チョコレイト・ディスコ

真夜中のキッチンで始まった3時間にも及ぶ長い格闘も、間もなく集大成を迎えようとしている。

「できた…!」

あとは丁寧にラッピングすれば完成だ。この時期特有の可愛いハート柄のワックスペーパーでブラウニーを包み、端を捻ってキャンディの形になるように整える。果たしてこれでいいのだろうか。まだ少し迷う心も一緒に閉じ込めるように、小さな箱にブラウニー達を詰めて蓋をした。12時はとっくに過ぎている。対決の日はもう始まっているのだ。

***

錆兎とは幼稚園の頃からの、幼馴染といえば聞こえはいいけれど、腐れ縁のようなものだ。正義感が強くてお節介な錆兎にとって、毎日をのんびりぼんやり生きている私みたいな人間は、どうにも世話を焼いてやらないとという謎の使命感を駆り立てて仕方がないらしい。おかげで18年間ぼんやり生きてこられた、とも言うべきだけど。でもそれももうお終い。ずっと同じ学校で仲良くやってきたけれど、春から私たちは別々の大学へ通うことが決まったのだ。

「すごい量。どうするの?」
「参ったよなぁ」

錆兎が両手に抱えた袋からチョコレートが落っこちないか心配だ。バレンタインデーの今日、毎年たくさんのチョコレートを錆兎がもらってくるのは知っていたけれど、今年は高校最後の年ということもあってか特にすごい量だ。同級生や部活の後輩なんかはもちろん、OBの先輩や他の高校の生徒からのものもちらほら混じっている。

「今年もうちに寄ってくだろ?」
「あ、うん、そうだね、寄ってく」

バレンタインデーの日は毎年錆兎の家に寄るのが恒例だ。たくさんのチョコレートは錆兎の家族だけじゃ食べきれなくて、いつもお裾分けしてもらっている。うちの家族もそれを毎年楽しみにしているのだ。錆兎が食べてくれると思って本命チョコを渡したつもりの子には、本当に申し訳ないのだけれど。

錆兎の言葉にいつものように頷いたつもりだけど、ちゃんとできていただろうか。カバンの隅っこに眠るブラウニーが気がかりでなんだか落ち着かない。

「お前さ、」
「え、何?」
「今日はいつも以上にぼーっとしてんのな」

そうかな?なんて適当に相槌を打っておいたけれど、内心ひやひやして仕方がない。もう自分が何にドキドキしているのかさえわからなくなってきた。

錆兎の家に着くと、錆兎以外の家族は誰もいないようだった。いつものようにリビングに入ると、ダイニングテーブルの上に大きな袋を二つ、錆兎がドンと乗せてため息をついた。

「お疲れ様」
「ほんと、どうしたもんかな」

錆兎は戸棚から袋を取り出して私に手渡してくれた。好きなものを見繕って中に入れて持って帰れってことらしい。椅子に腰掛け、とりあえず、チョコの山の中から義理っぽいものをいくつか選んでテーブルの上に並べていく。

「わっ、デルレイのチョコがある…!」
「有名なのか?」
「お高いやつだよ」

錆兎が興味なさげに私の手元を覗く。甘いものが苦手な錆兎にデルレイのチョコなんてもったいないなぁと思ったけれど、さすがに高級チョコを家に持って帰るのは忍びない。名残惜しげに袋に戻すと、向かいの椅子に座った錆兎が頬杖つきながらもう一つの袋の中を物色し始めた。

「チョコ、食べるの?」
「んー、甘くなさそうなやつがあればな」
「め、めずらしいね」
「まあ、高校最後だしな」

そう言った錆兎の手が、どれか一つのチョコレートを選んでしまうことがたまらなく嫌だった。美味しそうで、甘くなさそうで、綺麗にラッピングされている、そんなチョコレートなら、錆兎はなんだっていいんだろうか。高校最後っていうただそれだけの理由で錆兎が何かを選んでしまう前に、咄嗟に私は手を伸ばした。

「ま、待って!」

気づけば、向かいに座る錆兎の左の制服の裾を両手で思いっきり引っ張っていた。形のいい切長の瞳が、これでもかというくらいにまんまるく見開かれていた。

自分勝手なことは重々承知だ。私はカバンの底から小さな箱を取り出し錆兎の目の前に置いた。美味しくて、甘くなくて、綺麗にラッピングしたそれを。

「食べるんなら、これにして…」

もしも錆兎がどれか一つを選ばなければならないとしたら、それは絶対に私じゃなくちゃ嫌なんだ。18年経って今更そんなことに気がつくなんて、お前は本当にぼーっとしてんなって錆兎に笑われるかもしれないけれど、それでも、いつだって錆兎の隣に立つ女の子は私だけにして欲しい。

「高校最後って思ってるのは、私も同じなの」

少しだけ残っていたはずの小さな迷いは、いつの間にかチョコと一緒に溶けて消えてしまっていた。ただ祈るように錆兎のことを見つめると、錆兎の頬がほんの少しだけ赤く染まっていた。今はその色だけが、私に残された僅かな希望だ。


(210214)