人肌がいいかなんて考える余裕もない


翌日からは8月から始まる全国ツアーに向けてレッスンやアフレコなどでスケジュールがびっしりと詰まっていた。とてもじゃないけど定時でなんて帰れるはずもなく、連日日付が変わるギリギリの時間まで仕事をし夏の暑さも重なり事務所内では駄々をこねる言葉がよく聞こえるようになった。

「あ〜もう休みたいよ〜ねえおかりん〜」
「百くん…僕は鬼になります……休みは当分ありません!!」
「やだ〜〜ねえみのりちゃん、俺たち可哀そうじゃない?ねえ?」
「私に振らないでください。というか千さんはまだ…?」
「そ、もうかれこれ20時間くらい経つんじゃない?」
「ご飯食べてくれてますかね…千さん……。」
「さっき扉の近くに昨日の夜に置いたお弁当そのままでしたよ。」
「ユキが餓死したらどうしよう!みのりちゃん、ちょっと中の様子見てきてよ!」
「いやですよ!あそこ入ると千さんめちゃくちゃ機嫌悪くなるじゃないですか!」

千さんは絶賛新曲づくりのため事務所に併設してあるスタジオにこもりっぱなしだ。
それも急に一昨日の夜(「やっぱりあと1曲入れたい」)と打ち合わせで言われ、スタッフ総出で時間の都合の説明やらをしていたにも関わらず(「これはRe:valeのライブだよ」)と王様丸出しのしかし的を得た意見の結果書き下ろしの新曲を入れることとなったは良いものの、てっきり私と岡崎さんはもう曲が出来ているものかと思っていたらあっけらかんと(「これからだけど?」)と言われ絶句したのは記憶に新しい。
それにより昨日からのコンサートの打ち合わせは百さんと岡崎さんで進行し、私は千さんの監視をすることになったわけだけど、トイレにも行かないのか恐らく私が見ている中で一度もあの部屋から出ていない。

「でもさすがに心配なので辻川さん…お願いします……。」
「えええ…また嫌われてもしらないですよ……」
「そこは大丈夫。寧ろ扉開いて顔覗き込んであげたらきっと喜ぶと思うから!」
「……絶対嘘だ、」
「本当!お願いみのりちゃん!」

2人にそんなキラキラした目で見られたら行かないわけにもいかず、しぶしぶコーヒーを持って扉の前に立った。ふう、と息を吐いて扉をノックする。もちろん中から反応があることもなく、私はなるべく音がしないように扉を開いた。すると床に蹲り倒れる千さんの姿がそこにあった。

「千さん!?」
「……ん、」
「大丈夫ですか!?え、意識ある…?死んでない…?」
「………ん〜、」
「よかった、生きてる………」

一瞬ぞっとしたけどただ眠ってるだけのようで安心した。ひとまずこんなところで寝ているのもよくないであろうしと声を何度か掛けてみるものの正直動く気配はなし。徐に投げ捨てられている楽譜やその上に描かれた旋律を見て改めて千さんの凄さを感じる。

「すごいなあ…、」
「……ん、みのり……?」
「あ、起きましたか?こんなところで寝てたら体痛くしますよ。寝るなら事務所のソファで、」
「ん……できた、曲。」
「本当ですか?デモも?」
「ん、そのPCの中。」
「ありがとうございます!やっぱり千さん凄いです!」
「本当にそう思ってる?」
「思ってますとも!」
「じゃあちょっと屈んで」
「へ?あ、はい、ってな、!」

千さんは屈んだ私をそのまま雑に引っ張り、勢いのまま千さんの胸元へとダイブしてしまう。まずいまずい、そう思って体制を整えようとするものの千さんががっしりと腕を私の背中に回しているから動くに動けなかった。

「あの…ユキ、さん?」
「あー……まって、あと10秒……いや30秒………」
「あの……寒いなら私で暖をとるより空調上げてきますが……、」
「……人肌っていいよね。」

耳元でそんなこと囁かれたら心臓に悪すぎる!!私は千さんの肩を押しパソコンを持って部屋を飛び出した。その後百さんと岡崎さんに顔真っ赤だよと突っ込まれさらに恥ずかしい思いをしたのは後の話。