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「いやいやいや、無理ですって」
煌めきに目を奪われたあの舞台から早半年。陽光がじわじわと降り注ぎ、あの人に負けないと言わんばかりにあたしを焦がす、夏。
こんな八月中旬、疲れも暑さも知らない子供が遠くに見える公園の片隅で、驚愕と呆れと疑いを混ぜて溶かした声が響いた。それまでお話に盛り上がっていた子供たちのお母様方が何事かとこちらを見遣る。
「おい馬鹿、でけぇ声出すな。俺が怪しい人間みたく思われるだろ」
ひそひそ話を始めるお母様方の視線に、慌てて目の前の人物は言葉を紡ぎ、お母様方に向けて愛想の良さそうな作り笑いを向けた。
「事実怪しい人ですよ。いきなりおじさんが話しかけてきたと思ったら、ユニヴェールに入れだなんて言ってきて……」
「だーかーら、俺はユニヴェールの校長だっつってるだろ。学園のホームページに名前だって載っている」
「…………」
それは知っている、今確認したから。
“中座秋吏”なんて、ありふれた名前でもない。調べたらすぐに出てきたし、顔写真と見比べても中座秋吏本人だとわかる。
しかし、怪しいと思ったのは人柄とよりも、彼——中座秋吏の話の内容だ。
「大体、ユニヴェール歌劇学校は、男子だけで男女両役を演じている……つまるところ、男子校じゃないですか」
そう、彼があたしに言ったのは要するに、男子校に入学しろということだった。
あたしは別に、特段一般的な男子っぽい見た目をしているわけではない。性別を間違えて勧誘した、なんてことはまずないだろう。
……尤も、このご時世に男子っぽいとか女子っぽいとか言っているのもどうかとは思うが。
「そこだ」
今までの少し間抜けな空気が張り詰めると同時に、中座秋吏の顔つきが変わる。
当たり前だが、おふざけで声を掛けたわけではないんだ。
「二百年……もっと遡れば三百年も男だけで舞台を作ってきたわけだが……お前はどう思う?」
どくり、と心臓が跳ねた。思考回路を読んだわけではないだろうが、今まさしく疑念を抱いていたことを指摘され、言葉が迷子になる。
「正直に言ってみろ」
またしても彼はあたしの思考を先回りした。聡明そうな碧眼は、真っ直ぐあたしを見つめる。試されているようにすら思うほど、じっと。
きっとこの人は、あたしが何か言うまでここであたしの言葉を待つのだろう。日が傾いて、ひぐらしが鳴き、子供達は母親に手を引かれお友達とバイバイし、やがて黄昏時を通り過ぎて白々とした街灯に照らされても。
実際はそんなことないのだろうけど、今、この人から感じる視線はこちらが物怖じしそうになるほど強く、どこか優しい。
「あたしは、」
やっと吐き出した言葉の続きを彼は催促しない。
「男子が男女両役こなす、という伝統は面白いと思います」
——でも。
「女子だって、男役を演じたい、し、あたし、演じるのに男も女も関係ない、と、思い、ます」
言葉に詰まりながらも溢したのは、あたしの本音だ。あたしを見つめる視線に胸を張れる、答えだ。
碧眼を睨み返すと、二人の間に沈黙が訪れた。遠くではしゃぐ子供の声と、木々のささめき、蝉時雨が五月蝿く感じる。
ふっ、と彼は笑った。それまで張り詰めていた空気が和らぎ、暑いのに冷えを感じていた体が熱を覚える。
「合格だ」
その後、『ま、学園の試験にも合格してもらう必要はあるけどな』と言った中座秋吏に、願書はこっちで用意するということ、学園の試験にも合格したら性別を偽ることについて話され、日が落ちる前にさようならをした。
高い技術を求められるであろうユニヴェールの入試まで、知識のない自分は果たして受かるのだろうか。仮に合格したとして、授業内容についていけるのだろうか。不安がないわけじゃない。むしろ不安しかない。
ただ、あたしを衝き動かすのは、あの人。
第七十四回ユニヴェール公演、クォーツの主役格として舞台に立った、あの人。
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四葩