ぼくらは愛がほしいのだ



まだ少し冬の寒さがあとをひく季節、今日の夕飯は鍋だった。こうして食器や調理道具を水洗いする時、あたたかな春が待ち遠しくなる。食器を洗っているのはもちろん英雄王ギルガメッシュではない。彼はなにを考えているのか、今日は宝物庫にある道具で時間を潰すこともなく、あえて言うなら不気味なほどおとなしい。何か悪いものでも食べたのか、いや今日最後に食べたのは鍋で、正真正銘自分が作った。マスター・苗字名前はひとり自問自答していた。
物音ひとつ立つことがない───というのは少し誇張しすぎな気もするが、実際そう比喩してもよいほどだった。どちらかというと、元気がない。背中が少し寂しい。そんな雰囲気をまとっていた。
今は洗い物に集中するか、と静かなギルガメッシュをそのままに、名前は家事を続ける。自分に構い過ぎて他をおろそかにして怒るのもギルガメッシュなのだ。とはいえ、ギルガメッシュは何をしていても大抵は何かしら独り言を発するので、それもなく何もしていないとなるとやはり気がかりである。体調が悪いとか、そういったものだったら大変だ。
そんな結論に至った名前は口を開こうとする。しかし。
───背中にぬくもりを感じて、思わず、固まってしまった。

「ギ、ギル?……どうしたの?」

抱きすくめられている。
始めは身体全体を、そのうちにするりと腰のあたりに腕が回る。
動揺が隠せない。ギルガメッシュが気まぐれなのは今に始まったことではないが、こういったことは今までなかった。すり、と、甘えるように名前の髪に頬擦りをしている。なんだ、一体ギルガメッシュはどうしてしまったというのだ。
これといった返事もない。しかしこの背中にあるのは確かにぬくもりで、ギルガメッシュの、生きたような体温で。まるでしかばねのようだ、といったようなネタは通じない。どうしたものか。笑い誤魔化せるような空気でもない。腰のあたりに回されたギルガメッシュの手は、今日はなんだか怖いほどにやさしいだけだ。

「ギル。…ギルガメッシュ。返事がないと、わからない」
「…………。」
「…魔力が足りない?」
「………………。」

それでもかたくなに返事をしようとしない。どうしてしまったんだ、いや本当に。様子がいつもと違うのは確かだが、何度か───粘膜接触による魔力供給をしているうちに魔力の通りは確実に良くなった。パスも不完全とはいえ、不備というほどでもなくなった。他に原因は見当たらないので、やはり体調がすぐれないのかときくと、無言で首を振る感触が髪から伝わった。いつもと違うギルガメッシュは、イエスかノーかの返答はできるらしい。声が出ないわけでもないようなので、名前はほとほと困ってしまった。おもわず笑いがこぼれてしまう。

「黙っていられたらわからないなあ…」

この状況がいつもと違って、なんだか可笑しくなってしまってくすくすと笑いが出てしまった。そうこうしているうちに食器洗いも終わってしまったので、ようやく腰に回された手に自分の手を重ね、いとおしげに、触れるように、やさしく撫でる。
冷水に濡れた手を拭いてからだったので、ギルガメッシュからしたらすこしつめたいかもしれない。少し慣れてきたとはいえ、まだ少し心臓の音がおとなしくしてくれない。これでは、こんな身体を密着させていれば、さきほどの軽口が虚勢のようなものだとばれてしまう。羞恥にまみれた瞳をそらし、必死でそれを隠しながら、未だ髪に擦り寄るギルガメッシュに向き合おうとしたそのときだった。

「魔力は、足りている」

低く、情を孕んだような声。腰に回された手が熱い。おもわず鼓動が跳ね上がった。今ここにいるのはサーヴァントのギルガメッシュではない。英雄王ギルガメッシュでは、ない。

「え、なら、どうして…えっ、」

名前の、夜を堕としたような漆黒の髪への頬擦りをやめたかと思うと、今度はうなじにその薄い唇をおとしてきた。名前が前に買った腰回りのすこし緩い部屋着のズボンにその熱い手を差し入れて、女性ならば、そう、ちょうど子宮のあるような部分をするすると撫でられる。これでは、これでは、なんだかへんな気持ちになってしまう。閨の、あのギルガメッシュを思い出してしまう。抱きすくめられ撫でられただけでこのような想像をしてしまう自分があさましく感じて、はやくなっていく心臓の音から目を背けるようにぎゅっと目を閉じた。
行き場を失った名前の手、冷たくなった指の隙間を、ギルガメッシュはじれったいとでもいうように撫で、こわばった名前の身体、その指先をからかうようにくすぐった。

「………っ、」

なにも、言えない。手先はこれほどまでに冷たいのに、ギルガメッシュの体温が伝わってきて、身体の奥がじんわりと熱くなる。きっとからかっているだけだ、そういう芝居なのだと、思えたら、今どれだけ楽だっただろうか。脚に力も入らなくなってくる。互いの心臓の音だけが重なるこの静寂が、とても背徳的だ。
名前の心臓は、それはもうとてもうるさい。まるで全力疾走したあとのようで。これがギルガメッシュにも伝わっていると思うと顔から火が出そうなほどだ。しかし、よく、神経を研ぎ澄ませてみると、後ろから重なったギルガメッシュの心臓の音は、一緒に寝ているときよりも速い。
───この状況は、一体なんだ。
互いの顔を、うまく見ることができない。いつものように見ることが、できない。らしくない。しかし、名前はどうにかしてこの状況を脱したい。そうしなければ、この心臓がもたないからだ。
膠着状態のなか、ギルガメッシュの声が静寂を裂いた。

「貴様の魔力、いまこの時はいらぬ。だが、」

───欲しい。

たったひとこと、『欲しい』。
なにがほしいのか、素直すぎる名前には一瞬わからなかった。しかし、身体に伝わる熱、互いの身体に響くうるさいほどの鼓動、甘えたような擦り寄り。本能のままの手の動き。魔力は足りている、しかし『欲しい』。それは、魔力ではなく名前が欲しいということで。───いいのだろうか。自惚れても、いいのだろうか。こちらの勘違いということではないのだろうか。そんなこと、今まで生きてきて誰にも言われたことなんか無かった。その言葉を、いま、他の誰でもない、大好きなひとから言われて、混乱しないほうがおかしい。名前はそう思ったが、呑み込んだ。この王は、英雄は、ギルガメッシュは、これまで名前に嘘をついたことなど、一度もなかったのだ。
ギルガメッシュは、優しいひとでは決してない。価値観が違ったのなら、ためらいなく敵にまわるだろう。しかし間違いなく、名前にとってはあたたかい、血の通ったような、誰よりも人間らしいひとだった。人間味のなかった名前を、人間にしてくれたのは紛れもなくギルガメッシュにほかならないのだ。

「そんなこと、言われたら、…自惚れる。いいのか、…ギルガメッシュ。」
「……、良い。」

自惚れて良いのだと、そう言われた。向き合って手を引かれる。
ギルガメッシュは、魔力よりも名前が欲しいと言ったのだ。魔力供給や、相性の問題ではないのだ。ギルガメッシュは、『マスター』ではなく、そこにいる『苗字名前』を求めたのだ。それが欲しいと、そう言ったのだ。
もう後戻りなどできないだろう。あの王が、王でも英雄としてでもなく、ひとりの人間として、生々しくてたまらなくなるほどの感情を不器用に精一杯ぶつけてくれたのだ。ならば、マスターではなく、人間らしくなった自分自身で応えるのが、きっとこの世界における愛なのだ。