第04夜(後編)

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お母さんが作ってくれる料理の味は知らない。お父さんがしてくれる肩車の高さは知らない。
先生が、クラスメイトが、友達だなんて初めから信じていなかった。
けれど、
兄という存在だけは、我輩は信じていたし全ての原動力だ。

「だから、我輩は、強くて、怖くて、かっこいい魔術師になりたいって、思ったんだ」

その時きっと、兄ちゃんは、おれのことを1人前だって思ってくれるだろうし、頼ってくれるんじゃないかなって思うんだ。
言動から入ったり身振り手振りで、演じてみたり
必死に足掻いてもがいてもがいて苦しくてもがいて

みっともなくても強くなりたかった。

自分が放つ、大丈夫という言葉に、強さを持ちたかった。




………………………………
(はしらside)




「ねえマスター。少し思ったんだけど、あのお兄さん以外に、兄弟や姉妹はいないの?」

少し遅い時間に目を覚まして、兄ちゃんが用意してくれた朝食を食べていた時だった。

「何故そのようなことを聞くのだ?」
「なんとなく聞きたくなったんだ」
「ふむ」

他の兄弟姉妹…か。

「我輩は知らぬなぁ。兄者からとそのような話は聞いてはおらんから、存在せぬのではないか?
母や父は知っているとは思うが、そういう話を一切しなかったものでな」
「そっかぁ。分かった、ありがとう」

キャスターはその返事で納得したようだ。世間話に兄弟姉妹のことを聞くのはよくある事だし…特に気にはしてない。
それに、もしかしたら、我輩や兄が知らないだけで、「兄や姉」がいるのかもしれないし。

(だとしたら…今、何してるんだろう)
(兄ちゃんみたいに、立派な人だったらいいなぁ)

空想を膨らませながら、箸を進める。添えられていた、野菜スティックに手を伸ばし、止まる。
胡瓜、人参などが細長くカットされて、透明なカップに詰め込まれている。あの憎いオレンジ色。

(…人参入ってる…)

兄よ。どうしても我輩に人参を食べさせたいのか。手が宙で固まり、己との自問自答をしているとキャスターが
スティックのカップごと自分側のスペースへと寄せた。

「苦手なら食べようか?」
「え…ぁ」

何でもない事のように提案され、少し戸惑った。兄は好き嫌いに関しては甘くはなかったし、最後はどう足掻いても自分の口に入っていた。

(…凄く食べて欲しい。でも…んんん…
それはすごくダメな気が…でも1回くらい…1回くらい…でも…でもぉぁあ……っ)

「…キャスター…心遣いは感謝する…が、
我輩は………別に苦手などでは無いのだ。そう…えっと…は、腹がいっぱいでな!夕食に回そうと思っているのだ!」

やっぱり、ずるい人にはなりたくなかった。確かに苦手なものは苦手だし、食べたくもないけれど、
誰かに押し付けるような、楽な方には逃げたくはなかった。
いつも自分のために生きてくれている兄の傍で、そんなこと出来なかった。
…でも、時間をずらす…位は見逃して…その時までには…攻略法を…!
ええい覚えておけ醜き橙色よ!闇夜が来た時、貴様の終わりと知れ!

(ん?夕飯…そうだ!)

人参への恨みが募る中、ひとつの名案が浮かんだ。

「キャスター、今日は我輩が夕食を用意しよう!」
「マスターが?」
「おうとも。昨夜は兄に迷惑をかけてしまったのでな。その詫びと言ってはなんだが…」

空になった食器を重ねて、シンクへと持っていく。不思議な顔をするキャスターへ、言葉を続ける。

「きっと、兄はまだ心配しているだろうし。もう「大丈夫」という意味で、驚かせたいのだ」
「そっか。とてもいい案だと思うよ、マスター」

食器を水に浸して、水道を止める。

(…そうだ、もうひとつ)
(言ってみても、いいかな)

ずっと、考えていたことを、静かに呟いた。

「キャスターも、…その、
一緒に食べないか?兄と、我輩と、一緒に」

しばらくの沈黙が流れる。キャスターの方を向いていないから、表情は見えないけれど

「一緒に…?
でも、私はサーヴァントだから、食事の必要も無いんだよ」
「知っ…ている。だが、出来ないこともないんだろう。食事でしか、培うの出来ない絆というものもあるのだ」
「それに、お兄さんに姿を見せることになるかもしれない」
「…我輩は、それで良いのかもしれない、と思う」

本当は、兄を巻き込むつもりはなかったけれど、
いつまでもキャスターを、蚊帳の外にするのも違う気がしていた。
食事をする時も、睡眠をとる時も、何気ない時間でさえも、
キャスターはずっと、その輪にはいることは出来なかったから。

「兄にはちゃんと説明する。…と言っても、聖杯戦争については、何も言えないけれど。
…本当に嫌なら、断ってくれてもいいよ。
でも、その、
誘おうと思ったのは、
キャスターも、我輩の、「大切」のひとつだから」

こんなに大層なことを言っているけれど、内心は怖くて仕方がなかった。断れることがこわいから。自分から、誘うことなんて…あまりないし。
キャスターの方を、見ることが出来ない。

「…ふふ」

静寂の後に聞こえた、くすりと笑う声。恐る恐る、振り返ってみる。
キャスターは、柔らかい笑みを浮かべていた。

激しい戦闘を繰り広げる、英霊でもない、サーヴァントでもない。
まるで、普通のお姉さんのようなーーー

「じゃあお言葉に甘えようかな。マスターが全部作るの?手伝おうか?」
「っ!…て、手伝いは結構である!
おれ、わが、我輩は偉大なる魔術師なのだから、1人でも大丈夫…!」

誤魔化すように、水道から水を出して、食器を洗い始める。キャスターが普通の反応を返してくれると、調子が狂う。
…嬉しいけれど。

(…でも、良かった)

断られなかった。それは、本当に、嬉しかった。数時間後の光景を想像して、心が踊り始める。

(きっと、ビックリしちゃうかなぁ、兄ちゃん)





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(ーーーー)






悲鳴

悲鳴悲鳴


悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴
悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲
鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴。


苦しい。痛い。苦しい。痛い。苦しい。痛い痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。




やがて、全ては静寂に帰す。




「叫喚していた後の静寂ってさ、好きなんだよね。
お祭りが終わったあともさ、こんな感覚なんだよ。
楽しい出来事の次にくる、余韻ってやつ」






ーーーーーーーーーーー(はしらside)






何も言わずに夕飯を作ってしまうと、兄が食材を買ってきてしまうかもしれない。
だから、事前にメールで連絡をすることにした。


『兄ちゃん。昨日はごめんね。でも、もうおれ大丈夫だから』


昔はコンロを使うことを禁止されていたけれど、今は小学六年生だ。
少し背が足りなくて、まだ踏み台は必要だけれど。


『その証拠に、今日はおれが晩御飯を作ったんだ』


茹でるのだってできるし、炒めることだってできる。
だから、おれの好きな料理も、兄ちゃんが好きな料理も出来るんだ。


『兄ちゃんの好きな、辛い麻婆豆腐も作ったんだよ!おれの好きな、パスタの料理も作った!今日はカルボナーラ!』 


ラップをして、温めたら、いつでも食べられる準備をしておく。

「随分手際が良いね、マスター」

キャスターは少し驚いたようだった。
我輩がここまで出来るとは思わなかったらしい。
ふふん、と少し胸をそらす。
我輩はまだまだ子供かもしれんが、
「大人になりたいと常に思っている」子供なのである。
学ぶ事には意欲的だし、出来ることだって、他にも沢山あるのだ。…披露する場がないだけで。


『楽しみにしてていいよ、味は自信あるから!お仕事頑張ってね』


最後に、コウモリの絵文字をつけて、送信する。
兄はSNSをしていないし、無料通話アプリも使ってないので、メールでのやり取りが主だ。
…スマホを使っているのだから、アプリを入れてもいいと思うんだけれど。
今は午後4時。
少し早く終わってしまった。

(…あ、そうだ。聞きたいことがあったんだ)

「キャスター。昨夜の物語、とても心が踊るものであったのだが…
我輩、途中から記憶が無いのだ。語っている最中で寝てしまって、申し訳ないのだが…あの続きは、どうなのだ?」
確か、「仲間を迎えた」所までは覚えている。
そこからが、気になっていた。物語の続きを尋ねられたキャスターは、何故か、目を伏せた。

「…そう、だね」

何かを考えたあと、再び顔を上げて、にこりと微笑んだ。

「仲間と共に、黒い大きな敵を倒すんだよ。それでね、
最後は、ちゃんと、家族に会えるんだ」

そうか。ハッピーエンドなんだ。

「ありがとう、キャスター。あの青年は無事帰還したのだな!
それが気がかりだったのだ。時間がある時、また、別の話も聞かせてくれると嬉しい」


「…うん」


ただの物語…なのかもしれないけれど、それでも愛する家族と会えないままなのは、悲しいから。あの青年が、救われたのならば、嬉しい。




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(ーーーーー)




誰も知らない冒険譚、
私の「物語」に、何故か刻まれていた。
誰かの意思だろうか。
伝えたい思いなのだろうか。


『ごめんなさい』


『ごめんなさい』


『分からない』


『伝えられない』


『信じてくれたのに』


『一緒に、頑張ろうと思ったのに』





『ごめんなさい』





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(はしらside)



時刻は、午後6時。
もうそろそろ、帰ってもいいはずの時間だった。
メールにも、返信はない。仕事中は基本見ることは出来ないと言っていたけれど、
暇な時や、仕事が終わった時は、必ず返事をくれた。

「仕事、伸びてるのかな」

平日のこの時間に、あのお店が混むのは珍しいけど、
偶然にも団体のお客さんが来たら…って言うこともあるのかもしれない…し、
片付けなきゃ行けない業務が、今日に限って沢山あるのかもしれない。
接客業は、何が起きてもおかしくはないもの。

(そうだ、待っているだけもアレだし…)

「キャスター、出かけるぞ」
「どうしたの?マスター。待たないの?」
「兄を迎えに行くのだ。もし仕事が残っているのなら、我輩も手伝おうと思ってな」

食事もレンジで温めさえすれば食べられるし、問題は無い。夏では無いのだから、冷蔵庫に入れていなくても、腐ることは無いし机の上に並べておこう。

(…兄ちゃん、本当に驚いちゃうかもな)


少しの悪戯心と一緒に、外へ出る準備を始めた。







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(冬斗side)






聖杯戦争に参加することになり、マスターになり、サーヴァントと契約した。
昨日はこんなことが、一気に押し寄せてきたけれど…
割とそのあとは、平穏に過ごせた気がする。


アサシンが居る…という事実に目を瞑れば。


昨日の夜、寮母さんには「実家から弟が遊びに来た」という前提でアサシンを入室させた。
見たことも無い物、人、というか全てに、興味を示していたようだが
「静かにしなければ強制的に外に出す」
という言いつけを守って、静かにしていた。

のに

次の日…今日の朝には、アサシンは「学校に連れていけ」とうるさかった
。…正直、あの出来事の後に、中学校に登校することは少し抵抗がある。
嫌でも、目に浮かんできてしまいそうで。
と言っても、その事実を知っているのは、
俺とアサシン…あと、あのはしらくんしかいない。
出席率が下がって、受験に影響が出ても嫌だし…

「ていうか、そう、俺受験なんだよ。なんで聖杯戦争に参加してるんだよ」
「え、辞めるの?マスタぁ。辞めるなら殺すよ?」
「なんでお前は隣にいるんだよ」

悶々と考えながらも、いつもの電車に乗ったのはいいが、アサシンは当然のように、そばに居た

「マスタぁのそばに居るのがサーヴァントだよ。
それに僕、がっこーって場所、知らないから、どんな所なのかなぁって」
「…サーヴァントは確か、霊体になれるんだろ。なんでわざわざ実体化してるんだよ」
「霊体、何も出来なくてつまんないから。
こんなに楽しいことに溢れているのなんて、初めてだしね」
「…」

その言葉に、少し、哀れんでしまった。
見た目は小学生と変わらない少年なのに、
中身は、歴史に名を刻んだ「英霊」。
子供らしいことを、している訳でもなさそうだった。

「分かったよ…けど、学校の中にいる時だけは、霊体になること。これだけは条件な」
「はーい!大丈夫だよ。マスタぁと僕の敵じゃないなら殺さないよ」
「そういう物騒なことも言うな」





…………………



学校は、午前の授業の後、全校集会が行われただけだった。
内容は、「某所の女子高校生が、昨日から行方不明になっており、連絡がつかない」とのこと。
事件性を考慮して、付近の学校は、授業の短縮、放課後の部活動禁止ということになったらしい。

(…)

多分、白夢さんの事だろうな。
死体もないから、誰かに見つからない。
行方不明…という事に、気が付いてくれただけ、奇跡なのかもしれない。
あの人は、家族が居なかったらしいから。

(だからって、俺に、何か出来るわけじゃないんだけど。
白夢さんが…聖杯戦争に願う理由があって、呼び寄せたサーヴァントを横取り…したようなもんだし。
聖杯戦争の、情報操作は、教会の仕事だし。

…何も、出来ないんだ)



………………………




以上の事情で、早めに学校から開放された。
ゾロゾロと校門から生徒が流れていく。
基本、寄り道禁止で真っ直ぐ家に帰れとは言われたけれど、守る人間は少数だろう。
俺に至っては、守る必要が無い…。
聖杯戦争の参加者なんだから。
といっても、午後は暇だな。昼間は戦闘が起こることもない…だろうし。

「どうしようか…早めにカフェでも行って…」
「マスタぁ。僕この街のこと知りたいなぁー」

学校から出たので、ここぞとばかりに実体を表したアサシン。
ずっと、思っていたけれど… 

「…アサシン、その格好、どうにかならないのか?」
「?」

アサシンの今の格好は、黒いコートで全身を覆っている。
片目を黒い眼帯で隠して。
嫌でも、目立つ格好だ。周りから、怪訝な目をされたり、くすくす笑われる。
え、今誰か、「変な弟さん」って言った?
弟じゃねーよこんな野蛮なやつ!!

「だってこの格好しか知らないもん」
「あーーーもう!分かった!予定決定!アサシン!服買いに行こう服!」
「それって楽しいことー?いいよー!」

キャッキャと笑うアサシンの手を引いて、人目を避けるように早足で歩いた。
まるで手のかかる弟ができたようだ。





………………………



 
連れてきたのは、近くの大型ショッピングモール。
二階建てで、横に広い造り。飲食店、衣類、家具、全て取り揃えた、社会人の味方。
学生にとっての遊び場。
学校終わりであろう学生達も、チラホラと見かける。
目的は、小学校低学年向けの洋服。確か、1階の奥にあったはずだ。
こういう場所の服なら、俺の小遣いでも買えるだろう。

「布がいっぱいだね。なんでこんなに並んでるの?」
「お前が着る服を買いに来たんだよ!その格好じゃ、悪目立ちするだろ」

男児向けのコーナーに入り、適当に服を漁る。
低学年すぎるものは、逆に似合わないかもしれない。
程よく成長した感じの…年相応の、
せめて5000円以下…せめて5000円以下…

「どんな服気になるとかあるか?」
「…」

キョロキョロとアサシンが周りを見る。
こういう服も、自由に着ることは無かった…というか、関わりがなかった…のかな。
と、アサシンがピタリと止まる。
指を刺したのは、小さなマネキン。
ゆったりとした白い袖に、紺色の襟のラインとタイ。
長ズボンと、オマケで白いマリン帽子が着いているらしい。
いわゆる「セーラー服」と言ったやつだろうか。

「あれが気になるのか?」
「見たことない形の制服?だから」

子供向けコーナーには、明らかにコスプレみたいな服装も置かれていることがある。
大半は親の趣味でもあるんだろうけど。
まあ、興味を持ったのなら、探す手間が省けた。値段は…………

「…7000…」

マネキンの下に飾られた値札には、全セットで7000(税抜き)と書かれていた。
…いや、7000じゃない。税込8000近くじゃないか。

「…」


人間というのは、究極の2択になった時、
人生の経験を照らし合わせながら
脳をフル回転させるんだなってわかった。

葛藤の後、はぁ、とため息を着く。


「…まあいいか。ちょっと財布に厳しいけど…。絶対に汚すなよ」




……………………………




お店の人を呼び、
「このマネキンのコーデ、全部下さい」と、1式購入する。こんなこと、大人になるまでするとは思わなかった。
さようなら諭吉。こんにちは野口2枚…と、100円2枚。今月はカフェに行く回数、減らさないとな。
その場での着衣したいので、試着室を借りていいかと聞くと、快く承諾してくれた。
アサシンと買った服を試着室に詰め込んで、カーテンを締める。

「着替えたら声掛けてくれ」
「マスタぁ、着替え方がわかんない!」


…。



……………………




試着室から出てきたのは、見た目はマリンな格好をした普通の少年。
中身は、ヤバいアサシン。
いつも黒い服しか見なかったから、白いものを身につけたアサシンは新鮮だった。
眼帯も、「マリン的な服に合わせてコスプレしている」ように見えなくも…ない。
人目を集めることに変わりは無いかもしれないけれど、怪訝な顔をされることは無いだろう。

「どっかきつい所ないか?アサシン」
「んー、変な感じー、だけど、やな気持ちじゃないよ」

嫌になって、その場で脱ぎ捨てられたらどうしようかと思ったけど、
まだ気に入ってくれたようで良かった。諭吉の重さを知れ。

「マスタぁ。この格好だったら、このままでいてもいいんでしょ?
じゃあさ、色んなところ行って、楽しいもの見せてよ!」

アサシンが、俺の手を引っ張っる。見た目は小さいのに、力は強いらしい。

「…あんまり物は強請るなよ。こっちは学生だから、金が無いんだよ」




その姿だけ見れば、本当に、子供みたいだ。





……………………




アサシンは、何かを強請ることも、求めることもなかった。
ただ、店の商品や、たくさんの人を見ているだけで、楽しめたらしい。
一つ一つの店に入り、じっくりと商品を見たり、すれ違う人を見つめたり。
目に入る全てが、真新しいことであるかのように。

(そんな、些細な事さえ、楽しめない環境だったのか?)

疑問に思いつつ、時間を確認する。時刻は、午後5時半。
店を見て回るだけでも、かなりの時間が経ったらしい。

(そろそろ、カフェに行きたいな…)

いつもなら、夕方には向かっていたのだけど、まあ、たまには遅くなってもいいか。
ペットショップの動物たちを眺めているアサシンに、声をかける。

「アサシン、行きたいところあるんだけど、いいか?」
「行きたいとこ?マスタぁの?いいよー!どこ?」

乗り気らしい。ワクワクを隠しきれていない顔で尋ねてくる。

「俺が通ってるカフェだよ。いつも勉強しに行くんだけど…呉羽さん達はみんな優しいから、
アサシンも馴染めるんじゃないかな」
「クレハー?」

「同じ店員さん。仲良くしてくれる人、
普通の人だよ」




………………………


カフェからショッピングモールは、そう離れてはいない。どっちも駅に近い物件だから、便利だと思う。

「…」

駅の近くの、3階建ての、小さなビル。

道は間違えていない。何回も何回も通っているのだから、建物を見違うはずもない。
なのに、なんでだろう
この、拭いきれない違和感。

「マスター」

隣にいたアサシンが、呟いた。
いつもの舌っ足らずな発音ではなかった。

「ここが、マスターの来たかった場所なの?」
「…そうなんだよ。でも、何か…嫌な予感するというか…」

俺の言おうとしていることが伝わったのか。
アサシンは、強い風と共に、赤い光に包まれる。
身につけていた白い制服は消えて、見慣れた漆黒のコートが纏われていた。


「2階に、なにかいる」


金色に輝く瞳が、2階…カフェの部分を睨みつけている。

「…サーヴァント…か?」
「多分ね。でも、昨日とは別の。もうひとりいるけれど、マスターなのかなぁ。
にしては、「それっぽい気配」じゃないけど。
よわよわぁって感じ」

昨日とは別…。はしらくんでもないし、あのランサー達でもない…また別の、陣営。

(…この違和感の正体が、もし、魔術師が何か企んでいる事が原因ならば…何がなんでも、止めたい。
マスターが弱くても、サーヴァントが厄介な可能性もある。
…なら)


「アサシン、俺に考えがある」


(魔術師になんかならない。これは、命を弄ぶ魔術師を止めるための、人としての戦いなんだ)
(あの光景を見なくて済むのなら俺は)







ーーーーーーーー
(呉羽side)






「…」


そこかしこに散らばった衣服。消えた人々。居るはずだった心幸さんに、なり続けたスマートフォン。


「…」


着信音を止めて、心幸さんのエプロンのそばに戻す。このビル全体の人が消えている。どうして

「ねえア」


「マスターッ!」



アーチャーを呼びかけようとした声は、彼女自身の叫びでかき消される。
次に、夜の街を写していた窓は、外からの来訪者によって、粉々に砕かれた。
闇に溶け込む、黒い外套。淡く照らされた銀色の髪。
月よりも明るいこちらを射抜く金色の瞳。

その少年が握っていた小さな刃が、銀の弧を描く。軌道を描いたナイフは、ズレることなく、オレの首へと届きかけていた。

けれど、その刃は届くことはなく、実体化したアーチャーの蹴りで、狙いは外された。
ナイフが弾かれ、アーチャーの持っている大きな弓で凪払われる。
小さな体は宙を舞うが、少年はすぐさま体制を建て直し、静かに着地した。

「アーチャーさんかな?初めまして」
「…」
「アサシンだよ。とりあえず、先にお姉さんから殺すね」

にこりと微笑んだ少年は、すぐさま両手にナイフを握る。

「……」

「…?」
珍しく、アーチャーが困惑しているような気がした。困惑、というか、戸惑い…?

「…これも、願いの為ならば」

しかし、直ぐに弓を構える。さっき見た迷いはひとつもなかった。

(相手の男の子は、サーヴァント…で間違いない…んだよね。
どうしよう、どうしよう。オレも、何か、しなきゃ)

アサシンとアーチャーの静かな、視線だけの攻防が続く。

「ひとつ聞いていいかしら」
「なぁに?」
「ここの人たちを「喰らった」のは、貴方?」

少年は表情を崩さない。この惨状の原因は、
もしかしたらアサシン側にあるのかもしれない…と踏んでの質問。

「僕は別に、「ごはん」を求めてないもん。マスターはとっても凄い人だからね。
もっと、「飢えている化物」がやったんじゃないかな?」
「…結構。どちらにせよ、貴方を倒す以外の選択肢は無いのだから」
「ふふ、楽しいねえ。あ!お外出る?アーチャーさん、ここじゃ戦いにくいでしょ?」

アサシンはこちら見ながら、入ってきた窓際へと歩く。
アーチャーは答えない。じっと弓を構えて睨む。
正直、オレも、アサシンからの提案が、分からない。
敵であるアーチャーが、動きやすい外に出よう…なんて。

「何が狙いかしら」
「狙い?…今日はね!楽しい鬼ごっこがしたいだけなんだよ!!
だからおいで?早くしないと、僕、逃げちゃうかもよ?」

アサシンは、無邪気に笑いながら、窓から落下していく。

「…気配を消していない。誘われている。舐められたものね」

弓を下ろし、割れた窓へと近づくアーチャー。

「マスター。あのアサシン、倒す方向でいいわね」
「え、あ…で、でも、オレたちだけで、いいの…?いつ君達は…」
「…」

優柔不断なオレに、こちらを見るアーチャーの目が、少し鋭くなる。

「共闘を組んでいようがいないが、今の相手には関係の無いことでしょう。
正直、私はあのマスターを完全に信用はしていない。
私たちで対処しなければならないことは、私達でやらないと生き残れないわ。
…世界って、何時でもそう。
マスターはここに居て。何かあったら呼びなさい」

アーチャーはそれだけ言い残すと、窓から飛び降りて、姿を消した。

「ぁ…」

ぎゅっと、心臓が苦しくなる。アーチャーを怒らせてしまった。
いつも、いつ君がそばに居たから、頼りっぱなしだったから…

「…1人じゃ、何も出来ない」

何か出来ることを探しても、オレは何も出来ないから、意味が無い。
アーチャーの力になりたい気持ちはあるのに、それに答える力がない。

(…やっぱり、オレは…)





「…え…呉、羽…さん?」






体が飛び跳ねた。慌ててドアへ視線を向ける。
店の入口の前に立っていたのは、黒い髪の少年。学ラン…ということは、近くの中学校の生徒かな。
…と、言うか…

「と、…冬斗、君?なんで、ここに…」
「こっちの、セリフですよ。なんで、アンタが、ここに居るんですか」

冬斗君が1歩進む事に、1歩下がる。
いつもなら、知り合いに会えたという安心感で包まれるのに、
今、この状況で出会ってしまうと、恐怖と不安しか募らない。

「…」
「…」

2人の間に沈黙が流れる。なにか話そうと、口を開くも、オレが何を聞けばいいんだ…。

(聖杯戦争に、関係ある人…?いや、参加者ですかって…?
で、でも、巻き込まれた可能性も無きにしも非ずって思うし…!)

頭が混乱していく中、彼は静寂を切り裂いた。


「呉羽さん、は魔術師…ってことで、いいんですか」


「ま、魔術師…?なんで、知って…」

少しづつ、距離を詰められていく。どうしよう。どうしよう。
魔術師を知っている?冬斗君、まさか、じゃあ、本当に…

「聖杯戦争に、参加してるんですか?」

冬斗君が左手をあげる。
まだ成長しきれていないその手の甲には、真っ赤な刻印が刻まれていた。

(ーーー…聖杯戦争の、参加者だ…!
じゃあ、さっきの、男の子のサーヴァントのマスターは、冬斗君ってこと…?)

「…この、状況って、呉羽さんのせいなんですか?」

あげた左手を、人差し指を、真っ直ぐにオレへと向けた。
まるで、拳銃のような形を取りながら。その問いは逃げることは許さない、といった、気迫を感じる。

「…っこ、この、状況は…本当に、知らないよ…。聖杯、戦争に…参加、してるのは…否定しないけど。
でも、これが、なんなのかなんて…!」

オレが知りたいよ。声にならなかった、最後の叫びが喉の奥に消えていく。
冬斗君は納得していないようだった。まだ、左手を下げてはくれない。


「呉羽さんの事、信じたいんです。
けど…っ、魔術師の事は、信用出来ないんですよ」

「命を弄ぶ、魔術師のことは」


説得ができない。
オレを魔術師と捉えてしまった彼は、話さえ聞いてくれない。

(こんなに簡単に、知り合いが敵になるなんて…。
信じたくないけど、でも、悠長なことは言ってられない…)

このままじゃ、何をされるか分からない。

(…っ…アーチャー…!)

彼女、サーヴァントを…呼ぼうとして、思いとどまる。

(…だめだよ…)
(また、オレが迷惑かけてしまう…!)

だったら、オレに出来ること…なら
もう!逃げるしかない…!せめて距離だけでも稼がなきゃ…。
そう思って、1歩後ろに下がった。


「Gand」


その一言と共に、赤い光の玉が、オレの顔の真横を通り過ぎる。
ドン、という音ともに壁で弾け、光は消えた。玉が当たった場所には、焼け焦げたような、強い力で殴られたような跡があった。

「…っひ…」

あの、赤い光の、威力が…これ?
光の塊にしか、見えなかったけど、…銃弾、では?
脳裏に、自分の最悪の将来が浮かんで足が震える。

「詠唱有り、でも…兄さんより、威力は弱いんだ。
でもいいか、マスター相手なら、詠唱無しでも十分だし」

冬斗君は、こちらに照準を定めたまま。

「初めて使ったけど、上手くいった。呉羽さん。次は当てますから」
「…ッッッ」

もう戸惑ってはいられない。
彼は本気だった。こっちに、「敵意」を向けていた。

(怖がっちゃ始まらないんだ!生きなきゃ…生きなきゃいけないんだ)

続けて、赤い光が指から放たれる。今度は、何も言葉を発しなかった。
寸前のところで体をひねり、玉をかわしていく。
だからといって、それが終わりではない。続けて2弾目、3弾目が迫ってきていた。
2弾目は上体を逸らす。玉が髪と、少し掠めていた。危なかった。そのまま、この場所から離れようとかけ出す。
続けて3弾目は、体の中央へ照準を定められていた。走り出した勢いのまま、スライディングなような形で地面を滑る。
光はキッチンの壁へとぶつかり消えていく。
傍にあったソファの陰に隠れ、冬斗君の様子を伺う。
何発か、赤い弾が壁に弾ける音がした後、冬斗君は、コツコツと、ゆっくり近づいてきている様だった。

「…なんで反撃しないんですか」

隠れたと言っても、ほんの少しの時間稼ぎにしかならない。何か次の手を打たないと。

(反撃なんて…本当の魔術師に、オレ何か出来るの…?
やっぱり…アーチャーに…迷惑をかけるしか…)

ふと、手元で、ジャラリという音が聞こえる。
視線の端で捉えると、それは大きな真珠の首飾りのようだった。
近くには、女性が身にまとっていたであろうワンピースとコートが落ちている。

(…いや、自分だけで、乗り切らなきゃ…。
この先、マスターだけで戦わなきゃ行けない時もあるかもしれない。やるんだ…!)
(誰のか分からないけれど…!ごめんなさいっ!)

真珠の首飾りの紐を乱暴に千切り、ソファの影から立ち上がる。

「っ!!」

千切れた紐の片側を持って、思い切り、冬斗君がいる方へと投げ飛ばした。
その勢いで、真珠はバラバラになり、冬斗君の頭上を舞う。
彼は驚き、真珠へと赤い閃光弾を撃ち放った。

(っ今…)

彼が真珠に気を取られている隙に、彼とは反対側にかけ出す。
備えられたテーブル達にそって、大きく迂回する。

「っ待っ…!!」

冬斗君は、離れるオレに気が付き、後ろから追いかけ、赤い玉を撃ち続ける。
(不味い…!)そう思った思考よりも先に、体が反応する。
走りながら横回転で流し、ある時は障害物に隠れるように、前転して躱す。
より短い行動で、攻撃を避け続ける。何故か、さっきから体がとても軽く、自分じゃないみたいに動きやすい。

(…もしかして、アーチャーの、おかげ?)

サーヴァントの能力が、マスターに影響を与える…という話を、
いつくんとアーチャーがしていた気がする。
オレは元々こんなに動ける訳じゃなかったし、可能性があるとするならば、それだと思う。
本当に、彼女になんてお礼をすればいいか分からない。でも今は、生き残らないといけない。

(出口に飛び込んでしまえば!外に出れば、隠れ場所や逃げ場所はどうにでもなる気がする!)

幸運にも、ドアは開いたままだった。その勢いのまま、出口へと

(このまま!逃げて…!!)










「どぉしたの呉羽。そんな勢いよく飛び出してきて」










何かにぶつかった。
ほんの少しの温もりを感じから、おそらく人間だろう。









「よく見ないと、危ないよ」








見覚えのある、青い髪が見えた。
聞き覚えのある声がした。
じゃあ、ぶつかってしまったのは、もしかして、きょーくん?


「…っ…」


なにか喋ろうにも、何故か、声が出ない。
いや、お腹に、力が入らないのかな。

お腹の、腹部の、中が、痛くて、痛くて、痛くて、痛くて


「…」


赤い光の雨は止まっていた。
冬斗君は、呆然とオレたちを見ていた。


「…っご…ぁ…」


口から、生暖かい液体が溢れ出した。
同時に、きょーくんの手で、店側へと突き飛ばされる。
立つことも出来ず、そのまま倒れ込む。痛む腹部に、手を這わせてみる。
どろりとした暖かいもので溢れていて、鉄の匂いが充満していた。
手は真っ赤に染まってしまった。顔にまで、赤いものが広まってきた。

きょーくんを、見上げると、手には、銀色の、鉄製の、ナイフが



「本当に、呉羽って、オレが殺そうと思っていない時に勝手に死ぬよね。
…別に、いいんだけどさ」










…チャ…ぁ






ーーーーーーーーーー
(アーチャーside)








アサシンを追いかけるように、窓から飛び降りる。
少年はその姿を闇に紛れさすこともなく、堂々と待ち構えていた。

「来てくれたあ。良かったぁ」

ケタケタと笑う少年…、とても、正常には見えなかった。

(少年…子供、とは、いえ。彼は「サーヴァント」。姿形で騙されてはいけない。
「あれ」は、願いのために倒さなければならないんだ)

相手はアサシン。気配を遮断し、相手から先手を取りやすい。
(まずは見極めなければ、あれの戦い方を。怯えるだけでは何も進まない)

どんな動きにも対応出来るように天穹の弓(タウロポロス)を軽く構える。
アルテミスよ、どうか、御加護を。


「あの時は夕暮れだったけど、今日は綺麗なお月様が見えてるからね」

「お姉さん、すぐ死んじゃダメだよ?」


少年は、瞬時に暗闇に紛れた。

アサシンは気配を消すことに特化したスキルがある、が、
「殺気」を放った些細な瞬間、その時がスキル効果が薄くなる時。

(見落とすな、「やり方」が分かれば、こちらだって、「その先」に踏み込めるんだ)

神経を研ぎ澄ませ、辺りを警戒する。どこから来る。
前、後ろ、左、右、頭上、後ろ、右、左、前…


「ばあっ」
「っ!!」


反射で蹴りあげる。
視界いっぱいに現れた少年の顔にむけて仕掛けるが、
その動きを嘲笑うように、再び気配を消し、捉えることが出来なくなってしまった。


「夜はねえ、僕の大好きな時間。大好きな時間(殺人)。
朝の白色よりも、お昼の青色よりも、夕方のオレンジよりも!夜の藍色が好きなんだ!」


どこからともなく声がする。
上下左右、全ての方角から聞こえて、前身に纏わりついているように、離れない。

(掴めなかった。本当に、「突然現れた」様だった)

首筋に痛みが走り、何かが伝う感覚がする。

(切られている…)

あの時、既に首にはナイフが構えられていたのだろう。
刃は数ミリしか入っていない。
が、凶器を弱点に構えられ、気が付かなかった時点で「死んでいた」と同じようなもの。

(…あのアサシン、今は、気配遮断の他に何かしらの恩恵を受けるのかもしれない。
例えば、夜限定のスキル…か。より殺気を隠し、相手への先手を確実なものとする)


「今度はこっちだよ!」
「っぅ…」


左足が裂かれるような痛覚。
声は聞こえても、その時には既に、「犯行」が行われた後。
現場には、結果しか残っていない。

(一撃は軽い。急所はわざと外されている。
どれも致命傷にならないような傷だ。マスターがすぐ近くにいる気配もない。
おそらく、アサシンの目的…私達を分断させたかった?)


「お姉さん少しは動いてよー、つまんないよー!」
「…っ」


今度はこめかみ辺り。肌がバチンと弾け、血が溢れ出る。

(サーヴァント同士の戦いに誘い、孤立したマスターを、マスターが撃つ。
サーヴァントは、マスターが敵マスターを倒すまで、時間稼ぎをする。随分と大胆な作戦。
…マスターのこと、舐めているのかしら)

(いいえ、だとしても、マスターを1人にするべきじゃなかった。
マスターの言動に、少し、血が昇っていたのかもしれない。
…私も、まだダメね)

(ならば、今、
私のやることは)

天穹の弓を真っ直ぐに構え、弓を引く。そしてそのまま




(一刻も早く…)



「マスターの側へ、
向かう事」

「っあ…」



頭上へ掲げ、箭を放つ。
新緑の風を纏う1つの矢は、消えていたアサシンの気配を引きずり出し、横腹を軽く抉った。
厨に赤黒い液体が飛び散る。
姿を見せたアサシンは、体のバランスを崩し、不時着するような形で、目の前に降り立った。
不思議そうな顔をしながら、自らの腹を撫でる。

「…見つかった。なんで?」

無垢な瞳とも取れるし、底がが見えない、ただ暗い闇とも取れる目だった。

(何も思わなくて良い)
(「アレ」は、子供じゃないんだ)

「なんのために動きを見ていたと思っているの。
私は狩人なのよ。獲物の行動を観察して、「獲る」ための先手を撃つ。私で遊んでいたことが仇となったわね」
「…」
「待ってあげないわよ。あなたを倒して、直ぐにマスターの所へ行かなきゃならないの」

再び弓をかまえる。
動きが見えないのなら、予測すればいい。
獲物には必ず、行動パターンがある。
どのタイミングで、どの動きをするのか。
それを把握すればいい。そうすれば、見えない敵でも、勝算はある。


「…すごいなぁ。マスターが全然強くなさそうだったから、
サーヴァントもそうなのかなって、思っちゃったけど 
全然そんなこと無かったね!」


きゃはははははははは


子供らしい、高く柔らかい声笑い声が真夜中に響き渡る。


「楽しいよ。楽しいよ…昨日よりうんと楽しい…もっとあそぼ…お腹の中を見せてよお母さん!!」


アサシンが黒いコートを大きく広げる。
一瞬にして、少年の体は、黒い煙で覆われる。
暗い夜を、さらに深い闇で塗りつぶしていく。
空を、景色を、地を。

蠢く影のようなそれは、あっという間に宙へ広がっていき、私をまるごと飲み込んだ。


「…っ…」


当たりは真っ黒な霧に包まれる。
視界も悪く、吸い込むだけで、内蔵に刺激が走っていく。

(ただの霧…じゃない。
体内に溜まると、鉛のように重くなる。
…この時ばかりは、マスターがそばに居なくて良かった。
きっと、魔術師…普通の人間はもっと、体が鈍くなるだけじゃ済まない)

それに、嫌な予感がする。
これはサーヴァントの宝具…なのだろうか。これだけじゃないだろう。


「此よりは地獄」


鼓膜に張り付く舌っ足らずな囁き。
黒いモヤの際で、感覚も鈍っている。
相手の行動を予測できない。

(まずい。相手の有利な条件が揃っている可能性がある。
アサシンの捕捉よりも、この霧をどうにかするのが先決かしら)

片腕で霧を掻き払っても、無意味に等しい。何も変わらない。

(ならばこの霧から抜け出すしか…)

その場から去ろうと、右に駆けても、左に走っても、景色は変わらない。
窓からでた場所は、そこまで広くは無かったはず。車が2、3台止めてあるだけの、目立たない駐車場。
節々に見える障害物を頼りに、端から端に渡ったつもりでも、
壁に当たるどころか、今どの場所にいるかも検討がつかない。

(幻覚作用もあるのかしら。頭で考えると、余計にわからなくなる)


 「“わたしたち” は炎、雨、力――」


全身に殺気が伝わる。どこにいるのかも掴めていないのに、全方向から、「殺す」という意志を感じる。
いや違う、これは「殺す」じゃなくて


「…死体」


死体へ変わり果てる姿を、渇望している。

もし相手の宝具が、回避不可能で、対象を「死体にする」という宝具なら避けようがない。
それはきっと、殺傷能力では無く、「呪い」の一種だろう。
強い呪詛によって、相手を「死体」へと変えてしまう宝具。

(そうなれば、物理防御は一切効かない。呪いへの対抗手段は、私には無い)

天穹の弓を、強く握る。何も出来ず、アサシンを逃がしてしまうようなことがあったとしたら


(次に狙われるのは、マスター…)

(ならば、私は…)



一方的に殺られてしまうよりも、せめて…




「殺戮を此処にーー…」




肌に伝わる死の予感。それを振り払い、天に弓を掲げる。

「太陽神(アポロン)よ月女神(アルテミス)よ…」


(ならばここで、相打ちとなるまで!)


矢を持って加護を訴える…私がやられたとしても、その後に

(「災厄」によって、アサシンを葬ることが出来るはず)

私が去った後、マスターがどうなるかは分からない。
けれど、ここで無駄死にするくらいなら、アサシンを巻き込んでやる。
あのセイバーのマスターが気がかりだけれど、

私が消えた後は、どうする事も出来ない。
それだけが、心残り。


(どうかマスター、ご無事で)


私の矢の祈りが届くか、アサシンの刃が私を切り裂くか。
1つ時が進むにつれ、緊張が高まる。


(間に合え…っ)




その刹那








(ーーーーーーーーーーーッッ………)









矢を捨てた。
弓を消した。
霧もアサシンも放棄して、
傷ついた左足で地面に踏み込んだ。






「ッッ…呉羽ッ!!!」






霧を、障害を「越える」ように地面を強く蹴る。


「え?クレハ?」


驚いたのかは分からないが意外そうな声を漏らす。
 
そのすぐ後。


グチャりと

肉が、形を無理やり歪めるような音がした。





「ッグゥあううぅ…ッッ!!」




それは、己の体から発せられたもの。
刻み込むように、鋭い痛みが全身に伝わる
。胴体が真っ二つに裂かれるように刻まれる刃。
手も、足も、骨と肉が断たれるような。
刃物でそのまはま、神経が乱暴に経たれるような肉と肉の繊維が破れるような
第三者によって中身を切り開かれる感覚がした。
ビタビタと、身体中から血が溢れ出る。
少し力を入れただけで、鮮血の流れは勢いを増す。
まともに当たっていたら、霊核ごと、壊れていただろう。
けれど、「防ぐ」ことは不可能でもきっと、何かしらの方法で「避ける事」や、
できる限りの損傷を抑えることが出来るのかもしれない。
例えば、アサシンの気を、一瞬でも逸らして、狙いから少しでも外させる等。
だから、奇跡的に、私は生きていた。

(大丈夫…っ!体は持っている!)

痛みは耐えるだけだ。己との勝負。
なんとか形を保っている右足を踏み出す。
そのまま、「マスター」のいる方角へと走り出す。
山の向こうまで広がる草原を幻想郷アルカディアを超えるように
恐らくそこは、この霧が晴れた先。同時に伝わった彼の命の危機。



(感じた。感じた!マスター…マスター…っ!
呉羽ッ!!)



今、きっと、マスターが危ない。







「なんだっけ?えっと、たしか、
クレハって、マスタぁの知り合いだっけ?」







………………………………










「…」









「遅かったじゃん」
「…」

マスターは建物の入口に居た。
離れた場所に、見知らぬ学生が1人。
そして、あの青い髪の男と、赤い服のバーサーカー。

体を引き摺って、マスターに近寄る。


「…マス、ター」


返事はない。彼は地面に伏したまま。
腹部から出血していて、血溜まりができている。
瞳は今朝見たように、濁っていて輝きがない。 
まだ、微かに息はあるようで虚ろな目で、私を見上げた。
傷を広げないように、マスターを抱き起こす。

「…っ…ァ…ヂゃ…ぁ、ご、ご…ぇ…」
「喋らないで…!マスター…マスター…っ」

アサシンの挑発に乗るべきではなかった。マスターは1人では戦えないのだから。

「マスタぁ。どうなったの?作戦成功したの?」
「…」

アサシンが、学生のそばに現れた。マスターはあの黒髪の男だったらしい。

「…なあ、あんたって…呉羽さんの…友達…じゃなかったの?」
「…」
「カフェ、で、あんたのこと、楽しそうに、話してた…のに」

アサシンのマスターの問に、バーサーカーのマスターは眉を顰める。

「…ちょっと前まではそんなフリもしてたよね。
聖杯戦争始まってからは、ただの敵だけど」

ぎ…、と、何かに力が入る音がした。
アサシンのマスターが、震えるほどに、子無事を握りしめている。


「……っそんな簡単に友人を切れるのかよ魔術師は…!
人の命を…なんだと思っているんだよっ!」

黒髪の学生は感情に任せて叫んだ。

「大切に、思ってくれている、友人がいたのに…!

お前も、
命を何とも思っていない…

薄汚れた魔術師だったのかよ!」




その言葉を境に、場の空気が変わった気がした。

バーサーカーのマスターは、
今まで黙って聞いていたけれど
先程の叫びを聞いた途端、

ギリギリと、ここからでも聞こえるような、
歯ぎしり音が聞こえた。



「ーーーー……ッッ」



少なくとも、私は見たことも無い剣幕だ。



「あんな奴らと一緒…?ふざけんなよ…」



マスターを静かに抱き寄せた。
相手は錯乱している。
何をしてくるか分からない。


「俺はアイツらに踏み躙られた側なんだよッ!
そいつらに復讐して何が悪いっ!!
「俺達」を犠牲にして生き残ったそいつに!
絶望を与えて何が悪いんだよっ!!

何もかも忘れて!のうのうと生きてきた無責任のくせに!!」

「…っ…」

怒りを叩きつけるような、憎悪の叫び。どこか、苦痛とも取れるような。
アサシンのマスターは、言葉を失ってしまった。呆気に取られている。

「…ッ…」

マスターは、力ない瞳で、彼を見つめていた。
何か、言葉をかけようとしたのだろうけれど、傷のせいで、声にならないのだろう。


「こんなに腹たったの久しぶりだ…っ。もういい。最悪の日だ。

全部壊せ、全部壊せ、全部…」 


彼は右手を掲げる。


「バーサーカー、令呪、1つやる。
さっき、食らった魔力も使っていい。


だから
宝具で、辺り一帯吹きとばせ」



高く挙げられた右手が、眩い赤い光を放つ。


「ーーーーー…」


バーサーカーはその一言で、槍を深く突き刺した。
その赤い瞳はより、輝きを増している。微かに地響きが聞こえる。
白い髪はゆらりと持ち上がり、生き物のように広がって、
突き刺した槍は、真っ赤で刺々しいスタンドマイクのような形へと変わった。


「マスタぁ、やばいかも。捕まって」
「ぇ…っぐえ!?」


アサシンはいち早く危機を察知した。
マスターの襟首を掴み、血を強く蹴って走り去ろうとする。
荷物を持つかのような感覚で、マスターの少年は振り回されていた。

バーサーカーは、大きく息を吸った。空気を揺らし、風を巻き込む姿は、
まるで、嵐を巻き起こす赤龍の様。
私達も、早くこの場を去らないと、巻き込まれる。


「…っマスター、傷が痛むだろうけど…ッ我慢して…」

全身に走る痛覚を無視して、マスターを抱き起こす。

(…まだ傷は治らない。けれど、ここを去らないと…)


「…アーチャー…」
「マスター…?喋らなくていい、傷が広がるから…ッ」


腕の中から、か細い声が聞こえた。
痛むのだろう、腹部を手で抑えながら、

それでも微笑む彼の姿があった。



「…っ…アーチャー、だけ、逃げて」
「ッッッ…なんで!」



なんで、そんな姿で、こんなことを言うのだろう。

彼は本当に、ほんとうに



「竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)ーーーー…」





「迷惑、かけたくないから。
お願い、アーチャー」




マスターの右手が、眩く光ってしまった。

令呪が、使用、されてしまった。

体が、消えていく。彼に、触れることが、出来ない。




「呉羽ぁッッッ!!!」





視界が切り替わるその時まで、彼は、笑顔だった。







…………………………









そこは、
セイバーのマスターの自宅。

屋根の上に飛ばされたらしい。
不安定な足場だけれど、立てないことは無い。


「っえ!アーチャー!?何故ここにいるのです!?」

隣にはセイバーがいた。彼はずっとその場にいたらしい。

「っそれよりも!貴方体が、ボロボロではありませんか!何があったのです!?」
「…」


セイバーが立ち上がり、私に詰め寄ろうとした時だった。



天と地、両方をも揺るがす、「咆哮」が聞こえた。




「っ!?」
「ーーーーーッ…ぁ」




大きな煙が立っている。

爆弾を使用した、ような
眩い光が起きたわけではない。

あの「雄たけび」そのものが、
音波兵器となり、
周りのあらゆるものを破壊した。

声が形を持って、
地を抉った。

といったほうが
正しいのかもしれない。

ここは、「あの場所」からかなり距離はあるはず。
それでも、視認ができるほどの大きさで、被害が確認できた。


「なんです!?爆発!?
駅あたりでしょうか…あの規模…尋常じゃ…」


まだ痛む身体など見ないふりをして、屋根を蹴り、飛び上がる。


「アーチャー!?どこへいくのです!」


セイバーの声を聞いている暇などない。

(マスターッ…マスターッ…)

まだ、パスは消えている気配はない。
どこかで生きている。間に合う。
間に合うはずなんだ!



(私だけ生き残っても、あなたが死んでしまっては、意味が無いじゃない…っ)






………………………………………







「元の場所」にたどり着いた。

と言っても、ほぼ、大体の方角を頼りにしただけであって

どの場所に、あの小さなビルがあったか、など、分からなくなってしまった。

近くにあった駅は、辛うじて形を保っている。
が、周辺の建物は、ほとんど瓦礫と化してしまった。
土煙は消えることはなく、息苦しさと共に、視界を邪魔している。


「………」


じゃり、じゃりと、1歩ずつ踏み出す。

(マスター…)

右から、瓦礫に埋もれたであろう、女性の声がする。
手を伸ばし、助けを乞う叫びが聞こえる。

(…ッ…マスター…)




人形を抱きながら、歩き回る少女がいる。
母親を探す、少年がいる。
死んだ母親の傍で、泣き叫ぶ赤ん坊がいる。



(ーーーーーッッ……)



目の前が真っ赤になりそうだ。
拳を握る。
強く握る。
爪が皮膚にくい込み、血が滴っていた。


(今は、マスターを探すんだ。目的を見失うな)


だめだ。
見るな。
…見るな。

唇を噛み締め、再び歩き出す。


何メートルか歩いた先で、見覚えのある2人が居た。


「…っアサシン?」

「あ、アーチャーのお姉さん。生きてたんだ」
「…」


アサシンが、笑みを浮かべてひらひらと手を振る。
彼のマスターは、どこかで傷を負ってしまったらしい。
右足に深い疵があり、出血している。
が、命に別状は無さそうだ。

「戻ってきたんだけど、マスタぁが怪我しちゃったからね、今手当してるの」
「いっっって…お前が、乱暴に、運ぶからだろ…ちょ、ほんと、いたっ…」

「丁寧」とは到底思えないような手つきで、彼の傷を縫合していく。
綺麗と言えない、「ツギハギ」のような形の縫い目だった。
最低限の医療知識は備わっているらしい。

「…アーチャー、その、呉羽…さん、は?」

アサシンのマスターが、恐る恐る訪ねてきた。
目をふせ、首を横に振る。

「令呪を使って、…私だけを、離脱させたわ。
彼だけ、ここに、残っていた」

「っ…じゃあ、あの宝具に、巻き込まれて…」



ーーーアーチャー、だけ、逃げて



「ッッ…」

思い出して、振り払う。
まずは見つけ出すことが先決だ。
爆発のような衝撃だ。どこか別の場所に吹き飛ばされていても、おかしくは無い。


「…ぁ」


辺りを見回した時、北東の方角に、瓦礫の隙間から、人の腕が飛び出しているのを見つけた。
その服の袖は、よく知る、黄色いセーター。

「…!」

急いで駆け寄った。
黄色いセーターだけでなく、見覚えのあるブレスレットも付けられていた。

「っ呉羽…?」

その人物に覆い被さる瓦礫を除く。乱れた赤い髪に、黄色い髪飾り。
薄汚れてしまった檸檬色。
間違いない、私のマスターだ。


「呉羽…っ!しっかりして…」


抱き起こし、軽く頬を叩く。
まだ体に温もりがあるけれど、反応はない。
腹部の刺し傷はより酷くなっている気がする。
吹き飛ばされた時に負傷したのか、頭部からの出血が止まらない。

「…ッッ…どうすれば」

私は回復魔術を使える訳では無い。
アサシンに頼んでも良いが…。
先程のような、外科手術に特化したスキルならば、
この状態のマスターにあまり意味は無いかもしれない。
傷だけを治したとしても、
生命力を取り戻さなければ、共道手遅れになってしまう。

今必要とされている医療は、それよりももっと高度な技術だろう。
彼のマスターに、回復魔術の心得があるかも…不明。

セイバー陣営を、待っていたとしても、彼が事切れる方が先。


「ーー…」


腕に着いている、ブレスレットを見る。
あのマスターから付けられた礼装。魔術刻印の、封印。


(…あの魔術を使用する度に、マスターの記憶は失ってしまう。
乱用は、危険が伴う…)


けれど、そうしないと、マスターは…


「…ごめんなさい。マスター」


腕輪を掴み、
力任せに引きちぎる。

弾けた糸はその場に広がり、
青い光となって消えてしまった。

そのすぐ後に、彼の体全身に、何本もの、青白い筋の光が光り出す。


「…」

みるみるうちに腹部の傷は収まり、血も止まっていく。
傷1つない、綺麗な肌に戻っていき、頬に、再び、赤みが差す。


「え…なに、それ」


アサシン陣営が、追いかけてきたらしい。
目の前の光景に、戸惑っている様子だ。

「マスターの…魔術。
といっても、マスターに、この魔術の詳細は分からないみたいだけど」
「それっ…て、どういう…」
「っ!」

閉じられていた瞳が、
かすかに震える。
ゆっくりと開いていき、髪色と同じ、朱色の輝きが戻っていた。


「…………アー、チャー…。
 無事、だったんだね」

「マスター…っ
呉羽ッ…!
本当に、馬鹿な事をして下さる」



温もりの戻った額を撫でる。
いつもの笑顔が戻った彼に、微笑み返す。








「…っ…そうだ…

オレは…カフェに…



!きょーくんは!?」




マスターは勢いよく起き上がり、すぐに立ち上がる。


「…」


マスターは、立ち尽くす。
言葉を発しない。
ゆっくりと、首をまわし、
周りの「惨状」に目を向ける。



「…え」


「なに、これ」




「なん、なの…?」












ーーーーーーーーーーーー
(はしらside)








世界って、突然変わってしまう。










…………………………………








ビルに着いたら、2階に上がって、兄に一言声をかけるんだ。

そしたら兄は、
困ったように笑って、
「仕方ないな」って言いながら
お手伝いを許してくれた。

店員さんも、
お客さんも、
皆、優しかった。




「…っぁ」





暖かい場所はどこ?
優しかった人達はどこ?

兄ちゃんは、どこ


間違えるはずがない。
大好きだったあのカフェがお店があったビルが



「全部」無くなっている。



「…っ……」


変わり果てた空。
周りを包み隠してしまう灰色の砂埃。
いつかのドラマで見たような光景だった。
周りの景色も、何もかも、
違う。
こんな、こんな、
地獄のような場所じゃなかったのに。


「マスター…」
「…。
にい、ちゃん。
探さ、なきゃ」


それらしき「人」はどこにも見当たらない。
巻き込まれたのなら、助けなきゃ。

でも、何処に、何処に。


「待ってマスター…ッ」


歩もうとした時、腕を掴まれる。
一刻を争うのだから、
止まっている時間はないのに…っ


「何キャスターッ…早く、探さないと…!」
「あそこ…

マスターと、サーヴァントが、いる」


キャスターが指さした先。
瓦礫の上に立つふたつの影。

煙で霞んでいるけれど、赤色のフリルのスカートを、視界に捕えることが出来た。
こちらに気がついたのだろうか。ゆっくり、ゆっくり、近づいてくる。

「あれ?マスターとサーヴァント?初めまして」
「…」

1人は、青い髪をした青年だった。
人懐っこい笑顔を浮かべているけれど、この景色とは、あまりにも釣り合わない。
隣にいるのは、サーヴァントだろうか。
赤黒い日本の角と、大きな尻尾がいやでも目立つ。


「…っ…こ、れは、
一体、なにが、あったの?」
「んー?」


「もし、かして」


これ、全部。全部、やったのは…


「ねえ…お前が…お前が、
やったの…?

こんな酷いこと、全部、全部やったの!?」



どこか確信を持っている問いなのに、
心の隅で、否定して欲しいという気持ちがある。
これは、何かの悪い夢で。何かの、幻覚で
そんな、淡い希望



「そうだけど?」
「ーー……」



小さな希望でさえ、持つことは許されない。
心に強く、「現実だ」と突きつけてくる。


「3階建ての、真ん中にカフェがある所、知ってる?
本当は、そこを「喰ったから」帰ろうとしたんだけど、
ムカつく奴がいたから、辺り一帯吹き飛ばしちゃった。死んでるといいな、あいつ」



3階建て
カフェ

く、われ、た?



「…く、…うって…」
「バーサーカーは魔力不足に陥りやすいからさ、
こうやって、人から生命力を奪って、魔力供給すんの。
「魂喰い」…魔術師なら聞いた事くらいあるんじゃない?
俺のは、あの薄気味悪いやつから教えてもらったやり方だけど」



魂喰い…



(いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ)



無辜の人々から生命力を奪い、サーヴァントの魔力を回復する




「運良く人が多かったみたいだね。
子供連れもいたし、学生も大人もそこそこ居たよ。
従業員は、なんか一人だけだったな。

茶髪の、でかいヤツ」




(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ)




「1階も2階は、目撃者を減らすため、と…ついでなんだけどね。
だから、最初から食べようと思っていたのは、そのカフェの階だよ」



だから、その中に、いた、人達は






「あれ?もしかして、

君の大切な人でもいた?
残念だったね」







今の、彼の顔が、
悪魔に見えた。








「ッッッキャスターぁぁぁぁぁぁぁぁあっっっっ!!」








景色が血の色で染った気がした。
自分の腕に爪を立てているけれど、全く気持ちが収まらない。
感情のまま、心のまま、叫び出す。



(許さない。
許さない。
許さない。
許さない許さない許さない……!!)




「あいつを倒してッ!
アイツらを倒してッッ!!

ひとつ残らず、
この世から消し飛ばせぇぇぇえぇぇぇッッッッツ!!!!」




「ーーーーー…マスター…っ」


右手が強く、光り出す。


(なんだっていい!
なんでもするから、あいつらを…っ!!)


何か話そうとしたキャスターは、
口を閉ざし、静かに首を縦に振る。


「…了解、マスター」


キャスターが懐から、
宝物のような輝きを放つ、大きな巻物を取り出して、
手元に広げた。

黄金の光を纏い、キャスターの魔力が溢れ出す。


「語りましょう…、今宵は、どのようなお話がお望みですか」


バーサーカーは動かない。
静かにキャスターを見据えている。


「求めたのは次の夜。
そしてまた……次の夜。これは私の言の葉が紡いだ、終わりなき願いの物語」


瞬間、眩い白い光が周りを覆う。
咄嗟に目を閉じてしまった…といっても、

瞬きするような短い間だったはず。

なのに。



「ーー…これ、は」




視界が広がった時、
その場所は黒煙が広がる瓦礫の山…ではなく、



どこか、別の場所。知らない遠くの国。





「千夜一夜物語(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)」





西洋だろうか。
煌びやかなドレスに身を包んだ淑女。
たくましい鎧を纏った兵士。
見慣れない人で溢れ、
見慣れない言葉と景色で五感が埋まっていく。



(キャスターの、宝具?
固有、結界…なのか)



『彼女は元から狂っていたのかもしれません
周りがおかしくさせたのかも知れません。
けれど、それを咎めた人間は、存在しなかった』



ひとつ、若い茶髪の少女が、甲高い叫び声とともに、赤い血とともに弾けた。
2つ、金髪の髪をまとめた少女が醜い叫び声を上げながら崩れていく。
ひとつ、またひとつと絶望と嘆きが重なっていく。
眩しかったひとつの王国は、
いつの間にか黒い空に覆われていき、地が鮮血の海へと変わり果てていく。



『彼女は欲望のまま美を求め、血で染めあげた。
彼女にとって、国民は「搾取するだけの生き物」としか捉えていなかったのでしょう。
暴虐の限りを尽くした王女は、
「やっと」罪に問われることになります』



黒く染った空が、彼女の頭上を覆う。

「…ーーー…ぁ」

 
バーサーカーの瞳が揺らいだ気がした。
絶望と、恐怖と




『彼女は叫びます。
「私は何も悪いことはしていない」
「誰も罪を咎めなかった」
「こんなことはおかしい」

けれど、その叫びは誰にも聞こえません。
誰の耳に届くことはありません。
その牢獄は「あなただけの懺悔室」何ひとつの温もりなど無い。

生涯を終えるための、暗闇』




やがて暗闇は彼女は、黒く大きな檻の中へ入っていた。
その場所は、暗い暗い、地下深くの牢獄。


キャスターとおれは、哀れな王女の末路を、見届けていた。



「…ぁ」


バーサーカーは、大きな槍を手放し



「あぁ…っ」



やがて力なく膝を付いた。






「ぁぁぁぁぁぁぁぁあっっっっ!!
いやあぁァァァァァァぁぁぁああああアアァァァァアッッッ!!!」





そして王女は喚き、叫び、絶望する。
白い髪を乱暴に掻き乱し、ある時は目の前の折を掴み、これでもかという程に揺らす。
もちろん、外れることも無く、動くことも無い。



「出して!出して!出して!出して!出して!出して!出して!出して!!
出して出して出して出して出して出してぇええッッ!!!」



それでも彼女は止まることは無い。
なにかに取りつかれたように縋るように、ただ、泣き叫ぶ。



「なんで誰も止めてくれなかったの!?誰も悪いなんて言わなかった!!
誰も私を咎めなかった!!」



拒み。否定。

「私は悪くない」と、
頑なに、現実を受止めきれないでいる。


(…。
血の伯爵夫人。美しさのために、
自らの国の少女を拷問し、殺し続けた、女吸血鬼とも言われている。
エリザベート・バートリ)


有名な殺人鬼だった。おれでさえ知っている。



「嫌よ!嫌よ!嫌よ!
こんな所で死ぬなんて!!
私は悪くないのに!!」



700人以上の少女を拷問した。
その生き血を浴び、「己の美しさ」を保っていたとも言われている。
救いようのない犯罪者。
この結末になるのも、きっと、当然の報いだと思う。



「誰か聞いてよ私の叫びを!!隣にいるだけでいいの!!
誰か私の手を取って!!」



手を伸ばし、必死に助けを乞う少女。
バーサーカーでもない、サーヴァントでもない。

そこには、「間違いを叫ぶ少女」が居るだけだった。


(誰かが、「間違っている」と、言ってくれる人がいたなら、
彼女はこんな終わり方をしなかったのだろうか。

暗く深く、誰にも見つけられることも無い、声が届くことも無い場所で1人
泣き叫んで、苦しんで、死んでいく終わり方)





「誰か私を…っ!
私を…、
見つけてよ…っ」





今なら、寄り添うことが出来るのだろうか。
檻へ縋る少女へと、伸ばしかけた手を、
止める。


(…どんなに、最期が哀れだとしても、
夫人が犯した罪は、許されることじゃない。
これはきっと、「子供のわがまま」だ。しょうがないことで、済むことじゃない)

(きっと、それが正しいのだと思う)


目をそらす。彼女が己の罪を向き合う時は、
最後の最後まで、来なかったのだろうか。

それとも、命終わるその時だけは、
神へ、懺悔したのだろうか。




『こうして彼女の血に濡れた生涯は、
誰の目に触れることも無く幕を閉じました。

これは喜劇でしょうか悲劇でしょうか

私はただの語り手。
善か悪かは、あなたが決めて。

今宵はここまで。
明日はきっと、華やかな国に戻っているでしょう』



キャスターは巻物を閉じる。



『明日はさらに、心躍るお話を』



檻の中のバーサーカーは横たわり、
反撃をしてくる気配がない。

その手は最後まで、檻の外へと伸ばされていた。



(…前世でも、サーヴァントとして現界した今も、
同じような、過ちをしてしまったんだ)




暗闇が晴れていく。
キャスターの、固有結界が終わりを告げる。
辺りは再び、瓦礫まみれの現代へと戻っていく。

バーサーカーはもう、戦うことは不可能だろう。
横たわったまま、動かない。外傷は何一つ付いてはいない。
けれど、「精神」を堕とされてしまったのなら、体はきっと答えることが出来ない。

まだ、理性が残っているバーサーカーだからこそ、出来た技。



(…これが、キャスターの力。
物語の中へ取り込み、
相手を「登場人物」として仕立て上げる。
もはや、洗脳に近いと思う。

語り手である彼女だからこそ、為せる宝具)


きっと、彼女の真名は…







「止められなかったんだ。悪いと言われなかったんだ。
だったら、文句を言われる筋合いなんてないだろ」







「っ!」
突如聞こえた、第三者の声。
どこか怒りが含まれた、低く淡々とした言葉。



「俺はそんな奴らごと、殺してしまいたい」
「…」



何かを仕掛けるつもりだろうか。
横たわるバーサーカーの傍に寄り、右手を差し出す。

その表情は、
悲惨な者を嘲笑うようなヴィランの顔だった。 




「バーサーカー。
令呪を持って命ずる。

もっと、狂ってしまえ」





赤い光が放たれる。
バーサーカーは、ピクリと反応すると、苦しそうなうめき声を出す。
頭を抑えながら、体を転がし、のたうち回る。


「狂化ランク、もっと上げちゃえ」


やがて、彼女は人形のように立ち上がった。
美しかった白い髪は乱れていて、
白い牙を剥き出していた。



「ヴ…ぁ…うァ…ア゛ア゛う…ッ!!」



「過去なんて関係ない。
知性なんか、要らない。
頭で考えるな。

お前は、「暴虐」を楽しむことしか出来ない殺人鬼だよ」



呪いのように、暗示のように。
彼女の頭を苦しめていた「過去」を、理性を飛ばさせる事で克服する。
同時に、意志あるサーヴァントとしての言動を捨てさせる。

「怪物」

言葉で表すならば、一番当てはまるだろう。




「ゥア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァアアァッッッッ!!!」




空気を揺るがす雄叫びを上げた。
眼球はすべて赤く染っていた。
冷たく鋭い少女の瞳ではなく、怒り狂った竜の眼のよう。
頭の角は顔の大きさほどに成長し、尻尾は太く伸びていき、地面を叩く音が重くなった。
先端は鋭利な刃物のようになり、より殺傷能力のある形へと変貌する。
理性を飛ばした赤眼は、我輩を真っ直ぐにとらえた。



「ァァァ…ァァァァ…ァア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッッッ!!!!」



 赤い槍を握り、咆哮を上げて、翼を広げる。
赤く、大きい竜の双翼を羽ばたかせ、
バーサーカーが勢いよくその場を飛び出した。
その矛先は、我輩へと。


 
「ッ…」




逃げなきゃ。

殺されてしまう。

後ろへ後ずさり、
後方へ走りながら強化魔術を掛ける。



「Lauf…ッ」



振り返って、
バーサーカーの様子を伺った。



「っ…」




1小節も、
唱えられない内に

赤龍はすぐ側まで迫っていた。



紅一色の眼球に、自分の顔が映っている。
目と鼻の先に、鋭い赤槍があった。

「間に合わない」と、
本能で悟ってしまった。

自分にその刃が届くまで、全てがスローモーションに見える。



(…これが、走馬灯なのかな)



死んでしまう。
理性を失ったバーサーカーはきっと、
おれの命が尽きるまで、その槍を止めることはないだろう。

(きっと、これも、油断したおれが、悪いんだ)



瞬きする間に来る、 想像しがたい痛みに目を閉じて構えてしまう。




(ーーーーー…)





痛覚は感じなかった。


その代わりに、
「何かがぶつかったような衝撃」が、全身を襲った。








「っマスター…っ!」








とても、聞きなれた声。
ずっと、そばに居てくれていた、あの声。



キャスターの声が聞こえた瞬間、






「ヴァァァァァァア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッッッ!!!!!!」






バーサーカーが、「彼女」の胸を、貫いた。
禍々しい朱の色をした槍は、彼女の鮮血を浴びていた。

暴竜はそれだけでは収まらなかった。
彼女の頭を掴むと、地面へと思い切り叩きつけた。
何度も、何度も、近くの瓦礫へ叩きつけ、
その体を振りまわした。
キャスターに怒りを向けているというよりかは、
「なにか」を振り払いたいようだった。

耐えられない。
何もできない。

「や…めて…っ」

目の前で起こる暴走に、
ただ、叫んでいた。


「もうやめて!!
やめてっっ!!

キャスターを離してよおおおおおっっ!!!」


「゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙アアアアアアアアアアアーーーーーッッッッ!!!!」

再び、脳を揺るがすほどの叫びをあげる。
頭を掴んだまま、「彼女」を
数10メートル離れた場所へと投げ飛ばした。

キャスターの体は空を舞い、
やがて地へと追突する。


「…っ…!!」



キャスターは、動き出す気配はない。

「…」

震える足を叱咤して、歩みだす。




(キャスター…



キャスター………)





大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。


生きている。
きっと
生きている。










「…っバーサーカー、
もういい。
戻れ」


「ア゙ア゙…ア゙ア゙ア゙…」


「餌をまた食わなきゃいけなくなっちゃったし。
あれは放っておいていいよ」



「ア゙…ア゙…」






「…赤の他人に、よくもまあ

そこまで命張れるよね

あいつといい…



意味わかんない」








…………………………









「ーーーー…」





キャスターは、ぐったりと倒れていた。
全身は血まみれで、
周りの瓦礫は彼女の血液によって、真っ赤に染ってしまっている。

胸の真ん中に、大きな穴がぽっかりと空いていた。


「…ご、めん。
霊、核、
やられ…ちゃ、た。

……き、え…っ…ちゃう…かも」


「っっ…」


慌ててそばに駆け寄る。




その事実は、

聞こえないふりをした。


「なん、なんで…庇って…っ」
「…あの…、時、
た…っけ…て、くれ、…っから。

次、は、わた…っが、助け…な…き…ぁ」


(霊核がやられた…壊されたなら…
キャスターは…キャスターは…っ!!)


いやだいやだ!
そんなの受け入れない!

認めたくない!

認めたくない…のに


「きゃ…スタ…ごめ、ごめん、なさ…おれ、…」

「あ…やま、…ぁ、な…、で。
きみ、は…すご…っ…い、
…だ、れかの…た…めに…、おこ…て、
いの…ち…っを、か…っけ、れ…こと、す、ご…と、おも…っ」

掠れた声で、苦しそうなのにそれでも笑顔を見せる彼女。
余計に、心が苦しくなる。
どうにか助けてあげたいのに。

「あ…ぁ、死…は、
こわ…っ…いし…っあじ…わいた…く、
な…はず…っだ…っのに…
かば…ちゃ…った。


あぁ、
そ…っか」






「思い…出した。
私は、「私」だったね」







「自分自身に」に話しかけているようだった。
安堵したような、納得した声。


「「彼女」には申し訳ないけれど…、
死ぬ痛みは、私が全部、引受けるから…許して欲しいな」


キャスターは独り言をつぶやくと、
おれの方へ向き、弱々しい手つきで、頭を撫でてくれた。


「大きくなったね、はしらくん。
…別の、お兄さんの方から、よく話を聞いてたよ」


「ーーー…ぇ」


その言葉の意味が分からないまま、彼女は消えていく。

光が溢れ、足の先から透けて、溶けていく。

キャスターが消えていく。



「い、やだ…やだ…キャスター…」



どうにかしたいけれど、令呪はもうひとつしかない。
使ったって、その後どうするのか…という問題になってしまう。

(何にも、何にもできない…!)


「好き嫌い、しちゃダメだよ…」


「消え、ないで…ッねえ…!
魔力、全部、持って行っていいから…!キャスタぁ…ッ…」

キャスターの服の裾を強く握る。
縋るしかできなかった。祈るしかできなかった。
意味が無いと、分かっているのに。

(消えないで。行かないで。置いていかないで。
なんでもするから、なんでも言うこと聞くから)


「1人で、頑張り、過ぎない…よう、にね。…あと…」


願うも、虚しく頭の上の温もりが消えた。
最後の最後まで

体の全部が無くなったその時まで



「また、この街に呼んでくれて…

ありがとう」



「楽しかった」






消滅した最期まで、
彼女は笑顔だった。







「ーーー…っ…ぅ…ぁ…ッッ」






手の中には何も残っていない。
ただ、自分の手を握りしめているだけで。
縋っていたものは、跡形もなく消え去った。

彼女の形は、何も残らない。
サーヴァントの「消滅」。

キャスターの、綺麗な髪も、物語も、笑顔も。



「…やだ…いやだ…いやだ…いやだ…」



ふと、右手を見る。
刻まれた、残りひとつの令呪は、見る影もない。
何も刻まれていない手の甲は、「敗退」の証。
もう、最後の希望まで無くなった。


「キャスタあ…キャスタあああ……っ」


我輩は
おれは
もう


マスターでも、なんでもない。



「あ、ぁぁ、あ、

あああ…っっ」 




受け入れたくない。
受け入れたくない。
受け入れたくない。
受け入れたくない。






希望なんて
夢なんて
期待なんて




持っていたって

砕かれてしまう、だけだった。












『サーヴァント、キャスターの消失を確認。
柴野はしらの令呪は、聖杯に回収されました。
事実上の、敗退です』












ーーーーーーーー
(呉羽side)










「なにが、起きたの…?」


辺り一面は、世紀末のような惨状。
どこかで、カンカンカンと、消防の音が聞こえる。
救急車のサイレンも、遠くから近づいてくる。


「…。
バーサーカーのマスターが、宝具を使用したのよ」
「宝…具?」
「サーヴァントの切り札みたいなものよ。
詳しい説明は後にするけれど…」
「じゃあ、バーサーカーの、せいで、こんなことに…?」

1歩後ずさった右足に、とん、と、なにか固いものが当たる。

「ーー…ひ…」

瓦礫からはみ出ている、人の足の形をしているもの。
「足の先」は、建物の残骸が折り重なっていて見ることが出来ない。
けれど、その周りに広がる血の海が
「この生き物」の行く末を物語っていた。

「ーー…」


「あの周辺一帯…このような現状よ」


アーチャーの、堪えるような小さい声で告げられる真実。

「じゃあ…心幸さん達も、この瓦礫の下に…?」
「…」

アーチャーは答えない。
肯定か、沈黙か、分からなかった。


「マスター。
きっと、彼らは魂喰いにあっている」


「…た、ま…、…っえ?」


語られた言葉に聞き覚えがない。
冬斗君は眉をひそめて、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「人々の生命力を吸い取って、サーヴァントの魔力に変換する儀式。
その名の通り、魂を食らうのだから、その人たちは…」



「…消え、た…

死、んだ…って、こと…?」



「…」

2度目の沈黙。
瞳を閉じて、何も喋らないアーチャー。

これはきっと、「肯定」だと思う。



(…。
じゃあ、もう、あの時)



オレが訪れた時には、
もう。



「っ…」



居てもたってもいられなくて、その場から離れる。
崩れたコンクリートだらけの地面へ目を凝らしてみたり、
手で掘り起こすように掻き分ける。


「マス、ター…」
「…」


見覚えがある机があった。
親しみのある看板があった。
使い慣れた、食器があった。

このあたりはきっと、
オレが大好きだった場所なのだろう。


(全部、壊れちゃったんだ)


手に取った茶色いドアの破片を、持ち上げる。



「……ぁ」



その下には見慣れたエプロン。
そっと、手に取ってみる。
カフェで使用する、焦げ茶色の前掛け。


裏には、「柴野心幸」と書かれていた。



「…」



温もりなんてない。
アーチャーの話が本当なら、とうの昔に「無くなって」しまった。
文字通り、何もかも。
声も、笑顔も。


「…っ…なんで…っ」


汚れたエプロンを抱き寄せた。
握りしめすぎて、皺になるかもしれない。
でも、こうしないと、自分がどうにかなりそうだった。


「心幸さん…、弟のためだって、毎日頑張ってて…。
いつも、優しくて、何にも…悪いこと、してないのに…!」


ボロボロと目から雫が落ちていく。
止まることは無い。
いつも誰かのためを思って、正しく生きていただけ。
自分の状況を恨むことだってしなかったし、
弟を悪くいうことだってしなかった。

ただ、毎日、弟の幸せ願ってただけなのに。
なんで、そんな人が、犠牲になってしまうの?

「…っ」

ふと、抱きしめた前掛けに、なにか硬い異物を感じる。
おそらくポケットに入っているんだろう。

「…あ、スマホ…」

透明なケースカバーの着いた、黒色のスマートフォン。
心幸さんの私物。画面はヒビが入っているけれど、まだ使えるかもしれない。


「…」


消えてしまう前に、彼が何か残していたのかもしれない。
誰かに、伝えなきゃいけないことが、あるかもしれない。

少しでも、生きていた彼を感じたくて、
電源ボタンに、触れた。



「ーーーー…………」




心幸さんは、パスコードを掛けない人だったみたいだ。
簡単に内容を見れてしまった。

それは、きっと。


「……こんなの、だめだよ……」


最愛の人に向けられた
何気ないけど、大切な言葉。




(この世はきっと、酷い神様が見守ってるんだ。
じゃなきゃ、

あんな、優しい人が死ぬわけないんだよ)




「…っ伝えたら、いいの…?
こんな、の…今…見たら…っ!


…わかんないよ…っ…」





「わかん…ないよ…ぉ…っっ!」






……………………




スマートフォンを手にもって、その場を去ろうと立ち上がった。

「マスター。
アサシンたちが、もう一人のマスターを見つけたらしいわ。
…おそらく、脱落したマスターよ」
「…」

オレの後ろにいたアーチャーが、優しく肩に手を置いた。

大丈夫か、と、遠回しに心配されているようだった。
少し微笑んで、何も言わずにうなずいた。


「わかった…。
いこっか、アーチャー」
「…」


崩れ落ちそうな足を悟られないように、
アーチャーの後ろをついていく。






……………………








「…」


小さな、男の子がいた。


「兄、ちゃん」
「きゃすたー」


その子は、瓦礫でこすったのか、
手がぼろぼろになっていた。

それでも少年は、コンクリートのかけらを掻きわける。
何かが「ある」と信じて。
何も「受け入れない」瞳をして。


「はしら、くん…」
「…っ…ぇ?」


「柴野、はしら…っていうんです、この子。
キャスターの、マスターで…」




「ーーーーーーーー………」




口を押えて、逆流してきたものを堪える。
ひゅう、ひゅう、と息が上がる。
肩で息をして、酸素を過剰に吸い込んでしまう。
咽てしまい、苦しい体で、思考する。
してしまう。


(「あれ」にはなんて書いてあった?
はしらって名前…
柴野って名前…。

彼が、キャスターのマスターで…

心幸さんの、弟…さ、ん…)




「兄、ちゃん、きゃすたー、
兄、ちゃん、さがさ、なきゃ。
この、下に、いる、かも、しれない、から。
兄、ちゃん、いなきゃ、
だって、いなきゃ、キャスター、にいちゃ、
きゃすたー、どこ、
兄ちゃん兄ちゃん、兄ちゃん、兄ちゃん」



同じ言葉を繰り返していた。

きっと
瓦礫の下には、彼が求める人は、誰もいない。
誰一人も、いない。

けれど、きっと、それを認めてしまったら、
彼自身が壊れてしまうんだろう。


「…」


握りしめたスマートフォンに、視線を落とす。

(今の彼に、「これ」を、差し出して、良いんだろうか。
余計に、心に、傷を負わせてしまうことにはならないだろうか)

でも、きっと、この思いは
この子へ向けられていたんだ。

「…はしらくん!」

勢いよく、差し出してしまう。
心幸さんの、割れてしまったスマートフォン。
伝えられなかった、「思い」


(なら、きっと、この子に伝えることが、
心幸さんへの、最大の餞)

オレに出来ることは、これくらいしかない。


はしら君と呼ばれた少年は、焦点が定まらない瞳で見上げていた。


「…この、メッセージ…読んで、下さい…。
きっと、あなたへ、むけ、られた…もの、だから」


小さな手で、受け取ってくれた。
彼は、画面を見つめ、瞳を動かしていく。


「……」


彼の濁った赤い目に、涙が溜まって落ちていく。
ぽたぽたと、頬を濡らして
スマートフォンの画面に落ちて。


「…どうして」


掠れて弱々してくて、ほとんど聞こえないような声だった。
けれど、オレ達には痛いほど響いている。
その目は虚ろで、何も写していない。

こんな目を、
幼い歳の少年がしていいわけないのに。



「どう、して、
兄ちゃんが、死ななきゃ、いけないの?」

「ーーーーーー……っ」


何も話さない。話すことが出来ない。
ただ虚しく涙を流すはしらに寄り添うことしか出来なかった。 



「おれ、なにも、出来なかったのに」



何も出来なくて、もどかしかった。

災害を引き起こした彼に怒ることも出来ず、
柴野はしらという少年に、
手を差し伸べることも出来ない。




「兄、ちゃん。
悪いこと、なにも、してないのに」




何も出来ない自分が、
本当に、腹ただしかった。










『はしらへ

ありがとう、正直驚いたよ。
もう、大丈夫そうだな。

お前が強くて頼れる奴で、
俺は本当に誇らしいよ。

もう、過剰な子供扱いはしない。



もし兄ちゃんが困ってる時あったら、
お前に頼るから、助けてくれると嬉しい。



とにかく早めに帰るから、家で待っててな。

晩御飯、本当にありがとう。
楽しみにしてる』




その文章は、届けることが出来た。
あの人の思いを、届けることが出来た。

でも、伝えてよかったのかな。

こんな形で別れを突きつけられて。
分からない。




これが、聖杯戦争なのだろうか。

苦しくて、痛くて、人の幸せを奪って
願いを叶えることが
正しい、なんて。









……………………





次第に、救急車やパトカーが増えていく。
救助隊や、テレビの中継であふれる前に、

オレたちは、その場を離れることにした。


冬斗君は、はしら君を監督役に託すことにしたらしい。
あの場所は中立地帯。
マスターが忍び込み、争いを起こすのは禁じられている。

脱落したマスターが、逃げ込む場所。


はしらくんを抱きかかえた冬斗君が、
最後に、オレへと目線を向けた。



「呉羽さん。あなたのこと、まだ信用したわけじゃない。
次会ったら、また、戦うことになると思います」
「…」

「でも、もし、あなたが魔術師に対して、嫌悪感を持っているのなら、話は別です」

味方とも取れない、敵とも取れない、
何とも不思議な目だった。



「その時は、俺は味方になりますし、力にもなります」




それだけを言い残し、冬斗君たちは去っていった。

「…かえろっか、アーチャー」


隣にいる彼女に一声かけて、帰路を歩みだす。

「…」

アーチャーは動かない。
どこか体の調子が悪いのだろうか。

彼女は視線を泳がせた後、再び向き直った。


「マスター、体はなんともないの?」
「…うん。
アーチャーこそ…大丈夫なの?
あの時、ボロボロ、だったから…」
「私はサーヴァントよ。
霊核を壊されたりしない限りは、大抵元通りになるわ」
「そっか…良かった」

上手く笑えていただろうか
アーチャーの方を見れない。



「…マスター。

やっぱり、無理をしているわね」



彼女には見破られていたらしい。
眉を下げて笑うアーチャーを見て

張り詰めていた心の糸が、切れたような気がした。

せき止められていた涙が、ポロポロと溢れ出す。



「ご、めんね…
分からなきゃ、いけないんだよね。

聖杯戦争は、そういうものなんだなって。

でも…、心が、追いつかないよ…
サーヴァントだって、そこに、生きていたんだ…

食べられてしまった人達だって…!
大切な人がいて!
その人のために…っ頑張って…っ」



また涙が出てくる。

あの少年の、絶望しきった姿が、頭から離れない。



「…。

人の死を簡単に割り切れてしまう人ほど、
軽蔑すべき人間なのではなくて?」
「…っ…アーチャー…」


「あなたは、良くも悪くも、まだ「人間」であるのだから。

…マスターとしては、心構えは不十分かもだけれど、
私としては、その気持ちを完全になくして欲しくは無い。

待っていてあげるから、
今は気持ちを落ち着かせなさい」



アーチャーの言葉は、暖かかった。
本心から語られているのが伝わってくる。



「…そう、だね。ありがとう、アーチャー」
「…」

あとね、とアーチャーが付け足した。

「危ない時は、ちゃんと私を呼びなさい。
役に立つ立たないじゃないの。
あなたはマスターなのだから、頼っていいのよ」
「…」
「言ったでしょう?
死なれては困るのよ。

それに、あまり頼られていないと、
私の方が、役に立たないのかと思ってしまうわ」
「っそ、そんなことない!
そ、その…ごめん。
次から、気をつけます…」


その返答に、くすくすとわらうアーチャー。

(心が、暖かい)

自然と、涙は止まっていた。




(それでも、失ったとしても…
生きる事が…、生き残ることが、
大切だよね)

そう思い、改めて足を踏み出す。



けれど、
アーチャーは立ち止まったままだった。


どうしたのだろうと振り向くと、
先程とは変わり、鋭い瞳でオレを貫いた。



「…分かったでしょう。
彼はもう貴方が知る人ではないことが」
「…っ」
「掘り起こすようなことを言ってごめんなさい。
でも、このことは言っておかないと。

…人の死を、簡単に割り切るなとは言ったわ。
けれど、

あの人間に対する情は、私は認めていない」


多分、彼の事だろう。
オレを2回殺そうとして、
そして、あの、魂食い…というもの。


「私は、バーサーカーのマスターを許すことは出来ない。
犠牲になったのは…大人だけじゃなかった」

「私は、子供達の、明るい未来を消す外道には、容赦はしない」



確かに、許せない。
けれど、

それでも



「許せない、ことだけど。
オレは、彼の、楽しかったこと、覚えているから」
「…」
「それは、情をかけている…という訳じゃなくて、
なんていうかな…その人が、
それだけの人間じゃないって…思いたい、のかな」
「貴方たちが、友人だった頃のことかしら」
「そうだよ。彼がまだ、優しかった時のこと。
そう、例えば」








例えば。



例、えば?








「…マスター?」



彼が、
まだ、
友人で、
接してくれていた、

時。




「…」




あの時。


あの、場所。




「彼の、
彼の、
優しかったこと、
楽しかった、こと…」
「マスター…?

っ!…まさか、あの魔術を使わせてしまったから…!」


アーチャーがそばに駆け寄り、オレの肩を掴む。




あの魔術。
そう、オレの、体にある、
訳が分からない魔術。

そのせいで、そのせいで。




「あ、れ?」







「オレ、あれ、

オ、レは、


俺は僕はおれは私はオレは…」




「どうしてここに?」








(そう、ここはどこだ?)


(誰だ?なんで呉羽?)



(違う、自分は違う)




(この魔術は我が結晶この刻印は継がねばならぬ我が悲願我が個体は生み出したひとつの)







(だから
オレはここに
居るのではなくて行かな
きゃ行けない場所があってたどり
着かなきゃ行けない場所があってでも
どこにもなくて分からなくてあぁ我が主よ彼岸花の) 







「呉羽ッ!!」








彼女の大声と共に、両頬に微かな痛みが走る。
アーチャーの両手で、顔が挟まれていた。


「…ご、めん」


何か、長い夢でも見ていたような気がする。
全く、覚えていないけれど。


「マスター…ほら、思い、出して。
…この、髪飾りは、誰から貰ったの?」



アーチャーの指が、優しくピン留めに触れた。
オレの大切な、黄色い、ふたつのピン留め。



「そう、だ。これは…これ、はね…」




あることは分かる。
なのに、
なんにも浮かばない。




「…ッッ…」




文字通り、
空白。
虚無。

無。




「なんで…?なんっで…
なんで何も、分からないの…?」



これだけじゃない。
「あるはずの記憶」が抜け落ちている。
オレは、中学の頃、何してたの?
高校に入って、何をした?
誰と出会った?
2年生に上がって

何をしたの?



「…聖杯、戦争が、
始まるまで…

何、してたんだっけ…っ」



思わず、アーチャーの手に縋ってしまう。
彼女は振りほどかない。
ただ、黙って俺を見つめている。


「どうしよう、アーチャー…
オレ、オレだけは、彼の楽しいこと、覚えているはずなのに。

ニノ灯桔梗のこと、覚えていなきゃいけないのに…!」


じゃなきゃ、
彼の全てが「酷い人」になってしまうのに…!


「彼の、怖い記憶しかないんだよ…!
嫌だよ…っ、
こんなの、わかんない…自分が分からないよ…!」


恐ろしくて、涙が止まらない。
こんなの、
自分じゃない、
オレじゃない、
俺じゃない僕じゃないオレじゃない!



「どうしよう、
どうしよう自分が分からない。
オレがおかしいんだ。
狂っているような気がするんだ。

オレが、壊れてるような…気がして、

…仕方ないよ」





アーチャーは、見たことも無い、
苦しそうな顔で、オレを見つめていた。








ーーーーーー
(シャルside)









静粛とした真夜中、
アサシンのマスターが子供を抱き抱えて訪れた。


「…今、いいですか?」
「ええ、構いません。お入りください」

ノックの後、ゆっくりとドアを開ける。
歩き出す彼の後ろには、アサシンが着いていた。

よく見ると、抱かれていた少年は、キャスターのマスターだった。

「はしら君…キャスターのマスターは、サーヴァントを失い、令呪も喪失しました。
事実上脱落です。
教会は、マスターの保護を行うんですよね。
なら、彼を…」
「ええ。勿論です。
監督役、シャル・リ・カヴァリエールが、
キャスターのマスター、柴野はしらを保護することを承諾します。
身の安全の保証を、誓いましょう」

ではこれで、と、小さな少年を椅子に座らせて、
アサシンのマスター…来栖さんは立ち去ろうとする。

「ありがとうございました。
あなたのように、「正しい」魔術師が、他にもいてくだされば良いのですがね」
「…。
聖杯戦争へ、参加してるのに…、
正しい…、ん、ですか」

「私は、行動次第だと思いますよ。
願いを叶える願望器は、良くも悪くも、人の心を暴くものですから」
「…」

彼は答えない。
アサシンを引き連れて、静かに教会から出ていった。



「…キャスターの、マスターですね」



少し屈んで、椅子に座っている彼と視線を合わせる。
目は赤く腫れていて、沢山涙を流した後が見える。
けれど、その瞳に光は無く、生気さえ感じない。

「…守れ、なかった。助けられなかった」

独り言のように、彼は呟いた。
私に話しかけているのだろうか、
それとも、私さえ見えていないのだろうか。

「兄ちゃんの、ために、参加、したのに…その、兄ちゃんを、守れ、なかった…」

おそらく、願望器に託す願いは、その兄に関することだったのだろうか。

(原動力が「大切な誰か」にある場合、
1人では出すことの出来ない力が発揮されます。
しかし、失ってしまった時、
これまで歩んできた物事への「目的」、「意味」を無くしてしまうのです)

(私が出会った「あのマスター」は、
同じ理論で情を殺し、誰かに寄り添うことはしなかった。

…それも、正しいのかは、分かりませんが)


「おれ…なにも、出来なかった…」


膝を抱え、蹲る少年。
後悔と、悲しみと、苦しみと、懺悔。
嫌と言う程肌に伝わる。
どれだけの思いを、この戦いに掛けていたのだろう。

私はまだ、守りたいものが見つからない。
この少年のように、全てを掛けられる人間に出会ったことは無い。
だから、この子の苦しみを、理解することは出来ない。

(…いいえ、分かったとしても、慰める事などら出来ないでしょうね。
これは、第三者が心を溶かして、元通りにするものでは無く
静かに寄り添って、本人の傷が収まるまで待つ事しか出来ないのです。

どんな、聖人であれ)


「…貴方の今の気持ち、想像することもできません。
きっと、言葉では表し難い程の思いでしょう」


「戦いに挑むマスター」「呼び掛けに応じたサーヴァント」「聖杯に掛ける願い」
それだけは踏み躙らないように、大切にする事を決めていた。


「…私は、あなたに敬意を表します」


私は私なりに、
彼に寄り添うことを決めた。
時間をかけて、彼の気持ちが落ち着くまで。

その後、立ち上がれるかどうかは、本人の力次第ではあるけれど。


「未成熟な心体であるにも関わらず、
身を投じ、大切な人のために戦った貴方に、恭敬を」


胸に右手を置いて、静かに頭を下げる。
少年は、ゆっくりと顔を上げて私を見た。

私は、頬を緩ませて、微笑み返す。


「私に出来ることはこのくらいです。
あなたは今、1人でその気持ちに向き合わなければなりません。
しかし…話くらいは付き合いますよ。
教会を、好きに歩いていただいても構いません。

私は、あなたを最後まで、堅守致しましょう」


彼を見ていると、懐かしく思う。

願ったことも、
心に決めていたことも、
彼とは違うものだけれど。




「…「同じ歳」で、聖杯戦争に参加した好です」











ーーーーーーーー
(烙side)









「こんにちは。負けてしまいましたねえ」
「…」


教会の裏にある小さな庭に、彼は佇んでいた。
月光を浴びているのか、物思いに耽っているのか、何もしていないのか。
輝きが灯らない瞳で、こちらを見つめる。


「あなたには程々には期待していたのですよ?
でなければ、あんな手紙書きませんからね」
「…」


それは本心だ。
代々、魔術師としての素質が衰えている家系だとしても。
「その環境だからこそ」生まれる感情というものが人間にはあるのだろう。
「他者が関わることで、本来よりも引き出される能力」
誰かのために戦う…でしたっけ?
私は、その原理を知りたかったのです。



「どうです?
あなたがもし、もう一度奮起したいと言うならば、
「兄」を殺した彼に、復讐したいと言うのなら」

「私が力になりましょう」



彼に手を差し伸べる。
救い…等優しいものでは無い。


(これは導きだ。
肩書きは教会の神父なのだから、
迷えるモノを、誘うのもわたしの役目でしょう)

もちろん。
「聖杯戦争」という戦い(じっけん)へ、
戻ってきてもらう為でもあるのですが。



「…」



少年は、私の手をじっと眺める。


(人間は、大切なものを奪われた時、
奪った相手に対して、それ以上の仕打ちをしたくて堪らなくなる。

…復讐でしたっけ?とても興味深い現象です。

彼は、兄を殺されてしまった。ならば、
殺した相手に、報復するのが人間というものでしょう?)



自然と、笑みが零れる。
彼が手を取った時は、再び戦場に戻ってみるのも一興かもしれない。


私は待った。

返答を。

黒く歪んだ心を。

醜い会稽への執着の片鱗を。



この目に焼き付けることを。










「…復讐なんて、いみないよ」









ーーーーーーーーーーー
(はしらside)









神様。これ以上、
おれに何をしろと言うんですか。

もう、なにも、なにも





何もありません








………………………………………








差し伸べられた手から、下へと目をそらす。


「だって、あの人に仕返ししたって、兄ちゃんは帰ってこない」


仇討ちなんて、なんの意味があるんだろう。
それをして、兄ちゃんは帰ってくるの?
死んだ人は、帰ってくるの?
その先には、何があるの?


(何も、ないじゃんか。
誰も喜ばないし、
きっと、兄ちゃんだって、喜ぶことは無い)


「もう、おれは、おれは…」


枯れたと思っていた涙が溢れる。
ポタリポタリと、土へ吸い込まれていく。


「聖杯戦争に、参加する意味さえ、ないんだから」



右手の令呪は消えてしまった、キャスターがいなくなった時に。
サーヴァントが居なくなったあとも
ごく稀に、令呪が残るという話を聞いたことがあるけれど、
おれは違った。

(きっと、もう、聖杯はおれに期待していない)
(…むしろ、期待されたとしても、
おれは参加する理由、なんて………)



(魔術師として、生きる意味、さえ………)










「そうですか」


酷く、酷く、つまらなさそうな、低い声だった。










「なら、もうよいでしょう」













「っーーーーーーーがぁッッッツ……!」


瞬間、首に向かって、
何かが勢いよく巻きついた。



(な、に…なに、これ…)


目の前の男から伸びていた、白く細い布切れのようなものは、
黒く、ゆらりと動く、影になっていた。
喉を締め付けている物も、おそらくその影だろう。
子供の手くらいの大きさなのに、
力は大人でも抵抗出来るかどうかと言った程。

徐々に圧迫は強くなり、酸素を取り込むことが出来なくなる。



「…ッッ…が…ァ…ず…げ……ッツ」

「使い物にならない参加者(サンプル)は不要です。
せめて、他のことに再利用出来るようにはしましょうか」



苦しい。苦しい。
首がパキパキと悲鳴をあげる。
口は塞がらず、端から泡となった唾液が溢れる。
手で外したくても、この影相手では、なんの策にもならない。
魔術を唱えたくても、酸素を吸うことが出来ないから、
声も出ない、詠唱すらできない。
魔術回路を開こうにも、体が拒んでしまう。
生命活動の危機に、魔術など使わせるなと、そう叫んでいる気がした。

目の前が暗く、赤くなっていく。
反射的にガリガリと首元を引っ掻いてしまうので、
喉の皮が剥がれ、指先が血で汚れていく。



(…そっか)


(おれ、
兄ちゃんも、
キャスターも、
守ることが出来なかったから)



プツリと、体の力が途切れた。

途端に、頭の中がとてもクリアになる。

それは、走馬灯とも言えるし
懺悔とも取れるのかもしれない。



(何も出来ない、魔術師だったから)



視界も聴覚も閉ざされていく。
息苦しさもなくなって、

ただ、真っ暗い闇だけが訪れる。







(きっとこれは、罰なんだ)

(何も出来なくて、ごめんなさい)










真っ暗な世界には、

兄ちゃんとキャスターは、居てくれるだろうか。






悪い子のおれは一緒に居られるかな。 












ーーーーー
(烙side)











事切れたようだ。

包帯に変化していた「工房」を少年の真下へと忍ばせる。

大きな裂け目に見える、歪な形の影は、
肉塊となった脱落者を、表向きの体の、内側へ。


「研究室」へ、取り込んでいく。


湖にゆっくり沈むように、
少年だったものは、影の中へ堕ちていった。


(…今回が上手くいかなかった時用の「予備」…か、
あのマスターのように、彼女らに引き渡すのもいいですね)


元通りの「包帯の形」に戻すと、地面に何か落ちていることに気がつく。
長方形の無機物…鉄の塊か。
近寄って拾い上げてみる。

「…あぁ、携帯電話ですね!
しかし、画面が壊れていて、使い物になりませんが?」

電源を入れても、叩いてみても反応はない。
人間は、こういうものを好んで持つのでしょうか。
用途がない以上、彼なりの理由があって、
運び歩いていたと考えるのが普通ですし…


(…、なるほど。
もしかしたら、
これも人の心を「煽る」ことに、使えるかもしれませんね)


「しかし…もう少し面白い結果が帰ってくると思いましたが、期待外れでしたね」


脱落するまでは許容範囲だとしても…
復讐心も生まれないとは。
人の心は、規則通りとは行かないものですね。


「まあ、マスター対象の観察はあくまで私の趣味ですし、
後片付けも私がするべきでしょう。

これで一騎、ですね」


夜空へ手を伸ばす。

(思い出す、美しく眩い光)

実験は、真実を得るため。
研究は、事実を求めるために。
「答え」が欲しい。



「此度の聖杯戦争は、
気持ちいい程に、思い通りに進んでいる。

今度こそ、成功させましょうか」





ただ、それを、「知る」ために。








ーーーーー








「魂喰いは、無関係は一般人を巻き込む冒涜的な魔術です。
それに、魔術師は、基本人の目に触れることを避けています。
ましてや、大勢を巻き込んでの宝具使用…
目に余ります。
よって、バーサーカー陣営には、
罰則を執行します」
「…」

「貴方たちの宝具、真名、
全てを他マスターに解禁します。
本来ならば、令呪の没収もするのですが…
残りが1つだけなので、免除します。

ただし、
次も同じようなことを繰り返すのであれば、全マスターに「討伐依頼」を出す予定です」


バーサーカーのマスターを呼び出し、ペナルティを与えることにした。
聖杯戦争において、損害が出てしまうことは仕方がない時もある。

が、秘匿を信念に持つ魔術師が、
一般人に対して「魔術」を行使する事…ましてや、
「魂喰い」といった方法で、故意に大勢の犠牲を出すなど魔術師としては論外。
軽蔑されるべき事です。


「あの包帯が事故処理するって言ってたし、別にいいでしょ。
ウザったいんだけど」
「…」

彼は忠告を受け取る気は無いようだった。
気だるそうな顔で、長椅子に腰掛けている。
誰も付き添いはおらず、バーサーカーも連れて来ていないらしい。

「監督役なんて、結局教会が勝手につけたもんじゃん。
どうせ聖杯目当てじゃないの?」
「聖堂教会…私は、聖遺物を管理することが目的です。
悪意ある魔術師に聖杯が渡らぬよう、私達がいるのです。
そこを間違う事ないように。

正しい志を持つ魔術師であれば、私たちはその魔術師に万能器を託します」
「…」

「…それに、私は監督役として、
聖杯戦争を…正しく導くと、決めています」

そう呟いた時、目の前のマスターは、
突然椅子の背版を殴り付けた。
今にも人を殺すかのような目で私を睨み、
令呪が宿った右手を、強く強く握りしめている。


「何が正しくだよ。
5年前の聖杯戦争だって…、

「俺達」が沢山殺されたの、知ってるくせに」


「…っ」

「たくさんの「俺達」が犠牲になった、
沢山の「俺達」が喰われた、
くだらない戦争のために。

…馬鹿げた魔術師の目的のために。

そんな汚れきった戦いに、今更正当性求めないでくれる?」 


殺意の高い剣幕に、言葉が詰まった。

(…正しい聖杯戦争。
私が…、これを求めることは、間違いなのでしょうか。

下劣な手段を見抜くことさえできなかった、私は…)


男はゆっくり立ち上がると、
こちらに背を向けて出口へと歩き出した。
我に返り、呼び止める。


「っ待ちなさい!まだ話は終わっていません!」
「あぁ、…そっか、
ペナルティは勝手にしたら?」


マスターはもう振り返らなかった。
乱暴に教会の扉を開けて、場を去ってしまう。

「あの様子…罰則は効果がない…
やはり、討伐命令を出すしかないのでしょうか…」


魂喰いは、今後起きない…という確証は無い。
バーサーカー陣営の動きは警戒しておくべきでしょう。
まずは明日、
全マスターへ向けて、バーサーカーの情報を公開するとしましょうか。

「…」

聖杯はきっと、
正しい志を持つ魔術師の元へ行く事を渇望しているはず。
なら、私達は導かなければならない。

(…見抜けなかった。
正すことが出来なかったからこそ、
繰り返してはならないのです。

命を肥やしにするなど、魔術師に相応しくない)


(だからこそ、聖堂教会に志願した)



「…まずは、あの少年のマスターの看護をしましょうか。
何事も食事から、ですね。

精神的ダメージは、時間が解決してくれる…とは言っても、
何か食べなくては、始まりませんし」



彼はおそらく、教会の奥の空き部屋に居るでしょう。
胃に優しいものを持って行きましょうか。








(…キャスター…いえ、烙さんはどうしているでしょうか)

(彼らに、よからぬ事をしていなければ良いのですが)









ーーー











ほのかに暗く、静かな空間。
小さい物音もよく響く。

金属が触れ合う音。
ぐちゃぐちゃと何かを掻き回すような嫌悪感のある音。
激しく揺らす鎖、寝台を何度も叩きつける振動。

少女は全く気にすることも無く、
珍しいおもちゃで遊ぶかのように目を輝かせていた。

「えーー!?
あのキャスター達死んじゃったんですか?
確かに直ぐにやられちゃいそうだなって気はしてたんですけど」


耳を劈く高い音が、四角い部屋を埋めていく。
意味不明な叫びを発する個体は、
「生き物」から発せられるとは思えないほど


(「これ」が楽しいこと、と信じきっている…
いや、これしか知らないのでしょうか?
それもまた、面白いですねえ)


「ええ。残念ながら脱落しましした。
もし、マスターの死体を利用したいというのであれば、申し付けくださいね」
「はーい。
でもー、あの2人はきっと、天国で仲良くしてるんじゃないですかねー。
あるか知りませんが!」

入口のそばに居る男は、腕を組んだまま動かない。
何も喋らず、目の前の少女を見つめている。
マスターを見守っている…と言った方が正しいか。


「あ、そうだ!
ずっと前運んでくれた例の死体は、ちゃんと有効活用出来ましたよ!」
「そうですか。
彼等には程遠いとはいえ、すっかり自分のものにしてしまいましたね」
「まあカキハラは凄いですから!」

引き継がれた魔術は、こんなにも彼女に馴染んでいる。

(結構無理やりやったんですけど、楽しそうなら良しとしましょうか。
これが彼女の「人生」の楽しみ方でしょうし)


「そうだそうだ!
素材貰った時に、カキハラ、楽しいことを沢山思いついたんですよ!
試したいことがあるんですよ!」
「ほう?」

こちらを見て、
満面の笑顔を見せる。
頬に着いた赤黒い返り血など、気にする素振りなどない。


「ここに入院している…えーと、なんでしたっけ、
ゆいしろ…さん?でしたっけ。


あの人はきっと、

「どれかのマスターの大切なひと」

だと思うんですよねー」



「…ふふっ」




ああ、楽しい。

人の感情は、

こんなにも面白い。




「きっとー、烙サンも喜んでくれるんじゃないですかね!

人のカンジョーが、
叫んじゃいますよー!」






本当に、興味深い。











第4夜
「聖杯戦争」
(完)

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