プロポーズされたとき、実弥さんは仕事を辞めて家庭に入ってほしいと言った。絶対に不自由な思いはさせない、必ず幸せにするから、と。それで私ははれて専業主婦となった。友達には今どき古風な旦那さんだね、とか、専業主婦なんてうらやましいとかいろいろ言われたけれど、今の私はとても幸せだ。実弥さんは言葉のとおり、いつも私のことを一番に考えてくれて大事にしてくれている。私も毎日のお仕事で疲れている実弥さんのために、家のことを頑張っている。
そんな毎日は、今小さな岐路に立っている。
「はぁ…」
番号札を受け取って、待合室のソファに腰掛ける。私以外はみんな幸せそうに見えてしまうのは何故だろう。私はどうして不安に思ってしまうんだろう。実弥さんだってきっと喜んでくれるはず。頭ではわかっているんだけど、実弥さんを前にするとどうしても言い出せなかった。
「23番の方、中へどうぞ」
私の番号が呼ばれて慌てて立ち上がる。不安と緊張が入り混じる中、静かに部屋の中に入った。
***
予感は的中し、なんだかふわふわとする足取りで辿る帰り道。さすがに直接顔も見ずに伝えるのは…なしだよな。スマホを取り出し実弥さんにメッセージを送る。
今日は遅くなりますか?
話したいことがあります
そうメッセージを送信すると、スマホをカバンにしまうより先に実弥さんから返事が来た。
なるべく早く帰る
ということは、夕ご飯は一緒に食べられるのかな。今日は肌寒いし、お鍋にしよう。今度こそスマホをカバンにしまって、近所のスーパーへ足を運んだ。
***
「おかえりなさい」
「おー、ただいまァ」
「今日は寒いからお鍋にしました」
「おー、いいじゃねェか」
心なしか実弥さんのセリフが全て棒読みに聞こえる。上着を脱ぎ、ネクタイを緩めながら隣の部屋へ着替えに行ってしまった。お鍋だからビールにするかな?冷蔵庫の缶ビールを一本取り出すと、部屋着に着替えた実弥さんに今日は飲まねェと後ろから声をかけられた。
カセットコンロにお鍋をセットし火をつける。しんと静まり返った部屋に、コンロの火が燃える音だけが響く。実弥さんは私が話し出すのを待っている。言わなきゃ、言わないと、言わなくちゃ。
「さ、実弥さん!」
「…おう」
「今日、病院に行ってきたんです…」
「病院?」
大丈夫、家に帰ってきてからたくさんシミュレーションしたんだから。頭の中の実弥さんはちゃんと喜んでくれた。だからきっと大丈夫…なはず!私は意を決して、ポケットに入れておいた大事な写真を実弥さんの前に置いた。
「あ、赤ちゃんが…できたみたい、なんです…」
エコー写真に映る小さな小さな命。まだ私も半信半疑だけど、確かに私の中にいるのだ。恐る恐る実弥さんの顔を見ると、キョトンとしたままじっとエコー写真を見つめていた。あ、あれ?固まってる?!しまった、このリアクションは想定外だ。
「…んだよ、焦っちまったじゃねェか!」
「えっ?!」
「俺ァてっきりなんか悪い報告かと…」
そう言って実弥さんは立ち上がり、私の隣のダイニングチェアに腰掛け、私をそっとぎゅっと抱きしめてくれた。
「ありがとな」
「実弥さん…」
「名前のことも子供のことも俺が世界一幸せにするから」
ほらね、やっぱり最後はシミュレーション通りだ。ううん、これは想像以上だ。実弥さんがこんなに喜んでくれるなんて、嬉しくてつい泣きそうになってしまう。
私たちはどちらからともなく笑い合って小さくキスをした。実弥さんと家族になれて本当によかった。今日は二人並んで、お鍋を食べましょうね。
(201215)