京前嵐山

 全国大会初戦、京前嵐山の化身に対抗するべく雲明が提案した作戦はこうだ。木曽路兵太がチーム全員の気の波長をまとめ、京前嵐山の化身に化身で対抗する──最初に聞いたときは冗談としか思えず、この件を笑って流そうとした。けれど、雲明の目は本気だった。野球部に啖呵を切ったときと同じで、ふざけている様子は欠片もない。
 その結果がこれだ。
 雲明の指示のもと、部員のプライベートを一人ずつ追いかけてはカメラに収める、というよく分からないことに時間を使っている。

「お、いたいた」

 観覧車の前で立ち止まっている姿を背後から捉える。フレームに収まっていることを確認して、その場から離れようとしたところで肩を叩かれた。
 振り返ると、さっきまでレンズ越しに見ていた当人──ナマエ先輩が立っている。

「ナイスタイミング、木曽路」
「へ?」

 ちょうど人手が欲しかったのだと言われるがまま腕を引かれ、気が付けば観覧車に乗っていた。何を言っているか分からないかもしれないが、自分でも何がどうなっているのかよく分かっていない。
 扉が閉まると小さく軋む音とともに、箱がゆっくりと浮き上がっていく。

「あれ、コテージじゃない?」
「ほんとだ、意外と見えますね」
「ね」

 窓の外を眺めながら、ナマエ先輩はぽつりぽつりと言葉を落とす。取り留めのない話に相槌を打ちながら、やっぱり掴みどころのない人だと思う。サッカーの話になれば厳しいところもあるが、先ほどのように「化身って何」と本気とも冗談ともつかない顔で聞いてくることもある。
 現在でこそマイナーだが、十年ほど前まではどの学校にも化身使いが存在していた。テレビの中継でもよく流れていたし、それこそ、保育園や小学校ではよく話題にもなっていた。クラスメイトである柳生先輩や友人の忍原先輩曰く、帰国子女らしいが、よっぽど田舎の方で過ごしていたのだろう。時おり妙に感覚がずれている。ウミボウズやシノビに目を輝かせたり、タブレットに四苦八苦していたり──とにかく少し、浮世離れしている人だった。

「化身の特訓、どんな感じ?」
「あー……今はまだ、あんまりイメージできないっていうか、こんな大役任されると思ってなかったので」

 言いながら、視線を避けるように窓の外へ逃がす。
 「まぁ、やるからには全力でやりますけどね」取り繕うように言葉を足して、少しだけ空いた間を誤魔化すように口角を持ち上げた。下を見れば、サッカーガーデンが手のひらに収まりそうなくらい小さくなっている。人の姿は点のようで、誰であるかも分からない。その中に、自分もいるような気がした。
 俺からすれば、ナマエ先輩も桜咲先輩や忍原先輩と同じあっち側≠フ人間だ。人の顔色をうかがうこともなく、流されることもない。できることと任せることをきっぱりと切り分けるやり方は、正しいけれど冷たく見えることもある。入部した頃は桜咲先輩とぶつかることもあったし、亀雄との連携が噛み合わない場面も見てきた。だけど今は、それらが彼女なりに考えた上での振る舞いだったと知っている。チームに歩幅を合わせようとしていたことも。

「ナマエ先輩って、意外と世話焼きですよね」
「そんなことないけど、木曽路はちょっと似てるから。他より気にかけてはいるかも」
「似てる?」
「うん、木曽路も……楽しめるといいね」

 俺は返事をしなかった。できなかったという方が近い。
 言葉にしようとしたものが、うまく形にならないまま喉の奥で止まる。気が付くと軽く持ち上げていた口角が、さっきまでの形を保てなくなっていた。

「──って、言ってることはありましたよ」
「気にかけてる子がいるってこと?」
「たぶん」

 京前嵐山に勝利したあとのコテージでは、週間イレブンの取材を受ける雲明の声が一階から断続的に響いていた。普段よりわずかに硬い口調が、壁や天井に反射して上まで届いてくる。
 そんな雲明を見守りつつ、俺は忍原先輩と声を潜めながら言葉を交わしていた。視線を巡らせると、当の本人──ナマエ先輩は少し離れた場所で、亀雄と話し込んでいるようだった。大きな身振りはないが言葉のやり取りは途切れず、自然な間合いで続いているようで、こちらの会話に気づいている様子はない。

「ナマエって連絡とか積極的に取るほうじゃないんだけどさ」
「あー、SNSも動かしてないですもんね」
「でも最近よく触ってるんだよね、スマホ」
「メッケモンGOじゃなくてですか?」

 以前、道に迷っていたおばあちゃんの案内をしているときに、ダウンロードしていたはずだ。思いのほか熱心に遊んでいて、公園で子どもたちに混じって歩き回る姿や、校内でプレイヤー同士の輪に入っているところを見かけたこともある。

「違う違う。夜、通話してるの」

 曰く、夜になるとスマホを持って部屋を出ていくらしい。コテージの外で通話しているところを浜辺で特訓していた亀雄や、たまたま外に出ていた千乃会長も見かけたことがあるという。ここまで重なると、さすがに忍原先輩の思い込みとも言い切れない。
 ふと、忍原先輩の視線が逸れる。その先を追うように目を向けると、ちょうどそのとき、ナマエ先輩がポケットからスマートフォンを取り出した。画面を一度確かめると、ほんのわずかに目を細める。すぐに亀雄との会話へ戻ったが、その短い変化だけが妙に印象に残った。

「ほら!」
「いや、今のだけじゃちょっと……」
「絶対そうだって」
「忍原先輩、ちょっと面白がってません?」