第02夜


「…」

重すぎるまぶたを無理やり開ける。
鳴り響く携帯のアラーム音を渋々止める。

「…体が重い」

さすがに召喚で魔力を使い果たしてしまい、
体はボロボロだ。
あと精神的疲労だ。

「マスター!朝ですよ!僕の朝食は何処ですか!」

召喚されたサーヴァント…セイバー。
秘めている力は偉大だと思うのだが、
性格がだめだ。

幼稚で自信過剰。そしてうるさい。
あとわがまま。そしてうるさい。

「マスター!聞いているのですか!?」

昨日の夜はやれ腹が減っただの、もっと部屋を豪華にしろだの、
付き合いきれない。

思わず
「喋らないでくれ」
という命令で
令呪を使いかけてしまった。
なんとか抑えたが。

「マスタァァーッッ!!」
「あぁあうるさい!
俺がいいと言うまで
喋らないでくれセイバーっ!」

思った矢先

思わず左手を振りかざした。
赤い光が、強く部屋を照らす。

「ーーー!!…っ!!ーーー!!」

収まった頃には、目の前にいるセイバーは、口をパクパクとさせ、慌てふためいていた。

…使ってしまった…絶対命令の1つ…。

左手の手の甲を見てみる。
そこには鮮血のように赤い刻印があった。
先程1つ使ったので、一部が薄い赤になっている。

令呪。
これこそが、マスターの資格。
サーヴァントのへの、3つの命令権。
これを全て使い果たしてしまうと、マスターではなくなってしまう。すなわち、
聖杯戦争での敗退を意味する。

…使ってもあとひとつだ。令呪を無くなっては本末転倒になる。

「…まあ、これからのストレスを考えたら、これは正解なのかもしれないな」
「ーーーっ!!ーーーっ!!」
「セイバー。もう喋っていいぞ」
「っ…はぁ…。
なんてことをするのですマスター…」

信じられないと言わんばかりに顔を歪ませ、こちらを睨む。
口で許可を出すだけでいいのか。
これは便利だな。

「こんなことに貴重な令呪を使うなんて…本当によく分からないマスターですね」
「どうも。こっちもお前をまだ分かってないから、お互い様だな」

目の前のセイバーは、昨日の煌びやかな衣装とは打って変わって、
漆黒のスーツに身をまとい、髪も簡単に結っていた。
召喚した時にも思ったが、やはり顔立ちは整っている。美術品として置いた方がよっぽど価値がありそうだ。
こんなにもうるさいのだから。

さておき
とにかく、今日も学校がある。
体はだるいが、休みが開けたばかりで欠席もな…

「マスター。そう言えば、先程可憐な少女がこの屋敷を訪ねにいらしていました。
…敵意が無かったので、お通ししましたよ。
食堂でお待ち頂いていますので、早く準備をした方がいいんじゃないですか」


昨日来たばかりなのになんで当主面をするんだ。このバカセイバーは。
お前は誰なんだ本当に。
勝手に客を入れるな。

「…はぁ」

まあ、その少女とやらは白夢だろう。
重すぎる体を引き摺って、寝室を後にした。


ーーー

「悪い。寒かっただろ」
「あ、い、いえ!勝手に入ってすみません…」
「いいのですよ。僕が良しとしたんです。ならば全て良いのです」

なんで俺の神経を逆撫でするのが上手いんだ
このサーヴァントは。

「それに、このような美少女を極寒の地に放置するなど、この僕が許しませんよ」
「ただの冬の街だろ」
「え、ええっと…その…尋ねるタイミングを失ってたのですが…その方は…」

白夢が恐る恐る尋ねるのは、セイバーの事だろう。
今日突然、こいつが出てきた時は驚いただろうな。だとしたら100%こいつが悪い。

「昨日用事があると言ったろ?こいつをこの家に居候させる準備があったんだよ。
なんてったって、海外から来たからな。
名前は…セイバー。変わった名前だが、本名らしい」

白夢は、一瞬何か言いたげに口を開き、閉じた。
無理にでも納得してもらわなければならない。
こいつの正体はサーヴァントで戦うために召喚した…なんて言えるわけない。

「では、その…セイバー…さん?でいいのでしょうか」
「ええ、可憐なお嬢さん。僕の事は、当主として扱ってもらっても構いませんよ」

俺が家主だ。

「…お友達…とかですか…それ、とも…」

後に連れて、声が小さくなっていく白夢。
友達か、親戚か…ということを聞きたいのか。

「遠い親戚みたいなもんだ。言ってなかったから混乱させたな」
「い、いえ!親戚…なんですよね。…へへ、良かった…
じゃあ!とりあえず朝食を作りますね!
食料補充分持ってきて良かったです。
今日から3人分作らなきゃですね!」

不安な顔は消え去り、気合いの入った表情をする。
足取り軽やかにキッチンへと向かい、冷蔵庫に食料を詰めていく。

「…マスター」

セイバーが小声で話しかけてくる。
その顔は、起床した時に出会った生意気な顔ではなく、
「サーヴァント」としての表情だった。

「あの少女が、あなたにとって…どのような存在かは知りません。
ですが、僕達は聖杯戦争に参加します。
少なくとも、根城となるこの屋敷に、
一般人を頻繁に招き入れるようなことは出来ません。
万が一巻き込まれてしまったらどうなるか、お分かりでしょう」
「…」

ご最もだ。真面目なことも言えるんだな。

「そうだな。今日は来てもらったから仕方ないが…
明日からは断るか」
「心苦しいですが、彼女の安全のためです。
聖杯戦争が終われば、
婚姻でも交わせば良いのですよ!
あれでしょう?この国では「責任取って結婚する」が流行っているのでしょう?」
「…」

撤回だ。こいつは口を開けばふざけたことしか抜かさないハズレサーヴァント。
セイバーだかなんだか知らないが、
俺にとっては大ハズレだ。

………

「昨日の朝食が洋食だったので、今日は和食にしてみました!」

日を追う事に、白夢の料理の技術は上がっていく。
正直、目を見張る程だ。
今日は焼き鮭に、だし巻き玉子、豆腐とわかめの味噌汁、自宅から持ち込んだのだろうか、カボチャの煮物と野菜の漬物もあった。
白米は最初にセットしておいたののだろうか、
炊きたてで出てきた。

「これは…なるほど。マスターの食事を管理しているだけはある…この国伝統の「和食」というものでしょう?口にするのは初めてですね」

セイバーは、初対面の和食が珍しいのか、目をきらきらさせて眺めている。

「海外の方へ向けて作るのは初めてですので、お口に合うか分かりませんが…」

初めて手料理を振る舞う相手に、少し緊張しているようだった。
三人で机に座り、いつもの始まりの言葉を口にして、食事を開始する。
見た目通りにとても美味しい。
白夢も自分の出来栄えに満足なのだろうか、
嬉しそうに橋を進める。

…が、1人動かない奴がいた。

「…。
………僕は、この国の文化に…疎いです…」

セイバーが、不服そうに頬を膨らませている。

どう扱えばいいのか分からなかったのだろう。
箸を1本ずつ両手に持って、そこから動けないでいた。

「あ、す、すみません。ナイフとフォークで宜しいでしょうか?
すぐご用意しますね!」

白夢は慌てて立ち上がる。
キッチンに、何処に何が置かれているか…は、
もしかしたら白夢の方が詳しいかもしれない。

「どうせなら箸の使い方でも覚えたらどうだ?」
「うるさいですマスター」

………


「白夢、話がある」
「はい?なんでしょう?」

片付けを終え、まだ少し時間に余裕があったので、
2人で紅茶を嗜んでいた。
俺はコーヒーの方が好きだけれど、白夢が飲めないからな。
ちなみにセイバーも、紅茶を飲んでいる。
どこから探し当てたのか分からない茶菓子と一緒に。
多分、俺の家のもの。

この時間、切り出すなら今だと思い、
白夢に話しかける。
前置きはいらない。単刀直入に言えばいい。

「これから朝も夜も忙しくなる。だから、
しばらくは俺の家に来ないでくれ。
食材を補充してもらって悪いが」

ピタリと動きが止まる白夢。

「…その…。いえ、
わかりました…」
「別にお前の料理が嫌いな訳じゃない。
ただ、時間の都合が合わないだけだ」

少し悲しそうに、眉を寄せている。
いずれ言わなきゃいけないことだ。

「…ありがとうございます。…では、明日からはお休みですね」
「あぁ、また落ち着いたら来てくれ」

それ以上は、会話は起こらなかった。
何回か紅茶を口にしたあと、
「少し早いですが、私は先に学校に向かいます。藤先輩、また後で」
と言って、予定よりも早く、白夢は家を出ていった。
止める理由もないので、そのまま見送る。
バタン…とドアが閉まる音を聞くと、セイバーは大きなため息を吐いた。

「マスターァァア…あなたはどうしてそう淡白なのですか!」
「何だ急に」
「あんな言い方、いたいけな少女が可哀想ではありませんか。
見ましたかあの憂いに満ちた顔!
本っ当にダメですねこの堅物マスターは!

ローマならば!もっと情熱的に!そして可憐に別れを告げるのです!
そして、一輪の花を渡し!
「戦乱の夜も、止まらない時も、私達の邪魔するもの全てを乗り越えた時…
必ずそなたを迎えにあがる…」

と!相手の目を見て違うのですよ!
何故出来ないのですか!
僕のマスターである貴方が!」
「セイバー、喋るな」
「っ!…ーーーー!!」

少し腹が立ったので、沈黙命令を下す。
本当に便利だ。
令呪は、曖昧な命令だと効果が薄れ、本来の働きが出来なくなる…と聞いていた。
俺の命令も、どちらかと言えばふわふわとしていると思うのだが…
実際、こうも効果がある。
魔術師により個人差があるのだろうか。

こいつが黙っている間に、紅茶の片付けでもするか。




ーーー






…が……のは…ー

ー……は…ーーー…なく……ーー…ー…かと。

ただ…ーー…が……ーー…でして

こーーー…もしや、我ら…ーーーー…ーーかも……ーー

では、ーーはーーー







ーーー






「っっ!!」

綺麗に、まぶたが開いた。
急に、意識が覚醒した。

すごく胸騒ぎがする夢だった。
でも、詳しくは、思い出せない。

「…」

時間を見る。
まだ…まだまだ時間がある。
なのになんで…こんなに、不安になってしまったんだろう。

「…いやな夢…。見ることも、あるよね」

振り払うように首をブンブンと振る。
逆に考えよう。いつもより早い時間に学校に行って、ゆっくり出来る。
そう考えるようにした。



「い、いってきます…」

誰もいないアパートの一室に声をかけて、鍵をかける。
両親はなんの仕事をしているかは知らない。
多すぎる生活費と家賃を毎月振り込むだけで、連絡ひとつもない。
寂しい…という気持ちも湧く訳では無い。
何より、両親…家族の顔を、俺は何故か覚えていないんだ。

オレは中学校より前の
昔の記憶が無い。

ある一時より前の記憶が、ごっそり抜け落ちている感じ。
ふとした時に思い浮かぶ思い出もない。
懐かしい匂いも、味も、知らない。

もしかしたら、中学校からが、
椿呉羽の人生の始まりだったのかも…とさえ思える。

でも、困ってると言われたら…そうでもないかも。
今は、友達もいて楽しいし、
勉強も頑張ってる。
目指したい道も、オレなりに持てている気がする…から、
それだけで、十分な気がする。

外は、冷たい風が吹き続けている。
マフラーを口まで上げて、冷気が入ってこないようにする。

さむい…こんな寒さで始業式なんて地獄だなぁ。
凍える体を無理やり動かしながら、
学校をめざしていた。




「ごきげんよう」




真後ろから飛んでくる声。
気配が全くしなかった。

頭が理解したのは、数秒遅れてから。
咄嗟に振り返ると、

近距離で目を覗き込まれてしまった。

「っひっ!?」

思わず悲鳴をあげて、後ずさった。
知らない男の人だった。

え、なに、なんで包帯巻いてるの?怪我してるの…?
病院行ってください…っ。

相手の人は、全く気にしないと言ったような表情でニコニコと笑う。

…俺、この人知らないよね。
会ったことないよね…?

「驚かしてしまって申し訳ありませんねえ。
お時間少しいただきますよ」
「…っな、な、…なん、ですか…」
「怖がらなくても、私からはあなたに危害を加えませんよ。魔術も一切使いません。

あなたに、「忠告」をしに来たのです」

「…ちゅう…こく?」

男の人は、目を愉快そうに歪め、また話し始めた。

「この街で聖杯戦争がおこります。
聖杯戦争がなんなのかは、簡単に言えば…
願いを叶える万能の杯、
「聖杯」をかけた殺し合いですかねぇ」
「…な、んの…話…ですか…」

何を言っているんだろう。この人は。
そんな訳の分からない話を、
赤の他人に聞かせたいものなんだろうか。

「あなたにも関係がある事なのですよ。

恐らくあなたは


聖杯戦争が起これば、魔術師達に殺されるでしょう」

「…こ……ぇ…?」

殺される?
誰が?
オレ?
なんで。
なんの根拠があって?

「そ、そもそも、聖杯戦争って…なんですか…
は、話が全く分かりません…!」

「誰に殺されるかによって、この後の聖杯戦争の展開が変わるのですが…。
じつは今、その聖杯戦争、
正規人数を満たしていないのですよねえ」

疑問だらけのオレにお構いなく、
男の人はただ、話を続けた。

「椿呉羽さん、いい機会です。

もし、あなたが殺されたくないと願うならば。

聖杯戦争に参加しなさい」

「…っ…何を…」

どんどん話が進んでいく。
もう心のどこかで、理解することを放棄したのかもしれない。

「あぁ、もちろん死にたいと仰るのであれば、
参加しなくても構いませんよ?
きっと、残酷に殺されてしまうのでしょうねぇ。
あ、でも、あなたは色々な意味で「珍しい」ですし、
ホルマリン漬けでも有り得るかもしれません」

「や、やめてください!!」

大声を出してしまった。
いくらなんでも、怖すぎる単語を聞いてしまった。

ようやく静かになった男から、逃げるように走り去る。

カバンを両手で抱え、嫌な考えを振り切るように、全力で駆ける。

(何言ってるのか分からない。
なんで話しかけてたの?なんで?
分からない…!)

聖杯戦争も、何もかも分からないのに、
理性が「関わるな」と叫んでいた。

「…っ」

とにかく学校へ走ろう。きっとあの人はそこまでは追ってこないだらう。



ドクンドクンと、左手が疼いた気がした。


ーーー



息を切らしながらたどり着いた学校は、静かだった。
門をくぐる生徒は2,3人しかいない。

今の時刻は、ホームルームが始まる50分前。
運動部もとっくに朝練を始めているし、
日直や役員が来るには早すぎる。

今来るのは、朝、静かな教室で予習復習をしたい物好きな生徒くらいだろう。

こんなに呼吸を乱しながら走ってきたオレは、
その人たちから異様に映ると思う。
怪訝な顔をされるが、気にしない。

いつも通りの校舎、姿、風景。
…。

さっきの出来事は、夢幻なのかもしれない。

「…」

聖杯戦争。その言葉が、何故か頭から離れない。
魔術、聖杯、魔術師

「っっっつ…」

足の先から、頭の上まで、悪寒が駆け上がった。

分からない。意味も理解していないし、初めて聞いた言葉なのに、
怖くて怖くて仕方がない。

「…忘れよう」

朝早くから予習復習をしていたら、きっときょーくんやいつくんは驚くだろうな。

無理やり頭の中から、さっきの言葉を追い出した。


ーーー

教室へ向かう途中に、1人の教師と鉢合わせした。
おっとりとした顔つきに、茶色い髪の毛。
ここでは珍しい京都弁を喋る、オレのクラスの担任。

「ん?…椿さんやないの。朝はように来るなんて、珍しいなぁ」
「鯨伏先生…。おはようございます。
ちょっと気分転換で…」

鯨伏先生は、担任でもあり、古典の授業を持っている。
柔らかい言葉遣いとは裏腹に、試験や小テストはかなり厳しく見られる。
そういえば、きょーくんが嘆いていた気がするなぁ。

「来週はまた小テストをやるからなぁ。椿さんは大丈夫やとは思うんやけれど…。
ニノ灯さんは心配やね。今度酷い点数取りはったら、今度こそ補習やって伝えたってね」
「あはは…はい」

きょーくんは古典が特に苦手で、
「なんで現代の俺たちが昔の人の言葉習わなきゃ行けないの!?意味わからん!」
っていっつも言ってる。
もちろんいつくんは文句無しの高成績。オレは、必死に勉強して、やっと追いつけるくらい…。
いつくん、勉強ってどんな時にしてるんだろう…復習してる所、見たことないんだよね。

「足止めしてしまってごめんなさいね。
またホームルームの時やね。
お友達にもよろしゅうねぇ」
「あ、は、はい…」

鯨伏先生は、どこかに用事があったのか、そのままオレとは反対方向へと歩いていった。

「悪い人じゃないんだけど、何故か話す時とても緊張するんだよね」




ーーーーー


「マスター。
僕を
1人で
家に
閉じ込める気ですか」


白夢を家から送り出し、少ししたあとで、
自分も登校する用意をして、玄関に手をかけた…
時にセイバーが話しかけてきた。
とても、とても不満げな顔をして。

「…なにか文句でも?」
「ありますよ!!
まずマスター1人で、大勢が集まる中に飛び込むなど、「自分を攻撃してください」と言っているようなものでしょう!
サーヴァントなしの貴方なんて無力に等しいじゃないですか」

確かに、マスターが混じっているかもしれない場所に、一人で向かうのは避けるべきだ。
サーヴァントが居ない状態で、敵に出会ってしまったら、一溜りもない。
だが

「お前の言っていることは最もだ。

だかな

お前は霊体になっても存在がうるさそうだから連れていきたくないんだ」
「はぁ!?」

霊体になっても、きっと俺に話しかけてくるので、
精神をすり減らすだろう。
あの令呪の効果が、霊体にあるかどうかは知らないが
そもそも、連れてこなければ解決する話だ。

「マスターが1人で行くのは自殺行為だと言ったな。
生憎俺は「直接戦わない為」の魔術が専門でな。
敵を欺いたり、撹乱したりするのは得意なんだ。お前の心配も無用。
それに、学校には魔術師がいる可能性が低い。
いたとしても、きっと名の知れない寂れた家系だろう」

俺の見解をぶつけると、セイバーはみるみるうちに頬を膨らませた。
さっきよりも不機嫌になっている。はぁ。

「…やです」
「は?」

「いーーやーーでーーすーー!!
マスターだけ楽しそうな場所に行くなんてずるいです!!
僕も連れていってください!!サーヴァントですよ!?
連れていかないならこの家で宝具を使いまくってマスターの魔力を食いあさってやりますから!!」

突然駄々をこね始めたセイバー。
俺の腕を掴んでガタガタと揺らす。
心配云々じゃないな。ただのわがままか、これは。
やたら力が強いので、脳にまで揺れが響いている。
なんだかデジャブだなこれ。

「やめ、やめ、ろ、ゆら、すな!
わか、わかった、から!そん、なこと、で、宝具、を、つか、うな!!」
「分かればいいのです」

突然手を離された反動で、そのまま壁に激突し、もたれ掛かる。
この大ハズレサーヴァント。マスターに対する扱いが酷い。

しかし、このまま学校に行っても、セイバーはきっと黙っていない。
なんなら興奮で、霊体を解いてしまう可能性がある。
どこか幼いこのセイバーは、様々な不安を過ぎらせる。

…そうだ

「セイバー。学校に行くのは無しだ」
「な!?話を聞いてないのですか!?」
「その変わり、この街を案内してやる。これでどうだ」

淡い水色の瞳をぱちぱちと瞬かせるセイバー。
これが俺の譲歩。
学校は休むことになるが、まあ…俺も昨日魔力を使いすぎたしな。
休息してもいいだろう。

「…街、ですか」

セイバーは、確かめるように呟いた。
…案外すぐに飛びつくと思っていたが、冷静だった。

「そうですね。
この国の民がどう暮らしているのか、知りたいです」


ーーー


「珍しいこともあるんやねぇ。藤さんとニノ灯さんが揃ってお休みなんて」

視線を、手元の本から、空白の席へと移す。
いつくんの席は、右端の、1番後ろ。
きょーくんは、その前の席。
いつも、近くて羨ましいな…って思いながら見ていた。
今日は、2人揃って、お休み。

「…」

別に寂しい…訳でもない…訳じゃないけれど。
より1層、不安が募ってしまう。

(…なんで今、聖杯戦争って言葉が…思い浮かんでくるんだろう)

もうその話をしたくない。
また意識を、本に集中させる。



ーーーー



「ぜっっったいに余計な場所で霊体を解くなよ。解いたら令呪で「許可が降りるまで動くな」
って命令追加するからな」
「分かってますよ!僕はそこまで子供ではありません!」

どの口がいうか。
セイバーに強く強く言い聞かせて、家に鍵をかける。
1度制服に袖を通した後に、私服に着替えるのは面倒だったが、
昼間から学業を放り出している…と思われても困る。
上から黒いコートを羽織り、防寒対策もしておく。

セイバーは霊体となって、俺のすぐ側にいるらしい。
サーヴァントは、戦わない時以外は、「霊体」という姿になり、魔力の消費を抑えている。
攻撃などは出来ないが、マスターとの会話は可能。
さっきまでは人間らしいところもあったが、
こう見ると、本当に「使い魔」というか…サーヴァントというか…
改めて認識させられる。

(…セイバー…サーヴァントは、寒さや暑さを感じるのだろうか。
…霊体の時は心配ないか)

どこから回ろうか。
適当に街を巡ってみようか。

「マスター!マスター!あの大きな建物はなんですか?」
「あれはただの高層住宅だ」
「高層住宅!言葉の響きが重厚ですね!マスター行ってみましょう!」
「バカ言うな。住居侵入で捕まる」

……

最初はいつも通り、通学路を歩き、
ついでに学校の周りを回った。

セイバーは「学校」という物に強く興味を持っているらしい。

「僕は行ったことは無いですが…
学び舎とは、若い男女がひとつ屋根の下で、勉学を共にし、
友情を育み、愛を育む場所と認識しています」
「実際そこまで大袈裟じゃない。
社会に出るための歯車としての形を整える場所だ。
友情も愛も育んだところで、ここを出る頃には半分無くなってると思うけどな」
「…マスターは表情も頭も固ければ、心も硬いのですね。友人はいらっしゃるのですか?」
「お前とは違って大人しいやつが1人と、お前と似てうるさいヤツが1人いるよ」

学校の次は…駅前にでも行ってみようか。
あそこはセイバーにとって、目新しいものばかりだろう。

学校から駅まで距離はあるが、
歩きで行けないことは無いし、急いでいる訳でもない。
移動しながら、セイバーの事でも尋ねてみようか。

「セイバー。今言える範囲でいい。お前のことを簡単に話してくれないか」
「なんですマスター?ついに僕に好意が?」
「令呪をつか」
「分かりましたから令呪を使わないでください!」

霊体となっているので姿は見えないが、セイバーが子供のように怒っている事だけは伝わる。

「…その、マスター。その事…僕に関することなのですが」

さっきとは打って代わり
セイバーが、いつもとは違う声のトーンを出した。
暗く、落ち着いていて、子供らしさはどこにもない。



「…。

真名は…話せません」



「っ…」

思わずつまづいて転びそうになった。
バランスを崩したが、何とか耐える。

「宝具も…真名も、話すことができません」
「なんでだよ。それ相応の理由がないと納得しかねるぞ。朝は宝具使ってなんとか…って言っていたくせに」
「…」

不満を隠さず表すと、
突然セイバーが霊体を解き、姿を現した。
先程見たスーツの姿と同じだ。
慌てて周りを確認する。…人はいないな。良かった。良くはないが。

「はぁぁ…セイバー…突然霊体を解くなって出る前言っただろ…本当いい加減にしろ…
いつ人が出てくるか分からないのに…」

「…マスター」

こちらの目をじっと見つめるセイバーは、どこか、
思い詰めたような顔だった。
幼い顔でも、サーヴァントの顔でもない、


どこか、1人の「人間」を思わせる…



「すみません。
理由は話せません。
ただ、僕は、誰にも、真名を明かすつもりはありませんし、
宝具も使用する気はありません。
危機が訪れたなら、剣技等で、全て対応致します。

…令呪を使っても、絶対、話しません」


青い瞳が揺れる。
凛々しい眉は、切なげに寄せられている。
少女が少年かも判断つかない、白い手は、
強く握られていて、震えていた。

…令呪を使っても、話さない…というのは、きっと嘘だろう。
マスターが令呪で命じてしまえば、きっとサーヴァントは逆らえない。
「自身の真名、宝具をあかせ」という命令は、目的が明確だ。

令呪の威力が、下がることも、無い。


「…はぁ、分かった」
「マスター…?」
「西洋の生まれだとは考えていたが…それ以上は聞かないことにしてやる。
無理やり聞き出したところで、関係に傷が入るだけだ。
無駄なことはしない。
だがな、自分の意見を貫くなら、
こっちの言うことにも従ってもらうぞ。
宝具、真名無しで作戦を立てる必要があるんだ。
嫌とは言わせん」

それだけ言うと、セイバーに背を向ける。

「さっさと霊体に戻れ。まだ案内する所が残っている。
聖杯戦争の舞台になるんだ。
案内ついでに、いくつかの場所は頭に叩き込んでもらわなきゃ困る」

セイバーの霊体を待たずに、歩き出す。

…言いたくないのならば、言わなくてもいい。
それは、本当の言葉だ。


「…優しくなかったり、優しかったり」

「…マスターは、分かりません」


霊体になる前に呟いたセイバーの言葉は、
俺には届かなかった。



ーーーー


学校が終わった後に向かうのは、
アルバイトをしている小さな喫茶店。
駅前の三階立てのビルの、2階で営業している。

2階…という場所が影響しているからなのか、
お客さんが沢山来ることは無い。
だから、従業員募集も滅多にやることは無いんだけれど、
オレは偶然その知らせを見つけることが出来たラッキーな高校生。
すぐに応募の電話して、なんとか採用を勝ち取った。

店員のみんなは優しいし、お客さんも悪い人が来ない。
料理も美味しい、とても恵まれたバイト先だと思う。

「おはようございます」

従業員用の入口は無いので、お店の入り口から入る。
お客さんは数名入っていた。
全員顔見知りなので、笑顔で手を振ってくれる。

「おはよう椿。随分早いな」
「はい、じつは早く学校終わったんですよ。
小テストができた人から帰宅していい形式だったので」
「椿は頭がいいもんな。今誰もロッカー居ないから、さっさと着替えてこいよ」

先輩に催促され、更衣室へと向かう。
話しかけてきた先輩は、ここで同じく働いている、柴野心幸さん。
聞いた話では、ここだけでなく、いくつもバイトをかけ持ちしているらしい。
小学校になる弟を育てるため…とか。
凄いなぁ。

……


カフェの制服…といっても、普段着やカッターシャツに、指定のエプロンを付けるだけ。
そこまで格好にうるさくない所だった。

タイムカードを押して、ホールへと出ると
よく見かけるピンク色の髪をした兄妹がいた。
俺が着替えている間に、来店したらしい。

1人は、俺のクラスの委員長の杏夜鷹さん。
もう1人はたしか、その妹さんの杏鶴乃さん。
ひとつ学年が下で、今年生徒会役員に選ばれていた。

「委員長と杏ちゃん、いらっしゃい」
「あら椿君。今日シフトだったのね」
「どうも姉さんがお世話になっとります」

委員長もだけれど、杏ちゃんもなかなか喋り方が独特だった。
京都出身なのか、担任の鯨伏先生のように、訛りが強く出ている。

委員長も早くテストが終わったんだ。さすがだなぁ。

「あれ?杏ちゃんはここにいていいの?授業は?」
「1年は今日は午前終わりなんよ。
姉さんと待ち合わせして、このお店に来たんよ」

一つ一つの動作がゆっくりで、1年とは思えない風格がある。
京都出身の人は、もうこの歳で、大人な女性の仕草ができるんだなぁ。

「そういえばね、今日、
お寺に新しい人が来るみたいなのよ」
「新しい人?」

オレが首を傾げると、委員長はお冷を手にしながら、答えてくれる。

「ええ、なんでも、身寄りのない少年をしばらく預かって欲しい…だったかしら。
後ろ姿しか見えなかったから、詳しい容姿は見えなかったけれど…
男の人なのは分かったわ。

でも、お寺の人が全員、緊張していたの。何者かしらあの人」
「へぇ…そういえば、委員長達は確か…潤杏寺に居るんだっけ」

潤杏寺は、読み方が面白くて、1度聞いたら頭から離れない。
この兄妹が、現在お世話になっている場所でもある。

「ええ、ちょくちょく鯨伏先生も来て下さるのよ。
小さい子がお寺に来るなんて初めてよ。仲良くできるかしら」
「まあ、うちとしては、鯨伏先生よりかはマシなのは明白なんやけどね」

何故か杏ちゃんは、鯨伏先生が苦手らしい。
同じ京都の人で、仲良く出来そうなのに。

「そうそう、椿君、注文頼んでいいかしら?」
「もちろん!どれにしますか?」
「私は明太子のクリームパスタ」
「うちはなぁ…抹茶のパフェ、頼むなぁ」
「かしこまりました。少々お待ちください!」


オーダーをメモして、柴野さんがいるカウンターへと向かう。
お寺だから、厳しくて休めなくて、辛いのかなって思ったけれど…
結構楽しそうだった。
今度、お邪魔じゃなかったら、遊びに行きたいかも。



「つーちゃん。本当はミートソースパスタ食べたかったんじゃないの?
好きでしょ?今は無理に京都っぽいもの頼まなくてもいいじゃない」
「よるねぇ余計なこと言わんでいいの!!」


………



杏兄妹が帰ってから少しした時だった。


「すまない椿。急で悪いんだが、
抜けてもいいか」
柴野さんが、随分慌てていた。
テーブルの片付けをしながら、柴野さんの方を見る。

「どうかされたんですか?」
「はしら…あ、いや、弟が倒れたらしい。
男子中学生が見つけてくれたんだ。
原因は疲れだと、先生は言ってくれたが…心配で」
「た、大変じゃないですか!
気にせず帰ってください!
きっとお客さんもこの調子ですし、オレ1人でも大丈夫ですよ」
「そうか…悪いな。
呼んだ助っ人がもうすぐ来ると思う。
今度なにか奢ろう」
「いえ、そんな気にしないで…」

オレの言葉は聞こえていないらしい。
柴野さんは、慌てて更衣室へと駆け込んだ。

「…助っ人って誰だろう」


……


切羽詰まった表情で、柴野さんが帰ったあと、


その助っ人はやってきた。


黒髪のツインテールに、青い目でパーカースタイル。

名前は、宇佐美あを。

お客さんとしてもとてもよく来るし、
アルバイトとしてもよく来る。

…アルバイトといっても、商品をテーブルに運んでは、カウンターに座って駄べるだけなんだけど…。
そして、必ず賄いを要求している。
むしろ、アルバイトの目的は、8割賄い目的かもしれないと思ってる。

あとたまにこのカフェに泊まってる。

店長が、宇佐美さんのお兄さんと知り合いみたいで、多少のことは許してるみたい。

それに、運ぶだけと言っても、やることはやってくれるし、
お話は楽しいし、オレは宇佐美さんが来るのは大歓迎だった。


「今日はこはるん来てないのですな」
「…こは…えっと、白夢ちゃん?」

宇佐美さんが「こはるん」と呼ぶのは、
白夢心陽さん。
一つ下の後輩で、いつくんとよく一緒にいる。
…お弁当をお昼に持ってくる仲だってことは、最近知った。
いつ君なんてことない顔で言うから、
白夢ちゃんなかなか苦労しそうだなぁ。
…何がとは言わないけど。

「いつもこの曜日には、夜に来ること多いですぞ。
珍しいですな」
「…そういえば、たしかに」

白夢ちゃんはいつも、決まった曜日の決まった時間に、カフェを訪れていた。
お気に入りのココアを飲みながら、
飲み物とは釣り合わない量のご飯を頼む。

でも、白夢ちゃんはペロリと平らげてしまう。

店長はお得意様だと、とても喜んでいたのを覚えている。

「今日は用事があったんじゃないかな?それに、絶対来なきゃいけないって訳でもないんだからさ」
「それもそうですな」


珍しいこともある、けど
明日や明後日には、また変わらない笑顔が見れるだろう。
オレは、特に気にすることも、無かった。


ーーーー


このカフェは、午後9時で店を閉じることになっている。
宇佐美さんは、今日もここに泊まるらしい。
そんな時は、締め作業をそこまでしなくても良くなる。
食器や機材、テーブルなどの、簡単な片付けだけをして、更衣室へと向かった。

エプロンを脱いで、ロッカーへと戻す。
カバンを開けて、スマホを取り出して、イヤホンを取り出す。
その時に、気がついた。

「…あっ…」

朝読んでいた、小説がない。
教科書の裏にもないし、隠れているわけでもなさそうだった。
多分、学校に置き忘れてしまったと思う。

「どうしよう…続き気になってたのになぁ…」

今日は宿題をした後に、朝の続きを読もうと思っていたのに…。
ても、流石に本ひとつで、教室に行くのもなんだかな…


「…うーん…学校の近くは、帰り道に寄れるし…

もし、門が開いてたら、取りに行こう!」

完全に閉まっていたら、大人しく帰ろう。
開いていない確率の方が断然高いだろうけど!
イヤホンをみ身につけて、スマホを操作し、お気に入りのプレイリストをかける。

更衣室から出ると、宇佐美さんは気持ちよさそうにソファの上で寝ていた。
どこから取り出したか分からない毛布を被りながら。

「…お疲れ様です…」

小さく声をかけて、お店を出る。
店長から預けられた、お店の鍵で、入口のドアだけしっかり施錠する。


………


夜の学校は、来たことがない。
だって来ないでしょ。来たいと思わなきゃ。
怖いもん。

静かな通学路を歩き、校門の様子を伺う。
本当ならば、しっかりと、施錠され、門は少しの隙間も空いていないはず…なのに。

「…あれ?…あい、てる…」

予想とは外れ、校門は人ひとりが通れる位の幅が空いていた。
施錠されていなかった…訳では無いと思う。
大きな南京錠が、地面に落ちている。

ただ、その南京錠は、もはや元の形を保っておらず、鍵としての機能を果たせる状態じゃなかった。

なんというか、人力で曲げられている歪さは無い。
…と言うよりかは、
「人とは別の力で、綺麗に捻れちぎれた」ような姿だった。

「…もしかして、誰か…侵入してる…?」

夜の学校に入るという、お化け屋敷に入るような可愛い恐怖から、
身の危険があるかもしれないという、身体的恐怖に移り変わる。

「…」

もし、危ない人なら…姿を見た瞬間に、警察に連絡しよう。
何も見ずに連絡しても、説得力がないだろうし、
このまま帰って…明日何かあったら、
オレが目を瞑ったみたいな…後味が悪くなって嫌だし。
でも、
怖さに紛れる、好奇心も少しだけあったかもしれない。

震えを抑えるため、カバンを両手で抱きしめる。

足音を立てないように、ゆっくりと、門の中へ足を踏み入れた。


………


犯人はすぐに見つかった。

すぐ近くに設置されているグラウンドに、
人影らしきものが2つ見えた。
ゆっくり近寄って、近くの木に隠れる。
暗くてよく見えない。
目がまだ暗闇に慣れてないのかもしれない。
よく目を凝らして見つめる。

やっと瞳に映ったのは、とても見覚えのある、
青い髪色だった。



「…!…もしかして…きょーくん?」

その隣には、白い長い髪の…女の子?
誰だろう。あの人は知らない。
きょーくん、今日はお休みだったから、体調悪いのかなと思っていたけれど…
元気なのかな。

でも、一体、ここで何してるんだろう。

もう少し近寄ろうと、足を1歩踏み出した。



運が悪かった。

その場に小さい木の枝が落ちていたらしい。
パキ…と、小さいけれど、乾いた確かな音が、グラウンドに響いた。



「っ…バーサーカー!!」



遠くから聞こえた叫び声。
それはきょーくんからだった。

こちらに気がついたのだろう。
来たのはオレだよと伝えたくて、
声をあげようとしたけれど

瞬きした間に、白い髪が、目の前に拡がった。
かすかに見えた瞳は、赤く濁って、焦点が合っていない。

「…」




また瞬きをした次には、

身体は宙に浮いていた。



ーーー

「…」

セイバーを連れ回し、ひたすら街を練り歩いていた。
最終的には、街全体を見渡せる高層ビルの屋上に立ち、セイバーと見下ろしていた。

セイバーは爛々と街を眺め、時折驚いたり、時折笑顔を見せたり、興味が尽きることは無かった。

俺も景色を眺めていたが、
そんな静寂を遮る、微かな違和感が体を巡った。

「…セイバー」

まだ街を見下ろすセイバーに、話しかける。

「マスター?どうされたのです?」
「多分…今、俺の学校に、他のマスターがいる」

目を丸くするセイバー。
ここから学校は、かなり距離があるので、
気配で感じることも難しく、もちろん視力で確認することも、アーチャーなどでは無い限り、出来ないだろう。

「マスター…どうして分かるのです?」
「学校には、前々から魔力に反応する術式をかけていてな。
バレにくい分、攻撃性能はない。
防犯みたいなものだ。

その付近で少しでも魔力を使えば、俺に知らせが来るようにしている。

…そもそも、学校には、マスターがいないと踏んで、
念の為にと、掛けたものなんだけどな…」

まさか、学校からマスターが現れたか。
それとも、別のマスターが、学校で何かしようとしているのか。
どちらでもいい。反応があったのならば、確認するまで。

「セイバー。学校の位置はわかるな。
先にいけ」
「マスターは?」
「………お前の方が多分、早く着く。
万が一生徒が巻き込まれていたら面倒だ。
サーヴァント、マスターが居ても、俺がたどり着くまで無茶はするな。危険と思ったらすぐに戻ってこい。いいな」
「…分かりました。マスター」

セイバーの体に、赤い炎が纏う。
炎が弾けた後には、召喚した時に出会ったような、ドレスのような赤く眩しい鎧をまとっていた。
手には、鎧を引き立たせる真っ赤な剣。

「先に行きます」

そう呟いたあと、セイバーはビルの柵に足をかけ、軽々と飛び上がった。
建物と建物を渡り、学校へ最短経路で向かった。


ーーー


自分が居たグラウンドの端から叩きあげられ、
校舎3階程の高さまで浮かんだ。
全身が空気に包まれ、不気味な浮遊感が内臓まで届く。

何を使って、自分が叩き上げられたのかさえ、分からなかった。

「…っ…ぅ…」

突然襲った衝撃は、時間差で身体に
鈍く深く響いた。

空中で痛みが響く中、
身体は無慈悲に急降下していく。


「っがはっ…!!…ぁ…あ」


地面へ強く叩きつけられ、長い距離を転がる。
どうやらグラウンドの端から端まで飛ばされたらしい。
生きてるのが不思議だった。

むしろ、潔く死んだ方が、楽だったかもしれない。

全身が痛い。
力を入れるだけで、筋肉が、骨が軋んで動けない。
息をする度に、肋がくい込んでくる。

グラウンドを転がった際に、頭も強く打ってしまったのか
額から生暖かい液体が流れている。
それは頬、顎を伝い、地面へと落ちていった。

歪む視界で、グラウンドの中央を捉えようとする。


「…呉羽」
「マスター。彼はおそらく一般人です。
殺しますか?
必要な血ではないですが」
「…。
どの道、俺はこいつを殺すつもりではいたからさ。
ま、見られちゃったもんは見られちゃったし?
いいんじゃない」

「…っ……、…き…ょ…」

声が出ない。手が上がらない。
耳が半分、聞こえない。

でも、今、彼は、オレの名前を呼んだ。
オレのこと、分かってくれた。

なのに、なんで。


「…そんなになっても、未だに俺に助けを求めようとするんだね。

お人好しなんかじゃなくて…

ただただ、馬鹿で腹が立つ…」



なんで


「冥土の土産に聞いていきなよ呉羽。

俺はお前が死ぬほど憎かった。
お前が、楽しそうに笑う度に全てが憎くなったし…
聖杯戦争が始まったら、「全部」終わらすついでに、
お前のことも、殺してやろうって、ずっと思ってた」


そんな声で呼ばないで。



「…呉羽。なんで今来ちゃうかな。
今日は、…気分じゃなかったのに。

…でも、いいや」



こんなに距離が離れているはずなのに、彼の言葉はしっかりと片耳かは流れてて、脳に響く。

意識が朦朧としてきた。

苦しみと痛みと、
戸惑いと共に、命が終わる音がする。



「バーサーカぁ。やっちゃって」


冷たく放たれた声。
バーサーカーと言われた女性は、手に持っていた槍を構え、勢いよく地面を蹴った。



あぁ、あの槍で飛ばされたのか。すごい威力だった。
あのスピードじゃ、俺は直ぐに串刺しにされちゃうな。


これが、走馬灯ってやつなのか。


でも、殺される理由も、何が起こってるかも分からないまま、こうなっちゃうなんて。


「…」


死ぬのかな。
オレ。

こんな、誰にも恩返しできないまま。

何もわからないまま。


友達と思っていた人に
知らない間に
こんなに恨まれて。

恨まれてる理由すら、分かんなくて。

そのまま死んでいく。



死ん、で




ー生きたいの願うのならば…………ー



「…」



まだ残っている体の理性が、1つの言葉を拾った。
それは、朝聞いた、気味が悪く、忘れたいと思った

始まりの言葉。



ー死にたく、ないー


ー死にたくないー



「…っっ…ーー」


今まで力が入らなかった手に、神経が蘇る。
地面に手を着き、ゆっくりと、体を起こす。

これは、最後の力というものだろうか。
何か、別の何かが、体をめぐって、
熱くなって



同化していく。



低く深く、地響きのような音がした時、

伏せていたグラウンドから、突如、青白い眩い光が、溢れ出した。

周りの木々はざわめき、
風は吹き荒れ、グラウンドに砂嵐を巻き起こす。

「っ…」

こちらに向かっていたバーサーカーは、急ブレーキをかけ、彼の元へ戻っていく。
何が起こっているか分からない状況で、突っ込むことは辞める程度の冷静さは持っているらしい。
彼も、目を開いてこの光景を眺める。




光は線を辿り、縁を描き、
やがて、
オレの周りに、ひとつの魔法陣を生み出した。


「…ーーーーっ」


あんなに体が痛くて仕方なかったのに、今は、熱くて熱くて仕方がない。

肺いっぱいに息を吸い込むと、
足りなかった酸素が体を巡る。

立つことまでは出来ないけれど。
足に力が入らなくて、
座り込んだままだけれど。
それでもいい。
ただ、生きたいという意志を示したい

額から流れていた血液が、魔法陣の上に流れ落ちる。

その瞬間、より一層の、眩い光が強くなった。


「…ーーー…たい…」


何が起こってるかなんて、分かるわけない。

でも、止めてはならない熱を感じる。
この熱は、どこかへ繋がってる。


こちらへ、やってこようと、手を伸ばしている。


「…ー…いき、たい……っ」


大きな海から、ひとつの糸を伝って、やってくるようだった。

感じる。届いた。

強い、強い、力。


左手の手の甲に、眩く光る赤い紋章が浮かんだ。


「生きたいっ!!
まだ…生きていたい!!」



だから、



「生きるために…!
戦いたいっっ!!」




ーーーーー





「これで、あとあと一人ですか」


「いやしかし…あそこにあるものは…
あの時の…魔法陣ですよね」


「こんな時に役に立つとは」


「やはり、聖杯戦争は、何が起こるか分かりませんねえ」






ーーーー



「…」


やがて、光と風は静かになる。

閉じていた目を開けて、
座り込んだまま見上げる。



月夜の淡い光が、
「彼女」を照らしていた。



鮮やかな緑色の、可憐で…どこか野性的なドレス。
柔らかく風になびいている青い髪の毛。
野生をより引き立たせる耳と尻尾。

鋭く赤い目は、ゆっくりと開くと、
オレを捉えた。
獣のようで、少女のような、爛々と輝く瞳だった。



「サーヴァント、アーチャー。

問いましょう。

汝が私のマスターかしら」



口の中がかわいた。
見惚れてしまっていた。

突然現れた彼女が、何者かも分からない。
一体、これは…


「ここに契約は成立した。

私は
地を駆ける足となり
全てを見渡す瞳となる」



それだけ言うと、彼女は視線だけを、グラウンドへ向けた。
その先は、彼…ニノ灯桔梗と、バーサーカーと呼ばれた女の子。

「…そんなのあり?
グラウンドに魔法陣があったとか、聞いてないんだけど…」

予想外の事だったのか、その顔には不満と苛立ちがみえる。

…ていうか、あれ?
なんか…目が、すごく良くなった気がする。

さっきまで、きょーくんの表情まで鮮明に見えなかったのに。

アーチャーはしばらく彼らを眺めたあと、
オレに向き直り…


何を考えたのか、オレを軽々と抱き上げた。

いわゆる、横抱きと言うやつで…
横抱きというやつで!?


「ひぃ!?な、な、な、なに!?」
「マスター。貴方は負傷しているわね。
これじゃ危険よ。
一旦引くわ」


冷静に呟いた後、アーチャーは地面を蹴り、軽々と走り出した。
男1人抱えているとは思えないスピードを出している。
…ていうか、このスピード、人間に出さないよね…!?

「っ…追え、バーサーカー」

彼らも棒立ちしている訳では無い。
すぐさま反応し、バーサーカーに指示を出す。

バーサーカーはすぐに答え、こちらに向かって猛突進をしてきた。

「ひぃ、き、き、来た!?」
「っ…早い…」

そのスピードのまま、槍を構え、オレごとアーチャーを貫こうと照準を定める。
突き刺す一点を見据えて、
鋭く槍を伸ばすーーー

数秒後に来る衝撃に備え、固く目を瞑ったが、
覚悟していた痛みは来なかった。

アーチャーは、その動きを予期していたかのように、体をひねり、バーサーカーの禍々しい槍を交わした。

「…!」

勢いのまま、バーサーカーはオレたちを通り越したが、すぐさま体制を立て直し、こちらを見据える。

「…っ」

勢いを殺さずに、バーサーカーはオレを抱えたアーチャーへと槍を伸ばす。
一筋の赤い閃光は、暗い夜にとても輝いている。

けれど、それは、何度も何度も、オレとアーチャーの急所を定めていた。

アーチャーは至って冷静だった。
両手が使えないにもかかわらず、足のステップのみで、バーサーカーの猛攻を交わしている。
最低限の動きしかしていないはずなのに、
アーチャーとオレには、かすり傷ひとつも生まれなかった。

それでも、赤い槍は今だ、オレ達の命を貫こうと動き続ける。

「…っ」

アーチャーは、ランサーの連撃を避けながら、グラウンドを駆ける。
向かっている先は、
出口がある校門ではなく
学校の端。

網状のフェンスが、侵入者を許すまいと、
高々と備えられている。

ちなみにその高さは、4階建ての校舎と同じくらい。


「マスター、飛ぶわよ。下を噛まないように」
「えっ」

ランサーの槍に、一瞬だけ隙が生まれた。
槍をオレ達へ刺そうと、構えたほんの一瞬だった。

といっても、そんなの瞬きする間だ。
普通なら、「隙」なんて言わない。

でもアーチャーにとっては、その隙こそ、待ち望んでいたものらしい。

1歩、右足を地面へ踏み入れる。

バキ…と、瞬時に地面にヒビが入った…気がした。
その音と共に、アーチャーは飛び上がった。

1歩遅れたバーサーカーの矛は、何も無い中を捕らえている。


体に風圧が強くのしかかる。

「っっっ…!」

思わず目を瞑ってしまう。
風圧はやがて収まり、また微かな浮遊感が体を包んだ。

周りを見ると、
見事、外のフェンスよりも高く、アーチャーは飛び上がったいた。

蝶が花に触れるように、片足で優雅にフェンスの上に着地する。
…フェンスの幅なんて、1センチもないと思うんだけれど…

「っひ…」

思わずアーチャーにしがみついてしまう。
着地しているし、抱き上げられているとわかっていても、
下に広がるミニチュアのような建物を見てしまえば、誰だって怖くなると思う。


「無事?マスター」
「な、な、なん、とか…」



「バーサーカー!逃がすな!」


下からきょーくんの怒号が聞こえた。
その声の後、すぐにバーサーカーは飛びたつ構えをし、
膝を少し曲げ、背を丸める。

すると、バーサーカーの背中から、
大きな赤い翼が、勢いよく飛び出した。
たった今産まれたかのように鮮血が滴り、
雄叫びをあげるように、大きく羽ばたいた。

「ーーっ」

アーチャー程のスピードはなかったけれど、
それでも、十分な速さを保ちながら、こちらへ目掛けて突進する。

「マスター。腕だけで捕まって。弓を使うわ」
「ちょ、うわわ!?お、おち…っ」

突然アーチャーが、オレを手放す。
慌ててアーチャーにしがみつきながら、もつれた足をなんとかフェンスに掛ける。
情けないし、アーチャーに負担をかけてしまっているけれど、
オレは今どうすることも出来ない。

アーチャーは動じずに、両手で弓を構えるようなポーズをとる。
すると、緑の光に包まれながら、大きな弓が現れた。

彼女の身長よりも大きい、黒く巨大な弓。
アーチャーは向かってくるバーサーカーへと狙いを定め、既に引かれていた矢を解き放つ。

「っ…」

バーサーカーは、ひらりと1回転し、難なく避ける。

アーチャーは、矢をひとつ撃つと、止まることなく、次の矢を構え、弓を引く。
矢に限りはなく、いくらでも引けるようだ。

アーチャーによって降り注ぐ矢は、止まることを知らない雨。

しかしバーサーカーは、空中で上手く回り、避けながらこちらに向かう。

「しつこいわね」

アーチャーは先程よりも、強く弓を引く。
矢に灯っていた緑色の光が、より強く輝いた。

放たれた一撃は、先程とは比べ物にならない速さと勢いを持ち、
緑の流星のように、バーサーカーへと向かう。


「いい加減そこから降りてもらいましょうか」

バーサーカーの羽が、また大きく羽ばたくと、勢いよく上空へと飛び上がった。

空に輝く月に重なり、バーサーカーのシルエットが
大きく不気味に見えた。


「その周辺ごと刈り取ってあげましょう」


そのままバーサーカーは、槍を構え、一直線に急降下する。
赤黒く、禍々しい光が彼女を包んでいた。

おそらく、捕らえているその先は、オレたちが止まっていたフェンスの上。

「…」

アーチャーはうろたえず、じっと弓を構える。
強く強く、より強く弓を引き、強い緑の光が当たりを照らす。

「…っ…」


どちらが先に攻撃を当てるのか。


バーサーカーの槍は、もう間もなく到達する。
恐怖が勝ってしまい
目を逸らし、アーチャーに縋り付く手に力を込めた。


(来る…ーーーー!!)





何も、
衝撃は、来なかった。




代わりに

ガキン…と、金属を弾くような音が聞こえた。

ゆっくりと目を開け、アーチャーの方を見る。
アーチャーは、少し目を見開いていた。

視線を辿ると、そこに現れたのは



美しい金色の髪。

見惚れるほど輝く深紅の、豪華な鎧。

その手に握られている剣も、負けず劣らず、赤く色づいていて、存在を放っている。


「月夜を舞台に舞うのであれば、僕を主役にして頂かなくては。
眩い黄金は、静かな青に
よく似合うものですからねっ」


真っ直ぐに落下してきたバーサーカーの槍を、剣で受け流したらしい。

力は、重力が味方しているので、バーサーカーの方が有利なはず。
けれど、赤い剣士は、同等の力でバーサーカーの矛先をずらす。

「はぁっ!」

その場で半回転し、バーサーカーの背中に勢いを乗せた大剣を叩き込む。
バーサーカーは抗えず、そのまま地面へ落とされる。

ここまで届く衝撃波が、バーサーカーが追突した衝撃の強さを物語っていた。

地面にのめり込むように沈んだバーサーカーは、辛うじて上半身を上げた。
少なからずダメージは入っているようだった。


アーチャーはそれを見届けると、手に持っていた弓の姿を消す。
淡い緑の光を発しながら、空気に溶けていく。

現れた謎の剣士は、
優雅に着地し、墜落した先を、逸らすことなく眺めている。


「…2対1はきついかなぁ。
しかも、セイバーとアーチャーだし…
バーサーカー、もういいよ」


彼が声をかけると、バーサーカーはそのまま、空間に掻き消える。
バーサーカーが激突した衝撃で、抉れた地面を残したまま
謎の少女は姿を消した。

「…え、…き、きえ、た…?」
「霊体化…。
もう戦う意思はない…ということかしら」

アーチャーは静観する。
今は、剣士と彼の様子を、伺うようだ。


「麗しい新緑の少女の危機でしたので、思わず手を出してしまいました。
まあマスターはもうすぐ来るでしょうし、問題ないですね。
先程の鮮血少女のマスターは…あなたでお間違いないですか?」

セイバーは、その剣の先を、彼…ニノ灯桔梗に向ける。
彼の顔は、心底つまらなさそうな、思い通りにならなかった子供のような顔だった。

「…だったら何?俺を殺すの?」
「敵マスターが居ても、無茶をするな。
と、僕のマスターからの指示でしたので、何もしませんよ。

ですが、まだ先程のサーヴァントで何かすると言うのであれば…
僕が変わりに御相手しましょう。
マスターを守りながら戦うサーヴァントが、
一方的に嬲られる姿など、美しくないので」
「…。

マスター…」

ぽつりと、彼がつぶやく。

きょーくんは、人間なんだ。
あんな超人的な力を相手には、叶わない…戦えないはずなのに。
彼は、動じない。

「そのマスターってさ、
この学校に、可愛いセキュリティ付けた人の事?」

相手を煽るような言葉遣い。
剣士は何故か嬉しそうに、高らかと話した。

「ええそうです!なんと僕のマスターが、学校に万が一の事が無いようにと、軽い魔術の結界を貼っていたようで!
おかげで貴方方にいち早く気付くことが出来ましたよ!」
「…」
「あんな堅物で、面白くなさそうで、頭も中身も心も鋼鉄のように硬い人なだけ…と思っていましたが、頭が固い分作戦は手堅いなと」


「中身も固くて悪かったな」


剣士の声をさえぎって、別の男の声が聞こえた。
とても聞き覚えのある声だ。

「おやマスター。随分遅かったですね。
もしかして走るのは苦手ですか?」
「うるさい」

赤い剣士の近くに来ていた男は、周りよりも身長が高めの、黒い髪をした…

「っ…いつくん?」
「知り合い?マスター」
「う、うん…」

なんでいつくんがここに…
…もしかして、さっきから剣士の人が、
「マスター」と言っている人が…いつくん…?

「それで、目の前にいるこいつは、
「敵」のマスターで間違いないんだな。セイバー」
「ええ。血のように赤い少女のサーヴァントを従えていましたよ。
後、もう1組。
あちらの上空に、おそらくアーチャー…と、そのマスターがいました」
「…こっからじゃ、顔も見えないな。
アイツらとこいつがやり合っている時に、
お前が割り込んだ…って所か」
「そうです」

いつ君は、顔色ひとつ変えない。

「お前は簡単な防犯魔術を見抜けず魔術を使ったのか?
それとも分かってて使ったのか?」

きょーくんの表情は、見えなかった。
前髪に隠れて、口元しか見えない。

「…後者。だって、こんなの掛けるの、いっちゃんしかいないじゃん。

…分かってたよ。いっちゃんが魔術師なんてとっくに。

だから、ちょっかい出せば、来てくれるんじゃないかなって」

口元に笑みが見えた。
それは諦めなのか、嘲笑っているのか、ただ単に面白いだけなのか。

「来たのは別のやつだったけどね。
でも、こうしていっちゃんが来てくれたからいいや!
今日の俺の目的はおしまい。

どうする?殺す?バーサーカーと戦う?」

手を広げをて、満面の笑顔を見せるきょーくん。
その笑顔は見慣れているはずなのに、
心の底から冷えるような恐怖を感じた。

「俺としては、戦闘の足手まといになるチームがそばにいる状況では戦いたくない。
お前にとっても不利な現状だろう。

お前が2対1でもいいと言うのなら、相手するが?」

セイバーが、再び剣を構える。
きょーくんはその言葉を聞いて、深く深くため息をついた。

「もーいいよ。バーサーカーも傷ついちゃったし。セイバーとアーチャーなんて、一緒に相手したい訳ないじゃん」

やれやれと言ったような素振りだった。

「…いっちゃんは、変なところで甘いよね。

そんなんだから俺みたいなのに好かれちゃうんだよ」

すごくすごく小さい声だった。

彼が背を向ける。
もう、「今は戦う意思がない」という現れだろうか。

「…いっちゃんとは、お話してなかったしね。いい機会かも。

俺はマスターになって、聖杯戦争に勝って…
魔術師も、聖杯も、アイツらも、何もかも壊して終わらすんだ。
…だから、絶対にいっちゃんとは殺し合う。

その前に、昨日話したかったんだけどね」

背中から、気持ちは読み取れない。
彼は今、どういう心情なのだろう。


「じゃあね。今回はその「優しさ」に甘えようかな。

…次会ったら、遠慮なく殺していいよ。

俺も、本気で殺すから」



最後、少しだけ、いつくんの方へ視線を向けた。
その目は、見たこともないくらい冷えきっていて、輝きなんかなかった。

それだけ伝えると、きょーくんは歩き出す。
数歩歩くと、闇夜に溶けるように、姿が消えてゆく。
…もう驚かなくなってしまった。
この夜で、処理しきれないほど、沢山のことが起きてしまった。

「マスター、逃がしていいのです?
かなり正気をやられているマスターとサーヴァントのようでしたが?
今のうちに倒しておいても良かったのでは」
「…。
あいつのサーヴァントを、俺はまだよく知らない。それに、あの上にいる奴らのことも処理しなきゃ行けない。
そっちを優先しただけだ」
「…マスターがそう言うなら、不問にしましょう」

セイバー…と呼ばれていた剣士の体を、
赤い光が包み込む。
すぐに弾け、輝きが消えた後には、
黒いスーツを身にまとった1人の…青年?少女?のような人が佇んでいた。
…同じ人…なんだよね。

2人でこちらを見上げている。
降りてこい、という事だろうか。

「…あの、えっと…アー…チャー?」
「何かしら?マスター」
「その…し、下に、降り…たい…です」

アーチャーは、こちらを見つめる。
青い髪とは対象的な、赤い瞳が、
オレの顔を映し出した。

「…分かったわ。降りる時も下を噛まないでね」

再びオレを抱き上げて、トンっとフェンスから足を離す。

「っ…!」

急な落下による心臓へのショックが大きい。
今日は何回も怖い思いをしている気がする。

それでもアーチャーは、オレを抱えたまま、無事に地面に着地をした。
そのままオレを下ろし、すぐ側に待機する。
恐る恐る、いつくんの顔を見た。


「……っ…」


微かに、微かに息を飲んだ様な音がした

…けれど、気のせいだろうか。

目の前の彼は、いつもと変わらない、冷静な顔。


「呉羽。お前は聖杯戦争に参加するつもりだったのか?」


いつ君からの質問に、ドキリとしてしまう。
聖杯戦争…あの包帯の人から言われた言葉だ。
なんでいつくんが知ってるの…?

「…あ、えっと、あの…せ、聖杯戦争…自体のこと…よく、分からなくて…
その、死にか…けた時に、
いきたいなら、聖杯戦争に参加しろって言葉を思い出したけど…

オレ、オレは…何も、知らなくて…」
「マスター…?」

アーチャーが、驚愕の顔でこちらを見つめるのがわかる。
成り行きであんなことになってしまったが、
オレはなぜアーチャーが突然現れたのかさえ、分からない状況なんだ。

「…じゃあ、その隣にいるサーヴァントは、お前が召喚したのか?」
「あ、えっと…いや、召喚…?と、突然現れて…」
「……お前は聖杯を望む魔術師じゃないのか?」
「魔術…師?…ずっと思ってたけど…マジシャンか何かってこと…?魔法?」
「…………はぁ」

段々と、アーチャーの目線が鋭くなってきた。
背中に冷たい棘が刺さっている気がする。

いつ君はそんな俺を見て、小さくため息をついた。

「…な、セイバー。先にこいつを処理しようとして良かったろ。
何も知らない赤子のような知識で、よくサーヴァントを召喚できたものだ」
「しかし聖杯戦争に参加するつもりがないのに、サーヴァントを召喚できるものなのですね。一般人が。驚きです」
「こっちが驚いているわ。まさか私を呼び出したマスターが、なんにも知らない…魔術も何も分かってないようなマスターなんて」

散々な言われようだった。
言い返せないけどちょっと不服。
だってオレ、さっきまで普通の人だったのに。

「…聖杯戦争については、監督役から聞けばいい。友人としての好だ。案内くらいはする。

……」

じっとオレの方を見つめる。
ど、どこかおかしいところ…あるかな

「出血した後があるんだが…もう傷は治ってるのか?」
「…あ、そう、いえば」

そうだ。最初、グラウンドに着いた時に、三階の高さまで吹っ飛ばされたんだ。
思いっきり地面に追突したし。
あの時は、ギリギリ生きているような状態で、
動くことすら出来なかったのに…

「治ってる…みたい?
痛くは、無いかも」

「…アーチャーの性質…か?」
「視力や身体能力の補強はあっても、治癒が早まることはないと思うのだけれど」
「……まあいい。…今は、突然の召喚で、身体がおかしくなってないかの確認が先か…」

暫く静かに考え混んだ後、いつ君は右手を差し出した。

「友人が、何も知らない赤子マスターで、何も知らずに退場させられては、こっちも後味が悪い。

協定を結ばないか、呉羽。

まずは仮でいい。お前が聖杯戦争とは何かを知るところまでは、俺とセイバーはお前を攻撃しない。
その変わり、お前に魔術師としての知識を教えてやる。
俺が信じられないというのなら、別に断ってくれて構わない。どうする?」

…これは、協力?を、求められてる…のかな。
アーチャーを伺う。
その視線に気がついたのか、アーチャーは目を瞑った。

「私は何も言わないわよ。貴方はマスターなのだから、自分で決めなさい」

自分は関与しない。そう言われてしまった。
…オレとしては、いつ君が分からないことを教えてくれる…というのなら、とても嬉しいし…。
彼女、アーチャーのことも…分からないことだらけだし
少しはアーチャーを、知ることが出来るのなら…

「…う、うん。…宜しく、いつ君…と、セイバー…さん?」

おずおずと手を出して、握手に応じる。
形式的だけど、これが一番「協定した」という実感が得られると思う。
いつ君は頷き、再び考え事を始めた。

「今すぐに知識を詰め込んだり、
以上はないか調べるべき…だが、
先に休息は取るべきか。
呉羽。明日は学校休め。
魔術師として色々教えたあと、教会に行く」
「きょう…かい?」
「監督役がいる場所だよ。行けばわかる。
…呉羽、家に家族はいるのか?」
「い、いや、アパートで一人暮らしで…」
「なら今日は俺の家に泊まれ。部屋が空いてるからそこで寝てくれていい。
行くぞ」

それだけ言って、いつ君とセイバーさんは、歩き出す。
転々と話が進んでいく。
え、お泊まり…?いいの?今まで1度も、いつ君の家にお邪魔したことないのに…。
戸惑ってる俺を他所に、いつ君はどんどん歩いていってしまう。

慌ててその背中を追う。
ちらりと後ろを除くと、ちゃんとアーチャーも着いてきてくれた。

何故か、少しだけほっとした

……


いつ君の家に案内されている途中…オレはアーチャーに、尋ねた。

「…アーチャー…怒ってる?」

今のアーチャーは、先程の緑のドレス姿ではなく、
赤いネクタイに黒いベスト、
ショートパンツを履いた腰には、ドレスのような長いフリルが添えられた衣装になっていた。
頭に着いていた耳も、ベレー帽のようなもので隠している。

そんな彼女は、オレの問いに
冷めたような、がっかりしたような顔をしていた。

「腹立たしいというより、呆れの方が強いわね」
「うぅ…」


「…でも、むしろ、…これで、
呼ばれた私は…」


何かを言いかけて、アーチャーは口を閉じた。

「…アーチャー?」
「いいえ。なんでも」


また無言になり、歩き出す。
この次に静寂を破ったのは、アーチャーだった。


「…マスター」
「な、なに?」


「私に気を使わなくていいわ。
聖杯戦争の事を聞いて、参加したくなくなった…または、
怖くなったのであれば、

潔く辞退しなさい」


彼女の声は、有無を言わせない強さがあった。
半端な答えは許してくれない。
そう、理解した。


「この世は弱き者が食われ、強きものが勝ち上がる。
それだけの事よ。
どちらが勝ち上がるのかを決める時に、
恐怖や戸惑いを持たれては、困る」


「私は、聖杯を手に入れるために、戦うのだから」


…。そこまでして、するものなのだろうか。
聖杯戦争は。
オレには分からない。
聖杯戦争のことを、理解していないだけかもしれないけれど。

こんなに、必死になるものなのか。

それほど、「聖杯」に魅力があるあるのかな。
包帯の人は、「なんでも願いを叶えてくれる」…と言っていたような気がする。


「…わ、かった…よ。
決めるのは…話を、聞いてからでもいい?」
「もちろん。よく聞いてしっかり考えなさい」


それ以降、彼女は何も喋らなかった。
歩きながら、今夜の出来事を振り返る。


友人に恨まれていたり、突然人が現れたり、
聖杯戦争や、魔術師や、よく分からないことに巻き込まれたり。
散々だった。

「…」


あの包帯の人は、こうなることを、予期していたのだろうか。
だから、オレに話しかけたのだろうか。


「…」




オレは一体、どうしたらいいんだろう




ーーーーー





「これでやっと、聖杯戦争が正式に始まりますねぇ。
監督役は、ここからが正念場…なのでしょう?」

彼は、いつもの笑みを張りつけながら尋ねてくる。
もう慣れている。こんな顔、嫌という程見てきた。

「そうですね。…しかし、本当に今日までに人数が揃うとは。
あなたが言った通りになってしまいましたね。
気味が悪いほどに」

少し探りを入れるような問いをぶつける。
彼は変わらない。

そう、分からない。

いくら慣れようとも、この男の考えることが、私に伝わることは、なかった。


「おやぁ。私はただ、あなたのお手伝いをしただけですよ。
予定していた1人のマスターは死にましたが…
これでやっと、「全員」揃ったじゃないですか」
「元から参加を希望していたマスターが殺されるなど、聞いたことも無いです」
「まあ、私としてはどちらでも良いのですがね。
「彼」も気に食わないとのことでしたし
私も、アレが聖杯戦争で良い反応を見せてくれるとは思えませんでしたし…

参加しても、すぐに殺されていたでしょう」

「っ…マスターを、こちら側が選別するなど、監督役がすることではありません。
あってはならないことなのです!
立場をわきまえるようにっ!」

言葉が強くなってしまった。
元々、参加を予定していたマスターの「死」。
それはもちろん、偶発的などでは無い。
明らかに、誰かが「故意」で行った物だ。
目の前の彼は、誰かと協力して、聖杯戦争を管理するつもりなのだろうか。

「怖いですねぇ。
なにも、あなたの邪魔をする気は無いのですよ。私も、「聖杯戦争」を行ってもらわなければ困るのですから」

変わらない態度と表情。
こちらが睨みつけているのも馬鹿らしくなり、
小さく息を吐く。

「…もういいです。貴方には何を言っても無駄のようです。
ですが、私の、邪魔だけは、しないでください

昔共闘した仲とは言え、やり過ぎると、
私も手を打ちます」


静かに告げると、彼は、くすくすと笑う。




「ええもちろん。「あなた」の邪魔は致しませんよ」

「私の邪魔を、あなたがしなければ」



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