降谷さんの家に行ってから1ヶ月。あれから私は降谷さんを徹底的に避けた。理想の上司、信頼できる上司の肩書は消え、私の中の降谷さんは変態上司へと格下げだ。
あの日も始発がくるまで私は玄関で丸まり、何度も謝ってくる降谷さんを牽制した。電車が動く30分前に無言で家を出ていったものだ。だって普通に考えて恐怖じゃない?目が覚めたら目の前で上司がオナニーですよ?最低じゃん。
「辻川…降谷さんと何があったか知らないがそろそろ普通に戻ってくれないか…?」
「嫌です。」
「…頼むよ。あの人の機嫌が悪いと俺も胃がずっと痛いんだ。」
「……。」
風見さんは本当に苦労してるみたいで、何だか少し可哀そうに見えたけど今回ばかりは折れたくない。私だって普通の女だもん、1年くらいほっといてほしい。
「今日は午後にこちらにいらす予定だ。昨日は例の組織での仕事を終えた後でかなりお疲れだと思うが、見た通り降谷さんにしかできない仕事が今もデスクに山詰みだ。そんな状況の中で辻川に無碍な態度をとられてはあの人だってさすがに堪えてしまう。」
「……。」
「頼む、別に仲良くしろと言う話ではない。前のように、いつも通りの感じでいてほしいんだ。」
風見さんにここまで言われて嫌ですというほど私も鬼じゃない。渋々分かりましたと言えば風見さんは目をキラキラとさせて私にお気に入りだと言うチョコレートをくれた。
その後もオフィスを歩けばいつもはふざけたことを言ってくる先輩たちも私にお菓子をくれた。何だこれ。というか私に避けられたくらいで機嫌損ねちゃう上司って何?部下には全員に好かれたいってか。すごい上司だな。
私は何だか無駄にプレッシャーを抱えながら、お昼ご飯を食べ午後に来るであろう上司の姿を緊張した面持ちで待った。
「降谷さん、お疲れ様です。」
「ああ。」
「早速ですが一昨日の件をご報告させてください。」
降谷さんの登場だ。私はチラッとその姿を確認し、またパソコンと向き合う。今は降谷さん待ちの先輩たちが列を作ってる。きっと今じゃない。まだ私は大人しくしておこうと思い席を立たずにいた。
そこで隣の席の風見さんがトントンと腕をつついてきて、そちらを向くとメモを渡された。正直高校生か!って突っ込みたかったけどそれは我慢し、メモを開くと【コーヒーをお出ししてこい】との文字。
「えー…。」
そう声を漏らせば風見さんは行け、と口パクをしていたので私は重い腰を上げて給湯室に向かった。嫌だなあ…行きたくないなあ…。そんな思いとは裏腹に最新のケトルはお湯にする機能がとても早かった。
今日は籠り作業と聞いていたので、降谷さんがいる会議室までゆっくりと歩いた。ノックをして部屋に入ると、先輩が降谷さんと話しているようだった。
「コーヒーお持ちしました。」
「っ辻川、」
「…あと、これ。私が風見さんからのもらいものですけど、降谷さんに1つあげます。糖分もとった方がいいですよ。」
「降谷さん、一度失礼しますね。」
「え、いいですよ私もう出て行くので!」
「いいからお前は少しここにいろ。」
「は?嫌なんだけど!」
「いいから!」
そう言って先輩は私からトレーを奪って部屋から出て行ってい待った。ということはつまりここには私と降谷さんしかいないということだ。
まだ降谷さんを見る気持ちになれない。けど、何も言わない降谷さんが少し気になってちらっと見ると大層傷付いた顔をしていた。え、何これわたしが悪いの?というかこの犬で例えるとしょぼんとしっぽも垂れ、くううんとでも鳴きそうなこの顔はなんだ!何なんだ降谷零!
「…本当にすまなかったと思ってる。」
「……。」
「あんなことして身勝手だが、お前に避けられるのはつらい。」
「……。」
「だから、頼むから今まで通りに接してほしい。」
そう言って降谷さんは私に対して頭を下げた。いやいやいや、お前にプライドはないのか!相手は年下の部下だぞ!天下の降谷様が何をしているんだ。
「顔を上げてください、困ります。」
「……。」
「…私、業務の報告とかはちゃんとしてましたよね?それじゃダメなんですか?」
「……。」
「正直今回の件であなたに対して大層幻滅しました。信頼も信用も無くなりました。だって、降谷さんは私にとって理想の上司だったから…。」
「…悪い。」
「でもこんな降谷さん、見てる方が嫌です。後、風見さんとかもうるさいので今回はそれに応じて無かったことにしてあげます。」
「!?」
「今回だけ、ですからね。」
「辻川…!」
「あーもうなんすかその顔。」
「もうダメかと、」
「別に私に嫌われたところで何も変わらないでしょうあなた。」
「…お前以外は変わらない。でも、お前だけには嫌われたくないんだ。」
その顔で、そんなこと言うな。また顔が赤くなるのを感じ、思わず顔を背けた。
ひとまず一件落着したので風見さんに報告すると、またお気に入りのチョコレート第二弾をもらった。