにいるんですけど!何でちっともこっちを見ないし話しかけてもくれないのよ。その子の足の怪我がそんなに心配なのかしら。
「あっ!冨岡さーん!」
一瞥もくれない冨岡さんにイライラしていると、またも部屋の扉が開き、今度は赤毛の男の子が部屋に入ってきた。耳には花札のような耳飾りをつけている。なんだか今日は騒がしい。
「窓の向こうから見えたんです!冨岡さん!俺今機能回復訓練やってて…」
赤毛の男の子は冨岡さんの反応を少しも気にせず早口で捲し立てるように話しかけている。冨岡さんは相変わらずの無表情だ。この男の子のお喋りは全然気にならないけれど、あの女の子の未だ冨岡さんを追いかける視線は気になる。どうしてだろう。
「そうだ、名前ちゃん、さっきのお話ですけどね」
診察をしていたしのぶさんが思い出したように私を見る。その時この部屋で初めて冨岡さんと目があったけど、冨岡さんにイライラしている私は酷い顔をしていたと思う。
「炭治郎くんにも聞いてみてください。二人は歳も近いですし、何が参考になるかもしれませんよ?」
「はぁ…」
「炭治郎くん、そういうわけで名前ちゃんと少しお話ししてあげてください」
「はい!」
「ここは怪我人もいますので、稽古場でお願いしますね」
「わかりました!」
炭治郎と呼ばれたその男の子は、行きましょう!と元気よく私の手を取った。思った以上にごつごつとしたその手に驚いて、引きずられるまま部屋を出てしまった。
(201208)