まだきっとずっと息をする

「え、低体温症?顎の骨が折れて手術?!」



尾形さんが大怪我をしたことを聞いたのは、あの不思議な二人組と初めて出会った数週間後のことだった。(あれから何度か山の中で出会い、ともに食事をしている)ジャガイモの皮を黙々と剥いていたところに月島さんが現れたと思いきや、尾形さんが瀕死の状態で戻ってきたと告げた。情報量が多い。尾形さんがそんなことになっているなんて全く気付いてなかったわたしは、ここ最近見かけないなくらいの軽い気持ちでいたのを後悔した。やはり知っている人が怪我を負ったり、亡くなったりするのは夢見が悪い。



「蘇芳は尾形と仲が良かっただろう」
「え、そうですかね…?」
「(…あの尾形が比較的懐いていたような気がしたが…気のせいか?)」
「あの、尾形さんは大丈夫なんでしょうか」
「手術も終わっているが、今はまだなんとも言えないな」
「そうですか…」
「目を覚ましたところで顎を割っている、当分話は出来ないぞ」



そう淡々と告げる月島さんは、本当に業務連絡だと言うように無表情で機械的なものを感じた。尾形さんのことを心配しているわけではないのだろうと、その声色から理解できる。「その…何か尾形から聞いていないか」と問いかけられたけれど、特に何も事情を知らないわたしは首を横に振った。そんなわたしからは何も情報を得られないと感じたのか、月島さんはため息をついて「陸軍病院に入院している。たまに様子を見てくるといい」と言って厨房を後にした。次の休みにお見舞いに行こう、そう考えて皮むきを再開した。







「失礼します」



コンコンとノックをして部屋に入る。大きな窓から日が差し込んだ部屋、清潔なリネンに包まれた尾形さんを見て、ほっと胸を撫でおろす。静かすぎる病室でゆったりとした呼吸を落としながら、ベッドに横たわっている尾形さん。そんな彼を見てすこしだけ寂しい気持ちになったのは気のせいではないだろう。ベッド脇に置いてあった簡易的な椅子に腰かけ、彼の顔を見る。顎の骨を割ったというのは本当だったんだ…。いつもより青白く、少しだけ痩せたような彼の頬には縫合した痕がくっきりと残っていた。こうして目を瞑って穏やかな表情をしている尾形さんは初めて見るな。



「尾形さん」



そう呼びかけて見ても、彼が目を開けることはない。わたしの手元には近所の花屋でなけなしの金銭をはたいて買った花がある。花瓶の水でも取り替えてこようかな。そう思い立ち上がった瞬間、わたしの手にやわらかな何かが触れる。はっとしてその感触を辿れば、わたしの手に自分の手を伸ばし薄く目を開いた尾形さんがいた。声を上げそうになるのを抑え、極力やわらかな声色で「おはようございます、尾形さん」と言えば、声が出せないのだろう彼は返事をするようにわたしの指をぎゅっと握った。



「お水取り替えてきますから」
「………」
「あの、離してください」
「………」
「…どこにも行きません、すぐ帰ってきます」
「………」



そう言えば、尾形さんはやっと手を放しそっぽを向いた。反応が子供のようでなんだかおもしろくて少しだけ笑みを零す。花瓶の水と花を取り換えて病室に戻れば、尾形さんは起き上がって外を眺めていた。いつものように嫌味を繰り返したりちょっかいをかけてくる尾形さんとは違ってとても静かでなんだか調子が狂うなあ。



「今日はとても天気がいいですね」
「………」
「…月島さんから聞きました、森の中で倒れているのが見つかったって」
「………」
「何か、隠してることがありますよね」



そう零せば、彼は ぐい とわたしの腕を引っ張り手の平をゆっくりとなぞった。何か文字を書いている?そう気づくのに時間がかかり、「もう一度お願いします…」と伝えれば彼はあからさまに呆れたような顔をした。申し訳ない、と思いつつも今度は集中して彼のなぞる文字を追う。

り だ つ す る
い れ ず み
き ん か い を お う

離脱?金塊?意味が分からない。よく理解が出来ないけれど、尾形さんはきっともうすぐいなくなってしまう。最近軍の駐屯地内が騒がしいのは何となく気付いていたが、それと関係があるのだろうか。先日月島さんにも尾形さんから何か聞いてないか質問されたけど、あれは軍の反対勢力になり得る尾形さんのことを探っていたんだな。



「尾形さん、身体に気を付けてくださいね」



「また来ますから」そう言って、わたしは立ち上がり病室を後にした。
鶴見中尉は、初めてわたしが軍に招かれた際にわたしのことを「聡明な子」だと表した。この年齢で、女で、医学や薬学に強く、銃も扱うことが出来る。そうした知識、理解があってこそわたしを隠す様に軍の中に置いているのだろう。鯉登さんや月島さんから体術を教えてもらうこともあったし、すべてはわたしも駒のひとつというわけか。きっとゆっくりと洗脳してわたしを傍に置いて、来るべきときが来たら駒として使う予定だったのだろう。



「(尾形さんには感謝しないとな)」



誰の駒にもなるな、好きなように生きろと過去に父から言われたことがある。誰にもこの疑念を悟られないよう、いつも通りわたしはわたしの仕事に徹しよう。いつも通り明るく、人懐こい笑みを浮かべて。



20240229
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