間違えた素振りで、君を手折ってしまおうか

心あてに 折らばや折らむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花




継子など取る気はさらさらなかった実弥たが、お館様より直々に後進の育成に尽力することもまた柱の勤めであると諭されれば、その要求を反故にすることなどは到底出来ることではなかった。

どうせ継子にするなら同じ風の呼吸の使い手がいい。実弥がつけた条件はそれだけだったが、さて改めて周囲を見回してみると。

「どいつもこいつも腑抜けたツラしやがって」

今まで一般の隊士になど微塵も興味がなかった実弥であるが、任務の折に繁々とそれら隊士を観察してみると、どうにもこれは継子以前の問題のようである。確かに以前より隊士の質の著しい低下が叫ばれていたが、まさかこれ程とは。実弥は頭を抱え、同時にお館様が何故あのような要求を自身に突きつけたのかようやく理解した。

せめて次の柱合会議までには継子の一人でも抱えていたいものである。が、まず実弥のお眼鏡に敵う隊士などそうそういない。稀に見込みのありそうな者を見つけ声をかけるも、驚いた隊士は一目散に逃げていく。仕方のないことである。風柱は一等怖い。それは隊士達の間ではある種の合言葉のようなものなのだ。

数ヶ月経ってもめぼしい人材が現れないので、いよいよ実弥は焦り始めた。

ある時実弥の担当地区の山で隊士が数名失踪したとの連絡があった。下弦に相当する鬼かもしれないとのお館様からの命により、実弥は夜もすがら爽籟を従え件の山へと向かった。

結論から言えば鬼は下弦の陸であった。実弥が入山した時点で任務に当たっていたほとんどの隊士が絶命していたが、数名のものがまだ刀を手に応戦していた。そのうちの一人が実弥の目に止まる。下弦の鬼に防戦ではあるものの太刀筋は悪くない。胆力もありそうだ。刀の色も同じ緑。実弥はふぅんと一つ頷いて、背後からまさしく風のような速さで忍び寄り一太刀でその頸を斬り落とした。

「おい、名前は何だ」

唖然とする他の隊士達を余所に、実弥は今しがた目星をつけた隊士の前にずいっと歩み寄る。

「あっ、えっ、私?ですか?」
「他に誰がいんだよ」
「し、失礼いたしました!」

声をかけられた隊士は腰を直角に折り慌てて自身の無礼を詫びた。そして直ぐ様背筋をピンと伸ばす。

「階級・戊、苗字名前と申します!」

実弥は思う。声をかけて逃げもせず、きちんと名乗った隊士はこいつが初めてである、と。というかもう何だっていい。見込みがありそうなら継子にしてしまうまでだ。

「いいか、テメェを継子にする。明朝屋敷に来い」

そう言い残し実弥は文字通り風の如く去っていった。実弥の言葉を何一つ理解できないまま唖然とし立ち尽くす名前。居合わせた数名の隊士が一際憐れんだ表情で名前の肩をポンと叩いた。


こうして実弥は継子を抱えることに成功した。が、実弥には一つ誤算があった。それは名前が女であるということ。

明朝約束通り屋敷を訪ねてきた名前に実弥は有り余る部屋の一つを与え、早速稽古をつけた。ひたすらに実弥に打ち込んでいくという、任務明けの名前には地獄のような稽古内容ではあったが、名前は文句の一つも言わず竹刀を振るった。どうやら根性もあるようだ。自分の目に狂いはなかったと実弥は一人心の内で満足していた。

そうして昼時まで稽古は続いた。最早名前の体力もほとんど底をつきかけている。そろそろ止めにするかと実弥が思案したその時、名前が最後の力を振り絞って一際大きく竹刀を振りかぶった。

「あっ」

竹刀と竹刀が激しくぶつかり合うが響いたかと思うと、一つにまとめていた名前の髪の元結がブチっと音を立てて千切れてしまった。ふわりと舞った名前の長い髪からはシャボンの香りが漂い、その奥の密やかな甘い香りまでもが実弥の鼻腔をくすぐったので、実弥は思わず大きく一歩後ろにのけぞった。

「…今日はこれで終いだァ」

実弥はこの時になってようやく名前が女であることを意識した。


風柱の屋敷には、主の身の回りの世話を焼くために幾人かの隠が出入りしているが、それも各柱の邸を順繰りに回っているようで基本的に彼らが泊まり込んでいくことはない。しかしこれが継子となると話は別で、任務があれば基本同行させるし、空いた時間は稽古をつけてやらねばならない。名前は家族を亡くしているため決まった家は持っておらず、そうすると自身の邸に身を寄せてもらうのが一番である。そう思って名前に部屋を与えたのだが、今更になってそれでよかったのだろうかと実弥は考えていた。ただの隊員同士とはいえうら若い男女が一つ屋根の下で暮らすのである。おまけに名前が一処に佇んでいた場所には必ずあの甘い香りが残っているので、それは常に実弥の心を大きく揺さぶった。身持ちの硬い実弥は今度は別の意味で頭を抱えることとなった。

一方の名前といえば、実弥の複雑な胸中など知る由もなく、日々の稽古や任務に勤しむ日々であった。密かに尊敬していた風柱に声をかけて貰えたこと、あまつさえ継子にしてもらえたことは名前にとっては単純に喜ばしい出来事であった。一日も早くその期待に応えるべく、雛鳥のように実弥の後を追いかけ回している。それが実弥の心を惑わすこととも露知らず。

実弥は迷っていた。今から別の隊士を見つけて継子にするべきか。しかし名前に才能があることは紛れもない事実だ。名前は実弥の継子となって以来とんとんと階級を二つばかり上げている。

「あのよォ」
「はい、何でしょうか!」

後進の育成は柱に課せられた勤めであるが、それはまた他の柱も同様である。柱は他に八人いるのだ。何も自分が名前を預かる義務はない。実弥はそう結論づけた。

「他の柱紹介してやってもいいんだぜ?胡蝶とか、甘露寺とかいるだろ…」

それは実弥にとってほんの親切心のつもりであった。自分の稽古がかなり厳しいものだとは重々承知の上であるし、同性同士の方が色々とやりやすいこともあるだろう。全ては名前を慮った故の発言であったが、名前は実弥の言葉が終わらないうちからみるみる眉尻を下げてしまった。

「わ、私では力不足ということでしょうか…」

普段どんなに辛い鍛練や任務においても泣き言一つ言わない名前が、拳を握りしめ奥歯を噛み涙がこぼれ落ちるのをぐっと堪えている。実弥はその様を見て慌てて言葉を取り繕った。

「いや、そうは言ってねェだろ…!」
「私、今以上に精進します!ですから、おそばに置いていただけませんか?」

何やらよからぬ勘違いが生まれそうな台詞を名前が実弥の羽織の裾を掴みながら言うので、実弥は自身の判断を違えてしまったことを認めざるを得なかった。


その日実弥が担当地区の警護を終え帰宅すると、既に隠が湯込みと朝餉の準備を終え帰宅した後であった。単独任務に赴いた名前はまだ戻っていないようである。伽藍とした屋敷で一人腹拵えを終え風呂に浸かると、壁の向こうからザッと雨の落ちる音が聞こえた。あまりゆっくり出来そうにはないと風呂から上がり再度隊服に身を包む。名前はまだ戻っていない。可哀想に思った実弥が玄関先に手ぬぐいを数枚置いたところで、玄関の戸がカラカラと引かれた。

「よォ、遅かったな」
「不死川さん!ただいま戻りました」

実弥の予想通り名前は頭のてっぺんから足の先まで見事にずぶ濡れであった。実弥は先程自分が置いた手ぬぐいを拾い、名前に向かって放り投げる。

「す、すみません…!」
「風呂も飯も準備出来てんぞ」

名前は再度実弥に頭を下げ、濡れた上着を脱ぎ、草鞋の紐を解いた。束になった前髪からは雨の雫が止めどなく滴り落ちている。実弥はその雫を何の気無しに眺めていた。

足袋を脱いだ名前が上り框に足を一歩踏み出した時だった。早朝に隠が磨き上げた廊下は艶々とした光を放っており、湿り気のある名前の足の裏はその艶やかな床を踏み損ねてしまった。まずいと思って咄嗟に名前が掴んだのは、あろうことか実弥の羽織の裾だった。

「きゃあ!」

年頃の娘のように名前は声をあげて仰向けに倒れた。思いがけず裾を引っ張られた実弥もまた大きく体勢を崩した。ゴンと鈍い音が響き強かに頭を床に打ちつけた名前は思わず目を瞑る。

「いたた…」

打ちつけた後頭部を両手で押さえながら、名前は体を起こすべくゆっくりと瞼を持ち上げた。が、視界いっぱいに広がる実弥の胸の傷跡に思わず息を止める。視線をやや上に傾ければすぐ目の前に実弥の顔を認めた名前は心底驚いて狼狽えた。

「ご、ごめんなさい!」

思いがけず名前を押し倒す格好になった実弥ではあるが、どこか俯瞰したように名前の顔を見下ろしていた。いつもほのかに香る名前の甘い匂いがぐるぐると実弥に強く絡みつくかのようで、離れたくない離したくないと、心の奥でふつふつと込み上げてくる感情をどうしたものかと持て余していた。

「し、不死川さん…?」

一向に動くことは疎か何の言葉も発しない実弥に名前はそれほどまでに実弥を怒らせてしまったのかと青くなっていたが、実弥の瞳を見て、違うかもしれない、とそう気づき始めた。自分が女であること、自分を組み敷くこの人は男であること、そして今ここにいるのは二人だけなのだと意識したころには、青ざめていた名前の顔はみるみるうちに赤らみ始めた。

自分は名前の師範である。だがその前に一人の男だ。そのどちらを選び取るべきなのか、実弥は名前の赤く染まる頬を見つめながらただただ考えていた。焦る必要はない。実弥は自分に強く言い聞かせた。なぜならば、今主導権という名の手綱を握りしめているのは間違いなくこの掌なのだ。

その微かに震える赤い唇をどうしてくれようかと、一つの答えを出した実弥はそうして強く手綱を引いたのだった。


(210519)