水色

女の鬼だった。頸を落としたのになかなか体が風化しなくて、その長い髪が気に食わないと、下ろしていた髪を肩のあたりからぶちりと引き千切られてしまった。鬼はそれを握りしめたまま満足そうな顔をして消えていった。日に焼けて少し茶色くなっていた私の髪が乾いた地面に残された。

「苗字、怪我人は全員蝶屋敷でいいか…ってどうしたその髪?!」

今回の任務は規模が大きく、柱の冨岡さんから一般隊士に隠までかなりの人数が駆り出された。慌ただしい夜明けの空気の中、自分の散らばる髪をぼんやり見つめていたら、隠の後藤さんに後ろから声をかけられた。

「切られました」
「そうか…怪我は?大丈夫か?」
「怪我はしていません」

怪我人の人数と程度の把握のために、少し開けた場所に待機する隊士や隠の元へ向かおうと一歩を踏み出した瞬間、今度は足元でぶちっと何かが千切れる音がした。視線を落とすと草鞋の藁緒が千切れてしまっていた。

「…そりゃもう駄目だな。どうする?代わりになるようなもん探してくるか?」
「いえ、任務は終わったのでこのまま帰ります」

でもよ、と続けた後藤さんの視線が突然後ろにふっと逸れる。

「やべ、水さんだ。じゃあな、あんま落ち込むなよ」

後藤さんはそう言って足早に去っていった。そして後方からやってきた冨岡さんが短くなった私の髪を見て、さっきの後藤さんと同じように目を見開いた。冨岡さんでもそんなふうに驚くことがあるんだなと思った。

「髪はどうした」
「鬼に切られました」
「そうか…怪我は?」
「していません」

先刻後藤さんと交わした会話と同じ台詞を繰り返し、この分だとしばらく色々な人とこの会話の応酬が続くのだろうと考えると、ため息の一つでもついてしまいたい気分だった。

歩くのには不要どころか邪魔になってしまった草鞋を脱ぎ、冨岡さんに頭を下げてその場を去ろうとする。けれど冨岡さんは私の腕を掴んで、行手を阻むように目の前に立ちはだかった。

「この間の話の続きだが」
「話?」
「俺がお前を好いているという話だ」
「ああ、それ…そうでしたね…」

前の任務で一緒になったとき、何の前触れもなく冨岡さんに好きだと言われた。たぶんひと月ほど前のことだったと思う。考えさせてほしいとその場を切り抜け、その後冨岡さんから音沙汰もなかったので、悪い夢でも見たのかと思っていたのだけれど。どうやらそうではなかったらしい。

「あの、一つ聞いてもいいですか」
「何だ」
「どうして私なんでしょう」

こうして見ると、私と冨岡さんは何もかもがちぐはぐのようだと思う。冨岡さんの刀は綺麗な青い色で、私は白だ。柱の冨岡さんと、うだつの上がらない一般隊士の私。それから髪も。冨岡さんの黒くて長い髪を見て、風通しのよくなった自分の首の後ろをそっと撫でる。それに、冨岡さんは私を好きだと言ってくれるけれど、私は私のことがあまり好きではない。

うちは代々鬼殺の家系だ。両親は私たち兄妹に鬼を滅すること、柱になることだけが是だと叩き込んだ。けれど優れた兄たちとは違い、女の私が刀を振るったところでどうしたって限界というものがあった。胡蝶さんのように学に秀でているわけでもないし、甘露寺さんのような特異体質でもない。階級もまだ甲までは届かないし、たぶん鬼を五十体倒すより先に私の方が死んでしまうだろう。前夜下弦の鬼を斬ったのはもちろん冨岡さんで、私はたいして強くもない鬼に髪を切られる始末だ。冨岡さんに思ってもらえるほど、私は大層な人間ではない。

「放っておけないからだ」

冨岡さんはそう言うと、壊れた草鞋を私の手から取って隊士や隠が待機している場所へと向かった。捕まえられた隠は後藤さんか、何やら指示を受けたようで、私の草鞋を受け取った後藤さんは弾かれるようにしてその場を後にした。なんだか酷く居た堪れない気持ちになった。

優しくされるとどうしても突っぱねてしまいたくなる。優しさは真綿のように私の首を締め付けてくるのでとても怖い。目の前に戻ってきた冨岡さんは、鬼を斬った後だというのに隊服に僅かな乱れもなく、やっぱり私とはちぐはぐだと思った。

「髪はどうしてやることもできない。すまないな」
「いえ、冨岡さんが謝ることでは…」
「返事は急がない。また会ったときに聞かせてくれ」

そう言って冨岡さんは踵を返して歩き始めた。その背中に何か言ってしまいたい気がしたけれど、何の言葉も浮かんではこなかった。胸の奥が苦しくて耐えきれず見上げた朝の空はどこまでもどこまでも澄んでいて、私はどうしてか、生まれて初めて生きたいと強く願っていた。


(210421)