薫流について

「これは神が与えた試練だと思います。
僕は常に己を見つめ直し、鍛え、
試練に挑み続けるのです」



僕は、生まれも育ちも、日本人ですが
純粋な日本人ではないのです。
琴乃袮の、家の生まれでもありません。

父親がアメリカ人。
母がイギリスと日本のハーフ。
その間に生まれた子供が、僕なのです。

父も母も日本が大好きで、
ずっと日本に住んでいたらしいです。
父と母は、僕が生まれてから、たくさんの場所に連れて行ってくれました。

その中でも、たくさん訪れていたのが、
母と父の出会いの場でもある、「琴乃袮の家」。


「僕はいつもそこで、父や母から、思い出を聞かされました。
それのどれもが、輝いていて、美しくて。

僕が産まれる前も、父と母は、生きていたんだと、実感したんです」


特に母は、道場の門を叩いた理由を教えてくれました。


「私は、この本の、騎士さんに憧れたのよ。
とても強くて、1人の王に誓って、
誇り高く、強い騎士であり続けた。
私はね、こんな風に強くありたかったの」


次第に、僕は、父と母と、同じ道を歩みたくなりました。


僕の希望を両親は、快く受け入れてくれたので、
その日から、
僕は道場で教わることになりました。
今、通っている生徒の中でも、最年少でしたね。

たしかに、小さい体では、厳しいことも沢山ありましたが
けれど、これは、父も母も通った道。
そう思うと、自然と、力が湧いてくるのです。




僕が8の時、父と母は、僕が琴乃袮で稽古を受けている間、
近くの総合店舗へと買い物に出かけました。

「後で迎えに来るからね」
「今日はなんだかね、すごく気分が上がってるの!
だから、晩御飯も期待してて!すごいの作っちゃうわ!」




それが、父と母の最後の言葉でした。





某商業店舗での、無差別殺傷事件でしたね。
その店内にいた方々数名が、重軽傷を負い、
中には死亡者もいました。

その中に、父と母が含まれていたのです。

それを知ったのは、
帰りの遅い両親を待っていた、冷たい夜。



引き取り手は、琴乃袮の家になりました。
養子として迎えられることになったのです。

僕は、泣き叫ぶことも、荒れることもありませんでした。
ただただ、絶望したのです。
大切だった日々が、唐突に奪われてしまう。

日常というものは、こんなにも、
簡単に壊れてしまうのかと
齢8の時に、知らされてしまったのです。


僕が打ちひしがれている時、お爺様が僕に声をかけてくださりました。
お爺様は、僕と向かい合って座ると、

慰めるわけでもなく、咎める訳でもない
何事もない顔色で
「真実」を告げたのです。


「薫流。心を病んでしまうのも理解出来る。
突然奪われたものは、さぞ大切だったものだろう。
そして、失った喪失感は、計り知れない。

だがな、
これらは、もう、決定していることなのだ。
変えることは出来ない。
幾ら嘆こうと、両親は戻ってこない。

ワシは、こう思っている。


これは、神が与えた、残酷なる試練なのだと」


試練。
この辛く、苦しい現実は、試練。



「泣くなとは言わない。憎むなとは言わない。
ただ、乗り越えるのだ。
お前には、それしかない。

残されたものは、どう足掻いても
乗り越えるしか、ないのだ。

去ったものの思いを抱き、
前を向いて、進むしかないのだ」



ふと思い出したのです。あの本の騎士のことを。

あの騎士は、どれだけの仲間が亡くなろうと
裏切りられようと
ただただ、前を向いた。
その先の、光を見つめていたのかもしれない。

その時の僕にはいなかった、
王…誓った人を、守るため。


僕は、長かった髪を、近くにあった鋏で、
切り離しました。
両親が褒めてくれた、長い髪。
この行為は、決意であり、決別であり、
別れである。


「…っ…僕は!本日から、琴乃袮薫流として生きることを決意します。
おじい様の元で!己を鍛え、鍛錬し、

神が与えた試練を!
乗り越えてみせますっ…!

だからっ!!
どうか…っ
っ…ぁ…っ…

よろしく…っ…お願い…します…っ……っ…」



その日から、僕は、
琴乃袮の家の者になりました。



その日から、一段と稽古は厳しく感じた気がします。
平気ではありませんでしたが、それでも、
僕は弱音は吐かずに
食らいつきました。


そうする日々が、10年続きましたね。


肉体、精神共々鍛えられ、いつか理想に見た自分に、近づけたような気がしました。

高校を卒業してからは、琴乃袮の家で常に修行するようになりました。
体を壊し、ふせているお爺様に変わり、僕が稽古をつけることも多くなりました。
まあ、この琴乃袮で、
お爺様の次に強いのが、僕なのですから。







お姉様や、お兄様に出会ったのが、それから2年経った時のことでした。

お姉様に出会ったのは、
それこそ…なんでもない、近所の公園です。

泣いている子供に、優しく寄り添うお姉様。
どうやら、怪我を負ったらしく、
お姉様が手当をしている所でした。

「まるで聖女のような方だ」

第1印象は、まさに、それに尽きる…のです。

非の打ち所がない、慈愛に満ちた笑顔。
優しく、柔らかく、体に染み込んでいく声の音色。
手当を受けている子供も、周りにいる子供も、
すぐに心を開いていく様子が、目に見えて分かりました。


施しを受け、子供達が彼女の前から去っていって後、
パチリと目が合ってしまったのです。


「…?どうされましたか?」
「…あ、いえ…。
…失礼、申し訳ありません…。

お優しい、のだなと、思いまして…」

「ふふ、そうですか?
ありがとうございます。

…初めましてですね。
私は白夢心陽と言います」


些細なきっかけで、2人で話す事になったのです。
本当に、小さい出来事からでした。

でも、それでも、僕にとっては
大きな出会いでもありました。

白夢心陽というお方は、とにかく
「完成された人」だった。

誰に対しても優しく、正しく導く聖女。



僕は、この人に、誓いを立てたい。



…いいえ、そんな、純粋な、清らかな気持ちではありませんでした。
あの頃の、まだまだ未熟な僕は、

こうも思ってしまだたのです。



(僕は、この人に、誓えば

憧れた騎士になれるかもしれない)




僕は、白夢心陽という人間を、お姉様と呼び、敬愛するようになりました。

名前ではなく、もっと特別な呼び方をしたいなと思い…
どう呼ぶか悩みましたね…ふふ。

お姉様は、そんな僕を、すぐに受け入れてくれた。

「なんであなたは、そんなにも、
お優しい人なのでしょう」

お姉様の御家族も、紹介していただいた。
全員、過去に別々の家庭へと引き取られた経緯があり、
現在、奇跡的に巡り会えたらしい。

柴野心幸。
…お兄様は、
言葉遣いは荒いですが…
包容力があり、面倒見のいい。
まさに、お姉様の親族と言っても、納得のできるお方でした。

白夢心陽という存在を、お姉様と呼ぶのであれば、
その兄である、柴野心幸も、お兄様と呼ぶのが自然なのかもしれない。




ただ1人、お姉様の双子である、灰獄千陽だけは、
許せなかった。


「お姉様も、お兄様も、あなたの事を心配して…愛しているのに

なぜ
お姉様も、お兄様も否定するような生き方をするのです。

僕は、あなたが、理解できない」



お姉様やお兄様の、愛情を否定し、
努力もせず、求めることも無い。

そんな底辺な人間が、なぜ、お姉様の親族なのか。
納得いかない。


そんな、救いようのない人間でも、
お姉様は、等しく優しかった。




僕は、まだ神から与えられた試練の途中だと思います。
それはいつ終わるのかは分からない。
ただ、

両親が、安心出来るくらい、
強く正しくあるべきだと思っています。

そして何より、
お守りしたいと思う方ができた。

大袈裟だと感じるかもしれませんが、
僕にとっては、
お姉様という存在は、
この世の誰であろうと超えることは出来ない
「人を導く聖女」だと感じております。

きっといつか、偉大なお方になるんだろう。

そんなお姉様を、この身を呈してお守りする。

もしかして、それが、
神様が与えたもうひとつの試練なのかも知れません。

だとしたら
僕は、幸せ者ですね。

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