3.「お探しなのは、このタイトルですか?」



「ふう…」

段ボールから入荷した書籍を取り出し、ジャンル、新刊、既刊…と分けていく。書店員だと一日の仕事で大切なのはわりとここである。本日分の新刊は最低限でもお店に並べないと、新刊をお探しで店に来てくださるお客さまに対して大変失礼なことなのだ。当たり前のことだが。
品出しをしながら昨日のことを思い出す。王様。名前をギルガメッシュという、このビルの大手ベンチャー企業の社長。なんの縁か王様と関わりを持つことになってしまったぼくは、昨日の対応は失策だったかと不安に駆られてしまう。

「いや、自分の直属の上司ではないんだし…」

といったところで、このもやもやが晴れるはずがない。不快にさせてしまったかもしれないと、それだけがどうしても懸念だ。なぜ、こういった感情になるかはわからない。ぼくと彼は、単なる「お客さまとスタッフ」の関係でしかないはずだ。顔も別に好みではない。話が合うわけでもない。
機械端末で発売日をチェックしながら、書籍をブックトラックに並べていく。いつもならスムーズなその手のリズムは、今日はとてもゆっくりだ。ああ、はやく、はやく出さなければいけないのに。これでは仕事に支障が出る。思い出さないようにしても、たまたま段ボールから出した書籍は、昨日彼が買っていったコミックの新刊だった。きっとここにいる限り、彼に繋がる糸は機織りのようになっている。

「あの人、今日もまた来るのかなあ…」


***


正午。
あらゆる人が休憩時間なので店は盛況だ。気にもしたくないのに、彼のことをふとした瞬間に目で探してしまう。あの透き通るような金髪と、深紅の瞳はよく目立つ。彼自身が歩く目印のようなものだ。
一通り探してみていなかったので、今日は職務で忙しいのかとほっと胸を撫で下ろしたところで、振り返った矢先に。

「あ、」

沈黙。

いや、ぼく、何か喋れよ!内心で自分を叱咤しながら、なんとか声を絞り出す。笑顔が引きつっていないか、それだけが心配だ。

「本日も、なにかお探しでしょうか」
「いや、貴様の手は要らん。下がれ」

あからさまな拒絶。ここで深入りするのはよくない。ここは下がるしかない。目尻が引きつって痙攣して、痺れたまま精一杯の笑顔で「かしこまりました、ごゆっくりどうぞ」というほか、なかったのだ。
彼は適当に本を手にとった。コーナーのジャンルからしておそらく彼の仕事に関する書籍だ。
ぼくの態度か、仕事ぶりか、はたまたその両方かが気に食わないのか。何も言えないまま、その場に立ち尽くすこともぼくはできなかった。
彼の表情は、覚えていない。

「おーい、名前。休憩時間。」

呼ばれてやっと気がついた。自分の休憩時間がやってくる。このままここにいるのは良くない。ぼくは、大好きだったはずの職場を後にした。


***


「申し訳ありませんお客さま、本日、満席でございまして…」

なんともついていない。いつものカフェに行ったらこのザマである。みたところ二人席を一人で使っている客が多いのだ。なんだ、一人席を使えばいいじゃないか。あるんだから。こみ上げる感情を抑えて、にこやかに「わかりました」そう言った。テイクアウトで、と言おうとしたところに、穏やかな声が刺さった。

「僕は相席でもいいが。」

不思議な格好をした成人男性だった。長いサイドの髪はシルクのような銀髪で、後ろにポニーテールとして括られている。何か本を読んでいると思ったら、うちの店では取り寄せでしか扱わないような専門医療書だった。医師、だろうか。

「お客さま、如何されますか?」
「え、ああ、じゃあ、お言葉に甘えて…えっと、コーヒーと…」
「顔色が悪い。コーヒーはやめておけ」
「えっ」
「その状態で強いカフェインの摂取が良くないと言った。カモミールティーがいいだろう」
「えっと…じゃあそれと、とAサンドイッチで」
「か、かしこまりました、少々お待ちください」

この医師は一体何なのだろう。ぼく、今そんなに顔色が良くないのだろうか。青いとか…ではないと思う。ここにくる前トイレに寄ったが、いつもと変わらないように見えた。

「あなたは…ええと」
「このビルの近くにある大学病院の医師だ」
「ああ、あそこの。外科…ですか?」
「いや、内科だな。」

───だからか。妙に判断が早かった。主にぼくの顔色についてだが、それでも今のぼくに体調不良などないのだ。この医師はどこをみてそう判断したのだろう。
きいてみたところ、こう返ってきた。

「単純な話だ。浮かない顔をしていた。ちなみにこれはナンパじゃない。」
「う、浮かない顔…」
「心の病は管轄外だ、故に僕ができることはなにもない。しかし──」
「お待たせしました。カモミールティーとAサンドです」
「この飲み物には気分を落ち着かせる作用はある。飲んでおけ」

いい人なのかもしれない。こちらの話は全く聞かないが。そういうところは、彼に少し似ていると思わなくもない。
医師はそれからぼくに特段話しかけるわけでもなく、しばらくしたら仕事へ戻っていった。時計を見ると、もうそろそろ職場に戻るべき時間になっていた。
ふう、とため息をつく。確かにこのお茶は気分が落ち着く。もやもやしていた部分が少し晴れたような、そう、例えるなら曇天の空の中から太陽が少しだけ見えたような、そんな感じだ。

「さて」

***

滞りなく仕事は進む。今朝、迷いのあった手が嘘のように軽い。今度からあのお茶を飲むのも気分転換になっていいかもしれないと、自然と頬が緩んだ。言い方は少しきついものがあったが、おそらくあの医師はいい人だろうという確信が持てた。本を扱うこの手の軽さが、その証拠だと思う。
───そうして、気づいたら夜になっていた。
彼は今日昼間に来たし、夜は流石にこないだろう、と思ったが、この世にはフラグというものがある。そう思った時点で、そういう流れになっていてもおかしくはない。あまり信じたくはないが、ぼくの今日の星座占いの運勢は最下位だった。

「名前。」
「はい?」
「なんかあなたに用があるってお客さまがいらしてるんだけど、あなた何かしたの?」
「ええっ…」
「しっかり対応するのよ」

クレームではありませんように。願いながらカウンターに向かうと、偉そうに足を組んで、あからさまに不機嫌な彼がいた。

「書籍の返品をしたくてな」
「…申し訳ありませんでした、何か不手際を」
「いや、我がたまたま間違えて手に取った品だ。貴様の考えるようなことはない」
「返品処理いたします。レシートはお持ちですか」

差し出されたレシートをもとに、返品処理は順調にできた。保管状態が綺麗なので、おそらくレシートは本に挟んだまま、本もあまり開かれていない。開かれた癖付き、跡がないのだ。
この人は本に対して興味が強くあるようにも思えない。それでも書籍の管理状態がとてもいい。何時間か職場においてあったものなら、埃ひとつ、髪の一本も挟まっていない。

「貴様の、」
「?はい」
「貴様の本を選ぶ技術は、天性のものではないだろう。ただ凡俗なものだ」
「…はあ」
「凡俗ゆえ、喋りたがる。探すものがあるとき、わからぬものに対して素直だ。返された応えをよく咀嚼している。」
「ええと、つまり」
「我のいう本を探せ。ちなみにタイトルも作者の名前もわからん。興味がない故覚えていなかったのだ」

ははは、とギルガメッシュは笑った。
興味がないなら来なければいい。探す必要もない。なんならこの人は金持ちだ。必要であれば専用の司書でも雇えばいい。
それをしないのは、ぼくの名前もなにも知らないのに、まるでぼくがこの仕事にどう向き合っているかをみていたようだった。

「一体、どんな本ですか」

そこから言葉を続けると、彼は目を丸くして、それから満足そうに笑った。


「まずは貴様の名を我が知らねば、この話は始まらぬだろう」