ぼくが死すとも
ひゅう、と少し強めの木枯らしが吹いて建付けの悪い窓が揺れた。秋も終盤、半ば冬に差し掛かったある日の昼下がりである。マスター・苗字名前はさきほど、アーチャーのサーヴァント・ギルガメッシュと昼食を食べ終えたばかりである。寒くなってきて手足が冷えると文句を垂れたギルガメッシュは家具店で文明の利器であるこたつを買ってきた。そのこたつで暖まりながらの昼食は名前の特製サンドイッチ。春に散歩に出掛けたギルガメッシュに対して作ったものである。「庶民の味」と小馬鹿にしながらもしっかり完食してくれるあたり、器の広い王様であると実感させられるのだ。
「サンドイッチで思い出したけど、春にギルガメッシュがくれたキャンディすごくおいしかったなあ」
「雑種どもが作った中から厳選して我が選んだのだ、当然であろう」
「ホワイトデーにくれたんだよな。今年は何がいいかなあ。」
「待て、それ以上言うなよ。面白味がなくなるであろうが」
とりとめもない会話を繰り返す。まるでふたりの仲にあるなにかを確認するかのようだ。そこに作業のようなつめたい温度はなかった。食後だから少し暑いかと切ったこたつのスイッチは今もそのままで、今のふたりをあたためるのは血の通った人間の温度だ。
「夏祭りっていうか風鈴市で見た花火も綺麗だったし、筋トレも続けてたらちょっとは筋肉つきました」
「ふん、まだまだ貧弱のうちだ、そんなものは」
「うう…精進します…」
机をはさんで向かい合わせで会話を続ける。まだ小さな木枯らしはたまに吹くが、ふたりの食卓にはひだまりが差してあたたかい。小春日和というには肌寒く、しかし、凍え死ぬというには空間にはぬくもりがありすぎる。ぽやぽやとした満腹感をよそに、不意にギルガメッシュが「茶が冷めた、温め直せ」なんていうものだから、マグカップ半分に注がれた紅茶を温めるべく電子レンジへ向かい、ギルガメッシュの舌がやけどしない程度に温める。
ふと、名前は口を開いた。
「一年経つね」
「なんだ脈絡もなく。」
「ギルガメッシュと過ごして、そんぐらい経つなあと今ふと思ったんだよ。」
「またたきのような日々よ。」
「なあ、ギルガメッシュはどうだった?」
「どう、とは?」
「なんかない?楽しかったとかなんかそういう感じの。」
「王に意見を聞かせろとは貴様はまこと」
「王じゃないよ、『ギルガメッシュ』に訊いてるの。」
振り返って少し微笑んだ名前はキッチンからゆっくりとした足取りで食卓に戻る。微笑んではいるが、声音は強い芯を通していて、ギルガメッシュはふんと鼻を鳴らしながら口をへの字に曲げる。気に食わないという話ではないのだ。機嫌を損ねたわけでもない。単に臣下として見ていたものが急に、ギルガメッシュからしたら一丁前にマスターの顔になったので、少し感傷が沁みたのだ。まだまだ一人前というには世界を見渡しきっていないのに。そういう感情なのだ。
目を少し細めた。
「景気は不安定。人間は多すぎる。国は解決すべき問題が山積みであるのにも関わらずどいつもこいつも何食わぬ顔をして気に食わんな。まこと、無駄なことばかりよ。現代人は無駄を過ごすのが趣味なのか?」
ギルガメッシュは肘をついて手の甲にあごを乗せる。すこしイライラしているとき、けだるい時の癖だ。しかし、思い出しでいらいらしていてもその瞳には妙な穏やかさがある。
苦笑いして、それでも不思議に思った名前はギルガメッシュの話が終わったのを見て顔を覗き込む。「なんだ、何かあるなら申してみよ」なんて、瞳の中の穏やかさと仕草がちぐはぐなギルガメッシュが言うものだから、名前は直球に訊いてみた。
「気に食わないことばかりだった?」
苦笑いではない。今度は慈愛のような微笑みだった。ふふ、と思わず笑いをこぼしながらもギルガメッシュの仕草を真似しながら問いかける。
少し間を置いて、駄々をこねる子供のように拗ねながら、それでも腑に落ちたようにギルガメッシュは問いに答えた。
「いいや、いいや。無駄なものばかりだとも。…だが、そうさな。少なくとも魔術師らしい魔術師に我が召喚されていたら、この目で見えなかったものばかりだとも。」
にや、と口角を上げて続ける。
「人間に価値がないのは変わらんが、価値とは変動するものだと、答えを結んだことがある。今もそうだ。むなしいものばかりで、ひとつひとつの悪意を浴び、この眼で視て、その濁流を眺めたこともあるが…、その時の我は足元を見ていなかったのだ。」
ギルガメッシュが急に真顔になる。さびしい表情だった。少し眉根を湯せて、先程の勝気な表情は今はない。人形のよう、とはまた違っている。いつになく表情がころころと変わるギルガメッシュに名前は驚いた。ああ、そういえば叙事詩とその研究でもギルガメッシュは「感情が豊か」であると評価されていた。評価なんて言ったらまた怒るだろうから、と名前は黙っていたが、かの王はみんなが知っている王なのだと思うと、笑顔がまたこぼれそうになった。
「貴様ら人間は、その『無駄なもの』を斬り捨てようとはしなかった。だから弱い。弱すぎると言っても良い。だからこそ、弱くとも、今この時を最期まで生きようとしている。…人間の、その愚直さだけは変わらんな。」
ギルガメッシュが話をそう結んだ時、ああ、と名前は思った。瞳の奥の穏やかさは、人間たちに対するギルガメッシュの少し屈折した、それでも真っすぐでたしかな愛情だったのだ。
こんなあたたかいものに、微笑むな、笑顔をこぼすなという方が無理な話である。
「ごはんはおいしかったかな?」
「…雑種にしてはよくやるものよな」
「はは、そうか、そうか。」
レンジの音が鳴る。あたためた紅茶からは、ふわふわとした湯気が舞っていた。「あったまったみたいだよ」。ギルガメッシュのもとへ持っていき自分の席へ戻ろうとしたところで、ギルガメッシュから強く腕を引かれた。
「ここまで毒気を抜かれたのも、気付かなくとも良いものに気が付いてしまったのも、すべて、すべて貴様のせいよなあ。」
名前を自らの脚の間に座らせ、先程よりもさらに近くでそのなめらかな陶器のような頬を撫でたギルガメッシュは「なあ、名前。」と至極やわらかく目を細めた。
対して綾は、急なことで驚いて固まってしまっている。ギルガメッシュはそれをいいことに、名前を自分に背を向かせる形でひっくり返す。後ろから名前の肩、うなじに顔を埋めてらしくもなく擦り寄る。
ようやく状況が飲み込めた名前は、今自分はギルガメッシュの抱き枕にされていることに気が付いた。擦り寄るギルガメッシュの鼻先はすこしつめたかった。今日のギルガメッシュは、『ギルガメッシュ』だなあとぼんやり思う。威圧的な王の威厳は潜んでいる。それもそうか、と納得した。名前は『英雄王』ではなく、『ギルガメッシュ』に問いかけたのだ。
「そうだな、俺のせいだ。でも、ギルガメッシュがいなかったら俺は外にきっと出られなかったし、この変わらないものをギルガメッシュに魅せられなかった。うん、…きっと見せることもできなかったんだ。ギルガメッシュはさ、貴様が勝手に助かっただけだ、っていうけど、ギルガメッシュもきっと同じだよ。勝手に気付いただけだ。お互い様なんだよ、俺たち」
「不敬」
「あっはっは!ごめんなあ。」
ギルガメッシュは名前の肩に顔をうずめたまま、するすると名前の腰に手をまわす。端々がすこし冷たくて、渇いていて、でも芯があたたかい。このぬくもりがギルガメッシュの体温であることを感じながら名前は笑う。
名前は体勢をそのままに、ギルガメッシュを見上げて、そのさらさらとした金砂のような前髪をやわらかな指先で梳いた。ギルガメッシュは細めた瞳を閉じて名前の額にちいさく口づけを落とした。
「もうすぐ今年も終わるよ、ギルガメッシュ。また一年が終わるよ。俺も歳とるなあ。」
名前はさびしそうに微笑んだ。
「いつか、俺も死ぬんだろうなあ。」
何事もないように笑い飛ばす英雄の王は言った。
「ふは、意外と貴様は長生きかもしれんぞ!」
「なんでだよ!」
こどものようにむきになって反射的に言い返す。それでも王は言った。
「安心しろ。貴様が死んだとて、この世は何ら変わりはせん。我の庭だ。精々足掻けよ、雑種!」
かの王はそう言って笑う。
この声に、この背中に、この体温に、このぬくもりに、どこまでもついていきたいと思って彼方の自由へ手を伸ばしたことを、名前は思い出して安心したように微笑んだ。
「足掻いて、生きて、死んで、あなたのところへ、あなたの傍へ駆けて往くとも!」