4


「この後、抜けません?」

そうトイレ前で佐々木くんに言われた。正直一刻も早く帰りたかったからその言葉はこちらにとって好条件だった。でもあの安室透と名乗った、元彼にそっくりな男が脳裏から離れない。あれは降谷零じゃないというの…?

確か兄妹はいないって言ってたし、他人のそら似にしては似すぎている。もう訳がわからない私はあの場に戻る気力が無かった。このままこの若い男の子に持ち帰られて、頭が可笑しくなるくらいに抱かれて今日あったことを忘れさせてほしい、そんなバカなことを考えてしまうくらいには参っていた。

「バック、あっち。」
「取りに行ってくるよ。ちょっと待ってて。」
「…うん。」

佐々木くんが離れ、私は息を吐き目を閉じる。頭を過ぎるのは安室透のことばかり。未練はない、降谷零とは綺麗さっぱり別れた。でも会ってみたい、そんな甘いことを考えていた自分を殴りたい。

ただ似ている人を目の前にしただけでこんなにも動揺している。情けないなあ、本当。



でも、生きているのか死んでいるのかも分からない彼に似た人を見れただけでも今の私には十分だった。

目に涙が溜まるのを感じる。お酒のせいか涙腺もバカになってしまったみたいだ。私は目を開けようとした瞬間、グイッと右側に体を引っ張られた。びっくりして顔を向けると、そこにいたのは安室透だった。

「え?」
「……。」
「あ、えっと、」
「帰るんですか?」
「…あの、安室さん?」

見れば見るほど似ている。褐色の肌も、金髪も目の色も体つきも、何なら声だってその記憶のまま。掴まれた腕が痛い。

「一目惚れ、」
「…はい?」
「って信じますか?」
「……。」

やっぱり似ているだけの人だ。だって降谷零はこんなこと絶対に言わない。もっと誠実で、あの顔でいて実は女性に対してデレカシーもなければ不器用な人だ。安室さんはこんなセリフを吐いた後、ニコッと笑って私の手を取っている。こんな王子様の様な事、降谷零にはできない。

「私は信じないです。」
「ほう、その理由は?」
「一時の感情って直ぐに消えてしまうんですよ。もう若くないし、そんな一時の感情で動かないです。」
「では今から男と帰ろうとしてる貴方はその一時の感情に身を任せようとしているのではないですか?」
「……。」

痛いところを付かれた。こういう洞察力が無駄に高かったり、理屈的なところはあの人にそっくり過ぎて嫌になる。

「でもそれはあなたには関係ないですよね。」
「一目惚れした相手が他の男に取られそうになってるんです。関係ないことにしないでください。」
「…案外面倒なところあるんですね、安室さんって。」
「案外って言われるほど僕たち知り合いだったんでしょうか?」
「ああ、すみません。少し安室さんに似た知り合いを知っていたもので、その方と重ねてしまいました。気を悪くしたのなら謝ります。」

ごめんなさい、そう伝えると安室さんは少し困ったように笑った。もう彼を見ていると頭が可笑しくなりそうだ。私は立ち上がってエレベーターのボタンを押す。

「辻川さん、」
「すみません。もし彼が来たら下で待ってると伝えてもらってもいいですか?」
「……。」
「では失礼します。」

安室さんは何も言わない。しかしエレベーターが来たため、私はそれに乗り込み一礼をして扉を閉めようとした瞬間安室さんがギリギリのところで乗り込んできた。

「ハア!?」
「…誰でもいいなら、俺でもいいですよね。」

あれ、さっきまでこの人自分のこと僕って言ってなかった?何だか一気に雰囲気の変わった安室さんに少し吃驚した。

というかこの人なんて言った?俺でもいい?何であなたを忘れたいと思ったから他の男に抱かれようと思ったのに忘れたい人に抱かれないといけないんだ。そんなの可笑しい。

「安室さんはダメです。」
「どうして。」
「…別に理由はないけど。」
「その、知り合いのせいですか?」
「……。」
「もしかして、その知り合いのことを思い出してしまって、忘れるためにあの男を利用してって考えてました?」
「っ…安室さんには関係ありませんから。」

そう言った瞬間ガンっと壁を叩く音がエレベーター内に響き渡る。エレベーターが止まってしまったらどうしてくれるんだこの人。今時壁ドンなんて流行らないし、こんなことされて嬉しいのはきっと上でキャッキャしてる若い子たちだけだ。する相手を間違ってる。

私は安室さんをキッと睨むと、まるで鏡かのように安室さんも怖い顔をしていた。

「いい年して年下の男に甘えるんですか。」
「っ…、」
「アラサ―なのに酒と男で事を忘れるって、さっきいた女性たちより質が悪い。」

ムカツク。この男、本当にムカツク。

私は悲しいときほど涙は出ず、こういうときにこそ泣きやすい人間だった。それは昔から変わらない。そういえば零ともよく喧嘩して泣いていたっけ。

私は言い返したいのに全て目の前の男の言う通りだから何も言えず、ただ下唇を噛んで涙を流した。そしてエレベーターが1階に着いた瞬間、安室さんの頬を思いっきり叩いた。イケメンの顔が台無しになればいい。

するとまさかの行動に驚いたのか、安室さんは目を見開いてこちらを見た。

「アラサ―を怒らせると怖いんだから!」
「……。」
「もう一生会わないだろうけど、あんたみたいな顔だけイケメン、私は大っ嫌い。」


そう言って私は走って逃げた。