第04夜(前編)

ーーーー
(譬礼鴬螟「譚・縺ョ諤昴>蜃コ)








こちらが****で、この小さい方が****だ


小さい子は髪色遺伝してますね。
結構独特のはずなのに、
白と黒できっちり別れて、遺伝子が強く残ってます。



(これはなんだろう。

顔がぼやけていて、はっきりと見えない。

どこかで

聞いたことがあるような声がするのに、

全く思い出せない)



別々に暮らしているんですか?


実家から離れて暮らしていてな。
…この子達は、我のことを知らないだろう


(そう言った、男の声色は、とても寂しそうで)


だが、きっと、




…この戦いで、勝てれば






ーーーーー
(はしらSide)







「…」


光が目に入ってきて、頭が覚醒していく。
体は、何か柔らかい物で包まれている。
我輩は、一体…

「…はしら?目が覚めたか?」

隣には、兄ちゃん。
よく見れば
見覚えのある青い布団と、
1面、黒と黄色の壁紙。

ここは…おれの部屋だ。

あれ…今日はお休みだったのかな

今は、何時なんだろう
何をしていたんだっけ?


…何か、忘れて…



「っ!!!!」



勢いよく飛び起きて、当たりを見渡す。


休みなどではない!
何を腑抜けたことを…!

我輩は山の中にいたはず…
ランサーとの戦いで、キャスターをその場から離れさせたんだ。

そして、ランサーとアサシンが戦っている隙に抜け出して…。


「…っ…キャスターは…」


慌てて左手の甲を見る。

一部分が消えているが、赤い令呪はしっかりと残っている。

良かった。
なら、キャスターはきっと、近くにいるのだろう。
まずは一安心。

「…兄ちゃん…おれ、一体…」

「学校の近くに山があるだろ。そのふもとで倒れているのを、部活中の男子中学生達が見つけてくれたんだ。
ほら、痛むところないか?」

兄ちゃんが優しく頭を撫でてくれる。

(そういえば、山の中を抜けてからの記憶が無い)

よく見ると、切り傷や擦りむいたところは、綺麗に手当されていた。
兄ちゃんがしてくれたんだろうか。

「うん。大丈夫。
…ごめんね。迷惑、掛けた」

多分、仕事中だったんだろうなぁ。
それでも、抜け出して、来てくれたのかな。

そして、家まで運んでくれたのだろう。

(不甲斐ない)
(兄ちゃんのためなのに、兄ちゃんに迷惑をかけたら…)


ふと、頭を撫でる手が止まった。
次に聞こえてきたのは、

少し震えた声。


「頼むから、心配をさせないでくれ。
お前が、こんな、傷だらけになると、

俺はお前のやっていること、応援したいのに、出来なくなるだろ」

「…」

ゆっくり、兄の方に顔を向けた。

兄ちゃんは、つらそうな、
泣きそうな顔だった。

きっと、おれがそうさせてしまった。

それでも、おれに
辞めろとは言わない。
止めることもしない。

今も、昔も、ずっと応援してくれていた。


「…ごめん…」

その言葉しか、かける言葉が見つからなかった。

応援してくれている。
止めずにいてくれている。
その思いに答えるとするならば、
「心配をかけない」こと、なんだろうなって
今、分かった。




……………




「飯は食えるか?」
「うん。大丈夫」

食事は部屋に兄ちゃんが持ってきてくれた。
消化にいい卵のお粥と、
デザートにプリン。


「食べ終わったなら、今日はもう早く寝ろ。
明日は学校、休もうな。
連絡はしとく。
気にせずゆっくり寝ておけ。
俺も夕方頃には帰れるから」
「分かった。ありがとうね、兄ちゃん。おやすみ」

そう伝えると、兄ちゃんは微笑み返してくれる。
空になった食器を持って、
部屋から静かに出ていった。


「…」


暗くなった外を見る。
窓際にベッドを置いているから、ここから夜空が少し見える。
隣の家も、その隣と、また遠い家も、
オレンジ色の明かりが灯り始めていた。
きっと、今、
家族の時間を過ごしているんだろうな。


「…」


…我輩はあの時、あのマスターを殺すつもりでいた。
キャスターが、召喚儀式を行っている人間がいると聞いて、
その瞬間を狙えば…、
連携の取れていないマスターならば…と思って。
卑怯だとは思う。
でも、あの時は
そんな手を使ってでも、勝ちたいという気持ちが勝っていた。

結果的に、ああなってしまったけれど。


「…」


目の前で、死んでしまったあの人。
血が飛んで、腕が力なく落ちて、
段々と、肌の色が白くなる。
必死だった、紫の目は、
鈍く濁って。


命が終わる瞬間は、とてもとても

怖かった。


暖かい、ぬくりもがあったものが、冷たくなる。
それだけの事が、こんなに恐ろしいものだって、よくわかった。

「…殺す「つもり」だった、だけで、
何も分かってなかったのかもしれない」

手に力が入る。
このままじゃ、我輩は聖杯戦争に勝てない。
周りはきっと、強くて、「躊躇わない」マスターばっかりなんだ。


(早く、気持ちを切り替えて…)


焦る思いが強くなった時
隣で淡い光が灯った。

「マスター」

キャスターが姿を現した。
さっきと変わらず、エキゾチックな雰囲気の衣装で。
ずっと、霊体になってそばに居たらしい。

「キャスター…。
お主は無事か?」
「うん。マスターのおかげだよ。ありがとう」

…お礼を言われたけれど、素直に受け取れない。

「…我輩はマスターを倒すことが出来なかった。
そして、気が付かぬうちに、道端に倒れ、
迷惑をかけてしまうという失態。
礼を言われるような事は、出来ていない」

目を逸らして、冷たい事を言ってしまった。
甘えは要らないとは言え、人の行為をあしらってしまうのは、失礼ではなかろうか。

キャスターは黙って聞いてくれた。
静かに頷いて、再び柔らかい笑顔を見せる。

「マスター、時間ある?」
「え?…ある、が」



「私の閨においで。
あなたを希望溢れる冒険へ連れて行ってあげる」



…………………



隣の部屋を開けると、
そこは王宮の寝室のような場所になっていた。

念の為に言うけど、この家は至って普通の一軒家だ。
決して、どこかの王族が住んでいるわけじゃない。
多分、キャスターが何かしたんだ。

元々、この家は空き部屋が2つくらいある。
二人暮しなので、使わない部屋がどうしても出てきてしまう。
キャスターには、そのうちの一つを使ってもらうようにしていた。

けれど、こんなに中が変わってるなんて…

「これ…えっと、キャスターの…陣地作成ってやつ…?」
「そうだよ。この夜の空間だけは、誰にも邪魔はされない。
つかの間の平穏かな」

キャスターは、宮殿に置いてあるようなベッドの傍に歩んでいく。
近くの椅子に座り、ポンポンとシーツを叩いた。

「眠り心地もいいよ。おいで」

言われた通りに、ベッドへ歩み寄る。
床に敷かれた絨毯は、赤や黄色の複雑な模様が織り込まれている。
天井も壁も、黄金の装飾で埋まり、少し眩しいくらい。
ベッドは、大人が4人くらい寝ても余裕なくらい、広かった。
天蓋か付いていて、
優しく視界を遮断するレース状の物だ。
…こんなもの、生きているうちに見れるとは思わなかった。

恐る恐るベッドのふちに腰かける。
見た目通りの心地良さ。
体重を優しく受け止め、控えめに反発される。
これが…高級…。

我輩が落ち着いたのを見ると、キャスターは懐から、青紫色の巻物を取りだした。
…アサシンに仕掛けるときも、使っていたような気がする。
もしかして、キャスターの宝具…なのかな。

巻物を広げたキャスターは、目を瞑り、
心地いい音色のような声で、語り出す。

「語りましょう。
今宵は勇気ある青年の物語。
愛するもののため、未来のために剣を取った、
輝かしい冒険譚」

不思議と、その声に聴き入ってしまう。
語られているだけなのに、冒険の始まりの高鳴りと高揚を感じる。

彼女は、もしかして、
物語を語る事を生業としていたのかもしれない。

でも、今は余計な考えを捨てて、
キャスターの物語に、耳を傾けることにした。





とある王国に、逞しく、心優しい青年がいたのです。

青年は、己に課された使命を全うするために、銀の剣を取りました。
愛する者…家族のために、長い長い旅に出発します。
「暫くは、家族には会えないだろう」
それでも、青年は寂しくはなかったのです。
きっと、自分がこの使命を果たせたら、
愛する家族の、暖かい笑顔が、迎えてくれると信じているから。





「…その人は、とても…強いのだな」
ポツリ、そう呟くと、キャスターは微笑みながら、続きを聞かせてくれた。





青年は、1人だけでした。
助けられるものは誰一人いない。
皆、少年だけを、頼りにしていたから。
それでも彼は、光栄だと受け入れました。

でもある日、彼の仲間になりたいという人が現れました。
その人は、気が弱く自信もない。
誰が見ても、冒険の役には立てないような人でした。

しかし、青年は暖かく迎え入れます。

「その気持ちがありがたい。
きっと、我らなら、勝ち残れる」

幾多の敵をなぎ倒し、目指す地は
絶つべき影の王。
青年と仲間は、王へと近づいていく度に、
絆を深めていきました。

青年は、より意志を強く。
仲間は、そんな彼に敬意を示していた。

きっと、この戦いは、成功する。
そう信じて





「…」


微睡む意識の中、キャスターの物語が聞こえる。


(…まるで、吾輩たちみたいだ)

(きっと、その青年は)

(本当に、優しい人なんだろうな)

(おれも、そういう風に、なれたらなぁ)






ーーーーーーー
(キャスターside)







「…あれ?」

マスターの様子を見ると、彼は身体を横に倒し、すやすやと寝息を立てていた。
甘えを捨てて、前を向き、背伸びをしている少年だけれど、
寝顔はまだまだ子供のようだった。

「おやすみ、マスター」

シーツを被せ、宙に人差し指を軽く踊らせる。
部屋の光は、静かに息を潜め、当たりは夜の闇に包まれた。


「…ここで、お話は終わる方がいいのかもしれないね。
このお話は、2人とも、報われないから」


本当は、もっと幸せな物語を聞かせてあげたかった。

けれど、何故か、彼に、
この物語を、聞かせてあげたかった。


「…青年と、仲間は、黒い王へとたどり着きましたが、
黒き王が、仲間へ刃を向いた時、

彼は、仲間を庇い、深い傷を負ってしまいました」

「仲間に、彼は言います。

「ここまで来てくれて嬉しかった。
どうか家族を、見守って欲しい」

でも、仲間は家族を知りません。
どこにいるのかも分かりません。

命が尽きていく彼を目の前に、

仲間は、ただただ、縋り付くことしか出来なかった…のです」


眠っていて、聞こえていないはずの彼に、続きを語り続けた。
期待され、1人で何もかも背負わされ、
それでも報われない青年の話。


どこか、マスターと似たような雰囲気を感じた

「今、あなたにはこのくらいしか出来ない。
でも、この場所は、どんな形にも邪魔はさせない。
君は、本当にすごい子だよ。

今だけは…ゆっくり、休んでね」







ーーーー
(呉羽side)






オレ達も、いつくん達も、
無言で歩いていた。
セイバーも何か言いたげな顔をしていたけれど、結局口を開かなかった。
アーチャーは変わらず、オレの傍を歩いてる。

…結城先輩と出会ってから、ずっとそう。

いつくん、結城先輩と、何かあったのかな。

「…ねえ、いつくん?」
「なんだ」

「さっきの…あの、結城先輩の事だけど…
何か、あったの…?」

いつくんはこちらを見ない。
表情が伺えない。

「別に何も」

声だけは、いつも通りのいつくんだった。
それと同時に、「これ以上関わらせない」と言うような
大きな壁を感じた。

「…そ、か。ごめん」

これ以上の追求は、しないことにした。

(…「友達」…なだけであって、なんでも、話せるわけじゃないもんね…

それとも、いつくんは…
本当にオレのこと、友人って思ってくれてるんだろうか)


いつくんは1人でなんでも出来てしまう人だ。
人に頼ることもしない。しなくていいほどに優秀で。

オレは、誰かの足を引っ張って、迷惑かけてしまうから…大違いで。


(そう、知り合ったのも、高校1年生の時に、隣の席になって…だから。
そのまま一緒にいてくれる…って感じなのかな。
きょーくんは、出会った時から、いつくんと一緒だった気がする)


一人でなにもできないオレは、やっぱり足でまといにしか…

(今からでも…やっぱり…オレは…
足を引っ張るくらいなら…)



「呉羽」
「ひゃん!?」



少し強めに声をかけられて、体が跳ね上がる。
考えすぎて、周りの声が聞こえていなかった。
アーチャーに呆れたように目を細められる。

「マスター。気を抜きすぎないで」
「ご、ごめんなさい…」


いつくんは、傍にあった小さい鉄の門の南京錠に触れる。
ポケットから銀色の鍵を出して、施錠された門を開いた。


「ここが俺の家だ」
「…え?」

…この、いつくんが、門を開けた…家だよね?
こ、これ?
目の前にある、この…建物が、いつくんの…家?

誰もが夢見るような洋風の建物で、中庭があるのが伺える。
中彩度の赤レンガが積み上がって、いつくんのイメージとは随分違う。

もっとこう、シックな落ち着いた家に住んでると思ってた。

今まではきょーくんが、どれだけ頼み込んでも、
家に遊びに行くことは愚か、場所さえ教えてくれなかったし。
後をつけたとしても、すごく敏感みたいで、
結局バレてしまうのが落ち。
オレも、正直、気になってた。

こんな形で、おじゃま出来てしまうとは。


「この家に人を入れたのは、白夢と、セイバー、お前達と…

まあいい、入れ」

カチャリと、入口の鍵を開く。

「…お、おじゃま、します…」
「失礼するわね」

少し緊張して、歩幅が小さくなってしまう。
友達の家というか、パーティの会場にはいる気分に近いかも。
いやパーティなんてしてる場合じゃないんだけど。

すると、セイバーが突然ふりかえって、アーチャーとオレを見た。
子供のような明るい笑顔で。

「アーチャーと呉羽?今日からここはお前たちの家なのですよ。
帰るべき場所、安らげる空間なのです!」
「とりあえず今日だけという話なんだが。
勝手に壮大にするな」
「マスターは黙っていてください。
家主である僕がいいと言っているのです。
今日だけだとしても、
今!この時点は!
あなた達の居場所です。

…他に、言葉があるでしょう?」

いつくんのツッコミを無視して、セイバーが語りかける。
とても、声色は、優しかった。

「…」
「マスター…?セイバーが言っていること…あまり分からないのだけれど…」

アーチャーが怪訝な顔をした。
本気で分からない…と言いたいような。


「…えっ…と」

迎え入れてくれている。
歓迎してくれている。

ここに、居ていいと言われている。

今日だけは、ここが帰るべき場所…。



「…た、だいま…」



すごく細くて、かすれた声だった。
恥ずかしくて下を向いてしまう。


「はい!
よくぞ帰ってきましたね!」


セイバーは、そんなオレを笑わずに、笑顔で受け入れてくれた。
ただいまと言ったら、おかえりが、来てくれる。

(…こんなに、嬉しい事だったんだ)

「さあ!アーチャーも言うのです!」
「言う意味があまり分からないのだけれど…」
「こういう事は、言葉から入って気持ちを入れるというものですよ!
共闘するのですから、お互いに信頼しなくては!」
「え、ええ…」

セイバーのゴリ押しに、アーチャーが困惑している。
ふふ…と笑みがこぼれてしまった。
アーチャーもあんな顔するんだ…。

「悪いな。セイバーが余計なこと言って」
「う、ううん!セイバーは何も悪いことしてないよ!」

いつくんが何故か謝ってきたので、慌てて否定する。
セイバーは何も悪いことしていない。

そう、むしろ…

「…その、オレは嬉しかったよ。
ただいまとおかえりが言えるって、すごく…素敵なことなんだなって」
「…」


いつくんは、何も答えずに、玄関のドアを開いた。



……………




1階のリビングに案内される。
内装も、外の光景と引けを取らないくらい美しかった。
…暖炉なんて初めて見たよ、オレ。
キッチンも広い。調理スペースなんて、テレビのバラエティで見るような広さだし、なんでコンロの台がふたつもあるの???

シンプルな茶色の革のソファに、ガラスの台がオシャレなテーブル。

「すごい…」

感心するオレを他所に、いつくんは
椅子にコートをかけた。
ソファを指さして、「ここ座れ」と短く一言。
大人しく従って、ソファに腰掛ける。

…程よい弾力もありながら、けっして人を拒まない感触…
絶対高いソファじゃ…

「もう一度聞くが、本当に体はなんともないのか?」
「うん。どこも痛くないし、気持ち悪い…とかもないよ」

嘘はついてない。本当に平気。

「少し触るぞ」

と言って、いつくんはオレの額の、ちょうど真ん中に手を置いた。

「Finden Sie die Verzerrung, stellen Sie ihre ursprüngliche Form wieder her und heilen Sie sie」

手のひらから淡い青色の光が溢れる。
触れた場所から水のように暖かいものが流れていく。
心地いい。
目を瞑って身を委ねてみる。

ぬるま湯に使っているようで、リラックスしてしまう。

「…正常だな。傷もないし、内蔵も問題ない。

呉羽。あの時の…アーチャーを召喚した時の状況を教えてくれないか」

当てていた手を離される。
さっきの心地良さが恋しくなりつつも、
召喚時のことを思い浮かべてみる。

「…とにかく、生きたいってことで、必死だった。
そしたら、急に周りが光初めて…
その辺かな?苦しくなくなったの」

アーチャーが目の前に現れた時には、既に何処も痛くなかった気がする…。

その前は、息を吸うのでさえ、あんなに痛かったのに…。

「念の為私も言うけれど、この回復力は、おそらく私のスキルではないわよ」
「では呉羽の魔術ということですか?」
「そ、そういう訳じゃないと思うけど…
そもそも、魔術師が何かもよく分かってないんだし…」
「そういえばそうだったな」

だとしたら、さらに謎が深まっていく。
本当にオレは何もしていない…ような気がする。
多分…

「アーチャー。呉羽からの魔力供給はどのくらいなんだ?」

尋ねられたアーチャーは、
いつ君を人目見てから、ふと考え込む。

「それは、
私達の弱点になりかねない情報よ。
協力するとはいえ…一応明日まで、という制限が付けられているのでしょう?
躊躇するなと言われたとしても、難しい判断よ」

…今は、いつ君は助けてくれるけれど、
明日はどうか分からない。

(聖杯戦争は、敵同士…なんだっけ。
全然実感ないよ…)

拒絶をされて、危害を加えられたけれど。
未だに、きょーくんを敵と思うことさえ出来ないのに。

「その点は心配ありませんアーチャー」

少しだけ空気が冷たくなった時、セイバーが声を上げた。

「もし呉羽、またはマスターが協定を破棄した場合、
僕のスキルで、お互い、共闘していたことを忘却させましょう」
「そ、そんなこと出来るの!?」
「もちろんです呉羽。僕はこう見えて優秀なのですからね。
…まあ、頭痛は酷くなりますけど…。

どうです?これならあなたの弱点も、覚えていることはないはずです」

サーヴァントって、本当にすごいな…まるで魔法使いみたい。

「…嘘はついていないでしょうね」
「強く麗しい女戦士に、虚偽など出来ません。
もし僕が嘘をついたら、すぐさまマスターを撃っていいですよ?」
「交渉材料に俺を使うな」
「貴方の質問に答えてくれるようにしてるだけです!」

アーチャーは腕を組んで、暫く考えたあと
なぜか小さくため息をついた。

「…はぁ。いいわよそれで。

正直に言うと、結構厳しいわね。
宝具を撃てば消えるわよ」

アーチャーの発言に、いつ君、セイバーは言葉を失う。

「ここまでとは…いや、でも召喚は出来て、魔力供給も出来てはいるのだから、魔術回路はあるのか…」
「宝具を1度も使用できない、となると…かなり厳しいですね」
「お前も似たようなもんだろ。自分で使わないって言ってたじゃないか」
「僕はあくまでも、使わないのであって、「使えない」訳では無いので!」

オレは…
正直、置いてけぼりをくらっている。

「えっと…その、まずなんだけど…魔力供給…?って何…」
「………あぁそうか、そうだな。そこから話して置くべきか。
というか、魔術師のこともよく知らなかったな」

いつ君は小さく息を吐く。
…話の腰を折って申し訳ないんだけど、やっぱり…オレ、理解できないから…



……………………………




「まず、魔術師から。
俺たち魔術師は、魔術を「学ぶため」に学ぶもの」
「…?えっと?学ぶ、ため?
学んで…使うんじゃないの?」
「そもそも魔術師は、無闇矢鱈に魔術を使わないんだよ。人前なら尚更。
聖杯戦争で戦う時や、やむを得ない時は遠慮無しに使うが…。

「学ぶ」ためであって、
魔術を「行使」するために、研究してる訳じゃない」
「…う、うん。なんとなく…分かったかも」

手に入れたものを、人に見せびらかしたり、無駄に使ったりしない…ってことなのかな。

返事をすると、いつ君は微かに頷いた。

「次は魔術。
魔術と言っても一言では言えないが…簡単に言うならば…
材料を用いて、手順通りに行い、望んだ結果を生み出す、
化学か」

化学。
なんだか、魔術とはかけ離れたような言葉だ。

「ちょっと、意外かも。
オレとしては、魔法のみたいなイメージだったよ」
「魔法はなんでも出来るけれど、魔術はなんでも出来るわけじゃない。

魔法は「何も無い場所」から、何かを生み出すことは出来るだろう。
だが魔術は、魔力が無いと話にならない。
それに、他にも道具や詠唱が必要になる時もある。
…夢に溢れた明るいものじゃない」
「そ、か…。じゃあ、オレでも魔術は使えるの?」
「魔術回路はあるみたいだから、やろうと思えば出来るんじゃないのか。
と言っても、見た感じ、回路を開くやり方も知らなさそうだし、
そもそも今から覚えるんじゃ遅すぎると思うけどな」

つまり、オレは魔術を今から覚えようとしても、聖杯戦争には間に合わない。

役に立たないままか…。

「ぅ…。
魔術回路…ってのは?」
「魔術師が持っている、魔術を使うために必要な…エンジンみたいなものだ。
擬似神経。生命力を魔力に変える」
「…生命力…」
「魔術回路は本数によって、魔術師の優劣が決まるが、
…ここは、別にいいか」

その時のいつ君は、気のせいか、声が小さかった。

「はっきり言うが、お前の魔術回路は恐らく、ほかの魔術師と比べて劣っている。
アーチャーの魔力供給が十分でないのもそのせいだろう」
「…」
「簡単に話せばこんなところだ。分かったか」

黙って頷いた。
魔術関連について、少しだけ理解が深まったと思う。

…オレが、どれだけ聖杯戦争に向いていないのかも。

(…オレなんかが、アーチャーを召喚して…。

アーチャー…迷惑じゃなかったかな)






夜も遅いので、睡眠を取れと
いつ君に空いている部屋を案内される。
…使ってない部屋だって言ってたけれど…
ベッドも、姿見も、机も、
十分誰かが暮らすことが出来る設備が揃っていた。

「ね、ねえ…本当に一人暮らし…?すごく、綺麗だけれど」
「…掃除が好きなんだ。それだけだよ」

7時には出るから起きとけよ。
と言って、そのままいつ君は部屋を出た。
ぽつん、と1人部屋で立つ。

(オレが住んでる部屋よりも広い…)

備え付けられているベッドに腰掛ける。
うわ、ふわっとした。なんだこれ。絶対高いベッドだよ!!
体重が奪われていくような感覚。
まさに人をダメにする…

「マスター、いいかしら」
「わっ、ア、アーチャー」

すぐ側から声が聞こえたと思ったら、アーチャーが、何も無い場所から姿を現した。
えっと、霊体…だっけ。
攻撃ができない代わりに、魔力の消費を抑える状態で、姿や形が見えなくなる。
なれないからビックリするな…。

「一つだけ気になることがあるのよ。あの場では言わなかったのだけれど」
「な、何かな…オレに答えられることがあれば、なんでも答えるよ」

目の前にいるアーチャーは、オレの座っているベッドに腰かける。

(…人、2人分くらい、空いた距離)

オレとアーチャーに空いている隙間を見て、
これがきっと、信頼の距離なのかもしれないと思った。
…それも、仕方ないと思う。
オレが、いつ君みたいに、しっかりした魔術師だったら、こうならなかったのかもしれないけれど。

「私を召喚した時のことよ。
確かに、あなたは怪我を負っていなかった」
「…」
「でも、その時…あなたの体全身に、
青白い模様が浮かんでいた気がするの。
まるで体に刻まれているかのようにね」
「…え?」

模様…模様、とは?
あの時は、アーチャーに目を奪われて、自分の体のことなんて見てなかった。
身体が痛くなくなった位は分かったけれど。

「それが何か、までは詳しくは分からないけれど…。
魔術に関する何かであるのは確かだと思うわ」
「で、でも、オレは…魔術師じゃなくて、普通の人だよ」
「そう、違うのよね。
ねえ、あなたは昔も今と同じように暮らしていたの?」
「昔…」

聞いているのは、子供の頃の事かな。
そういえば、アーチャーには、言ってなかったね。

「オレね、中学校より前の記憶ないんだ。
だから、どうしていたかは分からない」
「どうして?記憶喪失なの?」
「…えっと…それも、わかんない。
記憶が無い理由を聞こうにも…、
親も全然帰ってこなくてさ、顔さえ分からないんだ」
「…」

アーチャーはオレの答えを聞くと、
しばらく黙り込んだ。

何か変なことでも言っちゃったのかな…

と思った途端、
彼女は立ち上がって、オレを見た。

「マスター。
一般人で聖杯戦争に参加するケースも無くはない…。

けれど、私は、戦争に参加してしまったのは
聖杯に選ばれたから…
必然、だったと思うの」

「魔術回路を持ち、謎の魔術を使えて、
聖杯戦争に参加し、私を呼び寄せた。
偶然には思えない」
「…」

アーチャーは、オレに、何を、伝えたいんだろう。
とくとくと鼓動が早くなる。
息を飲む。

こんなに緊張することもないのに。
不安になることもないのに。

だってオレは、何も知らない一般人だよ。

オレは、ほんとうに、
何も


「あなたは、きっと、聖杯に選ばれたの。
1人の魔術師として。
聖杯戦争に、参加する者として。

普通であるはずがないのよ」




何も知らないんだよ。







ーーーーーーーー
(蝗帶婿髯「繧九j縺ョ諤昴>蜃コ)








夕暮れ時。
ここは私がよく知る場所。

誰もいない教室で、1人、ある人を待っている。


「何してんの?帰らないの?」

どこからが声がした。きっと、私に向けたのだのでしょう。

とても聞き覚えのある声。
ぶっきらぼうな、どこかくすぐったい温かさを感じるのです。

「あなたは私に、何を隠していらっしゃるのですか?」

私は問いをぶつけた。

それは、持ち続けた違和感。
問いを持ちかけるくらい、私はその疑問が気持ち悪かったのです。
新しく見た世界だったのに、
その世界は知らない場所で、泣いていたのかもしれない。

「繧九jには、関係ないよ」

冷静な彼女はそう言った。
その時の彼女の気持ちは、どう言ったものだったのでしょう。

苦しかったの?
悲しかったの?
それとも、私に聞かれたくなかったのですか。

それでも私は、踏み込むことを躊躇わなかった。
なぜなら、あなたは当然のように、私に踏み込んだではありませんか。

「あなたが何か、抱えきれないものを、持とうとしているのが伝わってしまいます。
私だって…貴女の友人でいるという自覚は
ありますのよ。
何も無いとおっしゃるのならば、そのような顔を…」


私は、ただ、知りたかった。
眩しい世界が陰る理由を。


しかし、「この世界」は、

きっと、

彼女に厳しかったのかもしれません。


「繧九jーーー…………」



ーーー



少女の回想が終わっていく。

夕焼けが爛れて、荒んでいく。
知っていた空間が、黒く濁っていく。
目の前の友は、駆け出すも、手を伸ばすも、
何もかも手遅れで。

瑠璃色の髪は、黒に飲まれた。



ーーーーーー
(呉羽side)






「マスター、起きなさい。
いつまで寝ているの」

目の前が眩しい。
朝になったしまった。
窓から差し込む日差しは、少しだけ暖かかった。
アーチャーの声が、傍から聞こえる。

起こしてくれたんだろうか。

寝ぼけた眼で、彼女を捉えた。

呆れたような赤い目が見える。
私服を着ていたら、普通の少女としか思えない。
何よりも、目を引いたのは、


朝日に照らされて、より一層の引き立った


「…瑠璃、色」


「何?」
「…ぅ…んん…ごめん。寝ぼけてた…」

目をこすって、慌てて起き上がる。
不思議な夢だった。オレの記憶じゃないみたい。
でも、

「…」
「マスター。さっきからどうしたの?私に何か付いているのかしら?」

あの、影みたいなものに飲まれた少女の髪色は、アーチャーにそっくりだったな。
偶然なんだろうけど。

「もうセイバー陣は準備できてるわよ。
早くしなさい」
「ご、ごめんなさい」

カッターシャツと制服のズボンのまま寝てしまったらしい。
シワとか入ってないといいけれど…

傍に畳まれて置いてあるセーターを手に取る。
…アーチャーがしてくれたのだろうか。

「アーチャー、もしかしてセーター片付けてくれたの?」
「地面に脱ぎ捨てられていたのよ。さすがに放っておけないわ」
「ありがとうね」
「いいえ。あと、あなたが着けていた髪飾りも机の上に置いてるわよ」

髪飾り…ピン留めのことだろうか。
言われたとおり、備え付けられている机に、
黄色いピン留めが2つ、置かれていた。

「ごめんね。何から何まで。
無くさないでよかった」

いつもの定位置に、ピン留めを付ける。
前髪も伸びてきたから、そろそろ切らないと。

「それはマスターにとって、大切なものなの?」
「これ?」

彼女が、俺の髪を指さす。
…これのことか。

「そうだよ。高校に入った時にね、

…きょーくんが選んでくれたんだ。
目元を見せた方が、明るく見えるんだよって」
「…」

とても大切な思い出だった。
今のオレにとっては、
友人から何かを貰うっていう出来事は、初めてだったから。

彼から始まって、いつ君と知り合って…
オレは、すごく楽しかった。
…オレだけ、だったのかな。


「高校の入学式に出会ったけれど、
その時も、その後も、彼はとっても優しかったよ。

ううん、
優しいだけじゃない。
叱ってもくれたし、笑ってもくれた。

それだけは、ちゃんと覚えてる。

忘れてなんか、ない」




………………………





準備終えてから、
いつ君と一緒に、藤家を出た。

今日の目的は、教会…に行くらしい。
町外れにひっそりと佇む、小さな建物。
そこに、聖杯戦争の監督役がいるとのこと。

家から1時間近く歩いたところだったかな。

案内された場所は、野原が広がり、木々に囲まれた場所。
今は寒すぎるけれど、夏に来れば、とても過ごしやすいかもしれない。

黒い鉄の、大きな門の前に立つ。
コンクリートの通路が敷かれていて、その坂に目的地。
いつ君が、教会の門を押す。
拒むことなく、迎え入れてくれた。
けれど。


「……マスター」

セイバーは動かなかった。

「どうした。何かあるのか」

全員、セイバーの様子を伺う。
セイバーはオレたちを見ずに、くるりと背を向けた。

「僕は、ここで待っていますね」

そんなに…教会が嫌なんだろうか。
いつ君は答えない。
「行くぞ」とオレたちに声をかけて、教会への道を歩む。

アーチャーも特に気にしないらしい。そのままいつ君について行く。

「セ、セイバー…?いいの?」
「ええ。後方は見張っていますので、僕のことは気にせずに」
「そっか…」

無理強いするのも良くないよね…

「時に呉羽」

セイバーは動く気は無いと分かり、オレも2人について行こうとした。
その時に、突然、オレの事を呼んだセイバー。
今も、こちらに表情を見せてはくれない。


「聖杯戦争は、
偶然に参加出来るようなものではありません。
少なくとも、僕はそう思っています」
「…うん。
アーチャーにも…似たようなこと、言われたよ」



「ですが、運命を受け入れるだけが選択ではありません」



「…え
どう、して…?」

思わず聞き返してしまった。
だって、あんなに凛々しいセイバーが、
逃げることを、選択肢に加えるとは思わなかったから。

「何もかも蓋をして、知らないフリをすることも…
きっと、ひとつの手段だと思いますよ」

「その選択をしたからといって、誰もあなたを責める事は出来ません」

「…これは、僕の戯言に等しい。
最後の判断は、あなたがするのですから。
心の隅に、覚えておいていただけたら幸いです」

「…うん」

セイバーの言葉を聞いて、控えめな返事をする。
背を向けて、いつくん達を追いかける。


(それは、いいのかな)

(オレは、見ないふりして…)

(…)





ーー
(セイバーside)





「…」

「ええ、これは、正しい選択ではありません」

「僕だって、そう思います」

「けれど、もし」


「「違う道を選んでいれば、
大切な誰かを、傷つける事がなかった」と、
後悔してしまった時は

もう、失ってしまっているのです」


「そうなって、後悔してしまうくらいなら」


「間違えた方が、幸せでした」





ーーーーーー
(呉羽side)






教会の扉が開くと、1番に目に入ってきたのは、
煌びやかなステンドグラス。
彩度の低い空間とマッチして、幻想的な雰囲気を生み出していた。

「ようこそ。セイバーのマスターと、アーチャーのマスターですね」

並んだ木製の長椅子の先に、一人の少女が立っていた。
シスターのような服を身にまとい、十字架を胸にぶら下げている。
金色のふわりとした髪がよりいっそう引き立っている。
そして、幼い少女らしい高い声。
…んん?監督役は、今居ないの?

「えっと、その、監督役さんの、娘…さんとか?」

ご両親は何処?と聞こうとした時、
いつ君が小さくため息をついた。

「彼女が聖杯戦争の監督役だ」
「えっ」

彼女って…あの、女の子!?
え、こんな危ない戦いの!?監督役!?
もしかして見た目に騙されてるのだろうか…

恐る恐る少女の方を見ると、
怖いくらい完璧な笑顔で、緩くスカートを持って挨拶をしていた。
…お、怒ってる?

「お初にお目にかかります。
私、「この聖杯戦争の監督役」の
シャル・リ・カヴァリエールも申します。
監督役…とも、カヴァリエールとも、お好きにお呼びください」

すごい強調された。やっぱりちょっと怒ってる…?気の所為…?

「さ、さっきはごめんなさい…椿呉羽です…」
「ええ、椿さんですね。存じております。
して、この度はどのようなご要件で?」

でも、こう会話してみると、やっぱりとてもしっかりしていて、安心感がある。
見た目で判断しちゃいけないね…。

「突然の訪問にも関わらず、親切な対応、感謝致します。
椿呉羽は、魔術師では無く、ほぼ巻き込まれたような形で聖杯戦争に参加しました。
なので、この戦いにおいての事柄を全く知らない状態です。
なので、監督役である貴女に、今一度、基本的な仕組み、決まり事をご教授頂ければと思い、伺いました」

いつ君が綺麗に笑って、普段とは違う口調で話し始める。
久しぶりに見たかも。いつ君のよそ行きモード。命名はきょーくん。
最初は、オレにもこんな感じで話してたっけ。

でもオレは、この時のいつ君もかっこよくて素敵だなって思う。

「なるほど。確かに。
事前に知り得ておくべき情報で差が出るのは、好ましくありません。
良いでしょう」

少女はコツコツと足音を立てて、こちらに近づいた。

近くで見ると、確かに小さい。
けれど、気迫は大人に勝るものがある。
…そう、目の前の人も…魔術師…なんだっけ?

「呉羽。聖杯戦争のこと、どこまで知っているのですか?」
「え、えっと、
何でも叶えてくれる、聖杯…?を、かけて、
戦う…んだっけ…?」
「概ね合っています。その認識で構いません。

マスターと呼ばれる魔術師は、召喚したサーヴァントを使役し、
ほかのマスターを倒し、勝ち上がっていく。

そして、最後の勝利者に、万能の願望器が与えられるのです」


…うん、ここまでは、わかる。
けれど…


「…でも、それって…
誰かを、倒すんでしょ…?
倒すって…その…

マスターを、…こ…ろさなきゃ…いけないの?」


最後の1組…ということは、ほかのマスターが離脱している。
だったら、こういう事じゃ…


「何も、マスターを殺すまでしなくてもいいのです。
聖杯戦争の絶対条件として、サーヴァントを召喚する…というものがあります。
なので、サーヴァントを失ったマスターは、令呪が剥奪され、参加権を失うのです」
「…」
「マスターを殺すって言うのは、そっちの方が簡単だからって事だよ。
サーヴァントは強力だ。
しかし、マスターが居なくなってしまえば、魔力供給は無くなり、
消滅の道しかない。

だから、その元…エンジンでもあるマスターを殺した方が手っ取り早いだろ?」
「…そ、か」


そういう事か…。
なにも、人を殺すことは無い。
…でも、それでも


「…サーヴァント、は、絶対に…殺さなきゃ…いけないん…ですね」

脳裏に浮かぶ。
アーチャーや、セイバー。そして、オレを殺そうとしていたバーサーカー。

みんな、人間のように生きていた。
そんな彼女たちを、殺さなきゃ行けないのだろうか。


「…」

「…呉羽。他にも、伝達事項があります」


少女はしばらくの沈黙の後、先程と同じように語り出した。

「まずひとつ、サーヴァントを殺された場合、教会に駆け込んでください。
必ず、身の安全は保証致します」
「中には、マスターの命まで狙ってくるかもしれない連中もいるしな。
監督役は、敗退したマスターのサポートするんだ」
「そうなんだ…」
「そして2つ目」



「今ここで、辞退するか、参加するか選びなさい」



「…じ、たい?」

「基本的、辞退を認めませんが、あなたは偶然召喚してしまった身。
戦いに身を置きたくないのであれば、
今ここで、不参加の意志を示してください。

令呪を剥奪し、マスターから降ろします」

「…」


アーチャーが言っていたことだろうか。
マスターを続けるか、辞めるか。

いつくんは何も言わない。
アーチャーは、静かにこちらを見つめている。

(…)

セイバーの言葉が脳裏をよぎる。

(…受け入れることが、絶対ではない、か)

(逃げるのは、あまり、好きじゃないけど…)

(…でも、オレ…)


いいのかな。
こんなに、弱いのに、参加して。
アーチャー、迷惑じゃないのかな。

いっそ、
ここで…、

マスターを辞退して、
アーチャーは他の誰かと契約した方が…






「椿呉羽さん。
聖杯戦争は、あなたにとって
とても有意義な戦いになると思いますよ」





静寂を破った、何者かの楽しげな声。
…どこかで、聞いたことがあるような気がする。
後ろ側から聞こえた。

振り向くと、そこには、いつかの包帯を巻いた男がたっていた。

「…烙さん」

カヴァリエールさんが、名前を呼ぶ。
烙さんと呼ばれた人は、ニコニコと笑顔を貼り付けたまま。

「…ゆう、いぎ?」

烙さんは、さっき、「有意義」と言った。
それは、オレにとって?

「どういう、ことですか?」

男はこちらに歩み寄る。
白衣から覗かせた白い包帯の切れ端が揺れている。
…中はどうなっているんだろう。

「ええ。そうですねぇ…例えば、
何故自分が覚えもない魔術を使えるのか…知りたくありませんか?」
「!」

なんでそれを、知っているんだろう。
きっと、アーチャーやいつくんが言っていた、傷が治った魔術…の事だろうか。

「…そ、それは、知りたい…です」

知りたいに決まっている。
オレには覚えがないのだから。

「それに、あなた自身が忘却してしまったと
「思い込んでいる」記憶。

知りたくありませんか?」
「!…」

…なんで、そこまで知っているんだろう。
オレ、記憶が無いことは、友人やアーチャーにしか言ってないのに。

(知れる?
オレの過去を、知ることが、出来るのかな…

聖杯戦争に、参加すればってこと…?

でも、なんの関係があって…なぜ…)



目の前のヒトはニヤリと笑う。
楽しそうに。



「私は、


知っているんです。




前の聖杯戦争で

「ヒガンバナ」さんと知り合っていますから」


「 」






ガ ン

バナ








ー=ー===
ー=ー====ー== ー=ー

(逕溘″縺溘>豁サ縺ォ縺溘>闍ヲ縺励>蜉ゥ縺代※逞帙>霎帙>謔イ縺励>諤悶>逕溘″縺溘>)









「ーーーーーーーっっっっっっっつ」

断末魔が駆け巡った。
悲鳴が響いてる。
何番目だ。何番目だ。今は、どのくらいだ。

隣が赤く弾けた。
動けない。
最後の色は、何色だったか。
声も出せない。
その魂はどこへ。どこへ。


オレは俺はおれはおレはオれはオレは
オレはオれはおレはハレオおハレオワレおわれオワれとわれおわれ




オレは


誰だろう




嫌悪。



嫌悪、憎悪。





嫌悪嫌悪憎悪嫌悪寒悪嫌悪
憎悪哀愁恐怖嫌悪嫌痛覚悪嫌悪嫌悪嫌悪偽
物嫌悪嫌悪
嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪醜悪嫌悪嫌悪苦痛嫌悪嫌悪嫌悪悲劇嫌悪嫌悪悪
意嫌悪嫌悪嫌悪
嫌悪嫌悪嫌
悪嫌
悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌救済悪嫌悪嫌
悪利用嫌悪
嫌悪嫌悪嫌逃避悪悲鳴嫌悪嫌悪


嫌悪







ー=ー===

ー =ー====ー= =ー=ー




「っああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!」



頭が破裂するかのような衝撃だった。
立つこともままならず、
床に倒れこむ。
胃液がお腹から這い上がって、
頭の中に痛みと悲鳴が響き続ける。

(なんだ、あの記憶。
知らない。知らない。こんなの知らない)

「っマスター!?しっかりして!」

アーチャーの声が微かに聞こえた。
まだ頭痛が止まないけれど、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
息が上がり、汗が止まらない。
視界がぼやけているけれど、傍にアーチャーが居るのは分かった。

「…ぁ……ちゃぁ…」
「私が分かるわね。落ち着いて息をして」

背中を撫でるアーチャーの手が、暖かい。
深く深呼吸して、冷静さを取り戻す。


「…僕は、呉羽に「聖杯戦争」について教えてくれと言ったはずですよ。

地雷を掘り起こせ、とは、頼んでいません」


オレと烙さんの間に、いつくんが立っている。
烙さんの顔は見えない。けれど、さっきと変わらない声色なのは分かった。

「おやおや、申し訳ありませんねぇ。
衝撃が強すぎだようです。

でも、いかがです?
聖杯戦争に参加することは、あなたの過去を知る鍵なのは必然的です。

そうそう、あとは、
なぜ「友人」の彼が、あなたに敵意をむき出しにしているかも、その記憶が鍵になってくるんじゃないですかねえ」
「ーーーーっ………」

心臓が、どくんと、音を立てた。
「彼」の冷たい目を思い出して、また、
頭が痛くなる。

「烙さん!いい加減にしてくださいっ」

後ろから、カヴァリエールさんが大声をあげる。
さっきとは打って変わって、苛立ちを顕にしていた。

「そうだ!参加する理由のひとつになれるよう、
私がひとつ提案を致しましょう!」

監督が制止を呼びかけるも、
烙さんは構わず語り続ける。

「あなたが聖杯戦争に参加し、最後の一人になった暁には…
あなたの記憶の謎、
全て私がお教え致しましょう!

その後は、あなたの自由にすればいい。
その記憶に従い生きていくのか、
聖杯を使って、何もかもなかったことにするのも良いでしょう。

どうです?悪い話では無いと思いますよ」

息を切らしたまま、烙さんを見上げる。
笑顔を張りつけた、怖いくらいの笑顔。

(…信じて、いいのかな)

いや、信じるか信じないかじゃなくて、
オレが、この謎を知りたいか…なのかもしれない。

謎の魔術。
なくした記憶。
彼の怒りの理由。



(オレは…)



「…知り、たいです…」
「マスター…」


「オレが、聖杯戦争に、選ばれた理由も、
魔術が使える、理由も、
…きょーくんが、怒っている、理由も

きっと、忘れた記憶に、あるん、ですよね。

この、戦いに、参加すれば…
手がかりが、あるん、ですよね」

「だったら、逃げません。
役に立たないし、
戦いだって怖いし、
誰も殺したくないし…なんの力にもなれないけれど。

それでも、オレは知りたい。
そのためなら…、

勇気をだして、戦います」


その返答に、烙さんは笑顔で頷いた。


「参加の意志を確認しました。
これで問題ありませんね?監督」


少女の方へ視線を向けた。
カヴァリエールさんは、すこし目を鋭くして睨んでいる。


「…勝手なことをしないでください。
マスターの体に以上を招くようなこと、今後は禁止します」
「それはすみませんでした。では、私はこれで」


白衣をひらりと靡かせて、烙さんは教会の外へと消えていった。

「…マスター、立てる?」
「うん」

アーチャーの手を借りて、立ち上がる。
少し足が震えてしまうけれど、歩けないわけでは無さそうだ。


「呉羽。本当に申し訳ありません。
あなたのトラウマを揺さぶるようなことをしてしまって」


少女が深深と謝罪した。
その姿に何故か焦ってしまい、
オレは慌てて返答する。
見た目が小さいから、どうしても謝らせている気になってしまう。

「い、いえ!頭をあげてください!大丈夫です!
それに、オレの記憶の手がかりにもなりましたし…」
「もし、烙さんがなにかした場合は、直ぐに私に知らせてください。
その件は、できる限り力になりましょう」
「…ありがとうございます」

本当に心強いひとだ。
最初の無礼を、心の中で何回も謝罪する。

「では、我々はこれで失礼致します。
お忙しい中、本当にありがとうございました」

いつくんが礼を言うと、少女は、再びスカートを軽く持って、可憐にお辞儀する。

いつくんとアーチャーは、オレの歩幅に合わせてくれた。
そのままゆっくりと、教会の扉へ向かう。



「藤さんは、たしか…セイバーのマスターでしたね。

ふふ。
セイバーのマスターは、皆、礼儀正しいのでしょうか。

…彼は今、どうしているのでしょうね」



…………………




教会を出て、門へと歩く。
ずっと外で待っていたセイバーと合流した。

「呉羽…顔色が悪い様ですが、大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫だよ。ありがとう」

セイバーは少し困ったような笑顔で頷いた。
きっと、大丈夫には見えないんだろう。
…不甲斐ないなぁ。

「呉羽」

いつくんに声をかけられて、横を向いた。

「これでお前も1人のマスターだ。
一応、仮の共闘契約はここまでだな」
「あ…」


そっか。いつくんとの協力は、オレが教会でお話を聞くまで…だったっけ。
じゃあ、ここからは敵同士なのかな。


…でも、

「…いつくん」
「なんだ」


「…その、まだ………」






「見つけましたーーー!!ランサーサン!あの人たちですよ!
大注目陣営ですよ!」






元気な声だった。
この戦いにおいて、まるで合っていない無邪気な声。

「っマスター!!」

セイバーが、オレたちの前へ動く。
身にまとっていたスーツに、赤い炎を纏って、
あの夜に見た姿へと変わる。


セイバーが、赤い刃を構えた瞬間、
鉄同士が激しくぶつかる鈍い音が響き渡る。
何も無い場所から、突然現れたかのように、

赤い服を身にまとった男が現れた。

彼の槍の衝撃を受け止めたセイバーは、そのまま後ろへずり下がった。
男は高く飛び上がり、離れた場所にいるオレンジの女の子の隣へ降り立つ。

さっき、叫んだのは、あの子だろうか。

セイバーが反応したということは、さっきの男の人は、サーヴァント?
じゃあ、あの子は…マスター?


「お取り込み中すみません!
すみませんのついでに、
試しに一人ザシュッてしたいんですが、いいですか?」

手を挙げて、笑顔で恐ろしい宣言をする。
姿だけ見れば
先生に挙手をして発言するような、軽い表情。

逆に不気味ささえ感じる。

「セイバー。いけるか」
「はい」

いつくんの声に、セイバーはすぐに体勢を整える。


「マスター。絶対に私から離れないで。
あのランサー、只者じゃない」


アーチャーはオレに人声かけると、
オレを後ろへ隠す。
そのまま、淡い緑色の光が彼女を包み込み、
新緑のドレスのような姿が現れた。

手には、あの夜みた、大きな弓が握られている。
「アーチャー。手出しは無用です。
呉羽を守ることを最優先に」
「言われなくてもそうするわ。
協定はさっき終わったものね。
いっそ、ランサーに倒されてくれてもいいのよ?
貴方が敗北した瞬間、すぐさまマスターを連れて離脱するわ」
「ふふ、頼もしい」

セイバーが小さく笑うと、
再び赤い剣を構え直す。
大剣は炎の様に、真っ赤な光を放っていた。


「ではセイバーサンを腕試しですね!
気になっていたので、とてもワクワクします!

ランサーサン!ぶっ刺しちゃってください!」



その声を聞いて、ランサーは勢いよく飛びだした。
一筋の赤い光。
真っ直ぐにセイバーを捉えている。


「っ…」
「最優と呼ばれたクラスの実力、試させてもらう」

セイバーも、瞬時に反応し、刃で防衛する。
ランサーは留まることを知らず、何回も何回も、セイバーの心臓を貫こうと槍を突き立てる。
槍を持ち、戦う姿は洗練されている。
隙がひとつもない。
手も、足も、槍も、彼の思うままに動いている。

セイバーも、剣技が衰えている訳じゃない。
素人目から見ても、十分に食らいついている。
けれど、

「っ…ぐ…」

ランサーの方が優勢だった。
防ぐのが精一杯なのか、攻撃に転じることが出来ない。
長期戦になると、確実に不利だ。


「…。
その剣、お前に合っていないのでは無いか?」
「っ!…何を言っているのですか!」

攻撃の手を緩めないまま、ランサーが問う。
対処を遅らせることなく、セイバーは反論する。
今、ランサーは、「その剣が合っていない」と言った。
でも、そんなことない。
セイバーは、
十分に剣を使いこなしているはず。
今もこうやって、神速のようなランサーの槍に、その大剣で対応している。

なんで、そんなことを…
ランサーは、間違っている事を言っているとは
思っていないらしい。
槍の手を止めないまま、
セイバーに語り続ける。


「無理に、その大剣を使っているな。

お前には、
他に、「戦い慣れた武器」あるだろう?」


「っっっ…!!!」


ランサーが問いかけた瞬間、セイバーが驚きの顔をうかべ、動きが止まる。


隙が、生まれてしまった。


「刃を交え、命を奪うか奪われるかの時に、
「本気を出さない」とは、

愚かだな」



ランサーが、その隙を逃すはずがなかった。
その矛先は、セイバーの胸を捉え、



「っっがっ!!!
…ぁ………っっ!!!」

「っ…セイバーッッ!!」


赤い血飛沫と共に、刃がセイバーを貫いた。
口から大量に血を吐き出している。
思わず叫んでしまう。

無事なのか。助かるのか、セイバーは。


「セイバーと聞いて期待したが、この程度か」
「ランサーサン!トドメです!そこでトドメです!」

勢いよく槍を抜き出して、再び構えた。
セイバーは剣を地面に突き立て、倒れ込むのを、何とか堪えている。
でも、このままじゃ…!!


「Fang an. Folgen Sie den Anweisungen und führen Sie die Zielperson!」


隣にいたいつくんが、聞きなれない言葉で声を上げる。
その瞬間、セイバーは淡い光に包まれた。

「…!」

ランサーが槍を振り下ろした時には、もうセイバーの実体は無く、すり抜けていた。
そのままセイバーは空間へ掻き消え、その場から離脱した。


「…す、凄い!やばいですね!
なんですか今の!セイバーサンのマスターサンの仕業ですか!?」

ランサーのマスターは、新しい物を発見した子供のように飛び跳ねている。
いつくんは、ランサーのマスターに惑わされず、静かにその場を見据えていた。


「…生憎、僕は石橋を叩いて渡るんですよ。
セイバーに死なれては困りますので」
「事前に離脱手段作っていたってことですかー。いいなぁいいなー!カキハラも今度やって見たいなー!」


いつくんの言葉は、
さっきのカヴァリエールさんの時とは、また違う、
「敵」に向けたような冷徹な声。


「マスター。まだ1人も殺していない」
「分かってますよ!ランサーサンのマスターですからね!なんでも知ってますよ!

それにしてもー…あなたはどうするんですか?
マスターだけじゃ非力では?」
「ご心配なく。僕は純粋な戦闘において、
非力ではありますが、
それを補う技術は持ち合わせていますので」
「なるほどなるほど!では容赦なくさせていただきますね!
ランサーサン!次はあの大きいお兄さんですよ!」


ランサーは、標準をいつくんへ定める。
彼は動かない。


「Teile den Schatten........」

いつくんは冷静に魔術を行うための詠唱を始める。
でも、ランサーの槍は…


「っ…」


彼の詠唱を待たずして、ランサーは地面を蹴った。
真っ直ぐに、彼へと向かっていく。

(嫌な光景が浮かぶ)


その槍が、彼の心臓を突き刺し、
何もかも手遅れになった瞬間。


もしかしたら、
間に合わないかもしれない。


そう思ったら、

いてもたってもいられなくて



「いつくん!!!」



体が動いた。
アーチャーの後ろから飛び出して、いつくんの前へと飛び出す。

「マスターっ!?」




アーチャーが手を伸ばすけれど、オレには届かない。

いつくんは、オレを見て驚愕の顔をする。

ランサーは、表情を変えずに、オレへと矛先定め直した。



その全てが、スローモーションに見える。


(…あぁ、もしかしてこれ)



(走馬灯、ってやつなのかも)




次には、


体の全ての信号が切れた。






ーーーーーーーー
(アーチャーside)






「マスタぁッッ!!」


手は届かなかった。
マスターはランサーの目の前に飛び出し、そのまま心臓を貫かれた。
淡い黄色の上着が、真っ赤な血の色で染っていく。


「…定めていた標的を変えるのは、これで2度目か。
簡単に命を投げ捨てる奴が多い」


マスターから軽々と槍を抜き、血を払う。
倒れ込んだマスターに、慌てて駆け寄った。

抱き起こしても、ピクリとも動かない。
さっきまで輝いていた目は、黒く濁り、生気を感じない。
私の服に、地面に、
血溜まりが拡がっていく。

ランサーは私たちから離れ、マスターの元へと歩いて帰っていった。


「1人殺したな。もう俺は用はない」
「一人殺し縛りが面倒くさいですねー。
ていうか赤い方殺しちゃっていいんですかねー…
ま、いいってことにしましょう!
敵陣視察も終わったことですし、帰りましょうか!」


ランサーのマスターが指を鳴らす。
瞬間、風が強く吹き荒れる。
思わず目を瞑ってしまう。


(…!相手は…!)


すぐさま目を開け、当たりを確認する。
…居ない。
ランサー陣営の姿は、綺麗に無くなっていた。

「…」


セイバーのマスターは、こちらを見つめて動かない。
どういう気持ちなのか。どういう顔なのか。

どんな形であれ、自分を庇い、深手をおってしまった彼に対して。


「マス……」


もう一度呼びかけようとした。
その時だった。


「…っ!」


マスターの全身から、青い模様が浮かび上がった。
刻まれているような刻印。

手にも、足にも、顔にも光り、浮かび上がる。


「…呉羽?何が…」
「召喚した時に見たものと、同じ…」

セイバーのマスターも近寄り、様子を伺う。

模様は青白く光り続け、マスターの体を照らす。


「…っ!!」


刻印が浮かび始めて、しばらくした後だった。
マスターの胸に空いていた大きな穴は、みるみるうちに塞がっていく。
自然と目は閉じていき、顔色もほんのり赤みが戻ってきた。
抱き上げている腕に、身体の温もりが戻ってくる。
恐る恐る、片手を首に当ててみる。


…脈が、戻っていた。


唖然とする。
マスターは、ほぼ死亡した状態。
そこから、体に刻まれた刻印によって、
回復したんだ。


「あの時、傷が治ったのも…こういう事だったのね」
「…」

セイバーのマスターは、深く考え込む。
私は、マスターの顔を見守る。

刻印の光が弱まっていき、肌に溶け込んでいく。
もとの体に戻った後、
マスターの瞼が、微かに動いた。





ーーーーーーーーーー
(呉羽side)






そう。


オレは、これを…。


でも、


なんのために…









「マスター…マスター?」


ぼんやりと意識が戻ってくる。
青い髪と、赤い瞳が目に入る。
アーチャーだ。
段々と、意識がはっきりとしてきた。

「…アーチャー?オレ、一体…」

上半身を起こして、辺りを見渡す。
いつくんとアーチャーと、オレだけ。
少し手が地面に触れると、
べチョリとした感覚があった。

「…っひぃ!?」

ビックリして、思わず声を上げる。
自分が座っていた真下には、大きな血溜まりが広がっていた。
よく見たら、セーターも血だらけなんだけど!?
もしかして、この血ってオレの!?
な、な、なんで生きてるの!?


「オレ、一体…」


頭を整理してみる。

たしか、教会を出てから、
そう、女の子と、ランサーがいて、
セイバーが戦って…


「っ!!そうだ!ランサーは!?」


さっき見渡した時はいなかった。
てことは、どこかへ消えてしまった…?
ていうか、
オレ、一体何してたんだ…?


「…マスター…なんともない?」
「え?」


いつくんとアーチャーの顔を見ると、2人とも驚きや、戸惑い、驚愕の表情をが混ざっていた。

「な、なんともないけど…何があったの?」

申し訳ないけど、記憶がふわふわして覚えていない。
アーチャーは、ため息をついて話した。



「あなた、1回死んでいるようなものなのよ」







ーーーーーーー
(桔梗side)






「…っ…」


壁に寄りかかる。
昨日、バーサーカーを動かしすぎたか。
魔力不足が否めない。

「結局、失敗作ってことか…」

ムカつく。腹が立つ。
粗方、報復はしたけれど、
まだあいつを殺していない。

まだ、俺は、死ぬ訳には行かない。


「マスター。魔力供給が十分でありません。
このままでは」
「…分かってる」


指摘されるまでもない。
バーサーカーを扱うには、かなりの魔力がいる。
バーサーカーを召喚したマスターは、
その魔力量に耐えきれず、脱落したというのがほとんどだ。

…俺は、そんな間抜けなことはしたくない。
そう、魔力が足りないのなら、足せばいい。
かといえ、自分の魔力を追加で与えても、
自分が動けなくなって、本末転倒だ。
どうせなら、盛大に補給したい。


たとえば、そう
バーサーカーを召喚した、あの夜のように。




(場所は…そうだ。

せっかくなら、あそこがいい)


(潰すなら、幸せな場所がいい)




「バーサーカー、また、ご馳走を用意しようか。

俺にとっても、お前にとっても、
最高の夕餉になると思うよ」






ーーーーーーーーー
(呉羽side)






とにかく、1度いつくんの家へと戻った。
再び、体に異常がないかを調べてくれたけど、
やっぱりどこも正常らしい。


「俺の予想でしかないが、
お前の体には、魔術刻印が刻まれてるんじゃないのか」


いつくんな、ソファに座りながら話してくれた。
オレも、対面のソファに腰掛ける。隣にはアーチャーがいる。
セイバーは、どうやら治療中らしく、
この場にはいないとのこと。

「魔術…刻印?」
「魔術師が、代々受け継ぐ遺産…と言った方がいいかな。
その家の全てが詰まっているんだ。
研究し、昇華し、高めていく産物。
体に刻み込む詠唱…魔術書…かな。
基本的、代々魔術師の当主が伝達していく。

詠唱する必要はなく、魔力を通せば発動するものでもある。
お前のは、「体に傷を負った時、起動して元通りにする」ものなんじゃないか。
ほぼ不死身に近いと思う」

「そもそも、魔術師の家系で無いはずのお前が、
持っていること自体おかしいんだけどな」
「やっぱり、その謎も、忘れた記憶にあるんだね…」

いつくんに言われ、思わず自分の手のひらを見る。

(…全く実感がない)

死にかけたことすら、曖昧なんだ。
本当に、生き返った、のかな?

「いつくんは、その…まじゅつこくいん…
ていうの、あるの?」
「…。

あるよ。引き継げたんだ」


生憎な
小さく、そう聞こえた気がした。
その意味を問おうとした時に、アーチャーが口を開いた。


「マスター。今の学校と、中学の頃の記憶はあるのよね。
その範囲で構わないわ。
昔は、どうだったの?傷は直ぐに治ったの?」


アーチャーが隣から問いただす。
そっか。その頃からあるのなら、
傷の治りで判断できるもんね。

なにか、なかったかな。
高校は、そんな大きな怪我したこと無かったし、

中学は確か…
中学は……


たし、か……




「あ、あれ?」




そう、中学までは、覚えていたはずなんだ。
高校入学より、前のこと…。


そう、前の…こと。


前?



「えっと…中学の、頃…」
「マスター…?…どうしたの?」



「わ、わかんない…。
覚えていたはずなのに…今、全く思い出せない…。
高校入学より前のことは、何にも…」


おかしい。
昨日までは覚えていたはずなんだ!
でも、今は、
入学式よりも前のことが、すっぽりと抜けている。
思い出そうとしても、何も浮かばない。
なんで…?


「これも俺の勝手な推測だが、
超人的な回復力の代わりに、その刻印は代償を請求しているんじゃないのか。

例えば、…記憶、とか」
「…」


回復した代わりに、記憶を奪う。
それなら、今オレが、
昨日まで覚えていたことを思い出せないのは、この魔術が発動したことがあるから…とも取れる。

いつくんは立ち上がり、壁際にあった箪笥の1段目を開ける。


「便利な物だが、乱用すると、全ての記憶を失う危険性もある。
多用するのは辞めておけ」


1段目の中を漁りながら、いつくんは忠告した。
…全部の記憶を忘れるのは、確かに嫌かも。
忘れたくないことだってあるんだし。

(…いや、むしろ、忘れちゃダメなことを無くしているのかな)


「あった。しばらくはこれをつけてろ」


何かを探しあてたいつくんは、オレの元へ歩いてくる。

手に持っていたのは、赤色のブレスレットのようなもの。
腕を出せと言われたので、大人しく差し出す。


「お前の体に魔力が流れるのを止めるんだ。
刻印に魔力が流れるのを防ぐ。
あくまでお前の体に流れるのを止めるだけであって、
アーチャーとの魔力のパスは止められないはずだ。
刻印関係なく、魔術は使えなくなるが…
お前は問題ないな」
「そんなものがあるんだね…いつくんが作ったの?」
「…小さい頃、成り行きで作ったんだよ。
全身に術式が流れる。
体に異物が入りこむから、
多分、少し痛いぞ」


パチン、とブレスレットの留め具が鳴り、
腕に密着したことを告げる。
瞬間、
ビリッとした痺れが全身を巡った。


「!!…った…」


確かに痛い…けど、我慢できないものじゃない。


「…これで、あの魔術は使えないの?」
「恐らくな」


いつくんは再び、向かいのソファに座り、オレと向き合った。


「一つだけ言いたい」
「な、何かな」




「なんでお前はあの時、オレを庇ったんだ」



あの時。
きっと、ランサーとのことだろうか。
咄嗟に取ってしまった行動。

目の前のいつくんは、
少し苛立っているように見えた。


「正直、驚いたし、呆れもした。
俺達は敵同士でもある。
それに、マスターは簡単に命を投げ出すようなことをするべきじゃない」

「それについては同意見よ」と、隣のアーチャーが頷いた。
…まあ、確かに無謀だった。
何も出来ないオレが突っ込んでも、
殺されることは目に見えていたから。
だからこそ、余計にオレの行動が謎だったのかもしれない。


「…そうだね。勝手な行動をしてごめんなさい。
ただ…。

目の前で、…とも……。
知り合いが、死ぬのは…嫌だなって、思ったら、思わず…」

「…」
「本当に、それだけなんだよ…。
迷惑かけたのは、ごめん」


何となく居ずらくて、視線を下げてしまう。
その返答を聞いて、いつくんは、
大きく、深くため息をついた。


「はぁぁ…

まあいい。今度からそういうのは辞めておけ。
あと、

共闘の話なんだが、
もうしばらく手を組まないか」



えっ…と、顔を上げる。
いつくんは、いつも通りの冷静な顔。
オレばっかりが慌てたり驚いたりしてるようで、少し恥ずかしい。


「個人的に、お前の魔術刻印にも興味があるし、
礼装を貸しているから、経過も見ておきたい。
それに、ランサーの件で、借りができたことには変わりないしな。

お前が嫌なら無理にとは言わないが、どうする?」


いつくんから、もう一度協力の話が出てくるなんて。
答えはもちろん決まってる。



「こ、こっちこそお願いします!」



こうして、オレといつくんの共闘は、もう少し続くことになった。




……………………………





共闘記念に、いつくんからコーヒーを入れてもらった。
協力する間は、この家に居てもいいらしい。
1人は危ないから(簡単に殺されそうだから)、とのこと。


「そういえば、セイバーは大丈夫なの?けっこう経ってるけど」
「問題ない。あいつは意外としぶといやつだったよ」

生きてるってことでいいのかな…。
いつくんの左手に、まだ令呪が光ってるから、間違いないだろう。

「ランサーが、「セイバーは合っていない武器を使っている」って言ってたよね。
どういうことなんだろう」
「…。

セイバーだけじゃないが、ランサーやアーチャーは、武器自体が「宝具」だという事が多い。
あいつはそうでは無いのかもしれない。

ランサーの言っている事が間違っている…ということも考えられるが
多分正解だろう」
「やっぱり…?」
「武術に長けているサーヴァントであるのなら、
見抜かれてもおかしくない。
正解ならば、セイバーは何故本気を出さないのか。
体に合わない武器を使うサーヴァントなど、聞いたことがない」

もしかして、ちょっと怒ってるかな。
いつくん。
まあ、その結果、ランサーの槍で射抜かれてしまったのだから、
仕方ない…のかも。

(合ってない…としても、
セイバーの動きは、本当に凄かったけどなぁ…。

あれ以上があるのなら、
セイバーは、一体、どれだけ強いんだろう)


ふと、アーチャーが思い浮かんだ。
彼女は弓使っていた。
アーチャーも、セイバーと同じ…という訳では無いと思うけど。

(…アーチャーのこと、全然知らないや。
いつか、教えて貰えるのかな)

ちなみに、
当本人のアーチャーは、この家の周りを見張りに行くと出ていった。

(働き者だ…。
すごいなぁ、アーチャー)



コーヒーに口をつけていると、スマホに着信が入った。

相手は…心幸さん?
コーヒーを置いて、通話ボタンを押す。


「もしもし?」
「呉羽か?悪い、今日の夕方くらいから空いてるか?
今日シフトだった奴が、家族が倒れたみたいでな。
俺も、夕方以降は難しくて」
「なるほど…ちょっと待ってくださいね」

保留ボタンを押して、いつくん達に声をかける。


「あのさ、バイト先から、夕方から空いてないかって聞かれたんだけど」
「断れないのか?」
「困ってるみたいだから、出来れば助けてあげたいな…」

ソファに掛けて、コーヒーを飲んでいたいつくんは、ふむ…と考え込む。

「駅前だったよな。
人が完全に居ない…という訳でもないか。
近くに必ずアーチャーを置け」

こくりと頷いて、再び通話ボタンを押す。

「お待たせしました心幸さん。夕方から大丈夫です」
「良かった。じゃあ待ってるな。お礼と言ってはなんだが、次出勤した時、賄いなんでも作ってやるよ」
「やった!楽しみにしてますね!」

そう伝えて、通話を切り上げた。
バイトの制服等は、全部お店のロッカーに置いてきているので、このままでも向かえる。

「今から行くのか?」
「うん。ここからだと、少し時間かかっちゃうから…
いつくんはずっと家にいるの?」
「いや、俺は後で学校に向かう。
防犯魔術をかけ直したいし、お前が召喚した場所を、もう一度見ておきたい」


分かった、と頷く。
いつくんは1人で大丈夫なのかな…と思ったけど、オレより全然強いから、きっと何とかなるんだろう。
いや、何とかなるからこそ、1人行動ができるのかもしれない。

これが自信のある男。






ーーーーーーーーー
(心幸side)






呉羽が夕方から来てくれるなら、安心して帰れそうだ。
スマートフォンの電源切って、エプロンのポケットに入れる。


「ごめんなさい柴野さん」

今日のシフトに入っていたやつが、申し訳なさそうに誤る。
そんなに気を負う必要も無いのにな。

「良いんだよ。家族の方が大事だろ。
早く行ってやれ」
「…ありがとうございます」

深々と頭を下げて、従業員スペースへと消えていった。


(俺だって、はしらが倒れたら、そっちを優先するしな)


店内に飾られた時計を見る。
時刻は午後4時半頃。

店の客は相変わらず、満席には程遠い。
が、その分リピーターは多い。
今日も顔見知りばかりだ。

「呉羽に今度、お礼しなきゃな」

賄いも豪華にしよう。
何がいいかな。

「今日は、はしらにも何か買ってやらないとな。
奮発してケーキでも持って帰ろうかな」

手土産を考えながら、注文の料理を片付ける。
まずはサラダから。

(朝出る時は、まだぐっすり寝てたな。
家を出る挨拶が出来なかったけれど、起こすのも忍びなかったしな。
少しは休まるといいが)

その次にフレンチトーストの用意。
そうだな。せめて呉羽が来た時、いつでも食べられるように、パスタ位は作ってやるか。
茹でるのに8分は必要だが…まあ、片手間にすればいい。
呉羽が来るであろう、ちょっと前に茹で始めるか。



(帰ったら、はしらにも、作ってやらないとな)

(あいつは、大人ぶってるけれど。

何だかんだ、子供っぽい食べ物が好きだもんな)






ーーーーーーーーー
(呉羽side)






簡単に荷物をまとめて、いつくんに挨拶をして、家を出る。

「アーチャー、ということで、よろしくね」
小さな声で、霊体となっているアーチャーに声をかけた。

返事はないけれど、傍に居てくれるのが何となくわかる。

(とても心強い…)

安心して、バイト先へと歩み進める。



(…あれ?)


しばらくすると、目の前に、
1人の少年がたっていた。
見たことがない。
薄紫色の髪をした少年。
傍には猫が擦り寄っている。

知り合い、では無いと思うから、
彼を避けて歩もうとした。
その時だった。




「はじめまして。
いえ、お久しぶりですかね。



ヒガンバナさん」





ーーーーーーーー
(樹side)






呉羽はバイトに行ってしまったけれど、まあ、アーチャーがそばに居るなら大丈夫だろう。
1人なら大問題だが。

「…」

目的の学校につき、門に手をかける。
ガシャンという音と共に、侵入者を拒んでいる。


「そういえば、今日も午前までだっか。
…けれど、
部活も無いなんて、何かあったのか?
強制的に下校でもさせられたか」


鍵に手をかざし、小さく詠唱する。

「Lassen Sie den Schlüssel los, der mich ablehnt」

すぐさま、大きな南京錠は己の鍵を外し、地面にぼたりとおちた。


「誰か生徒が、事件にでも巻き込まれたのか?」


鍵は帰りに、元通り付ければいい。
外すよりは簡単だ。

校内に入り、グラウンドに向かう。
ただただ、広々としたこの場所は落ち着かない。

「呉羽が召喚したのは、この辺りか」


グラウンドの少し端。
今は魔法陣は浮かんでいない。
呉羽の血が地面に流れ、魔法陣まで届いて、やっと起動したんだろう。
怪我をしたのが、不幸中の幸いだったのか。


(今回、事前に誰かが用意していた、とは考えにくい。
なら、前の聖杯戦争の産物か?

…前回の、聖杯戦争…)


正直、前の戦いのことはよくは知らない。
この街で起きたとは聞いているが、それだけだ。
何故か、情報が少なすぎる。


(気になる。勘だが。
前の戦いのこと、それに、あいつの記憶も。
そして…)


あの包帯男。
胡散臭いことこの上ないのは分かりきっているが
それ以上に、何かを企んでいそうで恐ろしい。


(…監督役は信用してもいいだろうが、あいつは要注意…か。
前の聖杯戦争についても、
探りを入れてみてもいいかもしれないな。)

魔法陣の件は、もうこのくらいでいいだろう。


(あとは、防犯魔術のかけ直しか。
校内の物も、念の為に確認するか)


防犯魔術は、グラウンドの中央と、校舎の屋上につけている。


まさに、石橋を叩いて渡る、か。




ーーーーーーーー



「…マスター。本当にいいの?」


「いいの。やるって決めたんだから。
ライダーは、見守ってて」

「危なくなったら、ちゃんと助けを求めてね?」

「大丈夫。その時はちゃんと頼る」

「でも、できる限りは、
ケジメとして」

「私が、直接やりたい」



「もう、彼は、

家族じゃないんだから」



ーーーーーーーー



「…」


コツンコツンと、階段を上がる音が響く。
それは、俺1人分の音のはず。

(…これで尾行してるつもりなのか)

4階にたどり着き、くるりと後ろを向いた。
当然、階段の下には、誰の姿もない。

姿は見えないが、
気配は感じる。



「僕は昔から、人一倍気配には敏感なんですよ。
出てきたらどうですか?」



何も無い場所へ、問いかける。
観念したのか、影から犯人がやってきた。

その人は下から俺を真っ直ぐ見上げて、
ハッキリと「敵意」を持っていた。

「…暫くは、全生徒、
部活禁止、居残り禁止で、即下校が義務付けられたんだよ。
1年の女子生徒が、
昨日から行方不明らしくてね。
事件の可能性もあるからって」
「そうですか。それは知りませんでした」
「でも、あなたはここにいる。
目的はきっと、
聖杯戦争に、関することなんでしょ?」
「だとしたら、どうするんです?」

彼女は大きく息を吸って、吐く。
雑談しに来た訳では無いだろう。
俺が1人の時に、人気のない場所に来た時に、
仕掛けてきたんだ。
タダで返してくれるわけが無いだろう。



「あなたをここで倒さないと、きっと私は先に進めない。願いを叶えるために」

「そうですか。まあ、こちらも簡単に倒されたりはしませんけれどね

結城先輩」


結城先輩は、俺が発言を終えたと同時に、1歩目を、力強く踏み出した。
そのまま俺に向かって、もう一歩踏み出す。

(…まさか本人から突っ込んでくる…つもりか?)
(サーヴァントはどこだ?潜んでいるのか?)

1歩近づく事に、俺も1歩下がる。


正直、肉弾戦は得意ではない。
苦手なことを、無理やりする必要も無い。

ならば、回避するまでのこと。

直接戦うことだけじゃない。

相手を翻弄することも、戦略のひとつだ。





ーーーーーーーーー
(夕輝side)






「Teile den Schatten. Haben Sie ein falsches Aussehen und spielen Sie mit Ihrem Gegner」


彼がその言葉を発したあと、
数秒、空間に溶け込んだ。

忽然と、姿を消したんだ。


「っ!…何処に」

居場所を探す。
まだ遠くにはいないはず。

「…っ」

カンカンと、廊下を蹴る音が背後から聞こえた。
すぐさま振り返る。

彼の姿が、見えた。


「っ…そこ!!」

逃がしはしない、と、廊下を走り出す。
そのまま彼と距離を詰めていき…

左足で思い切り、地面を蹴って、飛んだ。
空中で左足を軸に、右回転する。

その勢いに乗せて、右足を、彼の脇腹目掛けて蹴り入れた。
もちろん、
肋を、何本か折る気持ちで。


「っ!!!」

しかし、思い描いていた感触は来なかった。
彼に右足が触れた途端、その姿はグニャリと歪み、
そのまま黒い煙となって消えていく。

何とか尻もちをつかずに、地面に着地する。
もう、その場には、何も残っていなかった。

「…そうだね。魔術師、だもんね」

私はそういうことに詳しくはない。
だから、魔術で対抗したり、見破ったりすることは不可能だと思う。
出来ることといえば、こうやって、直接攻撃して、確かめるくらい。

また、再び足音が聞こえる。

「っ…今度は階段の方!」

来た道をもどり、階段を見下ろすと、
彼はこちらに気づき、私を見上げていた。
さっきと入れ替わったような形。

「っ…今度こそ!!」

階段の縁から、勢いよく飛び上がる。

(首に入れる…っ)

落下する勢いに体を乗せる。
右腕を構え、彼の首にヒットするように標準を定める。
いわゆる、ラリアット。

「ってうわぁあ!?」

狙いは決まった、確実に入った。
…本体だったら。
またもや、触れた瞬間、体は掻き消えて、黒い煙と化した。

勢いが止まらない体は、そのまま地面に衝突する。
ころんと一回転し、逆立ちが失敗したような姿で、壁によりかかっていた。
咄嗟に頭を庇ったので、
激突したけれど、何とか無傷だった。
痛いのは痛い。


「いったた…これもハズレ…なんだか遊びれてる気がするんだけど…」


体制を立て直して、立ち上がる。
悩んでも仕方ない。やると決めたからには、
やり遂げないと。

「っ!
今度は下!」

下の階で、彼が右に走っていく姿を捉えた。
慌てて階段をおりて、追いかける。

「っ!」

目の前の彼を追いかけている時、後ろから別の足音が聞こえる。
振り向くと、廊下を歩いているもう1人の彼がいた。
もちろん、今追いかけている彼も、まだそこに存在している。

ふと、そばにある教室にも目を向けてみる。
中には、窓際に、ただ立っている彼がいた。

「…ッッ」

左の窓から、グラウンドを軽く見下ろす。
小さくて、はっきりとは見えないけれど、
おそらく中央。
そこにも、いる。

「…っキリないよ。こんなの…」

どうする。私一人では叶わないのかもしれない。
彼は優秀な魔術師なんだ。
だから…


「…!ライダー。
すぐそばに居る?」
「いるよ、マスター!」


隣から、霊体という、透明な状態を解いて現れるライダー。
魔術に対抗手段がないのだから、もう、サーヴァントである彼女に、協力をお願いするしかない。

「お願いライダー。力を貸して欲しい。
分身しているみたいで、本物がどれか分からないんだよ」
「なるほどなるほど…
じゃあ!一気に攻撃しよっか!
そうすれば1発だ!」

ライダーはそう言うと、腰に着けていた変わった筒のようなものを取りだした。
…もしかして、笛?


「あ、マスター。
耳はしっかり塞いでいて。

結構、きついと思うから」


言われたとおり、耳を塞ぐ。
音で攻撃するようなものなのかな?


「本物は、どーれだ!
耳塞いだ方がいいかもよ?
この笛はー、結構恐ろしいから!

恐慌呼び起こせし魔笛
(ラ・ブラック・ルナ)!!」


笛を構えた途端、その筒は、彼女を囲えるほどに大きく変化した。
息を大きく吸い込み、ライダー、
その笛を、思い切り鳴らし始めた。


「ーーっ……!!」


重低音が空気に振動し、窓ガラスも大きく揺れている。
ただ音が大きいだけじゃない。聴覚を奪い、
冷静さを欠けさせるような、不協和音。
耳をちゃんと塞いでいても、こうなってしまう。
精神にも異常をきたし、さらには音波で攻撃もできる兵器。
そんなものを、目の前の華奢な女の子が吹いているのか。

これが、サーヴァント。


あまり音を聞かないようにしながら、当たりを見渡す。
後ろにいた彼は、その音が聞こえ出した時に、黒い煙となって掻き消えた。

教室にいた彼も、跡形もなく消えていく。

グラウンドの彼も、おそらく消滅しただろう。姿が見当たらない。


(…ってことは!)

目の前にいるのが、本物!
耳を塞いで、少し苦しそうに顔を顰めている。
真っ直ぐ立てないのか、窓ガラスに寄りかかり、何とか体制を保っているようだった。

(よし、このまま!)

このまま行けば、彼を倒せるかもしれない。
1歩、踏み出そうとした時だった。


笛の音が強すぎたのか、
窓ガラスが衝撃に耐えきれず、
ピシピシとヒビが入っていく。


(ーーーーあ、まず)


思考が追いつかない。
廊下のガラスはそのまま、綺麗に砕け散ってしまった。

割れたのだから

ガラスに寄りかかっていた彼は、どうなるのか。


「っ!!」
「っやば、やりすぎた」


ライダーは笛から口を離し、音を止めた。
体に巻きついていた笛は、すぐさま大きさを縮め、
元の腰にぶら下げるサイズに戻っている。


抑えていた耳を離し、彼の元へ駆け出した。


この音の中、対策も魔術も出来なかったのか。


彼はそのまま、
もたれかかっていた方へと、倒れ込む。


だめだよ、そっち側は、
何も無いんだよ。
ここは、3階、だから、
このままじゃ







「樹ッ!危ない!!」





ーーーーーーーーー
(樹side)






なんだあの笛の音色。耳がおかしくなりそうだ。
笛が呪いの産物か、サーヴァントが絶望的に下手か、どっちなんじゃないか。
ガラスも耐えきれず全部割れてしまった。
体に力が入らず、
支えてくれていたものが壊れてしまうと、
そのまま倒れていくしか出来ない。
おかしな音色のせいで思考を奪われ、魔術を使用することも出来なかった。

体が窓の縁をのりあげて、地面から足が離れる。


(…あぁ、落ちる)


頭に一瞬、不愉快な浮遊感が漂った。
景色は、廊下の天井から、夜が見え始めた夕暮れの空となり、
逆さまの地上へと変わる。

視界の端に映った、校舎に付けられた時計。
ちょうど、6時を指し、暗やみの訪れを告げていた。

(…そうか、ランサーの時から、3時間は経っているか。
正しくは、2時間57分43秒)

地面が迫る。
景色が流れる。
妙に、スローモーションに見えた。

(もう、そろそろいいか)

なんとか、間に合ったか。
まだ、ここで死ぬ訳には行かないからな。
これでもう、令呪は使えないが、
死ぬよりはマシだ。
目を瞑り、静かに、唱えた。






「こい、セイバー」

左手が、眩い赤い光を放った。







次の時には、景色は正常に戻っていた。
上には星がポツポツと光る空に、
下は明かりが灯り始めた街並み。

視界に映る、美しい金色の髪。


「マスター!ご無事ですか?
なぜあんな所から飛び降りたのです?
ご自身が丈夫でないことは、あなたが一番よく知っているでしょう」
「もっと他に担ぎ方は無いのか」


地面に落下する前に、セイバーは俺を受け止めた。
そのまま地面に着地する。
…何故か、肩に担がれるような形になっていた。
せめて前向きに担いでくれ。後ろしか見えん。


「あなた身長が高いので無理です。
…行きますよ」

セイバーはそのまま、校舎へ背をつける。
何してんだ。行くわけないだろ。
今の状況を、簡単に説明する。


「待て。中にライダー陣営がいる。
マスターも優秀な魔術師という訳でもない。
チャンスだ。
迎え撃て、セイバー」


セイバーは動かない。
「ライダー」という言葉に、少しだけ反応した素振りを見せる。


「…昨日の夜に、お会いした方、ですよね」
「あぁ。あの隣にいた娘がサーヴァントだ」
「分かりました」


了承の言葉を吐いたセイバーは




そのまま飛び上がり、校舎から離れていく。
もう一度言おう。

迎え撃てと言ったのに、
離れていった。




「セイバー!?」
「…」


俺の声を聞かず、セイバーはどこか…おそらく俺の家の方角へと向かった。


(くそ…令呪はもう使えない。
魔術も、セイバー相手では…無意味か。

…仕方ない)


後で文句を山ほど言ってやる。







ーーーーーーーーー
(夕輝side)






間に合わなかった…!!!

彼が落ちていった窓から身を乗り出し、様子を伺う。

「!…サーヴァント…?」

赤い衣を纏った、金髪のサーヴァントが、
彼を抱えて遠くへ飛び去っていった。


「…」

あ。

安心、してしまった。



私、彼を、

樹を倒そうとしたのに、
助かって、安心してしまった。


膝から崩れ落ちて、
項垂れる。

「…こんなんじゃ、全然、だめだなぁ」



それにしても、
さっきのサーヴァント。
なぜ、ここに来たのに、
私達と戦わなかったんだろう。


それに、あの、金色の髪…


あることが思い当たり、
ライダーの方を向く。

「ねえ、ライダー。
さっきの、見えた?」
「セイバーのこと?」
「うん。
どんな見た目してたか、分かる?」
「んっとねー。
赤いドレスみたいな鎧でー、
金髪の短い髪に、
青い目だったよ!
男の子か女の子かわかんなかった!
そういえば、夜に出会った時は、スーツ着てたっけ」
「…そっか」


見間違いではなかった。
いや、でも、
思いこみすぎ、なのかな。


「あの時は…暗くて、顔が見えなくて、気の所為だと思っていたけど…」


脳裏に浮かぶ。


「…まさか…。

そんなわけ、ない…よね?」





ーーーーーーーー
(樹side)





「セイバー!なぜ逃げたんだ。
俺は応戦しろと言った」

俺の家の前につき、セイバーが俺を下ろす。
すぐさまセイバーに問いをぶつけた。

目の前の奴は、思い詰めたような顔をして、小さな声で、反論した。




「ライダー陣営…あのマスターと、あなたが戦う所など…
…見たく、なかったんです」




ーーーー………っ

行けない。頭に血が上りそうだった。
冷静になれ。感情に身を任せるな。


「お前は聖杯戦争を遊びか何かと思っているのか?
聖杯に選ばれた英霊なんだろう」
「そうです。
ですけれど、
この考えに至ったのは、
あなたのことを思っているからです!」
「俺のためを思うなら、あの時指示に従うべきじゃないのか」
「…っしかし!」
「呉羽が言うならまだしも…
輝かしい功績があるはずのサーヴァントから、そんなことを聞くとは思わなかった。
正直、呆れたぞ。セイバー」



「マスターはそれでいいのですかッッ!!」



セイバーの叫び声。
少し驚いた。
声を荒らげたのは、初めてかもしれない。


「貴方はあのマスターと、浅くない関係のはずでしょう!?
殺し合わなければならない状況になっているのに…
なぜそうも冷静で居られるのですか!

あなたに、情はないのですかっ!!」



怒りと悲しみの声がする。




情か。

情と、来たか。





「あるわけないだろ。
俺は魔術師だぞ。

お前がどこまで知っているのか、
興味はないが…

そんなことで、俺は殺す事を躊躇ったりはしない」



「ーーーー…………」



セイバーは、唇を噛んで、何かをこらえていた。
少し俯いていて、前髪で瞳が見えない。



「…マスターは、ただ、
感情の起伏が小さい、堅物マスターなだけだと思っていました」

「けれど、あなたは
もう、とっくに、
人の心がないのですね」



顔を上げたセイバーの目は、

見下している訳でもないい。
哀れみと、

同情を含んでいるようだった。


(…なんで、お前にそんな目を
されなきゃならないんだ)


「どう思おうがお前の勝手だ。
契約解除でもするつもりか?」
「マスターが望むなら、それもいいのかもしれませんね。

…いえ、すみません。
少し頭を冷やします」


そう言い残し、セイバーは霊体となって消えた。
家の前で、1人残される。


(…)


同調もしない。
同情もくだらない。
ひと時の感情に揺れ動くようでは

魔術師として、冷徹な判断を下せないだろう。




「それが出来たから…。


捨てることが出来たから、

俺は、
この家の魔術師になれたんだ」




ーーーーーーーーーー
(セイバーside)






「…」

どうか、僕のようになって欲しくない。

きっと、気付かぬうちに、大切なものを失ってしまっている。

そんな思いを、他の誰かにはして欲しくない。


「もし、あの時、心の従うままに、
動いていたなら」

「情など下らないと、
閉じこもる事など、しなければ」

「彼女は、
巻き込まれなかったんでしょうか」

「…ねえ、あの時の僕を、あなたはどう思っていたんですか」

「使命だけを優先して、大切な物も、人も無くした僕を」

「どう思っていたんですか」


その問いに答える声はない。
あるはずがないんだ。


「街並みは、昔も変わらないのに。
彼は、
変わってしまいましたね」





「…いえ、

僕も、変わってしまって、いますよね」









ーーーーーーーーー
(呉羽side)








「こんにちは、ヒガンバナさん」

少年の声が、頭の中で反復する。





今、



ヒ、ガン


バナ







「…っっああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁツッッううう…ッッッ!!!!!」




またどうしようもない嫌悪感と、頭痛が体を蝕む。
その場にしゃがみこみ、頭を抱えた。

(血が飛ぶ。叫び声が聞こえる。
笑い声が聞こえる。怒鳴る声が聞こえる。

聞こえる聞こえる聞こえる聞こえる)


アーチャーが霊体を解いて、オレのそばに寄った。


「マスター!しっかりして!
…あなた、何者かしら。マスターに何をしたの」

アーチャーの敵意を顕にした声に、少年は柔らかく礼をした。


「突然申し訳ありません。
僕はただの傍観者。もう、聖杯戦争には関われない者ですよ。

でもですね、ヒガンバナの者。

あなたは、一刻も早く、思い出さなければならないのですよ。

あまりにも、無関係のような顔をされているので、少し、忠告をしたくなりまして」



何を言っているの。
オレの何を知っているの。
あの人も、君も、彼も、

オレの何を知っているの。

オレは何を忘れてしまったの。



「あなたは、普通の人間ではないのですから」

「何を、当然かのように、生きているのですか」

「過去を、己を、思い出してください」



頭痛が止まない。
痛みが止まらない。
悲鳴がやまない。

血が、溢れているようで。



「あなたは聖杯に選ばれたのですから。
これはもう、使命に等しいんですよ」





………………………………





「マスター、落ち着いた?」

アーチャーが、ずっとそばに居てくれた。
方を借りて、近くの公園のベンチに座っている。

ひんやりとした冷気と、時間のおかげで、
頭痛も収まっていた。

「ありがとう、アーチャー。
ごめんね、迷惑をかけて」
「気にしないで。
それよりも、あの少年は一体何者なの?」

アーチャーの問いに、首を横に振った。

「わかんない。会ったことないから…」

烙さんは、オレの記憶謎も、魔術のことも知っていると言った。
あの少年も、何か知っているそぶりだった。



(オレは、何者なの?)

(今まで、普通の生活をしてきて、
普通の学生で生きてきて

でも、それだけじゃなかったのかな)

(オレが、忘れている、何か、大事なこと…)



「…」

いや、その前に。
アーチャーに、言わなきゃ行けないこと、あるよね。


「アーチャー、その…ごめんなさい」
「…え?何かしら」


思い当たることが無いのだろうか、不思議そうに尋ねるアーチャー。
でもオレは、彼女に謝りたいことが、ひとつあった。

記憶で頭いっぱいで、
自分の事しか考えていなかったから、
アーチャーの意見、聞けていたかったかもしれない。


「オレ、自分の記憶のために、聖杯戦争に参加するって言って…
アーチャーに、迷惑、かけてないかなって…」
「…」
「オレさ、全然魔術も使えないし…、
弱いし、だから…その…
本当は、アーチャー、他の人の方が、いいのかもしれないって…。
思って…」

アーチャーは、小さなため息を吐いて、小さく笑った。

「あまり後ろをむくものでは無いわ。マスター。
私は、戦う勇気がないのなら辞退しなさいと言っただけよ。
戦う理由を見つけて、目的があって、
戦いに挑む気持ちができたのなら、私は止めはしないわ」
「…そっか」


アーチャーは、優しい。
だから、出来ることならば

彼女の願いも、
叶えられる日が来たらいいのにと、
思ってる。



ーーーーーーーーーー
(アーチャーside)





マスターは、きっと、一般人ではない。
謎の魔術を使えるのも、もちろんだけれど…

何より、聖杯に選ばれたという理由が、私の中で大きい。

けれど、それを、普通の生活で過ごした記憶しかない彼に背負わせるのは、酷なのだろうか。

「ねえマスター」
「な、何?」


そうだ、聞いてみようか。




「なんでも叶う聖杯。
手に入れた時、
あなたなら、何を願うの?」




私達も、ほかのマスターも、
聖杯を望んで戦う。

私は、聞いておきたかった。
彼がどんなに願いを叶えたいと思うのか。

いい機会だから、思い切って問いただした。

マスターは、下を向いてかんがえる。

やはり、記憶関連を望むのだろうか。



「…本当に、なんでも、かなってしまうなら。

魔法みたいに、叶って、しまうなら…」





「この世に生まれ落ちた、子供たちが…、
幸せに暮らして欲しい」





「……っ…。
自分の記憶や、魔術に、使ったりしないの?」
「うん。思い出した、その時は、
きっと、
今までの知らない自分と、
向き合わなきゃ行けない時だから。

なかったことには、きっとしないよ。
…もちろん、怖いのは、怖いけど。

だから、願い事をするならば、これかなって」

「…」

「オレ、昔の記憶が無いから、
楽しいことも、悲しいことも分からないんだよ。
でもね、どうせなら、楽しい思い出の方が、絶対いいと思う。

せっかく生まれたのに、いきなり悲しい思いをする人生なんて、そんなの辛すぎるからね。

せめて、子供の頃は、幸せで、あって欲しいなって

…みたいな。ちょっと、大きすぎるかな」


照れたように笑った彼。

目を開いて驚いた。
感嘆した。驚愕した。


(…そうか。

私が、彼に、触媒が無く、
呼ばれた理由。


わかった気がする)


「あ、アーチャー…何か言ってよ…恥ずかしい…」
「…ふふ、ごめんなさいマスター。




今、私は、
マスターに呼ばれよかったと、
思っていますのよ」




え?と間抜けな声をあげるマスターの手を引っ張り、無理やり立たせる。

「あわっ」
「マスター。元気になった?
なら行くわよ。
遅れる訳には行かないのでしょう?」
「そ、そうだけど…分かったよ」

マスターは、少し納得しないような顔で、歩き出す。
私は、その背中を見つめる。


(…でもね、マスター。
この願いを持つってことは、


きっと、あなたの過去は



悲しみで、溢れかえっている気がするわ)




ーーーーーーーーー
(呉羽side)





見慣れた3階建てのビルに着いた。
アーチャーは霊体になって着いてきてくれている。

「オレはね、ここの2階で働いてるんだ」
「そうなの?…少し小さいわね」
「まあ、大きなお店じゃないから。でも、人はみんな暖かいんだよ」

階段をあがり、入口のドアを開ける。
ふと、ドアノブを握る手が止まった。


「…マスター?」
「…」


(…この時間、こんなに、静かだったかな)

大盛況…という訳じゃないけど、静かすぎることは無かったはず。
でも、何故か、扉の向こうからは、
物音ひとつも聞こえない。

それに、なんだろう。
この、拭いきれない

不安。


「なん、でもないよ」


ゆっくりドアノブを捻り、開く。

中は、いつもと変わらない店内。
あかりも付いていて、内装も綺麗だ。


「…」


ただ、おかしいのは、
中には、誰もいなかった。


「…あの…誰か…いますか?」

当たりをしっかり見渡しても、人の姿はないし、
喋り声も、物音も聞こえない。

「…」

少しづつ、不安が募っていく。




ぴりりりりり

「ひゃぁ!?!?」



不意に、無機質なデジタル音が響き渡った。
驚いて思わずしりもちを着いてしまう。

「いたた…何?タイマー?」

そういえば、聞いたことあるような音だ。
キッチンの冷蔵庫に貼り付ける形で存在していて、心幸さんが使っているもの。

床から立ち上がろうとした時に、ふと、手に何かが当たる。

サラサラとした、冷たい感触。


「…え、

……服?」


俺がしりもちを着いた隣に、
何故か、「服」が落ちていた。

脱ぎ捨てられたような形じゃない。
畳まれて、置いていた訳でもない。

例えば、そう


人がそのまま、寝転がったような形で、落ちていた。


「…すみません!誰か!誰かいないんですか!」

立ち上がって店内を走る。
よく見てみれば、他にも服が落ちていた。

ソファに寄りかかったようなもの。

机に突っ伏しているかのようなもの。

窓際に固まって置いてあるものもある。

机の上には、
食べかけと思われる料理もあったし、
まだ、
手をつけていないであろう料理も置かれていた。

(分かんない。分からないよ)

何故か、不安だけが募っていく。
どうか、お願いだから、
誰か出てきて欲しい。



「…っ…そうだ!3階のお店…1階のお店!!」


店を飛び出し、まず3階に行く。
3階は、漫画喫茶。
ここの店長とは、仲がいい。

扉を勢いよく開けて、中を確認する。


「…っはぁ…は…っ」


そもそも、こんなに勢いよく入ってきたんだ。
店員さんが来ても、おかしくないよね。

なんで、誰も来てくれないの?
なんで、受付にも、誰もいないの?

足を1歩踏み出すと、何か柔らかいものを踏む感触があった。

「…っっっ…!」

また、服だけが落ちている。
多分このお店の店員さんの。
ちょうど、表が上になっていた。


名札のところには、「店長」と書かれていた。


「っ…つっっっ…1階!!!」


慌てて飛び出し、階段をかけおりる。
1階は、夜にだけ開くバーになっていた。
オレの店とは、閉店時間と開店時間が入れ替わるようになっているため、ライバルと言うよりかは、協力店舗みたいなもの。


(今はまだ開店前だけど!この時間なら、
事前準備するために、何人か来てたはず…!!)


バーの従業員入口から、ノックもなしに入る。
普段なら怒られるけど、今はむしろ、怒る人が出てきて欲しい。


「すみません!!誰か!!誰かいませんか!!」


かなりの大声だ。きっと聞こえるはず。
でも、誰も答えない。

そばにあった電気をつけてみる。


「ーー…っ……」


白い光に照らされた従業員スペースには、
2階と3階、同じように、服だけが落ちていた。


「何が起きたの…?なんで…?」


部屋から出て、再び2階に戻る。
そうだ!
と思い出し、スマホを取りだした。


(心幸さん!!オレと入れ替わりのはずだから、どこかにいるかもしれない…!
1時間、2時間前に電話をくれたから、きっと…!!)


お店の扉の前で、心幸さんに電話をかける。
プルルルルル…と呼出音が響く。


(…)


ふと、着信音が店内から聞こえた。


(…心幸さん?お店の中にいるの?
従業員スペース、まだ見てなかったか。そこに、いるのかな)


期待を抱く。


ドアを開けて、店に入る。


まだ、着信音は止まない。


「心幸さん…?」


着信音はすぐ側から聞こえる。


停止させていなかったので、
まだ鳴り止まないタイマー音。
さっきは気が付かなかったけれど、
鍋に火がかかったままらしい。
蓋がコトコト音を立てて踊っている。


「…」


そう、着信音は、
それらがある場所から聞こえた。


従業員スペースからじゃない。


そういえば、
タイマーをつける時は、いつもパスタを茹でる時だったなど、思う。


「…心幸…さん?」


カウンターの向こう。
台所のすぐ側。


同じように、「人が着ていた」ような形で、落ちている服と、


心幸さんがつけていたはずのエプロンが落ちている。


タイマーは、一定時間が経ってしまったのか
自然と音が消えていた。


時刻は、8分に設定されていたらしい。
鍋は泡を吹いて、蓋から溢れ出す。



「…っ…ぁ…」



エプロンのポケットを漁る。


着信音がやまない。


手に、固いものが触れた。


着信音はやまない。


それを取り出して、
通話終了ボタンを押す。






着信音は鳴り止んだ。







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