第03夜




ーーーー





聖杯戦争には、関わりたくなかった。
完全に消える。とはならないけれど

「死の恐怖」は訪れる。


あぁ、死にたくない。死にたくないのです。
私は、私は、ただ、生きたかっただけなのに。




でも、「こう」までして、
生きるなんて、思いもしませんでした。




あぁ、消えていく。残らない。伝わらない。


どうか、どうか「貴女」。




死なないで





ーーーー





「…」


キャスターが現れて、数十分経つ。
なんとなく、キャスターと向かい合って座っていた。

少し緊張するから、何を話していいか分からない。

…でも、

驚いてる。
本当に、サーヴァントを召喚できちゃったんだ。
左の手の甲を確認する。

…ある。聖杯戦争の参加券。
マスターの証。
令呪…。

心がじわじわ、歓喜に染まる。

(必ず勝って、聖杯を手に入れる…
そして、あの人たちが兄ちゃんに言ったこと、謝らせるんだ)

1人、心の中で闘志を燃やす。
先に会話を始めたのは、キャスターだった。

「…ねえ、マスター。
あなた…お名前は?」
「名前?」
「………」

キャスターは、驚愕の顔を貼り付けたまま動かない。
どうして?もしかして、子供のマスターは、本当に珍しいのかな。

「我輩は、はしらという。
誰もが恐れ敬う魔術師、柴野はしらだ」


少しだけ、キャスターの肩が揺れた気がした。





「…あぁ……」





「…キャスター?」


何かを言いかけたキャスター。
我輩の様子を見て、慌てて首を振る。

「………ぁ、れ?
う、ううん。なんでもないよ、マスター。
こんなに小さい子でも参加するんだね。初めて知ったよ」

ふわりと、優しく頭を撫でられる。


…くすぐったい。


…お母さんにこんな風にしてもらっていたら、同じような気持ちなのかな

でも


「キャスター。
我輩は子供ではなく、1人のマスターだ。
幼子のような扱いは不要である」


キャスターの手を、優しく断る。
優しくされているのは伝わるけれど、我輩は褒められるために召喚したわけじゃない。

甘さは、いらない。

「…そうだね。1人で召喚をやりきったマスターだもんね。
君は立派な魔術師だよ」

…でも、こんなに魔術関連で褒められたのは
、初めてだ。
兄ちゃんには、どんな魔術が出来たとしても、
心苦しくて言えなかったから。
甘やかされる事は確かにして欲しくないけれど、
褒められるのは、素直に嬉しい。

「…ありがとう。

ごほん、ではキャスター。
さっそくだが、そなたについて…」
「待ってマスター。今日は休んだ方がいいかもしれない。
疲れてるでしょ?」
「…子供扱いは」
「そうじゃなくて、1人のマスターとして、体を案じているの。
大人だって、召喚には結構な魔力を消費する。
子供扱いはしないけれど、自分の限界は知っておくべきだよ」
「…」

まさに正論。
子供扱いは嫌だけれど。
我輩はどう足掻いても子供の体。

…早く成長したい。

「…キャスターの言う通りだ。
大人しく休むとするか」

そうだ。我輩は眠れるとしても、キャスターは何処で休むのだろう。
…あ、霊体になって、魔力消費を抑えるのだろうか?
やっぱり、キャスター専用の部屋とか、用意するべきじゃ…


そのタイミングだった。

コンコン、と、ノックの音が聞こえてきた。

「…はしら?さっき、すごい音が聞こえたが…大丈夫か?
魔術関係か?」

地下室に繋がる道は、家の中しかない。
つまり、家の中にいる人しかノックできるはずもない。
だから…

「兄ちゃん!?」
「家族の人が来たの?」

どうしよう。兄ちゃんになんて説明しよう。
絶対聖杯戦争にいいイメージ持って無さそうだし、
黙って参加したなんて知ったら、今度こと呆れられちゃうかもしれない…!

「マスター。家族のひと、魔術師?」
「ま、魔術師では無いけど魔術師のことは知ってる!」
「…誰かいるのか?」

焦ってしまって、幼い言葉遣いになってしまう。

怪訝な声を出す兄ちゃん。
か、隠し通せるかな…

「聖杯戦争のことは、知っているの?」
「……いや、分からない。
このことは、話さなかった」

「…分かった。じゃあ霊体になるね」

と言って、キャスターはすぐに姿を消した。
霊体は、サーヴァントだけが出来る擬態…のようなもの。
本当に、姿かたちが、わかんなくなっちゃう。

「はしら?開けるぞ?」

ガチャりと、兄ちゃんがドアを開ける。
キャスターは消えているので、地下室には我輩1人。
でも、召喚したすぐ後だったから、
本や紙が散らかっていた。

「ごめんなさい兄ちゃん。ちょっと魔術の研究してたら、失敗しちゃって」

心苦しいけれど、兄ちゃんには、ふんわりとした嘘をつく。
兄ちゃんは特に問いたださずに、納得したようだっ。

「分かった。夜も遅いんだ。明日に支障が出るぞ」
「う、うん」

そのままドアを閉めて、出ていこうとする兄ちゃんに、
我輩は思わず聞いてしまった


「ねえ、兄ちゃん。

…おれが、魔術の事勉強するの…嫌じゃない?
黙って、色んなこと、やってるから……」


兄ちゃんは静かに聞いてくれた。
閉めかけていたドアを開けて、我輩の方に歩み寄る。
目の前でしゃがみ、視線を合わせる。
その顔は、優しく微笑んでいた。


「嫌じゃない。朝は、あんな顔したけれど、
お前が頑張ってるのはよく知ってる。
だから、俺に気を使わずに、とことん突き詰めるんだ。
お前ならできるよ。強くて出来る子なんだから」

優しく、力強く、頭を撫でられる。
じわりと、目じりに涙が溜まる。

優しい。暖かい。

でも、
兄ちゃんは、
暖かい事、されたことあるのかな。
家族や周りから、魔術師の恥だって言われ続けて。
きっと、お兄ちゃんがいちばん苦しいはずなのに。

それでも、兄ちゃんは、おれに優しい。

おれの自慢の、優しくて、強くて、かっこいい兄ちゃん。

兄ちゃんに優しくされる度に、
自分の中で、
より決意が固まっていく。

「だけど、夜遅くに大きい音を出したり、寝不足になるのはダメだ。
魔術師と言えど、学校はちゃんと行ってもらうからな」
「わ、分かってる…もう寝るよ…」
「そうか、ならいい。おやすみ」


挨拶だけして、兄ちゃんは帰って行った。
…とりあえず、聖杯戦争について、なにか問われることは無かった。

ふう…と、1つ息を吐く。

「あの人がお兄さん?」
「…あぁ」

兄ちゃんが居なくなったのを確認して、キャスターは姿を現す。
…キャスターの目には、どう映ったのかな。

「兄ちゃん…兄者は魔術回路をもっていない。
故に、身内から酷い扱いを受けてな。

…我輩は、聖杯戦争で勝利して、
その屈辱を、晴らしたい」
「…」

いつの間にか、拳を強く握りしめていた。

「…誰かのために、命を掛けれるなんて、
小さいのにすごいね。
死ぬかもしれないのに」

そう言ったキャスターの表情は暗く、どこか脅えているようだった。

ここまで死に怯えるサーヴァントは珍しいのかもしれない。

サーヴァントも、元はと言えば人間なのだから、
そう思っても仕方の無い…と思う所はある。

それに、生前のキャスターの記憶が影響しているのかもしれない。

「兄者がそれほど偉大ということだ。
父も母も帰っては来ないのでな、
兄者だけが唯一の家族…と言っても過言ではない

その兄の為ならば、命をかけることなど…」

「容易い事」

我輩は、散らかった本や紙をひとつずつ集めていく。
こうなるなら、最初のうちに隅に寄せておけば良かった。

「キャスターの言う通り、この部屋を簡単に片付けたらすぐに休息に入ろう。
キャスターはどこへ…」
「私は眠る必要は無いから、霊体になってこの家を見張っているよ。
閨も作りたいし」

工房。
キャスターのスキル…陣地作成だったかな。
魔術師に有利な工房を作るスキル。
そのスキルが高ければ、
神殿を作ることも可能になるとか。

閨…と呼ぶ理由は、よく分からなかったけれど。

キャスターのスキルランクはどのくらいなのだろうか。
…後で調べるか。
確か、マスターなら、サーヴァントのステータスを、
「マスターがいちばん理解しやすい形」で認識できたはずだ。

「そうか。ならばそうしてくれ。何かあればすぐに我輩につたえるのだ」

キャスターは頷いて、再び空間へと溶ける。

…サーヴァントは睡眠を摂る必要は無いし、
食事も必要無い。
この世に存在するために必要なのは、
定期的な魔力。
マスターはサーヴァントへ、己の魔力を提供し、
サーヴァントはそれを使って、超人的な力を発揮する。

「…本では読んでいたけれど、
普通の人のように見えちゃうんだよね」

まだ自分が、キャスターの力を見ていないだけだと思う。
でも、どこか

人間らしいというか。


いや、人間だったんだけれど、
でも…

「…いや、切り替えよう。
気を抜くな、柴野はしら。
我輩は1人のマスター。
いつ戦いになってもおかしくはないのだから」




ーーー



街を見下ろす。
その灯りは、

どこか懐かしい。




「はしら…」




何故だろう。

ー何故でしょうー

こんなにも、心がざわめいている。

ーあぁ、こんなにも、心が叫んでおりますー


でも、答えが見当たらない。




ーおやめ下さい、こんなことー





ーーー





今日も語りましょう。
心躍るお伽噺。
あなたを冒険の世界へとお連れ致します。


貴方の耳へと流れる夢物語。
それは願いを叶えるランプの魔人。
空を自由に飛べる魔法の絨毯。
ある時は海を渡る輝きの航海。
胸が高鳴るでしょう。
何故ならば、物語はあなたを裏切らないから。


さあ、今宵はここまで。
また明日になれば、

さらに興味深いお話をお聞かせ致しましょう。





そう
死にたくないのです。
毎夜毎夜、私は、貴方の耳と心を奪えるお話を語っていく。

ただ、死なないために。







死にたくなかった。

だけなのに






ーーーー



「………?」


ぼんやりと、頭にもやが掛かっているような感覚がする。

片付けが終わり、直ぐに自分の部屋に帰った後、
倒れるようにベッドの上で寝てしまったらしい。

「…何か、夢を見た気がする」

誰かの叫び。
誰かの…思い出?

彼女…キャスターの…思い出なのだろうか。
マスターとサーヴァントは、お互いの記憶が夢に出てくることもあるらしい…とは知っていたけれど。

死にたくないという思いは、そこから来ているのかな。
…でも、もしかしたら、キャスターが知られたくないことなのかもしれない。
このことは、しばらく聞かないで、様子を見ておこう。

「…キャスターは…
出かける前に、声をかけなきゃ」

少し怠い体を引きずって、事実から出る。



ドアに左手をかけた時、咄嗟に手の甲を見てしまう。


大丈夫、証は消えていない。


………



朝の支度が終わったあと、
兄ちゃんはバイトへと出かける。

兄ちゃんはいくつかお仕事をかけ持ちしてて、
今日は夜まで、喫茶店のバイト。
兄ちゃんもとても気に入っている職場のひとつで、
来るお客さんもスタッフさんも、いい人ばかりらしい。

他には、引越しのお手伝いとか、道路工事とかもあるらしい。
本当に兄ちゃんには感謝してもしきれない。

「じゃあなはしら。鍵ちゃんと閉めてけよ」
「うん。兄ちゃんも気をつけてね」

その言葉に少し微笑んで、兄ちゃんは玄関のドアを開けて行った。
いつものように、後ろ姿が見えなくなるまで、玄関から見送る。


「…キャスター、そこにいるか」
「ええマスター」

我輩の問いかけに、キャスターはすぐに姿を現す。

「キャスターはどうする?
学校に着いてくるか?それともここに?」
「…」

考え込むキャスター。
…まあ、もしサーヴァントと鉢合わせになったりしたら、キャスターは怖いのかもしれない。

ましてや、セイバーやランサーといった、3騎士…
対魔力が高く、近距離戦闘に特化したサーヴァントとは、戦いにくいだろうし。

「マスター。学校にマスターがいる可能性は?」

あ、その可能性は考えてなかった。

ふむ…怪しい人はいなかった気もする。
中学は分からないけれど。

「隣に存在する中学校は把握出来ていないが、
我が学び舎には、魔術師らしき人間は存在せぬ気がするぞ」
「そう。わかった。じゃあ霊体になってついて行くね」

キャスターは実態を消して、霊体として我輩の傍にいるらしい。
声は聞こえるから問題ない。

靴を履いて、玄関を出る。
鍵をかけようとすると、元気で明るい声が聞こえてきた。


「ししょー!おはよー!」

向こうから、我が下僕ノワが歩いてくる。
いつもと変わらない金色の髪に、人懐っこい笑顔。
うむ、我が下僕は今日も立派に出迎えてくれた!えらい!

「よくきたな我が下僕よ!さあ、今日もわが魔城への掛橋を渡ろうではないか!」

両手を広げて、声高らかに!
…うむ。今日もかっこよく決まった。
さすが全てを統べる魔術師である。


「ししょー、ここのちかくに、はしかかってないよー?」
「…下僕は、我が思想を完全に理解するには早すぎるようだな」


膨れながら家の鍵を閉めた。


ーー


「ししょー、きょうはあるくのゆっくりだねー」
「…はぁ……」

体が重い。足が鉄のように重い。
家を出たところまでは平気だった。
でも、歩き続ける度に、疲労が全身を蝕んでいく。

昨日ちゃんと寝たのに…。

このまま授業を受けたところで…頭になど入らない気がするのだが…
ううむ…
万全でない時に、マスターに出会ってしまったらどうしようもないな…。
でも、ここからまた来た道を戻るのはちょっときついなぁ…。
それに、少し休めば回復する気がする。

兄者よ。お許しを。

「すまないノワ。我輩は今日保健室という名の休息の地へ向かう」
「ししょーはたいちょーわるいの?」
「うむ。少し調子が悪そうじゃ。
回復次第参加するのでな、その趣旨を我が教師に伝えて欲しい」
「わかったー!」

ノワはそのまま下足置き場へ走っていく。
我輩も、同じ場所へゆっくりと向かう。
保健室は下足置き場の隣にある。


この学校は、小中一貫校となっていて、
小学校と中学校は、渡り廊下で繋がっている。

と言っても、基本的に小学生は中学校に、
逆に、中学生は小学校に入ることを禁じられている。
揉め事が起きないようにという配慮らしい。
黙って入ろうにも、お互いの渡り廊下の入口には、警備員が2人ずつ配置されている。
先生から許可を頂かない限りは、通ることは出来ない。

ただし例外がある。
保健室は、小中共同となっているため、
どうしても小学校側に来る必要がある。
中学校から保健室を利用する場合は、警備員が1人生徒に付き添って、保健室へ連れていくことになっているらしい。


…何故かは知らないが、
その制度だとしても、保健室を利用する中学生は、ものすごく多いらしい。
そんなに怪我をするものなのだろうか。


保健室のドアをノックをし、ゆっくりとドアを開ける。



保健室にいる先生は、こちらを見てにこりと微笑んでくれる。
黒く短い髪をした女性。
白衣を身にまとい、長い足にはめられたヒールはとてもよく似合うと思う。

「おはよう。どうしたの?」
「我輩は少し調子が優れんのだ。休息を取りたいのだが、寝具は空いておるか」
「人に頼み事する時は、ちゃんと言った方がいいよ」
「………。
…体調がわるいのでベッド貸してください」
「いいわよ。ちょうど今誰もいないから、好きなところで寝なさいな」

軽く頷いて、適当に窓際のベッドを選ぶ。
保健室を利用するのは初めてではない。

たまに、魔術書を解読しすぎて寝不足になったりとか、魔術を習得しようとして魔力不足になったりとか
そういう時に、いつもここを借りている。
いつも、1時間目、2時間目まで休めば大体は回復するから、
学校を休むほどでは無い。

…それでも、クラスの目や、先生の印象は、
あまり宜しくない気もする。
魔術師なんて言えるわけないから、我輩が「ズル休み」をしていると思っている。

保健室から教室へ戻ると
クラスメイトはヒソヒソと噂し、
担任は
「随分多い体調不良だね。いつ治るの?」
と冷めたような目で見る。
まだ兄に報告されていないだけマシだった。

そんな学校の中で、他と変わらず接してくれるのは
ノワとちよ先生だけ。
ノワはいつも明るく遊んでくれて。
ちよ先生は、理由は聞かずに保健室で休ませてくれる。

クラスメイトや担任に嫌われても
我輩は構わないと思う。
こうやって、我輩と対等に接してくれるの人達もいるし、
兄ちゃんもいつも味方してくれている。

おれはそれで大丈夫。
寂しくない。


「そうそう。今日ね、お昼くらいから、知り合いの女子高生が来るの。
午前で授業が終わるみたいでね」
「高校生なのに入ってもいいの?」
「そこはもちろんただって訳じゃないわ。
ここに来て、私が勉強を教える代わりに、
学校のボランティアとかを手伝ってもらってるの。
だから、先生達にも高評価なのよ」
「へえ…凄い優しい人なんだ」
「みんな真面目な子は好きだからね。そうだ。
はしら君、紅茶飲む?
リラックス効果もあるし、体も温まるし、寝る前に1杯どう?」
「う、うん、飲みます」

ちよ先生は少し微笑んで、ティーカップを置いている棚へと歩き出した。

「…キャスター、返事をせずとも大丈夫だ。
しばらく周りを見張って欲しい。
なにか怪しい動きがあったらすぐさま我輩に伝えるのだ」

先生に聞こえない程度に、小声で宙に呼びかける。
マスターやサーヴァントが動くのは
夜が多いけれど、例外もある。
警戒に超したことはないだろう。
中学校は調べきれていないけれど、
少なくとも、小学校は安全だ。


(…もし)


もし、マスターが、自分の知っている人だったのなら
我輩はどうするだろう。

ほかのマスターは、どうするのだろう。
慈悲を与えるのか、容赦なく殺してしまうのか。


どうか、おれの大切な人たちは、巻き込まれませんように



ーーーーーーー






魔術師とは何か。
根源の到達に手を伸ばし、紛争するものか。
未踏の血を求めて、知識を高め合うものか。

俺は、

己の欲望のためなら
他をなんとも思うことは無い
「外道」だと思っている。

訳の分からない戦いで人を巻き込んで
意味不明な理由で命を生み出し
終わらせた。

そんな非人道な物に俺はなりたくない。


あんな事をしてまで、手に入れたいものなんてない。




それに、

俺は、

優秀でも、なんでもないんだから。



兄のようには、なれない。





ーーーーーーーー




「聖杯戦争に参加する気になりましたか?」
「なりません」



また来やがった。この包帯男。


朝、俺が学校に向かう通学路の途中。
よく会うのは、最寄り駅のホームだろうか。

最近、電車を待っていると、高確率で隣にやってくる男がいる。

いつもいつも
「お隣失礼します」
からの
「聖杯戦争に参加する気はありませんか?」
のパターン。

魔術師共が聖杯とかいう、欲望の塊のような物を掛けて
町中大迷惑な戦争をするというもの。

俺も魔術師の家の生まれだから知ってる。
嫌でも、知らされた。


もちろん、俺の答えは決まっている。
NOだ。


「あなたは聖杯戦争に参加するおつもりは無いのですね?」
「はい」
「あなたのお兄様のお名前は、私もよく存じ上げております。
きっと来栖冬斗さんも、素晴らしい功績を残せると思うのですが」
「…知りませんよ。俺は魔術師が嫌いですから。普通の人でいたいんです」


変わらない答えに、包帯男はわざとらしく肩をすくめる。


「頑固ですねえ。そんなことをしていたら、優秀な魔術回路も腐ってしまいますよ」
「…もういいですか。
電車きたんで乗りますね」

タイミングよくやって来てくれた電車に乗り込む。
包帯男は電車の中までは着いてこない。
にやにやした笑顔を貼り付けながら、俺を見送る。
気味が悪くて仕方ない。通報されてしまえばいいのに。

はぁ…と深いため息をついて、カバンの中に入れていた小説を開く。
よく行くカフェで働いている先輩が、オススメしてくれたものだ。

学校の最寄り駅までは、10分ほどある。
どこまで読めるだろうか。


「…」


俺は、昔から自分の立場が好きではない。

「魔術師」という肩書きを背負うのが嫌で、
ずっとそれを避けてる。

俺の家は魔術師の家系。
名前だけは結構知られているらしい。
特に兄の名前は有名で…

だからこそ、魔術の研究は熱心だったのかもしれない。
俺以外除いて。

魔術師の家、魔術師としての「素質」を持って生まれたからには、
そりゃ「魔術師」として望まれるわけ。だけど。

俺はそれを拒んだ。
頑なに。

魔術師として生きてる人間は死ぬほど見た。
「根源にたどり着くために」
そんな目標を掲げて

残酷なことをする魔術師もいた。

そこまでして、
欲しいものなのか
とも思った。

全員がそうって言うつもりは無いけれど、
少なくとも、俺の魔術師への印象は良くない。

魔術の基礎知識だったり、使い方だったり、
教わっていた時期もあったけれど。
中学になってからは、逃げるように寮生活へ逃げ込んだ。
お陰で今は、魔術師とは無関係の生活を送れている。

…あの包帯野郎を除いて。

両親はどうにか興味を持ってほしそうだったけど、
俺はとにかく、魔術師になる気は無い。


魔術師なんて知らない。そんな世界どうでもいい。
俺はこんな風に人として生きていたい。


(それに、兄があんなに優秀なんだ。
…別に、俺がならなくたって、いいだろ)


ガタリ…と電車が止まる。
運良く、学校の最寄り駅についたようだった。

「…あんまり読めなかった」

考え事をして、1ページも進まなかった小説をカバンに入れ、
電車から降車した。




ーーーーーー





「マッスター!どう?どう?似合う!?」
「…ねえ、本当に着いてくるの?
絶対無理だと思うんだけど」
「残念だったねマスター!ライダーは理性ブレーキが効かないので、止めることは出来ないのだ!
それに、学校とても楽しそーじゃんか!」

目の前の少女…だと思う。
少女は、クルクルと回りながら、
俗に言うセーラー服を靡かせていた。
白と青のコントラストが、ライダーの水色の髪ととてもマッチしてる。


「マスターマスター。名前はなんて言うの?」
「名前?結城夕輝だよ」
「ユキだね!ユキ!
ライダーとユキは友達だ!だから一緒に学校にいくのは必然でしょ?」
「…」

昨日、あの包帯の人に言われるがまま、サーヴァントという存在を召喚した。
鎧と可愛い見た目とは不釣り合いな剣を腰に据えた彼女。多分彼女。
もう、今は普通の女の子にしか見えない。

見た目が女の子だし、彼女でいいか。


「だいじょーぶだよー。ユキの邪魔はしないからさー。
ほらほら!ガッコー遅れるよー!」
「うわ、ちょ、引っ張らないでよ!」
「こういうのセイシュンって言うの?
ライダー1回やってみたかったんだよねー」

こんなにもサーヴァントは常識外れなのかな!?
朝から振り回されっぱなしだ…。
ライダーに半分引っ張られるように、家を出る。
本当に着いてくるつもりだ。
…なんて言い訳考えよう…。




………………




結果的に、ライダーは高校への立ち入りを許可された。
まずは、私の親戚という肩書きで学校に来る。
「来年受験なので、お邪魔じゃなければ高校を見学したい」
とライダーが言う(ように私が教えた)

なんというか、元生徒会長権限…と言ったらすごく聞こえが悪いけれど…
私が言うならばと、許可が降りた。

ライダーの胸に、首から下げられた「見学者」の名札が揺れている。
そんな名札が正式にある訳ないので、
先生が即席で作っていただいた、手書きのもの。

私は授業があるし、四六時中一緒という訳には行かない。

ものすごく不安だけれど、ライダーと私は別行動ということになった。

「じゃあマスター!ライダーは適当に回ってるねー!後でねー!
何かあったら戻るからー!」
「あまり迷惑はかけないでよ?」
「理性がなくとも、流石に善悪の区別くらいつくさ!」

るんるんとスキップをしながら、ライダーは廊下を渡っていった。

「…授業の邪魔とかしないかなぁ…」

気になるけれど、流石にこの時期に授業をサボる訳にも行かない。
幸運にも、3年生は午前で授業が終わる。

それまでは、無事を祈っておこう。


「…こうしてみると、本当に普通の学生みたいだなぁ。
あんな子が、戦うんだ…」


理解はできているけれど、実感は湧かなかった。
どうしても、
「普通の子」に見えてしまう。



ーーーーー





今日の学校は、始業式の後に、
数学ひとつだけで終わった。
式もあるのに、
授業やるのもちょっとおかしいけど…
まあ、早く終われるのだからいっか。
ホームルームも終了、帰りの礼の合図が12時半。

「…さっさと帰ろっと」

担任は既に教壇から去り、クラスメイトもチラホラとここから出ていく。
俺も用のない教室を去るために、少ない荷物をまとめる。
むしろ教室どころか
学校に用事がない。

うちの中学校は、小中一貫型。
小学校はよく知らないけれど、
中学校は、
学年が上がる事に、教室がある階数が下がっていく。
全4階建てで、
1年生が4階、2年が3階、3年が2階…と言った感じ。
俺は今3年だから、1番楽に昇り降りが出来る。

1階には、まだちらほらと生徒が残ってた。
これからどこかへ行く相談をしたり、考えたりするんだろう。

…俺も何人かに、ゲーセンや、ファーストフード店へ誘われたけど…謝って全部断った。
悪い気はするけど、
俺には今日したいことがあるし。

せっかく早く学校が終わったのだから、
いつも行っているカフェに行きたい。

顔見知りもいるし、平日だからきっとお客さんは少ないし、
店員と話しても、邪魔にはならない…はず。
なんだかんだあの人と話すのは楽しい。

でも、ちょっと早すぎるかな…。
勉強してたら良いか。

「…ん?」

下駄箱付近に、周りとは浮いている制服の女子学生がいた。
来客用のスリッパに履き替えている最中だったらしい。
茶色の髪に、あの制服は…

「白夢さん?」
「…あ、来栖さん!」

白夢心陽さんは、同じカフェでよく会う人だ。
この学校で出会うのは珍しい。
周りの男子高校生が、物珍しそうに見ている。

まあ、大抵の男子中学生は、
高校生や大人の女性に弱いよな。

「どうしたんです?中学校に用事ですか?」
「あ、いえ、中学校と言うよりかは、保健室に行きたくて…」
「保健室…?」
「いつもそこで、勉強を教えて貰ってるんですよ。
良ければ来栖さんも来ますか?
もし用事などがないのでしたら、
そこで受験勉強もお教え出来ますので」
「マジですか?お邪魔します!…て言いたいんですけど、俺保健室に入ってもいいんですかね」
「静かにしていれば大丈夫だと思います。皇代先生、優しいんですよ」

ふふっと楽しそうに微笑む白夢さん。
この人は多分、
3歩下がって殿方について行きますみたいな、
やまとなでしこタイプなんだろうなっと、薄々思ってる。
優しすぎる。

でも、高一の割には、とても落ち着いているようにも見える。
制服さえ着なければ、大人の人に見えるかもしれない。

まあ、受験勉強を教えてくれるなら、万々歳。
お言葉に甘えることにしよう。



………………………




小学校と中学校を繋ぐ警備員達は、白夢さんの顔を見るやいなや、笑顔で入口を開けてくれた。
顔パスとかすごい。

白夢さんが、一言俺のことも伝えてくれたので、
俺も問題なく通ることが出来た。

小学校側に来るのは初めてかもしれない。
一貫校だけど、俺は中学校から編入してきたから。

小学校と中学校の保健医を受け持つのは、
皇代ちよ先生。

この学校の保健室を守りし女神
(中学生男子陣がつけた称号)。

学校生活において、希少価値の高い
保健室の女性の教師。

スタイルのいい背丈に、とても似合っている眩しい白衣、
タイトスカートから見える美脚は、
思春期の男子中学生なら
誰もが2度見してしまうし、
綺麗な項が見える
ショートへアがとてもいい…
らしい。
(全て陶酔している男子中学生達から聞いたもの)

今も昔も、仮病やかすり傷などを理由にちよ先生に会いに来る男子中学生が後を絶たない。

生徒からは絶大な人気を誇るその先生だが、

噂では
超絶イケメンな旦那さん
がいると噂。
キラリと、左手の薬指に光る結婚指輪がなんとも言えない。

1度その旦那さんとやらを見たらしい生徒は
「あんなの勝てるわけない」
と、膝をつき涙を流した。
ついでにその話を聞いていた、何人もの
生徒も涙を流した。
俺は爆笑してた。
今となっては中学校の笑い話。

コンコンと白夢さんがノックをすると、すぐさま返事が聞こえる。
失礼しますと声をかけ、静かにドアを開ける。

「お邪魔します、皇代先生。
知り合いの来栖さんにも、受験勉強を教えたくて、
一緒に勉強してもいいですか?」
「いらっしゃい。もちろんいいよ。
勉学にちゃんと勤しむ子は歓迎。
その代わり、声のトーンは静かめにね。
今、男の子が寝てるから」

しい、とジェスチャーでし、指を指した先は、
カーテンのしまった仮眠用のスペース。

「はい、わかりました。静かに…ですね」

心陽さんと一緒に、保健室に設置された机に座る。
と同時に、備え付けの内線電話が鳴り響いた。

「…あ、ちょっと出るわね」
皇代先生は、一言そう言って、立ち上がる。
内線電話を取り、軽く会話をした後に、すぐ切った。

申し訳なさそうに、白夢さんの方へ向く。

「ごめん心陽ちゃん。緊急の会議が入っちゃった。
勉強教えるの、後になっちゃうかも」
「気にしないでください。先生は会議を優先してください。
私、来栖さんの受験勉強を見ていますので」

もう一言、ごめんねと伝えると、
皇代先生は保健室から出ていった。

…保健室、開けていいのか。

「先生、誰も居なくていいんですかね」
「ふふ、私は結構信頼されているんですよ?
なんなら、傷の手当もしたこともあります」

少し自慢げに笑う彼女。

…もしかして、皇代先生と、彼女効果も相まって、
保健室を利用する男子中学生が後を絶たないのでは……

「さて、では来栖さんの勉強ですね!
もう受験間近ですので、
過去問からやりましょうか」

白夢さんの声にハッとして、慌てて教材を取りだした。




……………………………




「そこは、面積を求める公式の併用なんです。
高校受験の数学は、1問だけとても難しいものがあるんですよ。
でも諦めては行けません。
まずほかの問題を解いてから、この問題に挑むんです」
「なるほど、それだと時間の節約になりますね!
ただ、これ途中の計算があってるか分からなくて…
ここの面積とか…」
「難しい形ですけど、必ず分断が出来ます。
ここは三角柱と円柱、ここは長方体で…」

白夢さんに、受験用の数学を教えてもらう。
本当は、皇代先生に教えてもらう時間なんだろうけれど…
皇代先生が用事が出来たのは、俺にとっては運がいいのか。

凄い。白夢さんが、スラスラと面積問題を解いていく。

「最終的な回答が間違っていても、途中の式で加点方式があります。
なので、絶対に無駄ではありません」
「は、はい!」

にこりと微笑む白夢さん。
白夢さんみたいな人が先生ならば、どれだけの受験生が救われるか。

「白夢さんは、医者になりたいんですよね、たしか」
「ええ。なので、医大受験のための勉強を
皇代先生に教えて貰っているんです。
何事も、備えあれば憂いなしと言いますからね」
「なにか、目指したきっかけとかあるんですか?」
「…そうですね」

ぱたりとペンを置き、静かに目を伏せる白夢さん。
まずいことを聞いてしまっただろうか。
慌てて訂正する。

「あ、いや、無理に言わなくていいっすよ。
聞かれたくないことなら申し訳ないです」
「隠してる訳では無いですよ?皇代先生にも言ってますし。
ただ、懐かしくて…ふふっ、

私、実は、2年ほど休学してたんです」
「え!?」

衝撃事実。
え、えっと、今白夢さんは16…のはずだったから…


本当は18!?


「中学1年生の時に、入院しまして…
2年ほど療養生活をしていました。

新たに2年生から復学したのですが、
知り合いはほぼ卒業してしまって…。
なので、案外転入生と勘違いされてましたね。
お陰で浮くことはありませんでした」

道理で少し大人っぽいと思ったよ。
てことは、彼女が「先輩」と呼んでいる人は…
実は年下ってことか…

な、なんか、なんだこれ。
よく分からないけどなんかやばい事実だ。

「入院した時も、その後も、担当のお医者様や、看護師さんは、とても丁寧に接してくださいました。
私は、そんな人になりたくて、医師を目指すことにしたんです」


入院経験がある人は、医者を目指すことが多い。
そのことはよく聞く話だけど、身近にいたとは。
でも、立派な理由だと思う。

…なりたいものが決まっているのは、もっと立派だと思う。


「家族の人は、なんて言ってるんですか?」
「…」




「家族は、居ないんです」
「…ぇ」




「5年前の……その、
……事故で、父も母も…


…双子の妹も、死んでしまって」


そう言って、心配させまいと笑う白夢さんは、ものすごく寂しそうで。

「ごめんなさい…変な事聞いて…!」
「あ、謝らないでください!これも隠していることでは無いのです!
それに、

私の中で生きてるんですから、
寂しくありません。
…少しは悲しくなりますけれど、
この出来事も兼ねて、
今の私と、目指すべき夢があるんですから」

胸に手を当てて、静かに目を閉じる白夢さん。
その時の微笑みは、本当にそう感じているようで

本当に、生きていると思っているようで。


(…それに、助ける術を持っていれば、
「死ぬこと」から、助けられるかもしれないから)


「…俺、白夢さんの夢、応援してます」
「ふふ、ありがとうございます。
でもまず、来栖さんは受験を頑張らないと行けませんね」
「…………そうっすね」

痛いところを突かれる。
イタズラが成功したみたいに、白夢さんはクスクスと笑う。

「あ、あの…あと、
ひとつ、お願いが…」

白夢さんが、先程とは打って変わって、
少し恥ずかしそうに目を泳がす。

「…ふ、藤…先輩には…このこと…
私が…18ってこと…い、言わないで…欲しいんです…」

顔が真っ赤で、俯いてしまった。
俺は知ってる。ていうか見ててわかる。


白夢さんは藤先輩という人が好きなんだ。
散々カフェで呉羽さん達に話してるしね。


「あの人ちょっと不意打ちでドキドキすること言うんでもん!
その気が無いのなら、ほかの女の子にも優しい言葉をかけている天然タラシさんに違いありません!」

とか

「でもたまに少し意地悪なんですよ!なんなんですか!
からかって楽しそうに!
仕返しがしたいのに、全然歯がたちません!」

とか。


そう言いながら料理にかぶりついている姿が目に浮かんだ。

カフェでは、割と、こんな感じだ。


「言いませんよ。ても、藤先輩?って人は、
年上でも気にしなさそうですけど」
「い、いえ、その…なんとなく…言いたくなくて…」

乙女心と言うやつだろうか。
俺にはよく分からないけど、白夢さんが嫌がるなら、言わない。

「分かりましたよ。約束です」
「ありがとうございます…」

コンコンとノックが響くと、皇代先生が帰ってきた。

「ごめん。会議長引いちゃった。
心陽ちゃん。時間大丈夫?」

「…あ、ごめんなさい…もう…」
「ごめんね、来てくれたのに。
また次おいで、今回の件もあるから、次はもっと踏み込んだところまで教えてあげる」
「ありがとうございます!では、これで失礼しますね!
来栖さん。すみませんが…」
「いえいえ、俺はむしろめちゃくちゃ助かりました。ありがとうございます」

白夢さんは再びぺこりと頭を下げると、保健室を出ていった。

その後ろ姿を見て、くすりと皇代先生は笑う。

「本当、変わったなぁあの時と。
ちゃんと笑えるようになった」
「…5年前、は、元気…なかったんですか?」
「聞いたの?心陽ちゃんから」

こくりと頷くと、皇代先生は、椅子に座って、足を優雅に組んだ。

「双子の妹は、私もよく知ってる子だった。
突然居なくなったって聞いて、驚いたわよ。
何よりも、家族を一気に失って、
とても傷心している心陽ちゃんを見るのが、痛ましいと感じた。

でも今は、あの子なりに前を向いているし、私は、その道を進む手助けをするだけ。
ちゃんとあの子は、自分の力で、自分の足で歩ける子よ」

その顔は、ちょっと、
…母親みたいだった。

「皇代先生は…双子さんとも面識があったんですね」
「夫とも面識があったのよ、その子。よく保健室に来ていた子だったから」


懐かしむように、優しく微笑んだ皇代先生に、
少しだけ、寂しさが見えた気もした。


「…なんでだろうね。

私と仲良かった
子達、ばかりが…」


そう言いかけて、ふと、言葉が止まる。

「…皇代先生?」
「これは、君には関係の無いことか。
何でもないわ。心陽ちゃんの代わりに、私が勉強見てあげましょうか。
紅茶入れてくるわ」

そう言って、皇代先生は立ち上がった。
何かを言いかけていたけど…なんだったんだ?

でも、きっと、本当に俺には関係の無いことなんだろうな。




ーーーーーーー




授業が終わると、直ぐに教室を出る。
もちろん目的はライダーだ。
早く見つけないと。

「ライダー!終わったよ。どこにいるの?」

呼んでみるけれど、返事はない。
教室、廊下、空き部屋、下駄箱。
学校内には、いる気配は無い。

なら、外に居るのだろうか?

靴を履き替えて、中庭へと歩く。
すると、
中庭にある花壇の花を、しゃがみこんで眺めるライダーの姿があった。

「ライダー。そこにいたんだね」
「あ、マスター!」
「花見てたの?その花は…菖蒲?」

同じように、しゃがんで花を見る。
じっくり見た事はなかったけれど、花壇には青い小さな花が咲いていた。
傍には名前のプレートがあり、
「菖蒲」と書かれている。

「なんだか綺麗だなーって思って」
「菖蒲かー。
たしか、「アヤメ」とも言うんだよね。
とてもよく似てる、
杜若とアヤメの区別の仕方があって…」

説明をしながら、ライダーの様子を伺った。

ライダーは、噛み締めるように
「あやめ」という名前を呟いていた。

「…ライダー?アヤメが気になるの?」



「…あやめ。
…。


うーん。分かんないや!
直感で何かあるって思うんだけどー。
考えてもわかんないなら多分ない!

マスターマスター!お願いがあるんだけどさ!
ライダーを色んな場所に案内してよ!
この街の人達のことも、この街に何があるかも気になってたんだ!」

…この子は本当に表情がコロコロ変わる。
悪いことではないんだけれど、たまに置いていかれてしまう。

「わかったよライダー。
…でも、その前に、

寄りたいところがあるんだけど、いい?」
「?」

はてなマークを浮かべるライダーに、
私は、
目的の場所を告げる。




…………………




「じゃあライダー。ここで待っててね。
病室は関係者以外入れないから」
「わかったよマスター!」

ライダーを病室前のソファに座らせて、待機させる。
快く返事をしてくれたライダーに頷いて、
ドアをノックする。

奥から、いつもと変わらない声で返事をしてくれる。
聞き届けてから、ゆっくりとドアを開けた。

「やっほ。今日も元気そうだね、夕結」
「夕輝、毎日来てくれて嬉しいよ」
「今日のお昼はまだ?」
「もうちょっとしたら。その後は、またリハビリなんだ」
「そっか。じゃあご飯の時間までだね」

いつものように、ベッドの傍の椅子に座る。
毎日の1番の楽しみ。
私はこの時が、何よりも大切で、大好き。

「そう言えば夕輝、そろそろ試験だよね?
勉強が大変になったら、無理してここに来なくてもいいよ」
「私は効率よく勉強出来るからいいの!
それに、夕結に会わなきゃ頑張れないかも」
「それは大変だね。じゃあ僕は夕輝の勉強に協力している…ってことなのかな」
「そういうこと!だから毎日会ってね」


ふふ…と、お互い笑みがこぼれる。
これは本当のこと。
夕結に会わなきゃ、モチベーションが上がらないし、
とても落ち着かない。


談笑をしていると、不意に夕結が私の手を見て、ピタリと止まる。


「…夕輝、それは…」
「え?…あ」


指さされたのは、左手の手の甲。
そこには、赤く刻印された謎の模様。
たしか…聞いたような気が…なんだっけ。
あの包帯の人から聞いた気がする…えっと、
令呪…だったかな。

なんで今まで気が付かなかったんだ…。
これ見せびらかしながら歩いていたと思うと、
恥ずかしい。


「えっと、これはね…」
「…夕輝」

そっと、私の左手に、夕結の手が添えられる。
そのまま優しく包まれ、握られた。

「僕も、多少の知識くらいは分かってるよ。

あの時は、長男だったから。

夕輝が、何に巻き込まれてるのか、
…少し、想像出来てしまうのが、怖い」
「…」
「夕輝、危ないことはやめて欲しい。
何を思ったのかは、僕には分からないけれど。

夕輝が居なくなるようなことになったら、
本当に僕は、
生きてる意味がなくなってしまう」


強く、手を握られる。


(…生きてる意味が無くなってしまうなんて…
それは、私も同じなのに)

夕結を無くしたくないから、この戦いに参加することにした。
でも、きっと、それを言ってしまったら、
彼はより不安に駆られてしまう。

私が夕結を大切にするように
夕結がどれだけ私を大切にしてくれているのかは、
身に染みてわかる。

そっと、空いていた右手を重ねた。

「夕結。大丈夫。
夕結の思ってること、多分あってるけれど…
私は居なくなったりしない。

私達は、…私たちだけは、これから絶対に一緒に居ようって、あの時約束したから。
夕結を残してどこかに行ったりしない」
「…夕輝」

私の中で、聖杯戦争への気持ちが、より強くなった
何としてでも勝って、彼を…




ーーーーーーー



(…マスター、ごめんね。
ライダーはちょっと耳がいいから、聞こえちゃってたよ)


申し訳ないという気持ちが芽生える。
どうせなら、マスターの口から聞きたかった。
盗み聞きのような形で、聞くのは、あまり好きじゃない。

面と向かって、真っ直ぐに
ユキの思いを…




「こんにちは!どなたです?
なんだか見慣れない顔ですね!」



突然顔を覗かれて、ぎょっとする。
え、何!?ライダーが可愛すぎたから!?

話しかけてきたのは、オレンジ色の髪をした女の子。
顔に所々着いた絆創膏が、彼女の性格を表しているようだった。

「あ、えっと、マスター!じゃなかった!
ユキを待ってるんだ!友達に着いてったから!」
「ほうほう、「友達」ですか!

それは失礼!気になったから話し掛けただけですよー!
じゃあカキハラはこれで!」

カキハラと名乗った女の子は、嵐のようにそのまま去っていった。
…なんだったんだ。今の。

女の子が去ったと同時に、病室のドアが開く。

「ライダーお待たせ。
…どうしたの?何かあった?」
「い、いや?何も無いっちゃ何も無い!」
「?」

ライダーが言えたことでもないけれど…
変な子だったな…。



ーーーー


「ねえ、あれ、「サーヴァント」…ですよね?」


「そうですかそうですか、カキハラの感は当たっていましたね!」


「でも今は、置いておきましょう」


「今日は別の目的がありますからね!」



ーーーー



病院から出たあとは、ライダーに街を案内した。
と言っても、病院付近の商店街を歩くだけ。
食べ歩きにちょうどいいお店が並んでいるから、お気に入りの場所。
…本当は夕結とも来たかったけれど。

彼女はこの街にとても興味を示していたし、私も彼女のことを知りたいとも思っていたから。

「はい、ライダー」
「ありがとマスター!これはなんて食べ物?」
「クレープっていうんだよ。薄い生地で生クリームや、フルーツを巻いてるの」
「そーなんだ!あむ…
美味しい!この時代にはとっても甘くて美味しい食べ物があるんだね!」

クレープを2人分購入して、小さな広場で休憩する。
噴水の縁に腰かけて、ゆっくりと味わうことにした。
ここは、良くキャンピングカーで色々なものが売っている。
ベビーカステラだったり、ドリンクだったり、
アイスだったり。

今日はパン屋さんが来てるみたい。

「…マスター」

ライダーが、クレープを食べるのをやめて、こちらに声をかける。
私の顔を覗き込むような瞳には、少しだけ悲しみが宿っていた。

「謝らなきゃいけないんだ。
ライダーはね、耳がいいから…
マスターの会話を、聞いちゃったんだ。

…ねえ、ユキが、聖杯戦争に参加した望みは…
あの人のため?」
「…」

そもそも、隠すつもりもなかった。
聖杯戦争の目的を、共に戦ってくれる人に言わないつもりも、なかったから。
静かに頷いた。

「…そっか。ごめん、マスター」
「別に謝らなくていいよライダー。
隠すつもり無かったから。

私は夕結のために、聖杯戦争に参加する。
まだまだ2人で、沢山のものを見たいから」

ライダーは真剣に聞いてくれている。
それだけでも嬉しかった。

「…でも、サーヴァントにも、聖杯に叶えて欲しい願いがあるんだっけ。
私一人が使っていいものじゃないかな」
「…」

静かに彼女は立ち上がり、数歩歩き出した。
どうしたのだろうと、呼びかけようとして、
息を飲んだ。

後ろを振り返ったライダーは、
初めて見る顔をしていた。

目は爛々と輝き、立ち姿はとても凛々しく…
名の通り「騎士」のようだった。

「話してくれてありがとう。マスター。
マスターが話してくれたのなら、ライダーも、自分のことを話さないとって思うんだ」

胸に手を当てて、目を閉じたライダー。

この世界に、私とライダーだけしか居ないような錯覚さえしてくる。

「マスター。
…私はね、今、とてもチグハグなの」


彼女から語られる
「ライダー」というサーヴァントについて。


「本当は、中世フランスをわかせたシャルルマーニュ十二勇士の1人!
まあ湧かせたって言うのは、弱いって意味なんだけど」


ぴょこぴょことこちらに戻って来ると、
軽やかに噴水の縁の上に飛び乗った。


「でもね、
その記憶はあるのに、
全然実感無いの。

…自分じゃないみたい」


その場でクルクルと回ったと思えば、
静かに私の隣へと座る。


「これは、この自分は、本当に、
「アストルフォ」なのかなって」


空を見上げる彼女は、
どこか不安そうだった。


「でもね!
そんなことでライダーは挫けたり、弱気になったりしないのさ!」


と思えば、突然こちらへ元気いっぱいに振り向く。


「なんてったって、ライダーは天に命運に愛されている!
それで乗りきってきたんだからね!」


自信たっぷりに微笑んだ彼女。
本当にそう思い込んでいるようだった。
少しも疑っていない、眩しい笑顔。


「それに、こんなに素敵なマスターに出逢えたんだから」


静かに私の手をとって、強く握ってくれる。
温かかった。


サーヴァントは、人間じゃないのに。

人のように暖かい。



「ユキ。私の理由…。


僕の、聖杯戦争に参加した理由は、今決めたんだ。

君を助けるためだ。

ユイを助ける手助けをする。
僕がそうしたいと思ったから!

君たちが2人で笑える未来を、このライダーが約束しよう!」



心強い言葉と、手から伝わる温度。
自分の願いを、誰かが応援してくれるということは

こんなにも、心強いことなんだ。

ライダーと共に戦いたい。
胸の中が、とても熱くなった。




ーーーーーー





来栖さんと別れて、学校の裏側にある、小さな子道を進んでいく。
住宅は少なく、木々に埋もれて、人目に付きにくい。
私のうちは、召喚ができるほどのスペースはない。
…いや、昔は、十分な魔術研究の環境があったのだけれど、

…全部、壊れてしまったから。

「…」

思い出す度に、ギュッと胸が痛くなる。


(思い出すのは、蠢く黒い影。

それは、笑って、嘲笑して、嘲笑って。
大切なものが飲み込まれて行ってしまった。

家も、家族も、

あの子も)


だから、私は、この戦へ身を投げる。
聖杯が、本当に万能の願望器ならば、

「あれ」に巻き込まれたあの子を、救い出せる気がする。


本当は、私を守るよりも。
生きてて欲しかったのに。


「…絶対に、負けられない」


子道を進むと、草が生い茂っている公園があった。
ここは、本来、BBQやキャンプ地として、家族連れに人気のスポットだったけれど、
5年ほど前の「事件」が起きてからは、
立ち入り禁止になり、放置されてしまった場所。
…そもそも、この場所自体、忘れられたかもしれない。
私としては好都合。人が来なければ、巻き込む可能性もない。

「…」

頭に焼き付いた魔法陣を書いていく。
雑草が邪魔で少しやりにくいけれど、
出来ないことは無い。


「…」







(別に、お前が成る必要ないじゃん。
僕がきっと向いてるよ。こういうの)

(お前は優しすぎるから、きっと向いてないよ。
誰かを庇って死にそうじゃん。
いいから任せとけって)

(勝ったら?…何しようかな。
手に入れなきゃいけないっていう使命はあるけど、
叶えたい願いがある訳でもないし、
もうゆっくり暮らせたらいいかな)

(だから、聖杯はお前にあげる)

(お前が、危険な目にあうことは、無いからさ)







(僕が、頑張ればさ、お前は、
普通の人で、生きれるの、かなって)

(だから、お願い、だから)

(もう、この戦争の、ことは、忘れて、
生きてね)







何度でも蘇る、あの光景。
頭に住み着く「死」。


「…っ」


あの子は本当に凄かった。
私なんかより、立派だったんだ。

なのに、なんで…なんで、なんで!


「…落ち着かないと、ですね。
何も始まってないのですから」

魔法陣が完成したら、用意した触媒を、目の前に置く。
1度大きく深呼吸をして、
召喚詠唱を始める。

「ーーーー素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公…」


ごめんね。
私、わがままだから。

あなたの最後の願い。

きけなかった。



ーーーーーー


しばらく皇代先生と、なんてことない世間話をしていた。
すると、廊下からパタパタと小さな足音が聞こえ、
勢いよくドアが開く。

息を切らせて、今にも泣き出しそうな女の子がいた。
恐らく低学年だろうか。

「ちよせんせー!せんせえ!きて!
まーくんがね、きもちわるいってたおれたの!
たすけてせんせえ!」

目の前で同じクラスの子が突然倒れたらしい。
あんな小さい子なんだ、どうしていいか分からないから、保健室の先生に頼ったんだろう。
それだけでも立派だと思う。

「分かったわ。すぐ行く。
来栖君。少しだけ待ってもらってもいい?」
「いいですよ。留守番は任せてください」

ありがとう、と俺に伝えると
皇代先生は、女の子と一緒に保健室を出ていった。

嵐が過ぎ去ったあとのように、静かになった。
ふう、と息を吐く音が響く。


「……んん」


突然聞こえた俺以外の声に、少し肩が震える。
でも、直ぐに答えがわかった。

(そういえば、男の子が寝ているんだっけ…。
びっくりした…。
まあ、あんな大きな音が立ったら、起きるよな)

カーテンの向こう、ベッドが並んでいる場所から、ゴソゴソと物音が聞こえる。

しばらくしてから、ゆっくりカーテンが開く。
現れたのは、さっきの女の子よりかは身長が高い、恐らく高学年の男の子。
白と黒が混じった髪。眠そうに目を擦っている。
かすかに見える瞳の色は、真っ赤に燃えているようだった。


「…ちよせんせー…どこ…?」

寝ぼけてこちらに気がついていないのか、キョロキョロと辺りを見渡している。


「皇代先生は居ないよ。さっき生徒に呼ばれて出ていったから」
「っわぁ!?」

なるべく優しい声で話しかけた。
けれど、やっぱり驚かせてしまったのか、
赤い目を大きく丸く開き、こちらとの距離を取った。
若干、瞳が潤んでいるのは気のせいだろうか


「ご、ごめん驚かせて…俺、中学3年の来栖冬斗…。
皇代先生がいない間、留守を任されたんだ」
「…。

なるほどな!
いや失敬。我輩とした事が、情けないところをみせてしまったの」


固まっていたと思ったら、突然人が変わったように話し始めた。
まるで演技をするかのように、両手を広げて…
話し方が大袈裟だ。
今の小学生ってこんな子もいるのか…?


「あぁ…うん。いや、大丈夫」
「我輩は柴野はしらと言う!
しかし随分眠ってしまったな…
昼をすぎている。
ノワに謝らなくては」
「えっと…はしらくん?
その…お茶でも、飲む?」
「では頂くとしようかの。
我輩への気遣いがとてもよく出来ておる。
下僕2号として認めてやってもいいぞ!」

ははははと、高笑いをする。
そんな彼を背に、
保健室に置かれた急須を取りに行くことにした。
…厨二病って、小学生でも発症するんだなー…。


…………



来栖冬斗。
という中学生が少し離れた後に、

すぐさま、彼女に声をかけた。


「キャスター。
先程は目覚めさせてくれて助かった。
…ちよ先生じゃなく、別の人間がいたのは驚いたが」
「して、何かあったのか」
「…!
そうか。わかった」

「行こう。キャスター」



……………


これか。さっき先生が使ってた急須。
適当なカップを取り、お茶を注ぐ。
…うん、まだ熱い。
温くなってなくてよかった。
トレイにお茶と急須を乗せて、
はしら君がいるテーブルへと運ぶ。

「お待たせ。先生が急須にお茶入れてくれてたから、それで…」


「すまない。我輩は用事が出来た」
「え?」


トレイを置いた瞬間に、突然言い放たれた。
とても真剣な声のトーン。
小学生には、似合わないような。

あっけに取られていると、
はしらくんは、用意したカップを手に取り、
一気に飲んだ。
…そこそこ熱いと思うんだけど。


「ご馳走様。ではな」


空になったカップを静かに置き、椅子からおりる。
そのままドアへ真っ直ぐ歩き、
保健室を出ていってしまった。


「あ、ちょ、はしらく…」

あまりにも切羽詰った表情だったので、
思わず追いかけてしまう。
慌てて入口に寄り、ドアを開ける。


「…あ、れ?」


追いかけたけれど、
右を見ても、左を見ても、はしら君の姿はなかった。
あの少年が先に出たとはいえ、差は数秒程度のはず。
念の為、下駄箱側や、中学校に繋がる廊下側も見てみる。
やはり、どこにも見当たらない。

まだ、姿が見えても、おかしくは無いのに。


「…」


少し、気味が悪くなる。
そして、俺の感が言た。

(きっと、深追いしちゃいけない)

しない方がいい、気がしてきた。


(…この感は、
俺の人間としての本能なのかな。
それとも…、
魔術師としての…)


慌てて頭を振る。
余計なことをを検索してはいけない。


(…忘れよう。
どうせ、もう会うことは無いんだろうし)



遮断するように、
保健室のドアを、再び閉めた。






ーーーーーーーー






「抑止の輪より来たれ、
天秤の守り手よーーー!」




強く辺りに風が吹き荒れる。
眩い光が収まり、ゆっくりを目を開けると、

魔法陣の上に、小さな少年が立っていた。
黒いボロボロのコートに身を包み、
うっすらと水色の入った白い髪に、
片目を眼帯で隠した金色の瞳。

その目は私を見ると、とても楽しそうに歪ませ、
口を三日月のように曲げる。


「アサシンだよ。おねーさんがマスタぁ?
楽しいこと、いっぱいしようね」

可愛らしい笑顔だけれど、発せられる言葉のイントネーションの節々に、狂気が潜んでいる気がする。

左手の甲を見る。
真っ赤に輝く令呪が確かに存在する。


(…臆するな。
私はマスターなんだ)


再びアサシンに向き直り、
そっと右手を差し出す。


「私は白夢心陽と申します。
アサシンさん。
よろしくーーーー」







「Benutze mein Blut,
drehe meine Reißzähne und beiße meine Feinde!!!」






瞬時に動いたのは、アサシンだった。
油断していた。完全に。

私が召喚を終えるまで、彼らは待っていたのだろう。


詠唱が聞こえたあとに迫ってきたのは、
赤黒い色をした、小さな飛行生物達。
魔術師の使い魔だろうか。
翼はするどく尖り、一直線に目で追うのがやっとなほど。

アサシンは、コートの中から取り出したナイフを握り、向かって飛んでいく。
まず一体を難なく真っ二つにし、
近くにいたもう一体に、ついでと言うように刃を突き刺す。
ひらりと着地し、すぐに飛び上がると、3体目をき裂いた。

正体不明のマスターからの不意打ちは、アサシンの手によって難なく防がれる。


「…ありがとうございます」
「楽しいねぇ。こういうの鬼ごっこっていうんでしょ?
あれ?マスターを殺すんだから、かくれんぼかな?」


アサシンは、私に構わず、目の前にいるはずの獲物に夢中になっていた。
しかし、絶え間なく現れる使い魔とは反対に、
マスターの姿は現れない。


「姿が、見えない?」


サーヴァントの力だろうか。
マスターの姿を目視することが出来ない。


「…っ」


アサシンは狼狽える事無く、
使い魔を切り裂いては、マスターを探す。


「姿を消すなんて、かくれんぼが成り立たないよー」

減らしても減らしても湧いてくる赤い使い魔。

その場にはいるばすなのに、マスターを視認することが出来ない。

この状況に、焦りを感じる。

アサシンは、気配を消すことに特化し、
先手が打ちやすく、不意打ちも可能なサーヴァント。
ただ、肝心な相手が見えないんじゃ…

「…」

その場にいる赤い怪物を全て倒し終わると、
一旦私のものへ戻ってくる。

「マスタぁー。全然相手がみつかんないよぉ」
「おそらくサーヴァントの能力でしょう。
キャスターでしょうか…」
「ねーねー、マスターとサーヴァントさん!
もーその赤いの飽きたんだよー!
早く出てきてよー!」


気配はする。なので、おそらく姿だけを消す何か…。
手を打たないと、こちらの攻撃が始められない。


「…手探りしかありませんね…」


ジャケットの内側に隠していた本を取り出す。
分厚いけれど、片手で持つのにちょうどいい。
うっすらと紫が入った暗い黒色の革表紙。
中身は全て羊皮紙で作られていて、
中には様々な材料で描かれた魔法陣。

その中のページを1枚契り、前へ掲げる。
自分の中な魔力を、移し込む。


「geben!」


その言葉と同時に、手に持っていた羊皮紙は弾け飛ぶ。
その欠片は鋭く固く変化をし、
刃物と同レベルの殺傷力を得る。
木の幹を抉り、地面を傷つけ、
舞い散る木の葉さえ断裁する。


「すごいすごーい。ナイフの雨だー」

赤い使い魔の相手をしながら、
アサシンが面白そうだと声を上げる。
破片達は、周りの障害物に傷をつけながら宙を舞う。


「…っキャスター!自分を守ることを優先にしろ!」


どこからともなく声がした後、小さな足音が響き始める。
おそらく、この破片が危険だと判断し、
避け続けているのだろうか。

踏み込む音、駆け出す音、転ぶ音も聞こえる。

数は多くないけれど、身のこなしが良くなければ、幾つかはその肌を割いていると思う。


「足音が聞こえるなら、わかりやすいなぁ。
マスター、じゃあ殺すね」
「待ってくださいアサシン!」


行動に移そうとしたアサシンを静止させる。
アサシンは不満げな顔をこちらに向けた。

でも…

さっきの声が、

どう考えても幼い子供の声だった。
響く足音も、大人とは思えない。


…本当に、子供…

なんじゃ…っ



「zurück!!!」



思わず魔術を中止させる。
飛び回っていたナイフは、瞬く間に硬度を失い、
緩やかに地面へと落ちていく。


(…私は今、子供を攻撃しようとしていたのかもしれない。

下手をしたら、
ころ、して…)


その事実が、私に、強くのしかかる。


「…っはぁ…」

姿の見えない子供は、
猛攻が納まったことに安心したのか、
走ることをやめて、その場にとどまったらしい。

アサシンは、こちらをじとりと見つめる。
先程の楽しそうな瞳ではなく、

「見定める」ような目だった。



「マスター。殺す勇気がないなら手を出さないでよ」
「…っ」


ぐ…と息を飲んでしまう。
これは、アサシンの言う通り。

ここにいるのは、マスターだけ。
子供とはいえ、
「こちらを殺す気で」攻撃を仕掛けてきた、
マスターに変わりはない。

「…すみません」

覚悟ができていなかったのは、私の方だった。









「そうですよー!
なんでやめちゃうんですかー?
もうちょっと粘ったら、勝てたと思うのに!」





ーーーーーーー



はしら君が出ていった5分後くらいだろうか。
皇代先生が保健室に戻ってきた。
さっき、先生を呼んだ女の子と、もう1人、別の男の子がいた。
倒れた…と言っていた子だろうか。
少し元気がなさそうに、皇代先生と手を繋いで歩いていた。

「皇代先生、おかえりなさい」
「ただいま。ありがとうね」
「どうだったんですか?倒れたっていう子。
その男の子のことですか?」
「ええ、見た所、無理をしすぎただけみたいね。
今日、病み上がりだったんだけど、
ちょっと体育ではしゃぎすぎたみたいね」

男の子は恥ずかしそうに俯く。
まあ、病気とか、大変なことじゃなくてよかった。

先生も帰ってきたし、その男の子も休むっぽいし。
いい加減ここから出ないと、邪魔になるかもしれない。

「皇代先生、俺、そろそろ帰りますね」
「そう?分かった。
本当にありがとうね。
また何かあったらおいで。
お茶ご馳走するよ」


くすりと、優しい笑顔で微笑む皇代先生。
…少しだけ、ほかの男子中学生の気持ちがわかった、気がする。多分。


1度軽く礼をして、保健室を後にした。
廊下を渡り、中学校側の下駄箱へ辿り着く。

(…いい時間になったな。
そろそろカフェに行ってもいいかも)

靴を履き替え、カバンを持ち直す。
校門を出て、ふと思ったのは
白黒の髪をした少年。


(さっきの子…。
消えたこともあるし、
言動も相まって、なんだか…

…いいや。
やめよう。良くない)


今度こそ、頭から消そう。
そう思った。




瞬間、
何かがぶつかったような、音が、
学校の裏の、木々の奥から聞こえた。

その次に、低くて重い地響きが、
足元に届く。

「…?」

地震か?とも思ったけれど。
あの小さな森から、大きな聞こえてきたし、
十中八九、それが原因だろう。
じゃあなんだ?車がぶつかった?
車が通れるような道は、
あったような気もするけれど、
木が倒れていたり、草が生い茂っていたりで、
到底通れない。
それに、昔は賑わっていたけれど、今は何も無いし。
じゃあ、何かが墜落した?
何が?何も、見えなかったはず。


「…」


もやもやと、心に、霧がかかった。
晴れない。晴れない。
振り払おうとも、1度思いついた予感が離れない。


(…さっきの男の子。
人気のない場所での、大きな音…)

(…。
この街で、起こる、聖杯戦争)


こじつけであってほしい。
気にし過ぎだと誰か言って欲しい。


「…あぁくそっ」


くるりとUターンして、学校の裏手の山へ走る。

いっそ確認してやる。
なんの関係もないってことを。
聖杯戦争とは、無縁だってことを。

何も無ければ、
「思い込みすぎた」
って笑えばいいんだ。

少々時間がかかってしまうけれど、
このモヤモヤが晴れるなら…

なのに、なんでだろう。
とても、
胸騒ぎが止まらない。




(…嫌だ。

兄さんと、同じ道は嫌だ)




ーーーーーーー





「っ誰です!?」


聞こえたのは、私の後ろ。
慌てて振り返る。
アサシンも、標的を後方に向けた。



オレンジ色の髪に、ゴーグルをつけた活発そうな女の子。
子供のように、無邪気に笑いながら、
こちらを伺っている。



「こんにちは!お嬢さん達!
楽しそうなことしてるので、カキハラも混ざりたくなっちゃったんですよ!




ね?
ランサーサン!!」




オレンジ色の髪をした彼女は、
大きく、

「ランサー」と、呼んだ。

突如、
何かが、木々から飛び上がる。
そんな音は聞こえるんだ。
風も衝撃も伝わるんだ。

だけど、文字通り、
早すぎて、私じゃ見えなかった。


「っどこに…」


辺りを見渡す。
衝撃が伝わるよりも、私が見つけ出すよりも早く、

少年は声を上げた。


「キャスターっっ!!ここから離れろ!!!」


まだ幼さが残る声で、どこまでも伝わるような叫びをあげる。
同時に、私の右側、何も無い場所から、
赤い光が輝く。


「っ…マス…」


かすかに聞こえた女性の声
その方角を向いた時だった。


地面を、空を切り裂くような地響きが聞こえた。
衝撃が空気を揺るがし、思わず体がよろけてしまう。


少年が叫んだすぐあとだ。
見知らぬ男が、その手に持った槍を、
地面に突き刺していた。

黒く短い髪に、顔に傷が入っている。
中華圏の服だろうか。
赤い衣装が凛々しく映えている。


「…逃がしたか」


冷静に呟いた男は、
再び宙を舞い、少女の元へ戻っていく。

右側を伺うと、今まで姿を消していたマスターの姿が、徐々に現れる。


(…やっぱり、こんな、小さい…)


先程の斬撃の回避で何回も転んだのか、
膝は擦りむき、服は木の葉や土が着いていた。

白と黒のコントラストが美しい髪に、左手の甲に輝く令呪と、
それに等しい輝きを放つ赤い瞳。


でも、その瞳は、
私よりも「決意」で固まっていた。
目の前の敵を、倒すという…


「ふむ。透明なマスターが居たら、色々やりにくいので、
そのサーヴァントからやろうと思っていたのですが…
ある意味手間が省けたんですかね?」


少年から向けられる敵意をものともせず、
女の子は楽しそうに、腕を組みながら話す。



「マスター。俺はまだ誰も殺していない。
キャスターらしきサーヴァントは、
刃が届く前に消えてしまった」
「わかってますよぉランサーサン。
どっちからやりましょうか?

とりあえず、準備運動会ということで…


逃げなかった立派な男の子からやっちゃいます?」



ランサーのマスターは、少年を指さす。


「…っ…Lauf durch meine Füße wie Wasser,
wie der Wind!」


標的が自分とわかると、少年は駆け出しながら、小さく魔術の詠唱した。
その足に、青白い魔術回路が浮き出る。

ランサーは一蹴りで少年との距離を詰める。
まっすぐ、ぶれることも無く、少年の小さな体へと矛先を向けた。
少年は子供とは思えない速さで槍を寸前で避ける。
おそらく先程かけた強化の魔術だろうか。
ランサーは動じない。
ただ目の前の「命」を殺めるために、
一筋の閃光を描く。

迷いもない、間違いもない。
慈悲もない。
一撃一撃が、「必殺」のように感じる。
当たってしまえば、その時点で、負けが決まる。
そう思えるほどに、槍の突きは研ぎ澄まされていた。

少年も、魔術の助けがあってか、致命傷の傷は何とか避けている…と言った様子。
けれど
段々とスピードが落ちていき、矛先が少年の肌を掠めていく。
赤い飛沫が、宙を飛び、地を染めた。

体力の問題なのか、魔力を消費してしまったのか。


「…っ…」


徐々に、少年のタイムリミットが迫っている。




命の、終わりが、迫ってくる。




「…っっ…」



また、
目の前で

命が、終わってしまう
の、だろうか。


死の瞬間が、また
また





終わっていく。


「なんで私だけ」


失ってしまう


「あなたまで」


消えていく



「私を置いていかないで」



手は、届かなかった。








「ーーーー嫌だっっ!!!」





体が動いてしまった。
思い出した恐怖で、
あの少年の元へ駆け出す以外、何も考えられなかった。


己の理性が叫んだ

「己の死」は、

聞こえない。


「マスタぁ!?」


驚くアサシンの声も、聞こえない。


先程と同じ書のページを千切る。
どうにかして、あの少年からサーヴァントを遠ざけたい。


「geben!!!」


同じく、小さな刃となった切れ端は、
ランサーに向かっていく。
少年と退治していたランサーは、こちらの攻撃を視認すると
少年への猛攻を止める。



そして


「…」


槍の、たった1振りで、
私の魔術を、
文字通り、粉砕した。


分裂した時よりも、粉々になった切れ端。


あの瞬間で、全てに槍を通したのか。
いや、そもそも、「1動作」で全てを捉えたのか。
私には、分からない。
ただ、

「敵わない」事だけが、強く強く、
私に知らされた。


「ランサーサン。
チャンスじゃないですか!

ついでにあれ、見せてくださいよ!
かっこいいやつ!」


ランサーのマスターは、無邪気な子供のように指示を出した。
その言葉を聞き、静かに目を閉じるランサー。

再び槍を向けた標的は、


私だった。




「神槍ーーーーー」



歪みのない立ち筋。
真っ直ぐ向けられる矛の先は、私の命の中心。

魔術により、槍を強化されている訳でもない。
伝承による能力がある訳でもないんだろう。
おそらく
このサーヴァントは、「宝具」となるまでに、槍技を昇華させただけのこと。

そんな技を、どう防ごうか。




「无二打」






ごめんなさい。

私、

何も出来なかった。




ーーーーーーー




「ほらみなさい。
こんな結果になったでしょう」

「あれば「人を殺せない」のです」

「そして必ず、誰かを庇い、死ぬ」

「きっと、サーヴァントに対しても
同じ事をするでしょうね」

「だから、聖杯戦争に踏み込んで欲しくなかったのですよ」

「結果が分かりきっている人間など興味がありません。
彼も、アレのそういう所が気に食わなかったみたいですし」

「片割れの願い通りに、大人しくしていれば、
今も生きていられたでしょうねぇ」

「自分の願いも叶えられず、
片割れの「最後の」願いさえ叶えられない
滑稽ですねえ」





「そういえば、片割れも誰も殺せませんでしたね。
やはり双子という形は、思考が似るものなのでしょうか?」




ーーーー





探していた、衝撃の発信源は、直ぐに見つけた。

そこには、先程の、白黒の少年がいた。
独特な見た目をしているから、
見間違えるはずがない。

はしらくんだけでなく。
他に、知らない子がいた。
オレンジ色の、活発そうな女の子。

そして、はしらくんと同じくらいの、
黒いぼろぼろのコートを着た少年。

あとは、そう、赤い服を着た男。
男は、不思議で、
どこか「神聖さ」さえ感じる気配だった。

それに、何故か槍を持っていた。
槍の先は、
赤黒く、染まり、重力に従った雫が、
地面へ落ちて、汚していく。

何を貫いたらそうなるんだろう。
答えは明確だった。


男の目の前にいる、女子生徒の心臓を、
槍で突破っていたから。


彼女は動かない。
動く気配がない。
腕は力なくぶら下がり、持っていたであろう分厚い本は、地面に転がっていた。
足は地面についているだけ。
自分の力で立つという、本来の目的を果たしていない。


なんで。
なんでこんなことになっているんだ。

だって、彼女は、さっきまで、


俺と、一緒に




「自ら突っ込んでくれて助かりました!

お手柄ですよランサーサン!
カキハラは無事おつかいを果たせたのでした!」


この場に合わない、無邪気で明るい声が響く。
ランサーと言われた男は、彼女を貫いていた槍を抜き取る。

「本来は、殺す相手は変えることは無い、が、
元々、目的はこっちなのでな。
それに、そちらの少年は素晴らしいの身のこなしだった。
なかなか楽しめたぞ」
「死体の隣で戦った相手を褒めるランサーサン痺れます!」

支えが無くなった体は、そのまま地面へと倒れ込んだ。
制服は流れた血で真っ赤に染っている。
血溜まりは広がっていき、落ちていた本をも染め上げた。


「…あーあ、楽しむ前に、マスターが死んじゃった。
つまんないの」

見知らぬ男の子が、とてもつまらなさそうに呟いた。
少年とは思えない精神だった。
目の前で、人が死んでいるのに。


「…っ…ぁ…っ」


はしら君はその反対だった。
震える足で、2、3歩、後ずさる。
驚愕と、恐怖と嫌悪。
当たり前だ。
小学生が、知っていい感情じゃない。
知らせるべきじゃない。


「その死体は使っていいんでしたっけ?
とりあえず今はー」


少女は当たりを見渡す。
そして捉えたのは、
恐怖に染った少年。


「見られたし、あらためてそっちをやりましょうか!
サーヴァントは放っておけばいいです」


びくりと肩を震わせる少年。
はしら君を指さした少女は、明るい笑顔だったけれど
その笑顔が、この状況では、歪なものにしか見えない。

しかし、ランサーは動かない。
槍をひとふりし、まだ付着している血を払い落とす。


「マスター。
俺は無益な殺しはしない。
目的の人物を殺し、俺は十分に戦いを楽しんだ。
これ以上何をしろと言うんだ」

どうやら、ランサーという男は、
殺す気は無いらしい。
それを聞いた少女は、
驚愕の声を上げた。

「ええーーっ!?
なんでですか!
このまま返したら、ランサーサンの宝具とか教えただけになるじゃないですか!」
「俺の宝具を知ったところで、防ぎようも無いだろう」
「それにそれに、
殺しといて損は無いでしょー!?」
「俺は1つの試合で1人しか殺さない。
どうしてもと言うなら、令呪でも使えばいい」

あくまで従う気のないランサーに、
少女は腕を組んで唸る。

「うヴ…まー、令呪を今使うのもー。
目的は果たせたのですしー。
でもー、

あ!」

何かを思いつき、少女はニコリと笑う。


「殺さなきゃ、いいんですよね?
ほら、まだ、動けそうじゃないですか。

殺さなくてもー、
まだまだ、楽しめますよ?

あくまで、
「お互いを高め合う戦い」
の範囲で、

戦いを再開してくださいよ!



カキハラ、まだまだあなたの技を見ていたいです!
ランサーサン!」


彼女の言葉に、ランサーは答えない。
ただ、少年へと向き直り、槍を持ち直した。


「…」

ゆっくりと、少年へ向かって歩いてゆく。


「っ…ぁ…ら…ぁ…っ
…ぅ…Lauf…っ…durch…meine……」


まだ幼くても、「死」の危機は、本能でわかるらしい。
ランサーが1歩近づく度に、
はしら君は1歩下がる。

震える唇で、なんとか呪文を唱えようとする。
間に合うか…なんて、
一目瞭然だった。




(…何か、何か、やらないと、
はしら君が…)


知ろうとしてしまったのが運の尽き。
関係ないと、信じたかった思いが、裏目に出た。
結局、聖杯戦争からは、逃げられないのか。


関係ないと割り切りたかったのに。



(…でも、
ここで…、

黙っていれば)




俺は、聖杯戦争に関わらずに済む。

そもそも、あの少女は、
「殺さない程度に」
と言っていたんだ。

きっと、はしら君が死んでしまうことはないと思う。

なら、俺が、なにかする必要も無いんじゃないか。


死なないなら

殺されないなら、いいんじゃないか。


(…そもそも)

死んでしまったとしても

俺には関係ないんじゃないのか。

この後、殺されたとしても。



(まだ、
まだ、大丈夫)


見ない、振りをして





まだ、
普通の、生活に…







(…でも、

それは…)





誰かの生死を、
自分の生きる糧とするのは…


(俺が嫌っている、魔術師のやり方)






「ッッーーーー告げる!」






そう思った瞬間には、
もう、走り出していた。

真っ直ぐに、あの場所へ。



「少年」は、
いち早く、俺の存在に気がついたらしい。
こちらを振り返った。

そりゃそうだ。
君に向けて、言ってるんだから。



(死ぬか死なないかの問題じゃないだろ!
誰かの命を見ないふりして、
生きることは、

それこそ、アイツらと同じじゃないか!!)




誰かの生死の上に、
平気で立つような奴になりたくない。
生きるために、目的のために、
誰かの命を見ないフリするなんて、嫌だ。

なら、俺が今、やらなきゃいけないのは…
やるしかないことは…!



「汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に!
聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのならーーー」



呼びかけるのは、黒いコートの少年。
サーヴァントと呼ばれていたし、呼びかける相手は間違ってはいないだろう。

なんのクラスかは知らない。
どんなやつなのかも知らないけれど。

この状況を変えるには、きっと、奴の協力がいる。
でも、
マスターでないのなら、
聞く耳も持たないだろうし、最悪殺されてしまう。



「我に従え!
ならばこの命運、汝が剣に預けよう!」



なら、契約してしまえばいい。
横取りしたような形だけれど、
今は、そうするしかないと思う。

はしら君が、こちらに気がついて、大きく目を開く。
ランサーは微動だにせず、視線だけをこちらに寄越す。
少女は、大袈裟に驚いた振りをしていた。
何故かその顔は、とても嬉しそうで。

でも、そんなことなんだっていい。
気にも留めない。



「俺と契約して、ランサーのマスターを倒せ!
そこの…サーヴァントッ!!」



コートの少年へ、手を伸ばす。



( 魔術師としての俺を、認めよう。
普通の生活を捨てよう。

誰かを見捨てなきゃ訪れない平穏なら、
俺は要らない)




「…ふふ、いいよぉ」



少年は、とても、愉快そうに笑った。



「アサシンの名に懸け、誓いを受けよう」



相手も、こちらに手を伸ばす。

指先が触れ合った瞬間、
身体中の回線が、フル起動するような。
とても熱い波が、全身を巡るような感覚がする。
眩い光が当たりをつつみ、風が強く吹き荒れる。

触れたと思った瞬間、直ぐに触感は消えた。
勢いのまま、前のめりに転んでしまう。

あわてて直ぐに起き上がり、当たりを見渡す。

少年は、すぐそばにいた。
両手にナイフを握り、こちらへ笑顔を向けた。



「君を、アサシン…僕のマスターとして認めるよ。
見知らぬおにーさんっ」



その言葉が終わると同時に、アサシンは地面をけって、真っ直ぐに飛んだ。

飛んだはずだけれど、
その姿は見当たらない。
気配を感じない。


「アサシンの、気配遮断…」

先手特化の、アサシン特有のスキル…。


突如、ガシャンと、金属も金属がぶつかり合う音がした。
慌てて視線を向ける。

小脇にマスターを抱えたランサーが、
アサシンの不意打ちを防いでいた。
ナイフと槍が交差しぶつかり、
ガチガチと、力と力が押し合っている音がする。


「すごいねぇ。わかったの?」
「先手を打つ直前に、殺気を放つだろう。
それを捉えただけの事」
「周囲の気の把握が上手なんだろうねぇ。
きっとそんなの出来るの、君だけだよ!」


ランサーのやりに弾かれ、アサシンは宙を舞う。
ものともせず、黒いコートをなびかせ、ゆらりと地面に着地する。

アサシンはマスターを抱えたまま、アサシンから距離をとる。
木の上に着地し、こちらを見下ろしていた。


「マスター、一旦引くということで異論は無いな?」
「異論は無いですけど、この抱え方には異論があるかもですね。
カキハラは米俵ではないですよ!」
「あのアサシンの気配遮断は、並大抵のものじゃない。
ほかのアサシンよりも制度が高い。
俺は周りの気配を捉えることも出来るが、
奴に関しては
殺害をする直前に出る殺気でしか、場所を認知出来ない。
お前の安全を保証できん。
帰るぞ」
「聞いてますかー、ランサーサーン。
せめておんぶにしてくださいよー」



ランサー達は、そのまま
木々を渡り、遠くへと姿を消した。

静寂が訪れる。


…これは、なんとか、危機を、防いだ…ということで、いいのだろうか。


「…はぁぁぁあ…」


思わずしゃがみこむ。
一気に疲れが押し寄せた。
一歩間違えたら、「死」だったかもしれないんだ。
緊張するに決まってる。


(…勢いで契約したけれど、
助かったからいいか…)



(いや、助かって、いないか。
…白夢、さん)


とても優しかった白夢さん。
文武両道で、誰にでも優しい白夢さん。
俺は、人として尊敬していた。
そんな人が、
易々と、死んでしまった。
殺されてしまった。


(呉羽さんや、
白夢さんが好きだった「先輩」には、
なんて、伝えればいいのかな)



それとも、
それだけは、俺がしなくてもいいのかな。
俺が、目を背けていいものなのだろうか。



「ねえますたぁ。
あの小さい男の子と、前のマスターの死体ってどこ?
どっちも無くなっちゃったよ?」
「…っはぁ!?」


当たりを慌てて見渡す。
そびえ立つ木々と無造作に生える雑草。
そして、白夢さんが倒れていたであろう場所に広がる、赤黒い血溜まり。

そして、白夢の持ち物であろう、分厚い本だけ。

白夢さんの死体も、はしらくんも、その場から消えていた。


「…なんで」
「もう1人のマスターは、僕とランサーが遊んでいる時に、どこかへ行っちゃったのかも?
自分で歩そうだったしね。
でもー、死体が歩くわけないし…
なんでだろ?」


たしかに、はしら君は一人で歩くことは出来るだろうけれど…
じゃあ、白夢さんはどこに?


「まあ、いっかぁ。
放っとこうよますたぁ。
死体はもうどうでもいいことでしょ?
ちっさいマスターは、そのうち会えるだろうし!」
「…なんで、お前はそんなに平気なんだよ」


ずっと思っていた疑問を、アサシンにぶつける。
サーヴァントとはいえ、
前のマスターが、目の前で殺されたというのに。


「だって、死んだら遊べないもん。
死ぬまでは楽しいけれど、死んだあとはお人形遊びくらいしかできないじゃんか」


…あぁ。
このサーヴァントを理解するのはやめよう。
深淵を覗いてしまいそうだ。

立ち上がり、
血溜まりの側へ近寄る。

表紙も中身も、赤く染ってしまった本を掴む。


「…」


この遺品を、渡す家族はどこにもいない。
このまま置いていても、きっと、誰にも見つからない。


(せめて、お墓は作ってあげたいな。
でも、一体、どうして死体が消えたんだ)



「ねえますたぁ。早く帰ろ?
ますたぁのおうち見せてよ!」


アサシンが俺の手を掴み、強く引っ張る。
感傷に浸る暇もなく、
有無を言わせない力に、引っ張られるままだ。


「ちょ、ほんと、まて!色々整理させろ!」

本を抱えたまま、アサシンに引っ張られ、
運命が始まった場所を、後にする。





かすかに、思考が動いた。






(…結局、兄さんと、
同じ場所に立ってしまった)


(兄さんみたいに、
凄い訳でもないのに)






ーーーー








細い道を歩いて。
歩いて。
歩いて。

力が抜けた。


「っーーーーー……つ!!!!!」


その場に座り込んで、胃から迫り上がる液体を何とか抑え込む。
自然と涙があふれる。
行きが荒くなっていく。


(血の匂い。
温くて赤い。
肉を貫いた音。

死んだ時の)


「っっっ………ぅ」

怖い。怖い。怖い。寒い。怖い。


「…っぅ…うぁ…っっ…ふ…」


怖い。怖い。
怖い。
怖い。


「…っ、でも、…これ、が…
聖杯戦争…なんだ…っ」


震えが止まらない足を叱咤して、立ち上がる。
流れ続ける涙を無理やり拭いて、
1度両頬を思い切り叩いた。


「…おれは…

我輩は、柴野、はしら。

誰もが恐れる、魔術師」


1歩歩む度に、押し寄せるあの光景。
ひとつの命が失われた、一瞬。

(おれを庇って死んじゃった。
きっとあの人も、叶えたい願いがあった)


「…でも、…でも、それでも、
我輩は、止まらない」


黙ってあの場を離れてしまったのは、少しだけ思う所がある。
けれど、残っていても、アサシンに殺されていたかもしれない。


みんな、敵なんだ。


感謝もしない。謝りもしない。
してしまったら、きっと、立ち止まって、泣き出してしまう。
我輩はそもそも、あの人を倒そうとしていたんだ。





全部終わったら、自分のこと、
なにもかも、許せなくなってもいいから。





「今は、我輩は、止まらない」


「悪者に、なったって、

いい」




頬に伝う、温かい雫は、
見て見ぬふりをした。







ーーーーーーーー







「この堅物マスターは、見た目通りの、
なんの情熱もないマスターですが、捨てたものでは無いのですよ!
なんと、可憐な少女が、マスターの朝餉の支度をしていると言うではありませんか!
欠かさず毎日!
まあ現状、あの屋敷は聖杯戦争の拠点となるので、
少女にはしばらく立ち入らないようにとお伝えしましたがね」


4人で歩いていると、セイバーがお喋りを始めた。
いや始めるのはいい。
何故俺の話を言いふらす。


「余計なことを言うなセイバー」
「まあ、そうなの。
隅に置けないわね」
「通い妻ってやつだよね!?
…ずっと思ってたけど、いつくんって結構、
相手に尽くされるタイプなのかな…」
「マスターには、
この戦いが終われば、少女に求婚せよとお伝え済みです!
その際は盛大に宴を」
「セイバー、次は何を封印されたいか言ってみろ」

令呪を見せつけながら脅すと、セイバーは頬を膨らませながら黙る。
発言禁止令を出さなくても、これだけで効果があるのだろうか。

まあ、セイバーが余計なことを喋らないのならそれでいい。



「…マスター」



言っていたそばから、俺を呼ぶセイバー。
しかし、さっきとは打って変わって、鋭く低い声だった。
立ち止まって、目の前を睨んでいる。

前を向くと、少し離れた場所に、
2人組が居た。

1人は、メガネをつけた、サイドデールの女子生徒。
隣には、セーラー服を身につけた女子生徒がいた。

しかし、
セイバーが反応したということは、
きっと、あのセーラー服の娘は
サーヴァントなのだろう。


つまり、その隣にいる人間は、
マスターになる。

俺の敵になる。


「…あの、いつくん…?」
「マスター黙って。後ろにいなさい」


アーチャーも察したのか、
戸惑っている呉羽の前へ出る。



「…マスターに、なったんですね。

結城先輩」


少女のサーヴァントを引き連れていたのは、
顔をよく知っている人物だった。
その人はじっと俺の顔を見つめている。
怒りとも、悲しみとも、どっちとも取れない表情。

「…あなたも、マスター…なんだね」
「はい」

戦う意思は無いのだろうか。
セイバーが、相手の様子を伺っている。


「私は、夕結を助けるためにマスターになった」


目の前のマスターは、
聖杯戦争に参加した理由を述べ始めた。

俺にむけて。
なんのために。
聞いてもいないのに。


「…あなたはどうしてマスターになったの?」
「…」


いつものような笑顔で、
変わらずに、答える。


「結城先輩には関係の無いことですよ。

俺は、「魔術師」として、聖杯を手に入れることが目的です。

強いて言うならば

この聖杯戦争に勝利することが、目的ですね」


彼女は、その言葉を聞いた瞬間に、
感情が1度に押し寄せたような表情をした。
苦しみも辛さも何もかも、詰め込んだような。

そうさせているのは、俺だろうか。


「ねえ…叶えたい願い、とか、ないの…?」

「ええ。

叶えたい願いなど無いです」


「本当に…?」


「願いがあるならば、自分の力で、叶える方法を見つけ出します。
今は、その労力を割くほどの願いなど、

見当たりませんね」



その答えを聞いた彼女は
何かをこらえ、唇を噛む。

ひとつ深呼吸した後に。
再び、目を合わせた。



「…。

樹は
心も、感情も、全部

「魔術師」になったんだね」



聞いたことも無い、細い声だった。
見たことも無い、
切ないような、諦めのついたような顔だった。


アーチャーも呉羽も、どうしていいのか分からないといった顔をしている。
しばらくは共闘を結んだ相手なんだ。
困惑させるようなことはやめて欲しい。

俺は、何も思わないのに。


「なったも何も。
俺は最初から
あの家の「魔術師」ですよ」


自分でも驚くほど、その声は冷めきっていた。



「…分かった。
ある意味、その言葉を聞けて、良かったのかも。

あなたは、私の敵だね。

夕結を助けるためには、
勝つしかない。

あなた達を、藤樹という「魔術師」を倒すから」



それだけ言うと、彼女は背を向けた。
隣にいたサーヴァントは、何か言いたそうな顔をするも、マスターの後を追う。


「…」

「お好きにどうぞ」



呟いた言葉は、思っていた以上に
小さな声だったらしい。



セイバーは、
相手を、俺を見つめながら

何故か、悲しそうな顔をしていた。




ーーーー




「……」

成り行きで参加してしまった。
いや、あの時は
こうするのが正解だとは思うけれど!

でも、あの包帯の言う通りに参加してしまうとは…
なんだか少し癪に触った。


隣に居るアサシンを見る。

恐らく、…白夢さん…が、召喚したサーヴァント。
以前のマスターが死んだにも関わらず、アサシンは悲しむ素振りも見せなかった。

むしろ今は、家の塀の上に立ち、綱渡りのように歩く遊びをしている。
誰かに見られたらどうするんだ。


「なあアサシン。
もう一度聞くけれど…
前のマスターが…その、死んだ…けれど、
悲しかったり、寂しくなったりしないものなのか?」
「んー、召喚されたばっかりだったしねえ。

それにね、あのお姉さんのマスター、
人を殺せないんだ。

そんな人がマスターでも、
僕は楽しくないかなー。

むしろ、そのうち、僕が殺しちゃってたかも」


少年のような可愛らしい笑顔で、当然のように語るアサシン。


(…そんな言い方は、しなくてもいいんじゃないか)

叶えたい願いがあり、参加し、殺されてしまった。
きっとこの先、同じことが何度も起こるんだろう。


「ねぇマスタぁ」


軽やかに塀から降りて、
俺の目の前に立つ。
下から覗き込むように、探るような瞳が合った。


「マスタぁは、ちゃんと、

人を殺せる?」


正しく答えなければいけない。

冷静な判断を下す理性が叫んだ。
「間違えたら殺される」
と。




「…。

無闇矢鱈に、殺したりはしない。
…そんな、魔術師になんか、なりたくなかったから。

でも、…相手が、
自分を、殺す気…なら、

さっきみたいに、戦う」


これが、俺の精一杯の答え。
アサシンの目を見つめ返す。
少しだけ怖い気持ちもあるけれど、
嘘偽りのない、本心だ。


「…ま、今はそれでいっか!
さっきのマスターよりかは、自由にさせてくれそうだし。

それに、君ってとってもすごいね!
魔術師としての素質が優秀だから、
僕にすっごく力が流れてくるよ!」


ぴくりと、肩が揺れる


「…そんなことないと思うけど」
「そんなことあるよ。
だってね、さっきのおねーさんなんか比にならないくらい、魔力供給が充分すぎるもん。

前のマスターはね、ギリギリの魔力量だったかなー。
正直、魔術師向いてなさそうだったよ?
なんで参加しようと思ったんだろうね」
「…」


アサシンのその問には、答えない。
きっと、そうせざるを得ない理由があったんだろうけど。
アサシンが理解出来るはずもない。


「…アサシン。俺が優秀って言うのは、違うと思う」
「なんでー?」


「兄さんが、
優秀だった、だけ」


ボソりとつぶやく。
アサシンは、よく分からないと言ったような顔をしている。


「なんでおにーさんのおにーさんが、関係あるの?」
「兄さんが魔術師として優秀な素質を持っていたから、
俺にも遺伝しただけってこと。

俺自身は…きっと、
兄さんの、足元もない魔術師だ」


これ以上話すつもりは無いと、歩みを早める。
アサシンは、とてとてと俺の後ろを着いてきて


「ばーん!」
「おわ!?」


何を思ったか、
背中に飛びついてきた。
あわててアサシンを背負う。
張本人は笑いながら、首に腕を回した。


「なん、なんだよ急に!ビックリするだろ!?」
「めんどうくさいねーマスタぁ。
誰より凄いとかダメとか、
今は関係ないと思うんだけど。

僕がすごいって思ったから、
すごいって言ったの。
マスタぁのお兄さんより凄くないとか、
そういう話、きょーみないから聞きたくないなぁー」


その声のトーンは、無垢な子供のようだった。
子供は、興味のあることにしか関心を持たないし、
あながち間違ってないのかもしれない。

はぁ、とため息を着く。


「…分かったよ、アサシン」
「じゃあ早くおうち行こ?マスタぁ」


早く早くと、背中にくっついたまま話すアサシンに、はいはいと相槌を打つ。

アサシンのペースは独特だ。
直ぐに、流されてしまった。




ーーーーー




「ハアーーーあのホンモノ京女。いつまで来んねん」
「そんな事言わないの。
つーちゃん小さい頃は懐いてたじゃない」
「そんな小さい頃知らんもん!」


よるねえと一緒に、大広間へと向かう。
この寺の人間は、
いつも大広間で、一緒にご飯を食べるらしい。
最初は面倒臭いとも思っていたけれど、
今は、楽しいが勝ってる。


「…あ、つーちゃん。あれ、あの時の男の子じゃない?」
「ん?」


よるねえがある部屋の前で止まる。
手招きされたので、
よるねえの傍に行く。

襖がかすかに、開いているので、中の様子が見えた。

確かあの人は…男の子を連れてきた人だ。
ここから見ると、顔に包帯を巻いているのがわかる。
2人きりなのかな。

こっそり聞き耳を立ててみる。
悪い気はするけれど、

好奇心には勝てない。



「とりあえず、ここで様子を見ましょうか。
何かあれば、直ぐに確認することが出来ますしねぇ」
「いいですよぉ。じゃあ、クロユリはしばらくは大人しくしてますねぇ。
でも、楽しそうなことがあれば、入っちゃうかもですよぉ」


…あの男の子は、クロユリと言うらしい。
変わった名前だ。


「つーちゃん、もう行かないと」

もう少し聞いておきたい…と言ったところで、よるねえが制止する。
まあ…お腹すいてるし、仕方ないか。

「んー、まあいっか。
よるねえ今日のご飯なんやろ」
「和食なのは確実ね」




ーーーーーー




「ええ、もちろん。私の「研究」のために協力してくださるのですから。
多少の事は目を瞑りますよ」
「クロユリの「弟達」も参加したんですよねぇ。
とっても気になります」


ポケットの中に入れた端末が震える。
「あの人間」に持たされたものだ。
「貴方を監視するためと、円滑な連絡のため」
だったか。

確認する必要は無い。
「戻れ」
と言っているんだろう。


「失敬。口うるさい人が呼んでますので、帰りますね」
「…ふふ、「今も」仲良いんですかぁ?」
「まさか、「昔も」協力しているだけですよ」


くすくすと笑い、少年に背を向ける。



「なんだか、とっても楽しそうですねぇ」

その言葉にだけは、答えてあげよう。


「ええ、楽しいですよ。

この聖杯戦争は、

「感情」が入り組んでいる。


どんな結果を導き出すのか、今から楽しみで仕方ありませんよ」


人の感情は、理解し難い。
けれど、
時にそれは、想像もよらない結果を生み出す。

だから面白い。
「前」は、全て、前座に過ぎない。

考えうる、最大のシチュエーションで、この戦争を用意するために。


そして、


「その答えが出た時と同時に

私の「本来の目的」も、達成出来るのでしょうね」






ーーーーーーーー





「…クロユリの「お兄さん」を利用しただけは
ありますねぇ」

「いや、お兄さんだけじゃないですよねぇ」

「色々、予想外の事があったとはいえ、

今、結果としては…

以前の聖杯戦争を、「利用」した様なものじゃないですか。


丸々、
「実験材料」に使った…
と言った方が、ただしいんですかねぇ」


「でも、クロユリは、嫌いじゃないですよぉ」






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