優しい嘘

私の刀身は彼と同じ澄んだ青い色をしていたけれど、やっぱりどこか違って見えたのは、男女の差なのか、歳の差なのか、はたまた生まれ持った才能の差なのか。どれが正解かはわからないけれど、いつだって私のものよりもうんとよく見えた。


師範である水柱様の葬儀は、そのご意向もあって密やかに、そしてしめやかに執り行われた。継子は私と冨岡くんの二人だけ。私は葬儀が始まる前からずっと泣いていて、泣いている間はずっと冨岡くんが隣にいてくれた。

誰でも突然にいなくなることが当たり前の世界だ。一般隊士であろうが柱であろうが、そこに一切の例外はない。それでもほんの少し前まで一緒に笑い合っていた人と変わり果てた姿で再会する衝撃は、いつだって私の未熟な心をいとも簡単に貫く。

部屋の隅で一人、何も考えられずにぼんやりとしていると、冷やした手ぬぐいを持ってきた冨岡くんがそれを差し出してくれた。自分が思う以上に、相当にひどい顔をしているのだろうなと思った。

「もう遅いから、奥で休むといい」
「ありがとう。冨岡くんは?」
「俺はまだ平気だ」

冨岡くんが瞬きをしながらそう言った。彼は、自分では気づいていないだろうけど、嘘をつく時数度瞬きをする癖がある。その癖が好きだ。冨岡くんは保身のための嘘はつかない。冨岡くんの嘘はいつも優しい。表情の乏しい彼の本音が垣間見える、数少ない瞬間。その言葉に甘えて、別れの時を惜しむ人たちの間を縫うようにして部屋を後にした。

冨岡くんとは歳は変わらないけれど、鬼殺隊入隊は彼の方が二年早い。所謂兄弟子に当たる人だけれど、序列を気にすることを彼はひどく嫌った。二言目には俺はそんな出来た人間じゃないと言うけれど、冨岡くんと手合わせをして私が勝てたことはただの一度もない。

葬儀から数日も経たないうちに、冨岡くんがお館様から次期水柱を拝命した。至極当然の流れだったと思う。泣いてたって鬼は待ってくれないし、冨岡くんもその話を断らなかった。私は冨岡くんの継子になることとなり、それで全ての話が丸く収まる格好となった。

だけど私は、刀を握ることが怖くなってしまった。あんなに強かった師範でさえ、上弦の鬼には敵わない。柱になった冨岡くんには、これからもっと危険な任務が増えていくだろう。非力な私にはいったい何ができるというのだろうか。何もかもが怖くなって逃げ出したのは、冨岡くんが柱になって最初の任務に赴いた夜のことだった。


「こんなところにいたのね」

ガス灯の明かりが夜の川面に反射する様を眺めていた。この街は夜が来てもこのガス灯のおかげでいつまでも明るく、日が暮れても人の往来が絶えない。そんな夜の街で私に声をかけてきたのは、花柱のカナエさんだった。

「冨岡くん、あなたのこと探してるわよ」
「…そうですか」
「あんな冨岡くん初めて見たわ」

カナエさんのその言葉に、夜の闇を駆ける冨岡くんの背中が浮かんだ。なるべく人の多いところを点々としながら、藤の家を頼りに、きちんと任務だけはこなしていた。隊律を犯すようなことはしていない。良心の呵責に耐えながら、ギリギリの線で踏みとどまっていた。

「嫌になっちゃった?」

カナエさんが優しい笑みのままそう言った。私は自分の小さな掌を見つめていた。

「もう、失うことには耐えられません」

心に空いた穴は、塞がることはなかった。何を詰め込んだって、満たされることはなかった。次にまたその穴が空くとき、私の心はどうなってしまうんだろう。考えただけで恐ろしくなって、もう冨岡くんのところには戻れないと思った。

その時、道いっぱいに広がって歩く一行の一人がとんと私の背にぶつかった。酔っているのかこちらを振り返ることもしないまま彼らは行ってしまった。ぶつかった拍子に髪に挿していた簪が音を立てて地面に落ちて、慌ててそれを拾い上げた。

「それ、冨岡くんからもらったものでしょう」

あれはいつだったか、まだ継子になったばかりのころ、単独任務で気に入っていた簪を壊してしまった。小さな桜の飾りがついていたそれは、真ん中から綺麗に半分に折れてしまっていた。しばらく気落ちしていた私に、どこで見つけたのか、冨岡くんが同じような簪を差し出してくれた。小さな花の飾りがついた可愛い簪を、申し訳なさそうな顔をして、同じものじゃないけれどと呟きながら。

「とっても似合ってるわよ」

ずっとずっと我慢していた涙が一つ溢れてしまった。カナエさんの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。

本当はわかってる。どんなに離れていたって忘れられるわけがない。黒い髪の奥にある青く澄んだ二つの瞳の優しさに触れたら、もう二度と忘れることなんて。だけど、だからこそ冨岡くんを失うことが同じくらい怖い。そしてきっと、私のこの掌では冨岡くんを守ることはできない。

下を向いているせいで、ぽたぽたとこぼれ落ちる涙が足元にいくつもの染みを作っていく。早くここを去らなければ。きっとカナエさんはすぐに冨岡くんに知らせてしまうだろう。そんなことはわかっているのに、足に根が生えてしまったかのように一歩も動けないまま、静かにこぼれ落ちる涙を眺めていた。

「名前…」

顔を上げると、そこには息を切らした冨岡くんが立っていた。涙でぼやける視界の真ん中で、冨岡くんは私に後ずさる間も与えずに二歩三歩と近づいて、両手で私の肩を掴んだ。思わず痛いと口に出してしまいそうな程に、冨岡くんの手は私を逃さまいとしていた。

「どうして、」
「ごめんなさい…」

ほとんど同時に発せられた言葉に、冨岡くんの瞳は歪み、私はきゅっと目を瞑った。瞑った拍子にまた涙がぽろぽろとこぼれ落ちていった。

「鬼を斬るのが嫌になったのか」
「違う…」
「俺のことが嫌になったのか」
「違う…!」

目を開けるとすぐ目の前に冨岡くんの顔があった。思わず息を止める。長いまつ毛が揺れ、瞳は戸惑いの色に染まっているのがわかった。

「冨岡くんを失うのが怖いの」

伝えてはいけない感情だと思っていた。鬼を斬るのに必要のない感情だからだ。必要ないどころか、きっと足枷になってしまう。私は弱い。冨岡くんみたいに強くはなれない。花の簪は私たちが同じ気持ちでいることを教えてくれたのに、私はずっと気がつかないフリをしていた。

胸の前で握りしめていたその簪に冨岡くんが気づいた。掴んでいた手の力が少し緩み、代わりに青い瞳が真っ直ぐにこちらを見据えた。

「俺は絶対に死なない。約束する」

抱き寄せられる前のほんの一瞬、視界の隅で冨岡くんの瞼が数度瞬いた。温かい腕の中は頑なだった私の心をいとも簡単に優しく解いていって、今はそれでもいいとさえ思えてしまうほどだった。


結局私はそのまま冨岡くんに手を引かれ、冨岡くんの元に戻ることとなった。それはまるで小さな子どもの小さな家出話のようになって、私と冨岡くんは用意されていた元の生活に静かに溶け込んだ。

私はやっぱり怖い。刀を握ることも、冨岡くんを失ってしまうのも、何もかもが怖い。それでも私は夜の闇を駆け回る。絶対に死なないと約束してくれた彼の瞳の中に、これからも変わらずに居続けたいから。今はそれしかできない。できないから、絶対に刀は離さない。

任務を終え、刀から滴る血の海をぼんやりと見ていた。風が強く吹き付けて、その血の海に舞い散った桜の花びらが一つ二つ漂った。顔を上げると目の前には大きな桜の木。気が付かなかった。木があることは分かっていたけれど、桜の木だったなんて。

「名前」

振り返ると担当地区の警護を終えた冨岡くんがそこに立っていた。桜吹雪の中に立つ冨岡くんがなんだか儚く映って、私は思わず冨岡くんに手を伸ばした。

少しずつ少しずつ、私たちを取り巻く何かが変わっていったとしても、変わらないものだってきっとあるはず。冨岡くんの青い瞳。私の髪に挿した簪。

伸ばした手を冨岡くんが優しく捉えた。もしも願いが一つ叶うのならば、もう一度だけ教えてほしい。あの日簪が教えてくれた私たちの気持ちを、今、もう一度だけ。


(210325)