その鎖できみを縛り付けよう
しんしんと、寒々しい空気が部屋の中に漂っている。英雄王ギルガメッシュが生身で生きていたころはこのような寒さを感じることはなかった。なにしろウルクとは今で言うところの中東である。これといって寒いのは冥界くらいだろう。とはいえ、その冥界も滅多にお目にかかるものではない。人肌のぬくもりがまだ残る掛布団を首のあたりまですっぽりとかぶっていたギルガメッシュは慣れない寒さに頭を抱えながらのそのそと起き上がった。
冬でなければ就寝の際身にまとうものなどほとんどない上、サーヴァントとなった今では風邪をひくこともないのだが、要は気の持ちようの問題で。しっかりとマスターの買ってきた服を着ている。仕方なく。あくまでも、仕方なくである。
人肌のぬくい温度がまだ残っていたのは、魔力供給のためにマスターと共に寝ていたからである。そのマスターである苗字名前は、半人前ながら臣下として、そしてマスターとして朝食の準備をするためにギルガメッシュが寝ているうちにこっそりと抜け出したのだろう。キッチンのあるリビングから香ばしいパンの香りが流れ込んできた。たかが雑種のマスターが作った料理の味なんて知れている。だが、慣れてしまったものは仕方がないのだ。そう自分に言い聞かせ、寝て凝り固まった身体を伸ばし、リビングへ向かう。
ドアを開けると、ちょうど朝食ができたところだったらしい。今日のメニューはパンとハムエッグ、冬野菜のサラダだった。
「あ、王様。おはよう」
「……。…、代わり映えせぬ朝食よな」
「俺も王様も低血圧だからね。朝は消化のいいメニューになっちゃうんだよなあ。ごめん。あ、でも付け合わせは毎日変えてるよ」
「知っておるわ」
「そう?ありがと。コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「ふん、どちらでもよい」
「それ一番困るなあ〜、どうしよっかな。」
名前はふにゃふにゃと笑いながら紅茶の支度をし始めた。なんだ此奴わかっておるではないか、と内心思うギルガメッシュがいた。名前の淹れる紅茶は絶品というほどではないが温度と甘さの加減が丁度よい。というのも、ギルガメッシュが仕込んだもの、いわば躾であるが。
「はい紅茶。もちろん甘さは控えめですよ王」
「当然だな」
そんな何気ない会話を二度三度交わして、朝食も食べ終わったころに、ふと名前が思い出したように話し始めたことがあった。なんでも、もうクリスマスが近いので職場であるカフェの店内はカップルばかりで、いいことではあるがまざまざと見せつけられると流石に胸やけはするとのことだった。日本人は社畜だから元々年末は忙しいんだけどね、とため息をしてぼんやり時計を眺めている。名前によると、同じ働き者でも資料やギルガメッシュから聞くウルクの人と日本人とじゃ性質が違うらしい。人種や時代、上に立つひとの問題ももちろんあるけどね、と名前は言った。暗に「上に立つひとならギルガメッシュが好き」と言っているのだ、これは。ギルガメッシュは当たり前ととりながらも口角を上げた。一方、職場の人間関係はかなり良好であるという。話を聞くと「それは嫌味を言われているのではないか」と思うこともあったが、本人は他人からの悪意に気付かないどころか気にもしていない。指摘をすれば人並みに落ち込むが、相当なものでない限りほとんど引きずらない。一貫して純粋だ。苗字名前というのはそういう存在だった。過酷な「自由」に放り出されても無垢であり続ける名前に対してギルガメッシュは一種の才を感じている。「飽きない」とはこういうことかもしれない、ともギルガメッシュは思った。
身なりを整え、支度を済ませてから「今日も励みます」と笑って名前は出勤した。
「ふむ、行ったか。」
名前は毎日「今日も励みます!」と出ていくが、ふとギルガメッシュはその仕事ぶりが気になった。連絡をよこしてから出向くのもいいが、わざわざそれをせずに出向いて慌てふためき緊張から手元が狂うさまも実に良いかもしれないと考えた。愉悦の香りである。そうと決まれば行動を起こすだけ。決断してからのギルガメッシュは用意が早かった。愉悦に余念のない男である。ちなみに玄関の鍵はしっかり閉めた。
***
「人が多い………」
一転して名前の職場、カフェの店内。休日の──現在は昼時であるからか、店内は人であふれかえっている。店自体はチェーン店のような有名どころというわけではないが、この地域では人が集まりやすい位置にある。名前はその店の給仕役だが、なんでも声掛けが神対応、らしい。近くの席から女子たちがそのような会話をしているのをギルガメッシュは聞いた。店内で働く名前を見ると、せわしないがその制服はよく似合っていた。元々見た目が悪くないのもあるのかもしれない。綾は仕事にかなり集中しているのか、店内にいるギルガメッシュに気付かない。ギルガメッシュはついでに昼食もとったが庶民的ながらそこそこ食べられないこともない味と評価した。ちなみにギルガメッシュが頼んだのは日替わりランチのオムライスとコーヒーだった。
すみません、と女性から名前に声がかかる。赤子が泣き止まないので申し訳ない、と言っていた。名前は座った女性に目線を合わせ、にこやかに微笑む。
「赤ちゃんは泣くのが仕事ですから大丈夫ですよ。かわいいですね。ほら、」
今度は赤子に目線を合わせてにこにこ笑いながらへんなかおをしてみせた。すると赤子はじんわりと泣き止んでいき笑顔が戻る。名前のあのような変顔は初めて見たギルガメッシュだったが、なるほど、と思うこともあった。
名前は給仕をしているが、その仕事はひとに寄り添うことだったのだ。自分がどれだけ忙しくとも、目の前にある大事なものを忘れないのだ。臣下を自称するだけのものではあるか、と、愉悦どころかなんだか毒気を抜かれてしまったので、会計も済ませて帰ろうとした。その時だった。
「え…っと。」
「返事はこの連絡先にしてくれればいいので」
「あの、俺仕事が──」
じわり、と、真っ白い紙に何か黒いものが侵食してくるような感触だった。綾は困惑している。大方、気持ちはうれしいが公衆の面前で、といったところだろう。ギルガメッシュに庇う気持ちはさらさらなかった。名前なら断ると思っていた。しかし実際は違ったのだ。
「…はい」
相手の勢いが強かったのか、押しに負けたのか、仕事が忙しかったためか、はたまたそのすべてが理由か。あろうことか連絡先が書かれた紙を名前は受け取った。自分はサーヴァントで、名前はマスター。しかも取るに足らない雑種でしかないというのに、ギルガメッシュはその事実が気に食わなくてしょうがない。自分には見せない顔だった。赤子の時もそうだった。我には見せない顔だった。自分だけがわかっていて、しかし知らない名前しかそこにはいなかった!
苦虫を噛み潰したような表情に呑まれる。あの無垢な臣下は自分のものでしかないというのに、自分がそのすべてを躾て、すべてを知って、すべてを見たはずであったのに。
毒気を抜かれたどころかどす黒く身体に纏わりつくような、醜悪な感情がはらわたの底でふつふつと煮えたぎる。これは支配欲からくるものだ、と言い聞かせないとやっていられない。並行世界の記憶でも、このようにないまぜになったような感情に覚えはなかった。嫉妬と呼ぶにはむなしく、憎しみというには冷めやらぬもの。
雨が降り出した。空の冷たさが足りなくて、雪にはならなかった。
***
「ただいま!」
何事もなかったかのような声音、表情で名前は家に帰ってきた。今日はクリスマスだからちょっと豪華なものを作ろうと早めに上がらせてもらったと楽し気に話している。返事をする気がおきない。ワインは先に開けてしまった。グラスの中の赤いアルコールをゆらゆらと揺らす。暴発寸前の風船を名前の目の前に置いているようなものだ。
ギルガメッシュの様子の変化に気が付いたのか、名前は聞いてきた。
「…なんか怒ってる?」
「さてな、どこぞの雑種が尻軽なのでな」
「?」
「ああも流されやすく押しに弱いとは、腑抜けも極まってマスターとしての底が知れるわ」
あからさまに不機嫌で拗ねたような態度のギルガメッシュに、名前は一瞬考えた。何がギルガメッシュをこんな風にかなしくさせているのだろう、と。先ほどの言葉を思い出す。「流されやすい」「押しに弱い」「マスターとしての底が知れる」「尻軽」。もしかしたら今日、ギルガメッシュは職場に来ていたのかもしれないと名前は感じ取った。勘でしかないが、ワードから考えるにそれしかなかった。加えて、ギルガメッシュは何か勘違いとしているということにも気が付いた。であれば、その誤解はしっかりと解かないといけない。サーヴァントの管理はマスターの役割である。…というのは建前で、名前の世界はギルガメッシュを中心にして廻っているので、その芯の部分であるギルガメッシュのことはやはり大切にしたいのだ。
「ギル、今日、職場に来てくれたんだね」
「…………。」
「ありがとう。しっかり励んだよ。でも、ひとつ不安…かどうかは俺にはわからないけど、それに近いようにしてしまったかもしれない。事実を言うと俺にはギルガメッシュしかいないよ」
「何を」
抱擁。
ギルガメッシュが何かを言いかけたところで名前はギルガメッシュを瞬間、抱き締めた。少し離れて、ギルガメッシュの冷え切った手を握る。手先が少し赤い。おそらく暖房やストーブも入れずに名前の帰りを待っていたのだ。帰ってくると信じて。逃げ出しなどしないのに、ただ待っていたのだ、この男は。
「おかえり」を言うのは自分の役割だ。ギルガメッシュは人類史が果てるまで人間たちを見守っていて、その終わりを出迎えるひとなど今はもういないのだから。自分が駆けていかねばならないのだ。普段もそうだ。ギルガメッシュは名前より少し遅く帰ってくるのだ。どちらにしろ、「おかえり」は名前が言うものなのだ。二人暮らすうちに、いつしかそんなことに慣れ切ったのだ。名前も、ギルガメッシュも。
「人類史が果てて貴方の役目が終わったあと、おかえりなさいと言うのは俺だと言ったでしょう。」
「その約束は目に見えぬ」
「じゃあお見せしましょう」
名前はポケットから連絡先の書かれた紙きれを取り出すとギルガメッシュの前でびりびりに破いて、ふん、とふんぞり返った。
「確かにね、気持ちだけはうれしいですよ。俺を好いてくれるなんてなかなかない機会なので。でも、たとえどれだけの人間が束になって俺に言い寄ろうが、俺が好きなのはギルガメッシュだけなんだよ」
「……、………そうか」
「だからそんなかなしい顔をしないでください」
店では見せなかった名前の顔。少し照れたような顔の綻びと、強い意志を持ったアメジストの瞳。自分にしか見せない顔。このように寒々しい思いは二度としたくはないとギルガメッシュは思っていた。普段は自分が名前を振り回していた。そのつけが回ってきたのかは知らないが。しかし半人前の臣下の面倒で普段から手が塞がっているのだから、我は悪くないと今回ばかりは名前を許さない。ギルガメッシュは、臣下が自分の元から去るのを許さない。これは明らかに支配欲からくるものではない。わかってはいたものの、改めて感情を突き付けられると否定したくなるのは、自分に人間の血が流れているからだろうか。それとも、そこまでこの臣下に毒を抜かれて、別の毒を入れられたのか。もはや鶏が先か卵が先かといったような問題に頭を抱えたくなった。もう面倒なので、こうすることにした。
「…あのー、ギルガメッシュ。これは?」
「首輪だ」
「チョーカー?だよな、質感としては」
「チョーカーともいう。躾をし直さねばと思ったまでよ。貴様が誰のものであるかは、貴様の骨の髄まで分からせねばなるまい。次にあのような態度を他にとってみろ、首が飛ぶぞ」
「ごめんごめん!頑張ります!」
しかし、名前はまんざらでもなさそうな表情である。魔力供給の時もそうだが、名前にはマゾヒストの傾向があるのだ。これくらいで丁度良いとギルガメッシュはふんぞり返る。
「今日はクリスマスだといったな」
「え?うん、そうだけど」
「それを賜す」
「プレゼントってこと?」
「そうだ」
「俺忙しくてなにもギルに用意できてないけど!!?」
「やかましい!腹が減ったわ!さっさと飯を作れ!明日もな!」
なんとなく、茶を濁すようにギルガメッシュは言う。
愛情という名の鎖で縛るのは、きっとどんな首輪よりも効果があるのだ。