夏のツアー開始
夏のツアーは北は北海道、南は沖縄まで計8か所で行われる。初日となるここ横浜アリーナでは熱気と人で溢れていた。
「辻川さん、Aエリアの加藤さんにもう一度NO DOUBTのタイミング聞いてきてもらってもいいですか?」
「はい!」
「分かったら携帯にお願いします!」
いつも以上にバタバタとしている現場。そして私にとってここまで大規模なライブは初めてだったため、夏の暑さと重なりどくんどくんと頭も体も音を鳴らしている気がした。私は早歩きで言われたところまで行き内容の確認をしてから岡崎さんに報告を入れ速足で楽屋に向かう。ステージに立つのはRe:valeの2人だけ、しかし裏ではこれだけの人間が動いている。それを身に沁みながら2人のいる楽屋の扉をノックした。
「あ、みのりちゃんいた〜!さっきユキが探してたよ?」
「え?千さんが?」
「おかりんのところに行ったと思うんだけど会わなかった?」
「会ってない、ですね。私岡崎さんのところには行ってないので……。」
「げ、まじ?俺適当なこと言っちゃったよ〜内緒にしといて!」
「ふふ、百さんいつも通りですね。緊張してないんですか?」
綺麗な衣装を纏い髪型もいつも以上に決まっていてこれぞアイドル:春原百瀬って感じなのにあまりにも普段通りな対応の百さんに思わず笑ってしまう。でも一瞬きょとんとした顔をした後、直ぐにニコッと笑ってこっち来てと手招きされる。
「手、貸して?」
「?はい、っても、ももももさん!?」
「ほら、俺心音すごくない?実は緊張してないふりしてめっちゃ緊張してる。」
「…………、」
ドクン、ドクン。確かに百さんの胸に当てた手から感じる百さんの心音は通常よりもずっと音を立てていた。百さんは二ッと笑っていたけどこれはきっと強がりなんだと分かった。
気が付いたら私は百さんをギュッと包み込むように背中に腕を回した。
「えっ!?みのりちゃん!?」
「大丈夫…百さんなら大丈夫です。絶対成功します。大丈夫。」
「あ、あー……うん、ありがとう。」
「よしよし…大丈夫大丈夫……」
「みのりちゃん……俺のこと子供か犬とかと思ってない…?あとこの状況ユキに見られると非常にまずいからこの辺りで、」
「モモ、いつからみのりとこういう関係になったの?」
「「ヒッ!」」
振り返るとすごい低い声を出し見るからに不機嫌そうな千さんがいて、百さんはぴゃっと私から離れ後ろに隠れてしまった。私も穴があるなら隠れたい。
「これは誤解だよ!ただ緊張した俺のことをみのりちゃんが喝入れてくれていたというか、」
「そうです!決して千さんから百さんを奪おうだなんてそんなこと、」
「「ハア!?」」
「はひ、違います!え、とつまり私は2人のお母さん的な立ち位置なのでそこは安心してほしいと言いますか、」
「みのりに産んでもらった記憶はないね。」
「ご、ごもっともなんですが……、」
「モモ、ちょっと2人きりにさせてもらってもいい?」
「もちろん!でもあと5分で円陣だからね!?」
「それまでには行く。」
じゃ!と言ってピューという効果音が付きそうなくらい速足で楽屋を出て行ってしまった百さんは間違いなく私を盾としたに違いない。この気まずさ、どうすればいいのだ。
「みのりはモモのことが好きなの?」
「はい!?も、もちろん好きですよ……大切なうちのアイドルですから。」
「そうじゃなくて。」
「…?人としても好きですよ?百さんも、もちろん今は千さんも好きです。」
そういうと千さんは少しびっくりした顔をした後に頬を赤らめじゃあ、と言葉を続ける。
「俺にもさっきの喝、入れて。思いっきり強く抱きしめてよ。」
「っ……ほ、本当に深い意味はありませんからね!」
「ん、わかった。ほら、おいで。」
おいで、じゃなくて…と思いつつ私は先ほど百さんにやったように千さんの背中に腕を回した。百さんのときとは違う、胸のドキドキが伝わってしまいそうで怖かった。
「がんばって、ください。」
「ん。」
「ファンの子を幸せにしてきてください。皆さん、お2人を待ってます。」
「じゃあみのりは俺のことを幸せにしてよ。」
「へ?」
どういう意味ですか、と顔を上げた瞬間千さんの長くて綺麗な髪が私の目にかかり、しっとりとした唇が私の唇と重なった。それは一瞬の出来事で、私は思わず呆然とする。みのり、と千さんが私の名前を呼んだ時にようやく我に返り自分の頬が赤く染まったのを感じる。
「な、なんでキス、なんて!」
「だって好きだし。」
「だ、だ、だってじゃないでしょう!」
「僕ばっかり人に幸せを振りまいてたら不公平だろう?だからみのりが僕のこと幸せにするのって道理にかなってるはずだよ。」
「私の!気持ちは!」
「今の自分の顔、鏡で見てきなよ。」
自信ありげにまた頬へキスを落とすと私から離れていってしまった千さんに対して私は小さな悲鳴を上げた。それはキャーという可愛いものではない、ギャアというやばいものでも見たときに出る声だ。
私は円陣を傍で見ることなく、2人がステージに上がっていくのを楽屋のモニターから見るので精一杯だった。