やがて僕らが箍を外す頃

「玲君、あれから尾形上等兵の様子はどうだ?」



鶴見中尉に呼ばれて行った彼の部屋でそう問われた。
少しだけ緊張感の漂う問いに、ふるふると首を振った。やはりここ最近みんなの様子がおかしいのは間違いではないようだ。尾形さんが入院してからというもの、いつも厨房にちょっかいをかけてきていた宇佐美さんや二階堂さんもあまり厨房に寄り付かなくなった。少しだけソワソワとした空気も感じる原因はきっと尾形さんから聞いた情報が根底にあるのだろう。



「特に変わりません、手術痕が痛むのか…まだ喋ろうともしませんし…」
「ふむ…ほかの連中が行っても同じだが…相手が玲君でも駄目だったか」



唸るような仕草を見せた後、「また様子を見に行っておくれ、彼は大事な仲間だ」鶴見注意はそう言ってにこやかな笑みを浮かべた。
わたしは知っている、彼がわたしの祖父を見殺しにしたこと。彼にはもちろん拾ってくれた恩がある。だけども最初から彼のことを信用していないのは事実だ。人の掌握術に長けているが、少なからず尾形さんは彼のことを信用していないようだった。かといって、わたしのことを信用してくれているようでもないけれど。



「鶴見中尉はお優しいですね」



自分がこういう場面でもっと華やかに笑えるような人間であれば良かったのに。取り繕ったような、なるべく尾形さんを心配するような悲しそうな笑みを浮かべてぺこりと頭を下げ、部屋を出てからふうと息を吐いた。あの人の前だと緊張もするし、月島さんだって後ろに控えているから余計にドキドキしてしまう。

尾形さんはきっと、抜け出すときを待っているのだろうと思う。『離脱』『刺青』『金塊』そのキーワードを思い浮かべてみるけれど嫌な予感しかしない。鶴見中尉は欲望の塊だ、恐ろしいことこの上ない。







「(アシリパさんや杉元さんは、今頃どうしてるだろう…)」



尾形さんのお見舞いに向かう道中、あの日知り合ったあたたかで賑やかな人たちに思いを馳せる。あの時、素の自分のままで話せたことは記憶に新しく、彼らの笑顔や賑やかな雰囲気を思い出してふっと笑みがこぼれた。とても落ち着く空間だったなあ。彼らと一緒に行動出来たらどんなにいいだろうか。いろんな土地を見て、まだ見たことない植物や食べ物に出会うのだ。きっと楽しい。
しかし、彼らは目的が同じで一緒に行動していると言っていた。あの年齢のアイヌと和人が一緒に行動するなんて、きっとよっぽどの理由なのだろう。そう考えながら病室のドアを開くと、わたしが来るのを分かっていたかのように片膝を立ててベッドに座り、こちらを見ている尾形さんがいた。髪の毛が伸び、前髪をおろした尾形さんはどことなく幼い。



「おはようございます尾形さん!起こしちゃいました?」
「…静かにしろ、誰かに聞かれたらどうする」
「大丈夫ですよ、いつも通りわたしが独り言を言ってるように振舞いますから」



そうこっそりと伝えれば、彼は相変わらず無表情でそっぽを向いた。尾形さんが喋れるようになったのはつい先日のこと。玉井伍長たちが熊に襲われ亡くなった話をしたとき、徐に口を開いたのだった。何を言ったのかは小さくて聞こえなかったけれど、確かに彼が声を発したのだ。尾形さんが目覚めた日から足しげく通っていたけれど、また喋ることができるようになったことが何よりうれしい。(また嫌味を散々言われることになるとは思うけどそれも気にならないくらい)



「…俺は折を見てここから離れる」
「え、」
「軍が嗅ぎまわってる、お前もそろそろ危ないだろうなあ」
「それは、例の”金塊”についてですか?」
「ああ、鶴見中尉殿はソレに関与している"不死身の杉元"を追ってる」
「そんな情報どこで…」



疑うように視線をやれば、「俺が喋れない、口外しないとして看護婦が噂話を喋っていくからな 馬鹿だよなあ」と面白そうにくつくつと笑った。
それから、小声で少しずつ軍の動きを聞かせてもらったのだった。軍が追っているのはアイヌの金塊、身体にその在処の刺青を施した囚人が網走監獄から大勢逃げていること、その金塊を軍や"不死身の杉元"、その他色んな人が追っていること。どうして尾形さんがこの話をわたしにしたのかは謎だけど、金塊2万貫という現実味のない話を聞いたわたしはただ眉間に皺を寄せるだけだった。



「玲、俺と一緒に来るか?」
「……足手まといになるって分かってて言ってるでしょう」
「クク…よく分かってるじゃねえか」



そう言って笑う尾形さんはなんだかこの逃亡劇を楽しんでいるように見えた。"不死身の杉元"。杉元さんのことじゃないだろうか、と一瞬彼の顔が過ったけれどそれはあえて出さずに「わたしはもう少し様子を見ます」と呟いた。尾形さんはそんなわたしの口元を抑えるように顎と頬を掴み、「いいか、くれぐれも誰かに漏らすようなことはしてくれるなよ」と忠告した。




「言いまへんよ、へっはいひ(絶対に)」



口元を掴まれているから阿呆っぽい返事になったのは許してほしい。



20240301
PREVUTOPU NEXT