もう通行人ではいられない

尾形さんの言っていた金塊や刺青のこと、どこまでの人が知っているのだろうか。鶴見中尉のことを敬愛している人たちは全員知っているのだろう。そして、秘密裏に行動している。鶴見中尉の信頼を得ようと思ったことはないし、わたしはただ何も探らずにここで働いていられるのならそれでいいと思っていた時期もある。けれど、そのままではきっとダメなのだ。彼はわたしの秘密を知っている、だから殺すことをしない。じわじわと侵食するように優しくして、わたしから情報を抜き取ろうとしているのは見え見えだ。
そうして今、また鶴見中尉によって呼び出されたわたしは緊迫した空気の中で鶴見中尉のじっとりとした熱視線を浴びている。



「…さて、玲くん」
「はい」
「君は"不死身の杉元"を知っているか?」
「スギモト、という知り合いはいません…それは通り名ですか?」



余計なことは言うまい。そう考えたわたしは、一言のみ返してだんまりを決め込んだ。いくつかの質問には答えたけれど、鶴見中尉も深追いはしてこなかった。この人はきっとわたしの言うことを1ミリも信用してない上でわたしと話しているのだと思う。
もし本当に、"不死身の杉元"が杉元さんのことだったら、わたしには彼を守る義務がある。知らないふりを通すし、この件には何も関係ないというスタンスを貫かなければ。



「玲くん、君にはいつも感謝している。食事の件でもそうだが…君はお祖父様やお父様からの知識に長けている」
「…それは、ありがたいことです」
「まだ教えてもらっていないことがいくつかあるな」
「は、」
「"これから先"で起こることを、私に教える気にはなったかね?」



わたしの力を、家族は"先見"と言っていた。未来の記憶を持ったまま、この世界に生まれ落ちただなんて誰が信じるだろう。家族にも詳細までは伝えることができず、少し先のことが分かる不思議な子供だったのだ。小さな頃のわたしは、なぜかふとした時の勘がよく当たる子供だった。わたしの記憶がはっきりしたのは10歳の頃だった。10歳のころに初めて、わたしは遠い先の出来事を思い出したのだ、自分が未来で死んだ時のことも。
タイムスリップとはまた違う気がするし、これが映画で見たマルチバースってやつ?と考えたけれど、未だにどうしてわたしがこの世界に生き返ったのか全く理解できていない。



「………未来は、簡単に変えて良いことではありません」
「…月島軍曹」
「はい」



鶴見中尉に呼ばれた無表情の男は、そのままわたしを動けないようにがっちりと拘束した。ああ、最初からこうして拘束するのが目的だったのか。「私は女性には優しいからな」と口角を上げる鶴見中尉をじろりと睨みつければ、愉快そうに「フフフ」と笑い声を上げるだけだった。月島軍曹が接近戦にかなり強いことは、体術を教えてもらった時からよく知っている。舌打ちしそうになるのを我慢して、されるがまま わたしは兵舎の2階、一番角の部屋に押し込まれたのだった。







もう拘束されてから何時間経ったんだろう。外が薄暗くなってきた。腕と足を縄で縛られて身動きが取れないのが辛い。身体は柔らかい方だと思っていたが、さすがにガチガチに結ばれており一筋縄ではいかなかった。私はこのまま殺されてしまうのだろうか。そう思うと毛穴が沸き立つようにぞわりと鳥肌が立った。頭の中で悶々としていれば カツカツという軍靴の音がして扉が開き 見知った顔がひとり廊下の電球に照らされていた。



「…つきしま、さん」
「…蘇芳、悪いな」
「いえ…一番怪しいのはよそ者のわたしですから…疑われて当然です」
「…飲めるか」



そう言って月島さんはわたしの身体を支えながら起こし、口元に水筒を充てた。冷たい水が喉を通り、すうっと頭がスッキリする感覚が戻ってくる。正直言うと月島さんがこんな風に水を持ってくるなんて考えてもみなかった。彼は鶴見中尉からも一番信頼されている部下なわけだし、こうして飲まされた水も実は何か薬品が入っているかもしれない。(その時はその時だと腹をくくるしかないだろうな)そうっと月島さんの顔を見上げれば、いつもの無表情はそこになく 少しだけ眉を下げて悲しそうな表情をしていた。そんな顔の月島さんを見たのはいつぶりだろうか。



「…つきしまさん、ごはん作ってありますからね」
「……」
「食べてくださいね、おにぎり たくさん握ったんですよ」
「……蘇芳」
「元気で、身体は大事にしてくださいね」



無言でこちらを見ながらコクリと頷く月島さんに、安心して目を閉じた。用済みになったわたしはきっと、ここで殺されてしまう。
軍の中には苦手な人もたくさんいたけれど、心を許せる人も多かった。みんな、元気で過ごしてほしい、死なないでほしい。この2年間、みんなの身体が丈夫になるように献立を考え食べてもらっていた。みんなが美味しいと言ってくれて嬉しかったし、わたしの居場所を見つけたような気にもなったことさえある。
今世もここでおしまいか。まあ、交通事故で亡くなるよりは痛くない死に方したいなあ。

次に目を開けた瞬間、周りが火の海になっていることなんて知らないまま、わたしは平和な世界の夢を見るのだ。



20240304
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