いつから彼に会っていないのだろう。最後に連絡が返ってきたのはいつだろう。もうそれすらも分からないのに、私は未だに彼に言いつけられたことをバカみたいに守っている。ほんとバカな女。彼とは学生時代からの付き合いで、成績優秀、容姿端麗な彼がまさか私の告白を受け入れてくれるとは思わなくて、当時は舞い上がっていた。付き合い始めは幸せだった。学生だったし、デートもして。好きと伝えれば言葉以上のものを私に返してくれた。この思いは一方通行じゃない、そう思っていた。だけど私たちは社会人になってから変わった。
@1日あったことを簡潔にまとめ連絡をしろ。
A21時までには家に帰り戸締りをしっかりしろ。
B変なやつに声を掛けられたら直ぐに警察に申し出ろ。
同棲を始めてから彼から言いつけられた決め事だった。そもそも3つ目の警察は貴方なのに、俺に言えと言わないのは直ぐにこちらに来れないからなのだろうか。まるで日記のように毎日返事も来ないアドレス宛てに今日あったことを記録し既に5年近く経っている。
友人たちには21時までに家に帰らなくてはならないと伝えると笑われるし、会社の歓迎会や新年会などそういったものにも何らかの言い訳をして参加したことはない。別にバレやしないのに。
「いつまで、続くのかな。」
私はいつまで、あなたを待っていられますか?
今日もあなたの帰らない家で私は布団を被り目を閉じた。
*
「え、合コン?」
「そ!」
「き、聞いてない!」
「だって言ったら来ないでしょ?」
「わ、わたし帰る!」
「私の顔潰す気?いいからいて。」
「…ひどい。」
「私はみのりを思って何だからね!」
「私は、彼が、」
「もう何年会ってないの?ねえ、言いたくないけどもうみのりは捨てられたんだよ。ね?だからいい加減次に進もう?私たち、来年三十路だよ?」
合コンや出会い系のコンパとかに誘われたのは今回だけじゃなかった。皆哀れな私を見てか気に掛けてくれていたのはわかっていた。それでもまだ彼を信じてしまう自分が悔しい。
「…20時半には、出るから。」
「…みのり、」
「ごめんねっ私…まだ、もう少しだけ、彼のこと待ちたい。」
「…ハー…。まあでも今日は息抜きだと思って楽しもうよ!」
「……うん。」
友達に連れられたのは、高そうなホテルのラウンジの個室。人数は2対2の4人らしい。合コン、というよりは友人からの紹介という形みたいで、友達の彼氏の友達が来ると言っていた。私は緊張した面持ちで席に座った。
「あ、こっち!」
「ごめん待たせて。辻川さんもすみません。」
「い、いえ。」
「こいつ俺の友人の、」
「神崎です。遅くなってすみません。」
神崎さんは落ち着いた大人の方だった。4人揃ったところでシャンパンを持ち乾杯をし、ゆっくりと会話が始まった。正直、人とこうやって楽しく会話をしながらご飯を食べることは久しぶりだ。
「辻川さん、沙耶と同い年なんだっけ?」
「あ、そうです。」
「同じ中学だったんだよって言わなかったっけ?」
「あーそうだそうだ。なんか沙耶より全然幼く見えるなあって思ったからさ。」
「え、何私が老けてるって言いたいの?」
「違う違う!ねえ、神崎?」
「あー…辻川さんは童顔、ってよく言われる?」
「…そう、ですね。結構。」
「やっぱり。いまだに年確とかされてそう。」
「そこまでは!」
「あはは、そうだった?でも女の子は童顔なの、可愛いよね。」
男の人に可愛いと言われたのは、いつ振りだろう。私は顔が赤くなるのを感じて俯いた。彼は、あまりそういうことは言ってくれなかった。完璧そうに見えて口下手で不器用なところも、結構好きだった。可笑しいな、次に進もうと沙耶は言ってくれたのに…彼のことばかり考えてる。
「ちょっと、お手洗いに失礼します。」
「はいはーい。」
私はバックを持ち、席を立つ。お手洗いに行き携帯を見ると既に時間は21時を回っていた。楽しい時間はあっという間というのは本当にそうかもしれない。私は戻ったらもう帰ると沙耶に言おうと思いお手洗いを出た。
「辻川さん。」
「…あ、神崎さんもお手洗いですか?」
「いや、君を待ってたところだよ。」
「…私?」
「沙耶ちゃんに聞いてる。彼氏、いるんだって?」
「…すみません。」
「謝ってほしいわけじゃないんだ。勘違いさせたらごめんね。ただ、本当にその彼は辻川さんを待たせてるのかな?」
「……。」
「もう見捨ててしまった可能性は考えたりしなかった?」
そんなの、考えないわけない。彼はモテるだろうし、女の子なんて選び放題だろう。でも私には彼しかいなくて、こうやってずっと待ってる。それが無駄だということは、もう何年も前から気が付いている。
「もう十分、君は待ったんじゃないかな?」
「…私は、それでも彼を待たないと。」
「それは何年前から言ってるの?」
「っ…。」
「…辻川さん、今度は僕が君の帰りを待ちたい。そういう関係になりたいんだ。」
神崎さんの真剣な告白は、私の心に大きく響いた。もう、潮時なのかもしれない。だって、こんなときに彼の声すら思い出せなくなってきてる。きっと彼だって、新しい人と幸せに過ごしているんだ。
だから、今この人の手を取った方がいいに決まってる。…もう、待つのは疲れた。
私はゆっくりと手を伸ばそうとしたその時。
「悪いけど、人の物に手を出すのはやめて頂けませんか?」
「っ…、」
懐かしい、声が聞こえた。懐かしい匂いが、体温が、直ぐ近くで感じた。振りかえらなくても分かる、私の会いたかった人。
ゆっくりと振り返ると、そこには彼がいた。
「もしかして辻川さんの彼?」
「っ…あ、えっと、」
「そうですが、貴方は?」
「はは、こりゃ参ったな。こんな男前だとは思わなかったよ。」
「……。」
「まあ男前くん、あまり彼女を待たせないように。いつだって狙ってる男は周りにいるものだよ。」
「貴方に言われなくても分かってますよ。…みのり、行くぞ。」
「っは、い。」
「辻川さん、またご飯、行きましょう!」
「…ありがとうございますっ。」
私は会釈をし、引っ張られるようにお店を出た。見ない間に、また逞しさを増した気がする。でもキラキラと透ける金髪やピンとして歩く姿は何も変わらない。本物の、降谷零だ。エレベーターに乗るも、二人の間に会話は無く、気まずい空気が流れる。だけど、どうして数年振りに会う彼がこんなところにいて、こんなにも怒っているのかが全然分からなかった。
「乗って。」
「え?」
「乗れ。」
「…はい。」
目の前にあるスポーツカー、これが彼の愛車なんだろうか。私は言われた通り乗ると車は静かに動き始めた。車内でも特に会話はない。そもそも何を話せばいいのかも、もはやよくわからなかった。
というかもしかしてさっきの、私が浮気してたってことになるのかな。これで、あっちからしたら別れられる理由ができたからもう、終わってしまうのかな。そう思うと涙が出そうになった。私はぎゅっと目を閉じ、拳を握った。
車は見たことのないマンションの駐車場に着き、車を降りる零の後を小走りで追いかけた。ここは、誰の家なんだろう。
「あ、あのっ!」
「…何だ?」
「…ここは?」
「…俺の家だ。」
胸がどくんと抉られる様な衝撃。できるならそうでなければいいと思っていたのに、まさか本当に零の家だったなんて。じゃあ、私が住んでるあそこは、何?零にとってなんだったの?
「みのり?」
「…私、帰ります。」
「は?」
「ごめんなさいっ」
「まて!」
「っ離して、」
「離したら行ってしまうだろ。」
これ以上、家の中に入りたくない。生活感のある部屋に入ったら私はまたあの家が嫌いになってしまう。零が帰ってこない、あの家が。
私が頑なに靴も脱がず、玄関から動かない様子を見て零は息を吐き、そのまま腕を引っ張ってきたかと思えばそのまま抱きかかえられてしまった。
「や、めて!」
「いつまでたっても入らないお前が悪い。」
「やだ、っやだ、」
「…中で話そうって言ってるんだ。」
「こんなところで、話したくないっ」
「……。」
「っ、〜ぅ、ひっく、」
「……。」
零の足が止まった。私は涙を止めることができなくて、子供のように泣いた。零は私の足から靴を取り置き、その場に降ろしてくれた。
「っぅ、」
「…泣くなよ。」
「っ…、ごめ、んなさい、」
「、謝るな。」
さっきからやることなすこと全部否定される。頭が回らない私は軽い過呼吸になり、その場に座り込んでしまった。それに気が付いたのか、零は直ぐに処置を行ってくれた。
「落ち着いて、ゆっくり息を吸うんだ。はい、吐いて。」
「、すー…はぁ、はぁっ、」
「大丈夫だ。ゆっくり。」
背中を擦ってくれる手が、温かくて。包み込んでくれる温もりが、懐かしくて。深呼吸をするも目から流れる涙が止まらなかった。
何分経っただろうか。数年ぶりの再会なのに、感動の再会とか何もなく、ただ彼の心音を聞きながら廊下で蹲っているこの状況が嫌ではない。
「落ち着いた?」
「…うん。」
「ん。…中、入ってくれないか?ここだとゆっくり話せないから。」
「…うん。」
私は零に手を引かれ、ゆっくりとリビングへと足を踏み入れた。
そこは、想像していたよりも殺風景で、生活感などほとんど感じない、シンと冷たい空間だった。家具も最低限の物しかなくて、何だか寂しささえ感じた。
「紅茶でいい?」
「…うん。」
「そこ、座ってて。」
指定されたソファに座っていると、冷たいアイスティーをくれた。紅茶が好きなことも、このシロップを2つ入れる甘めの味も全部覚えててくれたのだろうか。私は少し飲んで、ローテーブルにグラスを置いた。
「久しぶり、だな。」
「…元気だった?」
「ああ。見ての通りだよ。」
「そっか。」
「…連絡、返せなくて悪い。」
「…ううん。」
「返事はできなくても、毎日見てた。みのりからの連絡を楽しみに、しんどい仕事も熟せてたんだよ。」
「…え?」
そんなこと、想像もしていなかった。どうせ読まれてない、そう思っていたのに。
「数年、このルーティンが続いていたのに、今日同じ時間に連絡が来なかった。」
「……。」
「だから、悪いが携帯のGPS情報を調べさせてもらったよ。ただの居酒屋とかだったらスルーしてたかもしれない。でも最近そのホテル近辺で事件があってな。…いてもたっても居られず気が付いたら本庁を飛び出してた。」
「な、んで…。」
「何で?そんなのみのりが心配だからに決まってるだろ。」
私のことなんて、どうでもよかったんじゃないの?そう言えば零は顔を歪ませた。分からない。本当に心配してくれてるなら連絡だって忙しくてもたまには返してくれてもよかったのに。一言だけでも嬉しかった。きっとそれだけでよかったの。
「零の、お仕事が忙しいことは知ってるよ。だからずっと、我慢してきた。…零が帰ってこない家で、一人でずっと待って、約束も守ってきたよ。今日は友達に言われて、ああいうところでご飯して約束の時間を過ぎちゃったけど、今日まで男の人とご飯とかも、行ったことなんて無かった。…私には、零、だけだったから。」
「……。」
「…でも、ごめん。私、もう疲れちゃった。」
「え?」
「…別れてください。」
本当は別れたくない。だけど、これ以上自分にも、零にも無理させられない。きっとこうした方がいいに決まってる。約8年くらいの付き合いだった。だけど零を想っているときは、間違いなく幸せだったんだ。
涙を堪え、何も言わない零を見ると、酷く傷ついた顔をしていた。
「…零?」
「…何度も、家の前まで行った。」
「…え?」
「何度もドア越しで君を思って、我慢できず二回ほど家にも戻った。」
「え!?い、いつ、」
「…君が寝ている時間にな。律儀に半分寝床を空けて寝ている君を見て胸が苦しんだよ。」
「っ……。」
「連絡も、下書きがついにこの間上限を超えた。」
「…そ、んな、」
「君に会いたくて、触れたくて、抱き締めたくて、その一心だった。これは嘘じゃない。」
見たことがない顔をしていた。何だかとても、必死に見えた。その姿がやっぱり好きで、愛おしくて。別れを注げたのに縋りたくなった。
「でも、俺はこれ以上みのりに待ってくれなんて言えない。…君が別れたいと言うなら、そうするしかないと思っている。」
「っ……。」
「…ただ、俺はこれからもずっと、君を好きでいるよ。」
「れ、いの、バカァ!」
私は零の胸に飛び込んだ。
自分勝手な人。でも、それが私の好きな人なんだと分かってしまった。
「みのり?」
「わたしだってすき、に決まってるでしょ!すきじゃなかったら、とっくに別れてるし、言いつけなんか守らないし、もうっ…零は、わたしのことなんて、好きじゃないって思ってたから、」
「…好きだよ。この世界で唯一、特別視してるのはみのりだけだ。」
「ぅ〜っ、何年、待ったと、」
「ああ。」
「っ、零、」
「ん?」
「すきぃ。」
「…俺は愛してるよ。」
空白の数年を埋めるには十分すぎる言葉だった。