いつかの無垢を抱きしめる

「玲!こっちだ!」
「アシリパさん!杉元さん!」



大きく手を振りながらふたりに近づく。なんとなく、次はいつと決めなくとも会えるようになってきた。最初に出会ってから次はなかなか出会えず、ひたすら山に通ったものだ。(毎日のように山に入るから月島さんや尾形さんには不審がられたかもしれない)(尾形さんが非番の日には違う場所をなるべく選ぶようにしたからか、杉元さんたちには一度も出会わなかったのが不幸中の幸いだ)わたしの趣味を理解していてくれる人からしたらさして問題はないのだろうが、食事係として雇われている手前、仕事はきちんとこなさなければほかの兵士たちも怪しむだろう。軍の内部情報を他人に受け渡すことは絶対にしないけれど、鶴見中尉や月島さんが自分を心の底から信用されているとは限らないのだ。



「今日は兎が獲れましたよ!」
「おお…」
「玲さんって本当に狩りが得意なんだな」
「ふふふ、これでも父や祖父にも褒められてたんですよ、人より目が良いって」
「目…そうか、大事にしないとな」
「?はい」



杉元さんの慈しむような瞳がよく分からず、曖昧に返事をする。誰か、身内に目の悪い人がいるのだろうか。あまりこちらから家族事情を聴くのも野暮だろうと思い、彼に何も聞かなかったけれど。わたしの家族といえば、兄弟がいたことしか二人には伝えていなかった気がするけれど二人も特に聞いてこないので伝えずにいた。ここで根掘り葉掘り聞いてくるような輩はろくなやつじゃない、二人がそういう人でなくて本当に良かった。
兎の肉とアシリパさんたちが獲ってきた魚を一緒に食べる。山菜や薬草も一緒に渡せば、随分と喜んでくれた。今日は非番なので、アシリパさんたちと一緒にコタンで一夜を共にすることにした。







夜中にふと目が覚めた。少し前の、アシリパさんと杉元さんとまだ知り合って間もない頃の夢を見ていた気がする。再び目を閉じてみるも、なんだか眠れなくてゆっくりと身体を起こした。大判の羽織を持って、みんなを起こさないようにチセの外に出る。こう寒い日は特に星が綺麗だ。普段も綺麗だけれど、未来の東京では見れなかった星まではっきりと見える。この美しさは絶対に未来にも残してほしいもののひとつだ。北海道の自然の美しさに飲みこまれそうになって、はあっと白い息を吐いた瞬間にぽんと肩を叩かれびくりと肩を震わせた。



「玲さん?」
「わ、!す、すぎもとさん」
「ごめん、驚かせたかな?」
「はは、大丈夫です!夜なので静かにしないとですね」



シーッと人差し指を口元に持って行けば、杉元さんも真似するように同じ仕草をした。「星見てたの?」とわたしの隣にぽすんと腰掛ける杉元さんに頬が緩む。



「星、綺麗ですよね」
「うん…綺麗だ」
「…少し前に、一緒にチセで眠った時のことを思い出してました」
「ああ…あの時もこうして二人で外で話したよな」



にこりと微笑んでくれる杉元さんは、きっと本当にわたしに心を許してくれているんだろうと思う。前に二人でこうして星を見上げた時は杉元さんと二人になることはほとんどなく少しだけ緊張していたのを覚えている。二人になったとしても、一番最初に羽交い締めされた時のことを思い出して少しだけ身震いする自分がいた。(だってあの時の彼は、どんな獣よりも獰猛で恐ろしかったのだ)



「あの時はまだ杉元さんのこと怖かったなあ」
「えっ、やっぱり第一印象が悪かったよね…」
「ふふ、今はもう平気ですよ!…って、杉元さん寒くないですか?」



こっち、どうぞ。そう言ってばさりと羽織を持ち上げれば、もじもじと「お、俺は平気…」と小声になる彼。ああそうだ、この時代は男女の距離が遠いのだ。過度なスキンシップは良くないんだよなあ、と思ったけれど手を擦る仕草をする彼を放っておけなくて、自分から彼に近づいて羽織をかけた。



「わたしが寒いんです、杉元さんとくっつけば大丈夫ですから」
「れ、玲さん…」



わたしの名前を呼んで、照れ隠しのように軍帽を被りなおす彼。その仕草だけで女性にあまり免疫がないのだろうと分かるけれど、そもそもこの旅に一緒について行っている時点でもはやいろいろな面を見せているのだ。彼はわたしのことをまだ女性だと意識しているようだけど、そのうちそれも薄れていくだろう。男女など関係なく、仲間として一緒にいたい。アシリパさんと杉元さんの助けになりたいという気持ちは揺るぎないものとなっていた。



「刺青人皮、無事に集まるといいですね」
「ああ…」
「全部終わったら、杉元さんはどうするんですか?」
「俺は…戦争で亡くなった親友の、奥さんの目を治してあげたいんだ」
「目、ですか…もしかして、それでお金が必要なんですか?」



その問いかけにこくりと頷く彼は、暗くてよく見えないけれどとても真剣な表情をしていることだけは分かった。静けさの中で、ぽつりぽつりと過去のことを話す彼の横顔をじいっと見つめていた。あの時、わたしの目が良いというところを大事にしないとな、と言った杉元さんの顔が思い浮かぶ。あれはきっと、わたしと梅ちゃんを重ねていたのだろう。杉元さんは、虎至さんを救えなかった自分、梅ちゃんを救えない自分、そんな自分をただひたすら呪っている。遠い日を思い出すかのような彼の声色に、気付いたら彼のことをぎゅうっと抱きしめていた。



「ちょ、玲さん!?」
「杉元さんは、もっと自分を大切にしてください」
「え…」
「全部終わったら、まずは梅ちゃんに会いに行って、それから杉元さんも好きなように生きてください」
「でも、俺には何も残ってない…」
「この旅で見つければいいんです」



この旅の中で、杉元さんが大事にしたいものやこれからの生きる希望を見出してほしい。彼の肩越しにそう伝えれば、杉元さんもわたしをぎゅうっと抱きしめ返した。「ありがとう、玲さん」と言う彼の声は震えていて、すこしだけ泣いているのが分かった。とんとん、と子供をあやすように背中を叩いてやればわたしの肩に顔をぐりぐりと押し付ける。自分よりも年上の男性だなんてことは関係ない、同じ時代に生きるただの人なんだ、彼も、わたしも。



20240411
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