春の陽射しのような残り香

「…今、何と言った?」




今朝、小樽から戻ってきた伝令の言葉がうまく聞き取れず再度訪ねた。鶴見中尉や月島はそのままいくつか拠点を経て網走に向かうとのことだったが、その後の言葉に衝撃を受けたのだ。蘇芳玲が、小樽の火事に巻き込まれて行方不明となっている。そう聞こえたのは気のせいだろうか。

蘇芳といえばこの旭川で男ばかりのむさ苦しい雰囲気の中、唯一の女だった。意外と見た目も悪くなく、軍とはまるで関りがなさそうな女だったが、その実態は陸軍中将まで上り詰めた祖父を持ち、日露戦争では当時大尉だった父を亡くしているという完全な陸軍家系だった。確かに、そこらへんに居そうな女だけれどもひとつひとつの所作は美しく、料理も裁縫も完璧だった。特筆すべきは医学の面だが、手当や薬草に関する知識も豊富で博識だ。




「認めん…」



使者が出て行って一人になった部屋でぽつりと呟く。焼死体が出ていないということはあまりにもおかしく、彼女のことだからうまいこと逃げだしたのではないかと期待してしまう。しかし、使者の話によれば両手両足を縛り付けて監禁されていたと言う。縄を自力で解いて脱出するなど、そのようなことが出来るのだろうか。いくら考えても思考がまとまることはなく、苛々して机を自分の拳で叩いた。

彼女の存在自体、最初はものすごく嫌だった。おいの敬愛する鶴見中尉どんに気に入られ、女のくせに軍に出入りし、その他陸軍の兵士たちに手料理を振舞って馴れ合うなど。ただ、彼らが蘇芳に自然体で振舞うのは本当に蘇芳が良いやつで、気を遣う必要がないと判断したからなのだと、自分が彼女に触れあっていくうちに気付いたのだった。

一度、故郷の写真を見せたことがある。



「わ、桜島ってこんなに綺麗なんですね」
「実物だともっと美しいぞ」
「へえ…いつか見てみたいです」



そう言って笑った彼女の横顔が綺麗で瞳が縫い付けられたように動かせなかった。こんなにも一緒に居て楽しく、自ら話題を振ってくれ、自分の話もよく聞いてくれる女など今までにいただろうか。正直、そこまで女性に興味がないのも事実だった。見合い写真をいくつかもらうことはあったが、今は軍で功績を上げ、少しでも鶴見中尉に近づくのが目標だ。結婚などはまだ先の話。



「…長期休暇が取れたら薩摩へ帰る…蘇芳も一緒に来るか?」
「え、いいんですか?ぜひ!」



屈託のない笑顔でうれしそうに笑う蘇芳を見て、ぎゅうっと胸が苦しくなる。おかしい。こんな気持ちになるのは初めてのことで、これではまるで おいが蘇芳んこっを好きんごたっらせんか。そう考えた瞬間、一気に顔が紅潮するのを感じて蘇芳から目を逸らす。この私が、こんな女を好きになるなど…!そう考えても、蘇芳を見る目は全く変わらない。最初の態度はあんなに酷かったのに、今は何故か蘇芳といると居心地がいい。軍の重圧から少しだけ解放されたような気にさえなる彼女の笑顔には不思議な力でも宿っているかのようだ。



「必ず連れて行く、待っていろ」
「ふふふ、楽しみです!さつま汁…つけあげ…かるかん…」
「貴様、食い物ばかりではないか!!」




そんな会話までしたのだ、蘇芳は生きている。私が必ず見つけて取り戻してみせる。蘇芳からもらった白いハンカチーフをやさしく握りしめ、どこで何をしているかも分からない彼女のことを想った。



20240312
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