第05夜(前編)




「現地からお伝えします」



「午後7:30分頃、こちらの駅周辺で住宅地を巻き込んだ爆発がありました」



「被害は半径数十メートルにも及ぶとされています」



「今確認されている時点では、
重軽傷者は82人」



「死亡者は25人を超え、
現在も救出活動は行われております」



「警察は、事件と事故、両方の面から捜索すると共にーーーー」



リビングの大型テレビは、淡々と「惨状」を伝える。
彼は何も喋らずにそちらに目を向けていた。

「その…あの…」
「…」
「本当に、ちゃんと、アルバイトに行こうとしたんだよ?
そしたら…そし、たら…」


何から言えばいいのか分からない。
沢山、ありすぎて。


「まあ、落ち着いてからでいい。
時間はあるんだから、最初からゆっくり話せ」



……………



自分の気持ちを落ち着かせるためにも、
改めて先程の出来事をまとめてみる。


バイト先に行くと、
何故か誰も居なかった。
いや、居なかった…じゃなくて、
消された…取り、込まれた…?
の方が
正しい、のかな…。

そして、アサシンとの戦闘の後に、
バーサーカー達が現れた。
彼女の宝具で、あたり一辺は吹き飛んだ。

その後は、気を失ったりしていたから
あまり分からないけれど
アサシン達や、アーチャーの話を聞くと

どうやらバーサーカーとキャスターが戦っていたらしい。
そして勝利したのは、バーサーカー。
キャスター陣営は
敗退してしまった。

彼は今、教会にいるはずだけれど…これからどうするのかは、わからない。


「まずは一陣去ったか」

オレの話を聞き終わった彼は、
小さくため息を吐いた。

「礼装、捨てたんだな」
「…!あ…」

慌てて左腕を見ると、彼から貰ったブレスレットが綺麗に無くなっていた。
そ、そういえばあの時色々あったから
その弾みで無くしたのかも…!?
ど、どうしよう、実はものすごく高いやつとか…!?

「ごめんなさいね。バーサーカーの宝具で、マスターが瀕死だったから
あの魔術に頼らざるを得なかった」

アーチャーが隣から補足をしてくれた。
そうか、だから無事だったんだ…。

「確かに死ぬよりかはマシか。
でも、同じ物は無いからな」
「う…ご、ごめん」


そこまでのお咎めはなかった。
高いものじゃなかった?
でも、彼が作ったんだっけ。

魔術師は、魔術回路は必須のはずなのに。
なんで、そんな不便なものをわざわざ作ったんだろう。

彼は、なんのために…


(…そう、いえば)


「ねえ、少し、聞いていいかな…」
「なんだ」


さっきから感じていた、
ほんの少しの違和感。


「オレ、君のこと、なんて呼んでだっけ?」
「…」

「な、名前は分かるんだよ?…藤、樹君でしょ?
でも、なんだろ…何故か、どうやって呼んでいたかは分からなくて…」


彼の呼称が思い出せなかった。
口に馴染んだ名前があるのは分かる。

覚えているはずの間にも、沢山呼んだなのに
何故、出てこないんだろう。


「…好きに呼んだらいいだろ。
名前なんて、分かればいいんだから」
「そ、そっか…。じゃあえっと、藤君で…」

帰ってきた返事は素っ気なかった。
ちょっと、悪いこと聞いたのかな…。

「マスターは良くも悪くも堅物なので気にしなくてもいいのですよ。
それよりも、呉羽やアーチャーは激しい戦闘でお疲れでしょう。
マスターの家にあるお茶は中々の味です。僕が入れて差し上げましょう」
「あ、そ、そんな、お気遣いなく…」
「こういう時は遠慮なく受け取っておくべきですよ!さてさて、今朝飲んだ紅茶はどこですかね…」
「お前は家の主じゃないだろ」

彼の言葉を無視して、セイバーは台所へ向かった。
なにか手伝った方がいいと思い、オレも慌ててセイバーの後をついて行く。

彼のキッチンは本当に大きい。
テレビの撮影とかで使えそうなほど。

いくつもある収納の中から、目的のものを探すのは大変だろうなぁ。
それをセイバーは易々と…


「…ん、むむ?あれ?
あ、朝はこの辺で見た、ような…?」


…易々と…


「マスター!さては僕が仕舞っておいた場所変えましたね!?」
「触るわけないだろ。俺はコーヒーしか飲まないのに」
「マスターの調理場は本当に広い…」


やっぱり、大変みたいだ…


「お、オレも探すね?」
「ありがとうございます!客人の貴方にお手伝いしていただくなんて、本当は無礼極まりないのですが…」
「いいよ、そんな…居させてもらってるんだから。なにか手伝えることはしないと…
えっと…沢山ある…
あっ、これは?」

上の戸棚の右端にあった、小さな紙袋を取り出す。
英語は読めないけれど、なんとか…ティーって書いてるから…
お茶系なのは確かだと思うのだけれど。

「それは…………えっと…………」
「英語がわかんなくて…。
あ、セイバーならひょっとして読める?」
「…………あー…え、え、えっと…」

セイバーの顔色は良くない。
焦っているような、戸惑っているような。
目が泳いでしまっている。

…見た目が西洋っぽいから、英語が得意なんじゃないかなとも思ったけれど。


「Dimbula teaだろ。多分。
ずっと前に、白夢が置いていったヤツだ」


リビングから声が届いた。
「でぃんぶら!確かこれです!」
とセイバーは叫ぶ。
どうやらこれがお目当てのお茶だったらしい。

「…藤、君。
こんなに色んなものがあって、良くわかるね…」
「正直俺も全部は把握していない。
台所はほとんど白夢が管理していたから。
俺が分かるのは、冷蔵庫の食材と
コーヒーの豆の場所だけだ」
「…家の主なのに、それでいいんだ…」
「ふふん!今はもう、あの少女以外、
完璧に置き場所を理解する者は居ないでしょう!
彼女なら、多少僕が棚をいじったとしても
すぐに目的のものを見つけられるでしょう!!」
(なんでセイバー、ちょっと自慢げなの…?
気の所為?)

「彼女は凄いですよ…。
あの少女が居なければ、今頃マスターは餓死していました」
「するか」

言うだけ言うと、セイバーはティーカップの準備をする。

(そうか、「白夢さん」が、もう
台所の管理人みたいなものなんだ…ふふっ)

(…あ)

(でも…)




(白夢さんって、誰なんだろう?)




…………………………………




セイバーが淹れてくれたお茶は、その、なんて言うか…美味しかった。
少なくとも、オレがいつも買うような、
ペットボトルの紅茶とは大違いだ。

「戸棚から偶然見つけた茶葉なのですが、中々のものでしょう?
これは様々なアレンジが出来るのですよ。
アイスティーにも、ミルクティーにも」

楽しそうに、セイバーは語ってくれた。
彼女の事を語るセイバーは、
まるで、その人を前から知っている旧友のようで。

…まあとにかく、
今日もオレは、この家の空き部屋を借りることになった。

今日はたくさんの事があったから
一刻も早く寝てしまいたい。

「そうだ、アーチャーは今日の夜はどうするの?」
「家の周囲を見張っておくわ。
不思議だけど、この家の敷地内にいると
傷の回復が早いのよ」
「まだ…痛むの?」
「明日には元通りよ。サーヴァントは便利な体でしょう?」

彼女は微笑む。
そんなふうに言われたら、なんて返せばいいか分からない。
サーヴァントは確かに、怪我なんて無縁の言葉なのかもしれない。
でも、痛みは感じるはずだから…。

「ごめんね、オレ、魔術師として、なにかしてあげたらいいんだけれど…」

これは言い訳だ。
何も出来ない自分への免罪符。
こんなこと呟いたって、何も変わらないのに。

「…。

マスター…
…いえ。

そう、記憶の方はどうなの?」
「記憶?」
「やっぱり、聖杯戦争前のことは覚えていないの?」
「…うん。そうみたい」

力なく笑い返す。
聖杯戦争前のことを忘れた、だけなのに。
こんなにも心に穴が空いている。


「昔のことを忘れるとね、
それと一緒に大切にしまっていた、
心の中のものまで無くしている気持ちになる」

例えば、黒髪の彼の呼び方。
例えば、青い髪の彼の思い出。
例えば、自分自身、忘れちゃいけないこと。

一つ一つ無くしていく度に
自分じゃなくなっていく。

「…」
「アーチャーの言った通り、
きっとオレは…

普通じゃないんだね」

なんだか吹っ切れて、笑ってしまいそうだった。
オレは普通の人間なんかじゃなかった。
聖杯戦争に、参加するべくここに居た。
あったはずの、日常なんか、

まやかしだった。




まやかし、だった…。




「だから、
といって」


「何も、問題、無いよね?」



そんなも、の





「…あ、れ?」
「…」


まただ。


「なんか、勝手に…
あはは、疲れてるのかな」


また、これだ。


「アーチャー、ごめんね。
オレもう寝るよ。
またあしたね」
「…ええ」




もう嫌だ。
誰なの?
誰かいるの?


オレがオレじゃなくなってしまうようで。




嫌だ。





ーーーーーーーー







「身長差は10数cm程でしょうか?それでもかなり不格好になりますね」
「袖も裾も捲れば、まだ動けるかな…うん」


昨日の惨劇の後、自分の姿をよく見れば
まさに世紀末というか。
学生が負うはずのないダメージが
制服に幾つも刻まれていた。

気に入っていた黄色いセーターは解れている場所がいっぱいで、薄汚れているし破れてもいる。
ズボンもシャツも、登校できるほどの物じゃなかった。

見かねたこの家の主は、オレに予備の冬用制服一式を貸してくれたのだけれど…
裾は引きずるくらい長くて、袖は手が隠れてしまうほど大きい。
ブレザーは肩の部分が余ってる。
問題なく着用出来たのは、ネクタイだけだった。
いや待って。
よく考えたら、ネクタイなんて誰でもジャストフィットするじゃん。

訂正。全てが大きい。
彼は何cmあるんだ…。

「やっぱり、ブレザーはちょっと大きすぎるのかも…」
「外は寒いわよ。それだけでいいの?」
「うーん…それはそうだけど、
袖や裾は何とかなるけれど、
流石にこのブレザーの大きさはどうにならないし。
…あのセーター、気に入っていたのになぁ…」

オレの呟きに、セイバーは「ふむ」と考えこむ。

「呉羽。その上着を貸していただけませんか?」
「え?うん」

セイバーに、ボロボロになってしまったセーターを渡す。

「…まあ、裁縫も一種の芸術でしょう。
何とかなりますよね」

1人で考え、1人でブツブツと話していると、
セイバーは部屋の外へと出ていった。
何をするのだろう?
と、アーチャーと目を合わせていた。
そして直ぐに



「皇帝特権ーーっ!!」



と、大きな声が響き渡る。
そしてまた静寂。

1分か2分後だろうか。
セイバーがドアを勢いよく開いた。

「呉羽!お待たせしました!
これで元通りでしょう?」

自信満々な笑顔で、手に持っていたセーターを広げた。
もう廃棄以外の道しかなかったあの黄色い上着は、
買ったばかりの新品のような品質、輝きを取り戻していた。

「っえ!?…こ、これ、オレの!?
な、なんで!?」
「これが僕のスキルなんですよ。呉羽には色々お世話になっていますからね。
このくらいさせてください」

慌ててそれを受け取る。
触り心地も、フワフワに戻っていた。

(きっと、記憶があったら…
買ったばかりの事思い出せて、もっと感動できたんだと思うけど…
でも、それでもすごい事が伝わるよ…)

「ありがとう、セイバー。
大切にするね」
「ええ!宝だと思って下さい!
皇帝のお墨付きです!」

早速セーターを羽織る。
…うん。本当に綺麗になった。

「どう?アーチャー」
「ええ、素敵よ」
「ありがとう。
…そういえば、アーチャーも裁縫とか出来るの?」
「…」
「セイバーのこの技を見たら、アーチャーも出来るのか気になって」

なんとなく、気になったことを訪ねてみる。
アーチャーは、しばし考え込んだ。


「出来……た、と思わ」
「と、思う?」


「……いえ、


出来なければ、ならないのです…


その、はず…」

「…?」


「…とにかく、今セイバーがしたようなことは出来ないけれど、
人並みには出来るんじゃないかしら」
「あぁ、うん、そっか…」

なんだか、不明瞭な返事を貰ってしまった。
もしかして、あまり経験がない…とか?
アーチャーのこと、少し知ることが出来るかな?とも思ったけれど
余計に謎が深まるだけだった。




………………




記憶が無いということは、
ほんっとうに不便だということが分かった。


「お、オレの靴箱ってどこだっけ」
「1番左の3段目」


「えっと、オレの席ってどこだっけ」
「今は1番左下」


「…この人は…誰?」
「担任」


学校に行ったはいいけれど、
「分からないこと」だらけだった。
彼が助けてくれなければ、
とっくにお手上げ状態。

自分の下駄箱の場所。
座席。時間割。担任の名前。
クラスメイトの名前。

普通に暮らしていれば、理解して当然の事でさえも
忘れてしまっているらしい。

(これが、記憶喪失…か)

(当たり前の事が、
どんどん無くなっていくの…
怖いな、なんだか)


授業の内容も、あまりよく分からなくなっていた。
ファイルに挟まっていた小テストのプリントは、
全て丸が付いていたけれど。

どうやって解いたのかも、
検討がつかない。

自分が過去に記入したノートも見てみたけれど、これもピンと来ない。

(知識さえも、なくなってしまうんだ)

このまま何もかも、一般常識さえも忘れてしまうんだろうか。


物思いにふけっていると
まだ聞き慣れないチャイムの音が聞こえた。
これは、4限の終了を伝える音色のはず。


「だから、えっと、お昼ご飯…だっけ」


朝に買ったコンビニのおにぎりがあったはず…
カバンの中を漁っていると、頭上から声が聞こえた。


「呉羽。屋上へ行くぞ」
「え、えぇ?
ここで食べないの?」
「一般人にうっかり内容を
聞かせてしまう…なんてことしたくないんだ。
人目がない方がいい」

そのままオレに背を向けて、教室の外へと歩く。
慌てて鞄ごと持って追いかける。

「屋上は入ってもいいの?」
「禁止されているからこそ人が近寄らないんだろ」


「…ん?」



………………


魔術というものは、本当に便利だなと思う…。
絶対に開けることは出来ない…しっかり施錠されているはずの扉を
目の前の魔術師は易々と開けてしまった。
なんでも

「近代科学の前では
古典的な技術なんて、
為す術なく朽ちていくんだよ」

らしい。


高い柵が備え付けられた、普遍的な屋上。
適当な場所に腰を下ろした。
オレは行きで買ったコンビニのお弁当で、彼は卵とレタス、ハムのサンドイッチ1個だけ。
身長大きいくせに…どこでそんなに栄養取っているんだ。


「記憶喪失の件だが、
正確にどの辺まで覚えているんだ?」
「記憶喪失?…あぁ、えっと…」

そういえば、話してなかったかも。
聖杯戦争を始めた時、
正しくは、オレが聖杯戦争に参加した瞬間…だから…

「オレがアーチャーを召喚した時…くらいかな?」
「もう数日前のことしか覚えてないじゃないか」
「あ、あはは」

また目の前の彼は、物思いにふけるように目を伏せる。
癖なのだろうか。


「…治癒魔術に特化した刻印だとしても、
こんなに代償が来るものか…?」
「え、えっと、…ぁ、
…藤、君?」

「気にするな。それよりもだ。
今朝、教会からバーサーカーについての情報が言い渡された」
「情報?」

そういえば、
早朝の時に、少し物音がすると思ったけれど…
起きていたからなんだ。
そんな早くに情報を伝えるのも、どうかと思うけど。
でも、その内容は
とっても興味あるものだった。

「招集が掛かったから、
簡単な使い魔を飛ばして教会で話を聞いた。
…アイツは魂喰いを繰り返したペナルティで、
サーヴァントの真名と宝具を解禁されたって訳だ」
「そっ…か。それで…その、
バーサーカーはなんなの?」

一息吐いて、彼は語る。

「真名はエリザベート・バートリ。
ハンガリーの貴族で、名高い殺人鬼。
血の伯爵夫人とも呼ばれていて、
若い女を拷問して殺したりした
バーサーカーに相応しそうな人間」
「…初めて聞いた。そんな怖い人が存在した…って事だもんね」

確かサーヴァントは、過去に伝説を残したり、英雄だったりする人たちのこと。
決して、人々から賞賛されていた人物ばかりじゃない。

こんなふうに、人々から恐れられていたり、
沢山人を殺した殺人鬼でも、
サーヴァントになるんだ。

「そして宝具は
「竜鳴雷声」(キレンツ・サカーニィ)
と、「鮮血魔嬢」(バートリ・エルジェーベト)
だと」
「…あれ?宝具って、ふたつあるの?」
「宝具っていうのはそもそも、生前築き上げてきた伝説の象徴。
武器だけが宝具になるわけじゃない。
人物の成り立ちや、その生き方等が形になって現れたもの。
それに、呪いや技になって現れてしまう物もある。
鮮血魔嬢は、竜鳴雷声の上位版みたいなものだと思うが。
どちらにせよ、
宝具がわかっている以上、対策は容易い」

サーヴァントという物は、
奥が深い…。

「じゃあ、アーチャーにも宝具が2つあったりするのかな…」
「それを把握しておくのがマスターの役割だろ。…と言っても、俺もセイバーから宝具を聞いてないんだけどな」
「え?そうなの?」
「俺には話したくないんだと」

意外だった。
てっきりセイバーのマスターなのだから、セイバーの全部を理解して
戦闘に挑んでいるものだと思っていた。

宝具を教えたくないセイバー…。
なんでなんだろう。


「あと、呉羽」
「な、なにかな」

更に付け足した。
何を聞くんだろう
記憶喪失関連のことだろうか?
もう、話せることは無いのだけれど…





「記憶以外に違和感は無いのか」





「………。
どういう、意味かな?」


その質問は




「ちょっと…わかんないかも」





君のことだから、なにか気になることがあったのかな?
(ーーーーーーせ)





「心当たりがないのなら、いい」





……………………



学校が終わったあとは、オレ達は真っ直ぐ帰宅した。
彼いわく、「1人にするとまた何かに巻き込まれそう」らしい。
そこまでオレは抜けていないと思うんだけど…。

彼のリビングにたどり着いた時、
アーチャーが姿を現した。


「ひとつお願いがあるのだけれど」


違うマスターへ視線を向けるアーチャー。
珍しいと思った。
アーチャーはどこか、彼を完全に信用していないような素振りを見せていたから。


「マスターはやはり、強化魔術の1つでも使えた方がいいと思うの。
せめて、何かしらの物体を強化できる位にはね」
「まあ確かに、強化魔術は魔術師の初歩ですからね。出来る分には越したことないと思います。
人体への筋力増強はまだ無理そうですが」

セイバーも続けて賛同した。
ていうか、強化魔術って初歩なの?
…すごい。初歩でさえ出来ていないポンコツ魔術師(仮)って事実を叩きつけられている…。

「…まあ、確かにそうだが。
でも呉羽の回路では」

彼が吃った。
あぁ、オレの魔術回路はなんだかんだって感じで…魔術は使えないんだったっけ…。
またポンコツ魔術師(仮)への道を後押しされたー…
いや…魔術師(偽)なのかな。


「…信じて、貰えないのでしょうけど」


アーチャーの視線が、オレへ向けられる。
何故か、少し、
その視線は険しかった。



「…マスターの魔力供給量、
増えたのよ。
何故か知らないけれど」

「ーーーー…?」



オレには、その言葉の意味はあまりピンと来ない。

けれど、
場の空気が、張り詰めている事だけは分かった。


「供給量を操れるような技量は無い。
今まで魔力を抑えていたという訳でも無い。

なら、もう考えられるのはひとつしかないのよ」


例えば、電気だったり、ガスだったり。
エネルギーをもっと放出したいのなら、
単純に、「動力」を増やせばいい。
それが難しいから、人は試行錯誤するわけで。

根本的な解決が出来ないからこそ、人は知恵を振り絞るのに。


オレはーーー


「マスターの魔術回路は、増えている。

…十分、魔術師として、通用するくらいには」



魔術師として、
成し遂げてはならない「道」を
築いてしまったらしい。

なんの前触れもなく、
それが出来てしまった。




「で、でも…増えたのって、いい事じゃ…」

周りの深刻すぎる空気に、思わず凡人レベルの感想を呟いてしまう。
でもアーチャーも真剣だし、セイバーもすごく考え込んでしまってるしーーーー



「面白くない嘘をつくんだな」


そんな中、眉ひとつ動かさなかったのは
腕を組んでアーチャーを睨んでいる、
セイバーのマスター。


「いくら共闘しているとはいえ、笑えない冗談を言うものじゃない」


…冷静、なのだろうか。
でも、
昼間のような、冷静な彼とは…
違う気もする。


「…あ、アーチャーは…冗談言うような人じゃ…」
「魔術回路は、
魔術師の臓器だ」


いつもよりも低く響く声で、言葉が遮られた。
びくりと肩が揺れる。


「移植なんてほぼ不可能に近いし、
何もせずに増殖なんてありえない。

回路が劣っているなら、
それだけで落ちこぼれの烙印を押されるんだよ。

これは、

…これだけは、
「努力」でどうにかなるものじゃない」

「…ッ」


どこか、彼の心の端に触れたような気持ちだった。
記憶は無くしているけれど、なんとなく
彼は今、心の声を出しているんじゃないかなって。

だけど

彼との距離は、離れたような気がする。


「この話は終わりだ。
アーチャーの魔力増加は、俺の敷地内にいるから起きたんだろう。
こっちの分の魔力が流れたんじゃないのか。

それと、
魔術を覚えたいのなら、そっちの陣営で勝手にすればいい」
「…」

彼は軽くため息を吐いた。
すぐさま「いつもの」彼に戻り、
何事も無かったかのように話しだす。


「そんな話はいい。
次の標的を決めようと思う」
「標…的?」
「今まで冷戦状態だったが、
キャスターが脱落したことによって、ほかの陣営も何かしら派手に行動してくるだろう」
「これから今までよりも、戦いが起こりそうね」
「…キャスター…」

次…。そう、次に切り替えなきゃ行けない。

でも


ーーーーーー


うちのめされる小さな少年。

ボロボロになって、令呪の無い手で。

無くした「家族」を探している


ーーーーーー


「ーーーー……っ」


あの光景が浮かぶだけで、心が苦しくなって

…くる、しくなって?

「マスター。気持ちはわかるけれど、今はまだ止まる訳にはいかないわ」
「…う、うん」

いや、いい。
「余計なこと」は考えちゃダメだ。
そう。進まなきゃいけない。
そうだ、そうやって、生き残らなきゃダメなんだ。
全部終わったら、あの少年に会いに行こう。
「彼のお兄さん」の代わりにはなれないだろうけれど、
話し相手くらいになら…なれるかな。


「今残っている陣営で…
ランサーは強敵なのは変わりない。
それに、アサシンも
お前たちの情報だけでは決め手に欠ける。

だから、
宝具も分かりきっているバーサーカー、
もしくは

1番勝機のあるライダーを狙うべきだと俺は思う」
「…」

ライダー…。
確か、アーチャーと出会った夜だったかな。
同じ制服を着てた女子の先輩。
横には、サーヴァントと思われる女の子。

…マスターと出会ったことがあるのかは、覚えていないけれど。
多分、知らない人なのかな。

「ライダーの人は、そんなに強くないの?」

彼が候補にあげるということは、
オレみたいにそこまで強くないマスターなのかな?

「あぁ」
「強いわけない」

何故か、力強い返答だった。
…強いというか…

なにかを押し切ろうとしているというか。
でも、強くないのなら、彼の推薦に賛成しようと思う。
知ってる人だったら、あまり気は進まなかっただろうけど。
(倒せるのなら、倒すべきだ)


「異議がないのなら、その2つの方針で向かうが」
「ーーー…マスター。
嫌です」

静かだったセイバーが、
異議を唱えた。

よく言い合いになっている所は目にするけれど。
セイバーがこんなにハッキリと、マスターに反対するのは
めずらしい…気もする。

「僕は、ライダーとは戦いたくありません 」
「…セイバー」
「出来る限りは、彼女たちとは協定を組むべきと思うのですが」

苦しそうな表情だった。
何故、そんな顔をしてしまうのか。

「セイバー…」

むしろ、セイバーは「人間」らしい所があるのかもしれない。
「オレ」は、共感できる。




「なんでそんなことを言うの?」



椿呉羽は共感できる。




「聖杯を、手にしたいんでしょ?」



共、感…。



「く、れは?」



「…ッごめん…
気にしないで…」


まただ。
また、「オレ」じゃないような事を言ってる。
体と心が切り離されるんじゃないかって
不安になる。


「とにかく、僕は先にランサーを倒すべきだと思います。
あの陣営は、野放しにすべきでは無いでしょう」
「そのランサーに遅れをとったお前が言うのか?」
「ええ。だからこそです。
やられたままでは僕の気が収まりません」

「ど、どうしようアーチャー…!なんだか2人とも、いつもと違う感じで喧嘩してる!
空気が怖いよ!」
「…」

アーチャーは何故か答えない。
オレは1人であたふたしていた。
早く止めないと、止めないと!




(ーーーーーー「オレ」が傷ついてしまうかもしれない)




早く止めないと、セイバー達が怪我をしてしまう!
家だって壊れてしまうかもしれない!

何やらかすか分からないもんこの人達!!


慌てて2人の間に割って入ろうとした時だった。



「ーーーーーっ…」

家の主が、鋭い目で庭を睨みつけた。
セイバーとアーチャーは、
身にまとっていた普段着から、
すぐさま武装し、戦闘態勢に入る。


「マスター。閑話休題です」
「一時休戦…の方がこの場合合っていそうだけどな」


見ると、ガラスの外の芝生には、
「黒い人影」が溢れていた。

いや、違う。
ーーー人ではない。
人影だけど、人らしい所なんて、シルエットぐらいだ。

赤黒い肌に、大きな口。
狂気を宿す赤くにごった瞳。
形になっていたいうめき声が、戸越しから聞こえてくる。

化け物がいた。


「ひ!?
何…あれ…化け物…」
「食屍鬼かしら?」
「だろうな。
ご挨拶というところか」

続けざまに、上の階から
ガラスが割れる音が聞こえる。

…2階!?
まさか2階にも同じような化け物がいるってこと!?

「アーチャーと呉羽は2階へ行け。
俺達は1階を片付ける」
「だ、大丈夫なの?」
「お任せ下さい。食屍鬼相手では、僕の遊び相手にもなりません」
「いいわ、行くわよマスター。離れないで」
「う、うん」

セイバーはそのまま地面を蹴り、
ガラスを突き破って、庭へと飛び出した。

アーチャーはすぐさま2階への階段を駆け上がる。
というより、飛んでいるかのように
移動して、消えていった。

…ぼーっとしているわけにはいかない。
慌ててアーチャーを追いかけよう。



………


「っはぁ…アーチャー…」

階段を上がると、既に廊下は硝子の破片で散らかっていた。
敷かれていた赤い絨毯はぐしゃぐしゃになって、
そこかしこに、アーチャーの矢がころがっていた。

早くアーチャーを見つけなくちゃ…。

部屋はいくつもあって、どの部屋もとびらがとじきっている。
一体どこに居るんだろう…


呼びかけようかとも思ったその時、
すぐ隣の部屋から、カランという音が聞こえた。


「っ!アーチャー!」


慌てて扉を開ける。
ここは使っていない客室だったはず。

じゃあ、さっきの物音はアーチャーの可能性が高い。
目の前にいるはずの彼女の無事を祈っていた。


「……ーーー…」


けれど、

そこに居たのは、新緑の弓兵ではなかった。
深紅の長い衣を纏っていた。
黒いチャイナズボンから伸びる足は、
1つの化け物の死体を踏みつけていた。
背中には、彼のものであろう槍が突き刺さっている。


「……ラン、サー?」


震えが止まらなかった。
心臓がうるさいほどドクドクとなる。

「アーチャーのマスターだな」

彼はこちらを視認した。
…殺意は含まれていないようだけれど。

彼の背中には、あのオレンジ色髪の少女が眠っていた。
子供のように彼におぶってもらっている。
普通の少女のような寝顔が、この殺伐とした空間に不釣り合いだ。

「ぐー」
「マスターの休息は不規則でな。1日合計12時間は休めないと体が持たないんだ」

冷や汗が止まらない中、頭はフル稼働で対策を考えていた。
どうする。オレひとりじゃ絶対に叶わない。
アーチャーを今から呼ぶ?それまでオレは耐えられる…?

「俺は確かにお前を殺すべき立場にあるが、
今日はもう1人殺したのでな。
相手をするつもりは無い。
…1人というより、1つと言うべきか」

床に倒れていた食屍鬼は、事切れたのか
頭から灰になって消えていく。

「食屍鬼は死体を利用して生み出す死霊魔術の1種だ。
ウチのマスターの得意分野でな。
これも、元はどこかで生きていた人間だったんだろう」
「…」
「ここに来た目的は2つ。
セイバー、アーチャーの実力を改めて図るため。
2つ目は

お前に少し話したいことがあってな」
「…っえ?…お、オレの?」

予想外だ。
いやこれが罠だって可能性は?
でも、この前であった時のような
有無を言わせない「殺意」は無いし

じゃあ一体ーーーーーーーー





「お前はいずれ何もかも失う。
何も守れず、

何も誓いを果たせない」





「…」


どうして。
どうして。

(ーーーーーサーヴァント風情に)

そんなこと言われなくちゃ。




ならないんだ。



「前にも似たような「人間」を見た。
そいつも結局、何も守ることなどできなかった。
気がつけば、「奪う」ことしかしていなかった。

…今は、どうだか知らないがな」


心の中が、黒く、濁っていく。

(ーーーたい)

オレは確かに、弱いかもしれないけれど

(ーーしたい)

でもそれでも、逃げないって決めたのに

(ーろしたい)



「「その人間」の一部始終を見てきた俺の忠告として受け取るといい。


今のうちに死んでおけ。
お前は生きていても

いい結果にはならないだろう」





強くなりたいって決めたのに

(こんな魂、
早く殺してしまいたい)






ーーー





「ッハァっ!!」

またひとり消えていく。
数は思っていたよりも少なかったが、個々の戦闘力は高い気もする。

(食屍鬼は死体を利用して生み出す死霊魔術。
使う屍が優れているならば、まだ戦うことが出来る…という事か?
どの道、セイバーの相手ではないが)

「これで…終わりですねッ!!」

リビングに居た一体を、セイバーの剣が消し飛ばす。
倒れた食屍鬼は、間もなくして灰となって消えた。

「これで全部か?」
「いえ、マスター。
調理場に誰かいます」

セイバーが大剣を向けた先。
台所の奥に、人影らしきものが居た。
他の食屍鬼と違って、もう元の形は捉えることが出来ない程歪んでいた。
全身が茶色く爛れており、目は黄色く濁っている。
手も足も人の形をしていない。まさに「化け物」だ。
台所の奥で、食べ物でも漁っているのかは知らないが、こちらに背を向けていた。

「セイバー、あれだけか。
早く片付けてしまおう」
「ええ」

食屍鬼はセイバーに気がついていない。

「僕は眼中に無いのですか?
それはそれは、舐められたものですねっ!」

赤い剣は躊躇なく、食屍鬼の上半身を切り飛ばした。
持ち主を失った下半身は、そのまま塵となって消えていく。

上半身は生き残ったらしく、
這いずるように、俺の方へと向かっていった。
けれど、どうせ消えかけの命だ。
何も出来ないだろう。

「さて、しぶといですね。
台所などを漁っているとは、
とんだ貪欲な食屍鬼がーーーーーーー」


意気揚々と言葉を吐いていたセイバーが、
持っていた大剣を、落とした。
ピクリとも動かず、体は少し震えていた。


「…」
「セイバー?」


「……」

何も答えなかった。
どうしたものかと様子を伺うと、
食人鬼が言葉にならない唸り声を上げていた。


「阯、蜈郁シゥ縲√#繧√s縺ェ縺輔>」


腕だけを使って、ただ、ただ、
まるで「縋る」ように。

(食屍鬼に求められるような事はお断りだけどな。
引導を渡してやってもいいが、
放っておいても、勝手に死ぬか)


食人鬼は何も抵抗しない。
攻撃をする素振りもない。


「阯、蜈せシゥ縲い#め√s縺ェ縺い>」


(何もすることは出来ないってことか。
復活する…という事は聞いた事ないが、

近距離戦になってしまっては、俺は不利だ。
念の為、燃やしておくか。)


「Gib den Toten ein Feuer…」
「Intensive Einäscherungーーーーー」

死者としてこの世を終えた筈なのに。
醜い生物として這いずっている。

そんな「化け物」に、
「終わり」を与えてやろうと思った。


「ーーーーーーーーーッッッッッツ」


暗闇で、赤橙の炎が燃え上がる。
食屍鬼は声にならない悲鳴をあげていた。

それでも
黒い灰になっていく体を引きずって
醜い手を俺へと伸ばしている。

上半身が無くなった。
顔が溶けて崩れていく。
伸ばした腕も、もう数秒も持たないだろう。

食屍鬼の手が、
つま先触れるか触れないかの時だった。

濁った目で、
俺の姿を捉えることが出来たらしい。

そうしている合間にも、食屍鬼の身体はなくなっていく。

もう、あと5秒ほどの命だ。

炎に包まれている中、

やっと、食人鬼は、

俺に聞こえる声で
言葉で

声を発した。



とても嗄れて、聞き取りにくく

とても


とても





「ーーーーーーーふジセんぱイゴめンナさい」









懐かしく、柔らかい声が、


消えた。





ーーーーー



「…」


懐かしい日々を思い出しました。
僕は1日しか体験していませんが。

マスターの記憶が、たまに流れてくるのです。

あの少女の笑顔と共に。


彼女は、台所に経つ時が、何よりも生き生きとしていたと思う。

台所の上に置かれた、
「Dimbula tea」の茶葉を見つめる。

あの日、僕が気に入った紅茶。
…覚えていてくれたのでしょうか。




「…少し置き場所を変えても、本当に、分かってしまうんですね」

「こんな芸当ができるなんて、
彼女以外、いませんよ」




ーーーーー



食屍鬼は、「これ」で最後だった。
襲撃は収まったらしい。


「…マスター」


武装を解いたセイバーは、酷く苦しそうな顔をしていた。

「その気持ちに、従ってもいいのですよ」


どの気持ちに従えと。
俺は何も思ってはいない。


「こんな事されて、
怒らない方が…おかしいです」

俺は魔術師なんだ。
とうの昔に

おかしくなっている。

「セイバー。
こんなことで揺すりに掛けられては、
相手の思うつぼだ」

そう、こんなこと。
…こんなことで、惑わされるな。


「…っマスター…ッ…」
「呉羽と合流する。
今後の対策を立てるぞ」



あと何回、
おかしくなればいいのだろうか。



ーーーーー



アーチャーは、屋根の上にいたらしい。
2階を1掃したので、他を見回っていたって。

オレは、
ランサー達に出会ったことを言わなかった。


…言えるわけなかった。



「どこの誰かは知らないが、宣戦布告をされてしまった…と捉えていいな」

彼は、直ぐに次の作戦に移っていた。
なんというか、切り替えが早い。

「ライダーの仕業とは考えにくい。
それに、食屍鬼だけ仕向けて、あとは何もしてこなかったと考えると…
恐らく俺達の様子見が目的だろう。

これは予想だが、アイツらにいい結果は見せていないはずだ。
こちらとしては、実力の半分も出していない」
「となると、相手はこちらに仕掛けたいと思っても、
情報不足で踏みとどまる可能性があるってことね?」
「ああ、だから、今回の襲撃の犯人は
ひとまず保留にしておいてもいいかと思う。
俺は前と変わらず、ライダー陣営を退けたい」

「…」

セイバーが、一言も喋らない。
どうしたのだろう。


「セイバー…どうしたの?何かあったの?」
「…」



「マスターの知り合い…仲の良い少女が、
食屍鬼にされていました」




知り、合い?
ってことは…人間。

ランサーが言うには、
「食屍鬼は死体を利用した、死霊魔術」だって…。
じゃあ、その女の子は…!

「セイバー、余計な動揺を与えなくていい」
「しかしマスター!
僕は、譲ることはできません!
これは命に対しての侮辱です!!

命の幕を降ろしたものに、
このような仕打ち…ッ」

セイバーの拳を握りしめる音が、オレにまで伝わってくる。
こんなにも、怒りに震えるセイバーは初めてだ。

その話を聞いて

オレも少しだけ、彼の言動に違和感を抱いてしまった。
(彼は妥当な話をしていると納得する)


「…藤、君にとって、
その人は大切だったんじゃないの?
その人のために怒らないの?」

彼はこちらを見ない。
割れた中庭へのガラスの戸に手をかざし、
魔術で修復を始めていた。

「残念ながら、一時の衝動で動く人間は理解が出来ないんだ」

散らばった破片が自らの意思で戻っていくようだ。
数秒後には、傷1つないガラス戸へと戻っていた。

彼の魔術は完璧だ。
詠唱を唱えることも無く、
物の見事に復元されている。


「そっか。
君って、結構薄情な人間なんだね」


そんな彼に、
少しだけ


「もし犯人を追いたいのなら、お前達だけで行けばいい」



腹が立った。




「…それが、
「今の御三家」の魔術師の在り方?」



…あれ?
御三家って、

なんだろう。


「く、呉羽!無機物マスターに腹が立つ
のは分かりますが、どうかその辺に…」

やっとこちらを見た彼は
冷たく、冷めた目をしていた。

「気に入らないなら、暫く共闘を辞めるか?」
「!マスター!」

(心が冷えきっていく)

違う。

(こんな人間なんだと呆れてしまった)

違うっ

(御三家の当主となる人間も、
所詮はこの程度)


腹は立ったけれど、
こんなことを彼に言いたいんじゃない!
彼を傷つける様なことを言いたいんじゃないんだ…!

オレが怒っているのは!
オレが言いたいのは、言いたいのは…



「聖杯戦争、魔術師について最低限教えたんだ。
伝えることは何も無いしな」


言いたかった、のは…


「そうだね。
色々教わったことは感謝するけれど…
だからって、親しい人が酷い目にあっているのに」







「何も出来ないような腰抜けと、
一緒には居られないかな」




なんだっけ?




ーーーーーーー




(マスターが、おかしい)

形に出来ない不安がある。
明確には出来ないのに、
でも、拭えない。

(初めて記憶が無くなっていることを
知った時は、
こんな風じゃなかった)

記憶がなくなっても、彼は彼だった。
頼りないけれど、でも、底抜けに優しい人。

でも、本当にそれは、「彼」なのでしょうか。
あの姿が、真実の彼なのでしょうか?

(あの時。
キャスターが去った、あの夜から…
マスター…)


貴方は普通の人間ではない。
きっと、聖杯に選ばれた者。


…必然で、絶対の定め。




(やっぱり、

わたくしは、
マスターのこと、何も知らないんですのね)



でも、それでも。


私の手を取って、信じてくれた彼のことを
疑いたくはない。



ーーーーーーーーーー
ーーーーー


今日ほど、早く起きた時はないのかもしれない。
リビングに降りると、彼の姿はなかった。
セイバーも見当たらない。

「…もう、今日から、ここにはいられないや」

だからといって、
特に何も思わないけれど。


荷物も多く持ってこなかったし、
早く出て行ってしまおう。


(アーチャーは…そばに居るのかな。
離れてはいないと思う…多分)

靴を履いて、玄関のドアに手をかけた時だった。

「…呉羽」

誰もいないと思っていたのに、
後ろから自分以外の声がした。

「あ…セイバー…」

セイバーは悲しそうだ。
身を案じてくれているのか、それとも別の理由か。
でも、セイバーは何も悪くないもんね…。
お礼、言わなきゃ。

「昨日はごめんねセイバー。それと、今までありがとう」
「いえ…お気になさらず。けれど呉羽、
あなたはこのままでも良いのですか?
あなたにとって、僕のマスターは
かけがえのない友人なのでしょう?」

悲しそうだけれど、どこか納得のいっていない瞳だ。

「…そう、だね。そのはずなんだけど。
自分でもびっくりしちゃうくらい、
なんともないんだ」

目を瞑って、自分の心に聞いてみる。

辛いか?
苦しいか?
悲しいか?

(いつかは殺す。
いつかは殺めるんだ
だったら、何を迷う必要があるんだろう)

…自分でも以外だ。
なんで、何も思わないんだろう。

辛くもない。
苦しくもない。
悲しくもない。



「それにね」






「きっと、オレの方が

あんな魔術師なんかより
強くなっちゃうよ?」




むしろ、
楽しくなってきてしまった。



ーー
ーーーーーー



彼は笑った。
屈託のない笑顔。
愛らしささえ感じる瞳。

なのに何故だろう。


おぞましさを感じるのは。



ーーーーーー
ーー





彼の家から出て、近くの公園のベンチに座る。
さてさて、どうしたものか。

「うーん…そう考えたら、1人で行動したこと無かったなぁ。
アーチャー、ほかのマスターってどうするの?」
「…」
「…アーチャー?」

「っあぁ、ごめんなさい、マスター。
そうね。兎にも角にも情報収集じゃないかしら」

アーチャーが考え事をする時間が増えた気がする。

何か悩み事でもあるのかな?
(サーヴァントなのに)

「そっかぁ…あ、情報といえば。
オレ、教会に行きたいんだ」
「それはまた…どうして?」
「この前のキャスターのマスターが、今どうしているか気になるし、
あの爆発事故…が、どうなったかも気になるんだ。
監督役の子に聞きに行こうかなって」

アーチャーはその説明で納得したようだ。

「教会にいる間は安全だろうから…
マスターを見送ったあと、私は1人で偵察に行くわね」
「それはそれで…大丈夫なの?」
「細心の注意は払うわ、あまり遠くには行かないし。
ついでに、ライダーの事も探しとくわ」

ライダー…?
なんで、ライダーの名前が出てくるのだろう?
オレの疑問を汲み取ったのか、アーチャーが1から説明してくれた。

「まず、あなたは現状を理解しなさい。
あなたは魔術回路が増えたとはいえ、
手練の魔術師と1体1…ましてやサーヴァントと出会ったらひとたまりもないわ。
そもそも魔術をひとつも使えないのだから」
「うぐ…」
「今までと同じく、
どこかの陣営と共闘する方が賢いのよ、この場合。
あなたは自らそれを捨てたのだけれど」
「アーチャーぁ…もしかして、怒ってる…?」
「怒ってないわよ、話を戻すわ。
そして、今現時点で共闘を組めそうな陣営ね。

セイバー陣営とは共闘を一時破棄。
だから、今は除外。
…ま、あの調子だと、再共闘は無理そうだけれどね。

そしてバーサーカー、これは論外よ。
とても協力できるとは思えない。

ランサーも同じね。
そもそも目的が分からないし、近寄るべきじゃないわ。

アサシンは明確な敵意は感じなかったけれど、
相手の理解を得なければ、前と同じく戦闘になる。

最後の1組、そして、今現時点で唯一共闘の可能性があるのは
ライダーのみ。

今ある情報は、
「そこまで強くはないマスター」であること。
セイバーのマスターと、何かしらの関係があることね」

あの先輩らしいマスターが、彼と関係あり?
そうは見えなかったけれど…

「よ、よくわかったね…」

「見てたらわかるわよ。人の目って、口よりも正直なのよ?

とにかく、
こちらと刃を構えたことは無いし、
「セイバー陣営と手を切った」ことを逆に利用すれば、
ライダー陣営と共闘が組めるかもしれない」

ただただ、感嘆。
アーチャーはこんなにも凄い…。

「だから、私は一旦ライダーを偵察するわ。
なにかあれば、呼びなさい。

そうね…昼過ぎ頃に教会の門の前で待ち合わせね」
「う、うん、分かった」


ということで

アーチャーはオレを教会まで送り届けると、
姿を消して去っていった。

(教会の中は中立地点。
いかなるマスターも、汚してはならない…か。
なんだかゲームのセーブポイントみたい…)

ひとつ大きな深呼吸をして、教会の扉をノックする。
中から少女特有の高い声が聞こえる。
返事が帰ってきてから、静かに扉を開いた。

「お邪魔します…椿です…」
「おや、アーチャーのマスターですか。
どうされたのです?」
「その、聞きたいことあって…やって来ました。
あ、アーチャーとは、昼過ぎに協会の外で待ち合わせしてます」

少女は少し考えて、
大きく頷いた。

「分かりました。
本来監督役は、1人のマスターに肩入れしてはならないのですが…
あなたは巻き込まれた身でもありますし、
魔術師として初心者でもあります。
特別に許可しましょう」

ひと安心した。
ありがとうございますとお礼を言って、
教会の赤い絨毯を歩んだ。




「どうもぉ、お久しぶりですねぇ」
「ーーーーっ」

椅子の影から聞こえたのは、
まとわりつくような、舌っ足らずの少年声。

いつかであった、「あの子」だ。

…また、嫌な事を言われる。
訳が分からないことを、言われる…。

木の長椅子に寝そべる彼は、
人懐っこい笑顔浮かべる。

「ごめんなさい、呉羽お兄さん。この前は無神経なことを言ってしまって」
「…お、にいさん?」

謝罪されたことも驚いたけど、
それよりも意外だったのは

彼がオレのことを「お兄さん」と呼んだこと。
そこまで親しくはないと思うし…。前は普通に名前を呼ばれた気がするんだけど。

「気が変わったのですよぉ。
だって、あなたが「上」じゃないですかぁ。
とりあえず、お兄さん…とでも呼んでみようかなって」

くすくすと笑う彼に、今だ恐怖を覚える。
少年は起き上がり、
優雅に手を躍らせ、挨拶をした。

「クロユリと言います、呉羽お兄さん。
お見知り置きを」

…前と、少し違う。
なんだか、態度が軟化した?

まだ不安は残っているけれど、
嫌悪感は無くなってきた。
うん、面と向かって話せそう…多分。

オレが戸惑っていると、監督が横に現れた。

「呉羽さん。彼は烙さん繋がりの協力者です。
本当は聖杯戦争候補者でもあったのですがね」
「こ、候補者?」
「おうちはドイツですが、
遥々やって来ましたぁ。
今は洵杏寺でお世話になっていますよぉ」

こんな小さい子がマスター候補!?
…ってなんかこの流れ、デジャヴだな…。

じゃあ、
オレが…召喚しなかったら、
この子が選ばれていたのかな…。

「…もしかして、オレが…マスターになったから…
マスターに、なれなかったの?」
「何を言うのですか。
あなたは「必然」なのですよぉ。
気にしなくとも良いのです…ふふっ
優しいのですねぇ」
「…あり、がとう。クロユリ君」

胸の前で手を合わせ、うっとりとした顔でこちらを見つめる。
気を許してしまうと、
深い場所まで取り込まれそうだ。
監督は続けて、
「彼は此度の聖杯戦争の協力者です」
と告げた。

「此度は情報操作、現場の処理などをお手伝いして頂きました。
魔術師の支援を受けるのは、あまり宜しくない気もしますが…」
「そこはクロユリがお偉ーい人に言っといたので大丈夫ですよぉ。ばっちぐーです。

クロユリは人に魔術をかけるのが大好きなのです
あの爆発事故も、クロユリが何とかしましたよぉ。ぶい」

だから、ニュースでは爆発事故として放送されて、
「聖杯戦争」や、「サーヴァント」の情報を一切漏洩する事無く処理できたのか。
不思議に思っていたんだ…。

「…あの爆発事故の…被害者は…どう、なったんですか…?」
「あははは!クロユリは「魔法使い」ではないのですよぉ。
人を生き返らせるなんて、無理無理ですぅ」

友人同士で冗談を交わすような、軽い言葉だった。
監督が、ごほんと咳払いをする。

「…言い方には気をつけてください。
呉羽、残念ながら、「魔術」は
無くなったものを、再び呼び戻すことは出来ないのです。

犠牲になった方々は、少なからずいらっしゃいます。
「聖杯戦争」に巻き込まれた、一般人…けれど、世間では、
「爆発事故」に巻き込まれた被害者として、紹介されています」

どんなに情報が変わろうと、
オレたちが起こした「戦争」の被害者に変わりはない。

…心が、苦しく……




あれ?
ならないな?




「呉羽、気負わないで…とは言いません。
ですが、聖杯戦争に参加することは、
それ相応の覚悟が求められます。
肝に銘じて置いてください」
「…う、うん」

優しい笑みを向けられて、思わず顔を逸らしてしまった。
その心を受け取れるような感情に、
自分はなっていない気がする。

「そうそう、今日はですねぇ、あなたに渡したいものがあったのです」

パンと手を叩いた。
クロユリ君は自分の後ろに隠していた、長方形の古びた木箱を目の前に出す。

「さあどうぞ?安心してください、爆発とかしませんから」
「…」

恐る恐る受け取って開くと、
中には銀色の短剣が入っていた。
周りを赤黒いシルクの布が囲んでいて、
その中に埋もれる様な形で、怪しく光っていた。

「っ…」
「怯えないでください。
それはアゾット剣と言います。
近代錬金術の祖とも言われる方が愛用していたというものです。
クロユリのお家に伝わるものなのですが、これはクロユリのお家独特の作りになっていましてねぇ」

そう言ってクロユリは、探検を手に取った。
うっすらと紫が入った剣身。
柄頭にはどちらかと言えば、「赤色」に近い…葡萄色の宝石がはめ込まれていた。
グリップは寂れたような金色。

見ただけで、価値のあるものなんだなって分かる。
…でも、なんでこんなものをオレに?

「…それは、クロユリ君の大切なものなんじゃないの?
オレなんかに渡しちゃ…」
「クロユリが持っていても仕方の無いものなのですよぉ。
どうせなら、現マスターであるあなたの様な人に、使って欲しいのですよ」
「…」

美しいと思った。
赤紫に光る宝玉が、とても輝いていて。

受け取って、本当にいいのかな…。
(ーーーーーーー…これは、宿命なんだ)


腕を伸ばし、短剣をゆっくりと手に取った。
見た目以上に重さがあって…。
まじかで見ると、刃の鋭さが、凶悪なものに見えてしまう。

「護身用で持っておくといいでしょう。普段はこのシルクに包んで持っているといいですよぉ」

クロユリ君は、一緒に入っていたシルクで
刀身を優しく包み込む。
あっという間にその殺傷性は身を潜め、
懐に隠し持つことが出来た。

「あり、がとう、大切にするよ、クロユリ君」
「いえいえぇ〜。
そぉだ!せっかく呉羽お兄さんと出会ったのです。
お兄さん、何か知っておきたいこと、ありませんかぁ?」

可愛らしく首を傾げて尋ねてくる。

「クロユリは、なんでも知っていますよぉ?」

なん、でもか…
パッと浮かぶものでもいいのかなぁ。
せっかくだから魔術関連で聞きたいけれど。
あ、
そういえば…一つだけ、
謎で包まれたものがあった。

セイバーのマスターも知らなかったし、
クロユリ君に聞いてみても、いいのかもしれない。

「ねえクロユリ君。
オレね、魔術がひとつも知らないはずなのに、
何故か「傷が治る魔術」だけは使えるんだ」
「…なるほどぉ?」
「傷を受けた時とか、
死にかけた時とかにね、勝手に発動…?するんだよ。
オレはその瞬間を見ている訳じゃないから、他の人から聞いたんだけどね…
魔術…刻、印?かもしれないって言われたかな…」

静かに聞いていたクロユリ君は、うんうんと頷き、小さな手でオレへ拍手を送った。

「凄いですねぇ凄いですねぇ。確かに魔術刻印は「体に刻む魔導書」、魔術を知らなくとも
魔力を通すだけで使用できるのですから!
あなたの場合は、特定条件下になると
強制的に発動するようですがねぇ」

楽しそうに笑う彼を見て、なんだか悩んでいた自分が馬鹿らしくなってしまった。

「…せっかくなら、使ってみます?」
「え?」

クロユリ君が、
意味深に監督へ目配せする。

監督は小さくため息をついた。

「…監督役シャル・リ・カヴァリエール。
魔術師クロユリ、マスター椿呉羽の教会内での魔術使用を許可します。
時間は5分までです」

え、5分?何が?
理解が追いついていないオレをよそに、
クロユリくんは「ありがとうございますぅ」と返事をする。

「ではお兄さん、少しだけ待っててくださいねぇ」

といってクロユリ君は、懐から折りたたまれた小型ナイフを取りだした。
こんな危ないものを小さな少年が持ってていいのか
と突っ込みたくなる気持ちを置き去りにして、
目の前の少年は、銀色の刃を広げ、そのまま…

「えいやっと」


自分の左手に突き刺した。
文字通り、ぶっ刺したんです。

「ーーーーっひッ…!?」

狂気じみた行動に、思わず身を引いてしまった。
少年の小さな腕に銀の刃物が貫通している。
肌が貫かれている箇所からは真っ赤な血が溢れて、
教会の長椅子を汚していく。
痛そう、苦しそうなんて次元じゃない。

こんな状況で、顔色ひとつ変えない「彼」がおかしい。

「…っく、くろ、くろゆ…」
「さて次は…お兄さんはまだ魔術回路を自分で開けないのですよねぇ?
なら、最初は無理やりこじ開けちゃいましょー」

驚愕で呂律が回ってないオレなんか気にもとめずに、
クロユリくんは貫かれていない右手を、
オレの左胸…ちょうど心臓の位置がある場所へかざす。

「最初はびっくりするかもですけど、耐えてくださいねぇ」

た、耐える?何を?
何もかもについていけないオレは、その言葉の意味をよく理解できなかった。


「ーーErwachen」


クロユリ君は、小さく詠唱を唱えた後、
オレの心臓の真上に、優しく触れていた。

その刹那





「ッッッッーーーーッッ!!!」


感じたことも無い衝撃が体を巡った。
無理やり電流を流されたような、
強制的に全身の血液が加速させられたような、

熱くて、痛い。

身体中が痛くて熱くて仕方がない!!!

「っっっぐ…ぅう…ぁ…ッ!!」

体を抱きしめて、歯を食いしばる。
痛みを和らげる手段が分からず、ポロポロと涙までではじめた。

「いだ…いっ…あに…っこ…れ…ぇ…っ」

今すぐのたうち回ってこの痛みを和らげたいのに…
目の前の少年の言葉は、オレを離してくれないようだ。


「痛いのは今だけです。時期になれますよ。
あなたは初めて魔術回路を開いたのですから。
それもクロユリが無理やりですけど。

さぁ、身体に魔力が巡ってくるでしょう?
ここに手を触れてください。
そして、再び目を瞑って」

クロユリくんによって、右手を体から離されてしまう。
行き着いた先は、彼が自ら傷つけた左腕。
まだ血液が止まらず、流れ続けているその傷口に、
手のひらをしっかりと密着させられる。

「っ…っ…ふ…ぁ…ぅ…っ」
「目を閉じなさい。痛みは辛抱するのですよ」


言われた通りにしよう。
早く、早くこの苦しみから開放されたい。

痛みにこらえながら、再び視界を閉じる。

(…でも)

なんだろうか、
痛みと熱さの中で感じる
溢れ出すような、エネルギー…。

「さあ、ここからですよぉ。
僕の腕に向かって、
湧いてくる魔力、熱くなった魔術回路、

全てを「埋め込む」ようなイメージで伝えてください。
こればかりは感覚になってしまいますが」

うめ、こむ…

(イメージと、言われても)
(埋め込むって、よく分からない)
(ほかの言葉で、考えてみる?)

(相手に、埋め込む。
相手に、入っていく…)

もしかして


侵食する。
って、ことなのかな。


朦朧とした頭でたどり着いた答えに掛けてみよう。
この傷口から、ここから、

相手へと「侵食」していくんだ。



「…ーーーー…ぁ」



少しだけ目を開く。
オレの腕は、青白い筋の光が刻まれていた。
その刻印はオレの手のひらを伝って
クロユリ君の傷ついた腕へ渡っていく。

傷口に光る刻印が刻まれ、
より1段と輝きが強くなる。

その光はみるみるうちに、クロユリ君の腕の傷を、文字通り「修復」して行く。
刻印が消え、眩い光が収まった頃には

彼の白い腕には、血1つ滴っていない
綺麗な肌になっていた。


「…っは…ぁ…」
「汗と涙でいっぱいで大変に…
赤いお目目も潤んで、ほんとうに愛おしい方ですねぇ…っ。
ふふふっ」

まだ落ち着かない体を沈めようと、息が荒くなってしまう。
彼はオレのそんな姿、左腕の傷があった箇所を交互に見て、とても満足そうだった。


「本来、魔術師の回復に特化した刻印は、
刻まれた本人のみを対象としたものでしょう。
ですが、呉羽お兄さんの魔術刻印は特別なものらしいですねぇ。
誰かの傷の手当にも使えるみたいですぅ。
今のは魔術の応用も入っていますが、まあ…使えたし問題ないでしょう。

さっきの感覚をもっと単純化すれば、
魔術師の基本である「強化魔術」も使えるようになりますよぉ
とにかく、魔術回路は1度開きましたのでぇ、
あの感覚を自分のものにすれば、魔術師と並ぶことは可能でしょう」

「…あり、がとう。
クロユリ君に、沢山教わったよ」


そうか、彼のあの奇行も、
痛みも熱さも、魔術を教えてくれるためだったのか。
…そうならそうと、事前に言って欲しかった気もするけれど。


「いえいえぇー。

…でもぉ、
きっと、「セイバーのマスター」にも
沢山教わったんじゃないですかぁ?」

くすくすと口元を抑えて笑うクロユリ君。

(セイバーのマスター。

…セイバーの、マスター…?
確か、名前は

そう、…藤樹君だったっけ)


「…どう、だったんだろう?
あまり思い出せないんだよ」


そういえば、
一時期は手を組んでいたんだっけ。

どうして共闘していたんだろう?
何か利用価値があったのかな。


「そうですかぁそうですかぁ。
ま、思い出せないのならその程度だったのでしょう。
今は今を楽しみましょぉ」

ニコニコと笑顔をうかべる少年に、思わず笑顔が漏れてしまう。
魔術を教えてくれたし、
アゾット剣もくれた。

人は第一印象だけで決めちゃいけないんだなぁ…。

「呉羽。門の外で、アーチャーが待っていますよ」

監督がアーチャーの到着を知らせてくれた。
そういえば、約束の時間だな…早い。
そうだ!あと聞きたいことがあったんだ。


「ねえ監督さん、
あの…キャスターのマスターはどうなったの?」
「柴野はしらですか?それが、朝から見当たらないのです。
お部屋も覗いて見ましたが、いらっしゃらないようで…
教会内のどこかにはいると思います。探しましょうか?」


へぇ。
そっか。


「ううん、そこまでしなくてもいいかな。
じゃあね監督。お世話になりました。
クロユリ君もありがとうね!」
「いえいえぇ」
「ご武運を」


2人に別れを告げて、アーチャーの元へと向かう。

(…あれ?
なんでキャスターのマスターを気にしていたのかな?
ここに来た目的でもあったし…


居なくなったなら…まあいっか)




ーーーーーーーーーーーー


「クロユリさん。彼とは面識があったのですね」
「えぇ。少しだけですけどねぇ」

以外だった。彼と出会ったことがあるとは思わなかったから。
なら、
……少しの疑問を、
ぶつけてみても良いでしょうか。


「彼、変わりましたよね」
「そうなんですかぁ?」


見た目は変わっていない。
佇まいや喋り方も前と同じです。
だけど


「なんというか…「弱々しさ」が無くなりました」


今日、ここを訪れてくれた時から、
ずっと抱いていた違和感は、多分これでしょう。

「いいことじゃぁないですかぁ」
「ええ。そうですけれど。
私はあのマスターの、「弱さ」が
短所であり長所だと思っていました。

弱いからこそ、人の心を忘れていない。
誰かのためを思うことが出来る」


「…人は、聖杯を前にすると、
簡単に変わるものなのですね」


誰に言うでもなく、自分に言い聞かせる訳でもない。
何となく、口から出てしまった言葉。


「…ふ」

でも、クロユリさんは聞き逃さず、
耳に入ってしまったようで


「ふははははっ!!おも、おもしろいですねぇ!!」


その一言を聞いて、大きく笑い始めた。
腹を抱えて、長椅子の上で寝転がりながら、
脚をばたつかせて笑っていた。


「せ、聖杯が人を変える?
ふふふっふふふふふふふふふ!
久しぶりに見ましたよぉ。あなたみたいな人!
クロユリは嫌いじゃないですよぉ?


ひとつ教えてあげましょう。
人なんて簡単に変わりませんよぉ。
これは元々「彼」にあったものです。

それを見抜けなかった人間が悪いのですぅ」



「…それに、クロユリは、

これで大正解と思っているのですよぉ?」



協力者なのは分かる。けれど、
なんだろう、

魔術師としての感が、
「彼に取り込まれてはいけない」と
叫んでいる。




ーーーーーーーーーーー

ーーー



教会を出ると、アーチャーは門の前に立っていた。
約束通り、約束の場所で。

「ごめんアーチャー、待った?」
「いいえ、私も今来たところよ。
じゃあ、早速行きましょうか」

「…え?行くって?」

キョトンとするオレに、彼女はため息混じりに答える。

「ライダーの元に。今は花屋に居るらしいわよ」
「な、なんで花屋?」
「そこまでは知らないわ。」

ていうか早速ご対面するの…?はや過ぎない??

先をゆくアーチャーのあとを慌てて追う。

「ひ、昼間にあって大丈夫なの?」
「むしろ昼間だからいいんでしょ。こんな明るい時にサーヴァント同士戦わせようなんて思う馬鹿居ないわよ。
ランサーのマスターは馬鹿だったってだけ」
「…あはは」

アーチャーが朝からずっと不機嫌な気がする…オレ本当に何かした…?思い当たる節がないよ。



ーーーーー



「夕輝さん、今日もお見舞いのお花ですか?」
「そうだよー。今日はね、黄色い花をメインにお願い。いつものアレンジメントで!」
「かしこまりました!
黄色い花は部屋を明るくしてくれますからね。
夕輝さんにピッタリのお花です」
「そうかな?でも言われて嫌な気はしないや」

アーチャーが言った通り、ライダーのマスターは
商店街の花屋の前にいた。
お見舞いの花を選んでいるらしい。
その表情はどこか嬉しそうでもあり、
寂しそうでもあった。

ライダーは隣で静かに、色とりどりの花達を眺めている。

「お待たせしましたー!黄色いバラを中心に、明るめの色をチョイスしましたよ」

店員がライダーのマスターに、片手で収まる程度の花束を渡した。
店員の言った通り、黄色のバラが多く、差し色で白や淡いピンク色が散りばめられている。
見ているだけで元気になれそうだった。

「ありがとうございます、また来ますねー!
…って…」

ようやくオレ達に気がついたらしい、
花束を抱えながら、驚いた顔をする。
ライダーは無表情のまま、オレ達を見つめていた。

「君はたしか…。

とにかく、何か御用?
もしかして一人で戦いに来たの?」
「ち、違うんです!」

1歩後ろに下がり、警戒態勢を取ったマスター。
敵意がないことを示さなければいけない。
慌てて首を振って否定する。

「オレ、その…セイバーのマスターと共闘辞めたんです!」
「え、そうなの?」

これも意外だったようだ。
少し警戒心は解かれたようで、態度が緩いだ気がした。

「考え方の相違。これ以上一緒にいても、お互い不利益になりそうだし、相手から寝込みを襲われかねないくらいに悪化したのよ」
「そ、そんなに…?」

そこまでは悪化してない…多分。
でも、なんだかアーチャーの無言の圧力を感じるから、黙っていよう…。

「だから、こちらから共闘を辞めざるをえなかった。
一方的だけれどね。
けど、問題はマスターの実力。

私はサーヴァントでどうにでもなるけれど、彼は魔術も使えなければ体力も無く知識もないし武の心得だって何一つない」

はぐっ

「え、言い過ぎじゃない?彼ちょっと涙目になってる…」
「今はいいのよ。
とにかく、そんなマスターじゃ、私も不安だし、直ぐに敗退させられかねない。
ならば、誰かと手を組む以外道はないのよ」
「…そういう、ことです…」

ものすごくとてつもなく言葉の暴力が突き刺さった気がするけれど、
オレは慣れてるもん…いいもん…

「なるほどね、だから私たちと共闘なんだ」
「どうかしら?ライダークラスとアーチャークラスなら、悪い組み合わせではないとは思うわ。
それに、貴方たちに不利益になるようなことはしない。
貴方たちが目的としている陣営を撃破することにも、協力を惜しまないわ。
どうかしら?少なくとも悪い話ではないとは思うのだけれど」

ほとんどアーチャーが交渉してくれた。
ライダーのマスターは、腕を組んで唸っている。
多分、悪い方には進んではいない…はず。

「敵はちょっと信用出来ない…って言いたいところだけどなぁ。
でも、貴方と戦ったことは無いし、
セイバー達と本当に手を切っているのなら、私の味方かも?って思うし…」
「いいんじゃない、ユキ」


悩むマスターに助言をしたのは、以外にもライダーだった。


「ライダーは賛成だよ?」
「そうなの?」

「ライダーは賛成だよ。マスターはともかく、アーチャーは悪い人じゃないよ?」

え、ともかくって言われた!?
ともかくって言われた!?(2回目)

「ユキが信用出来なきゃ辞めちゃえばいいし、信用出来れば共闘続行!
だーいじょうふ!マスターが変なことしたら
ライダーがとっちめる!
ライダーは、アーチャーと仲良くしたいなー」

「まあ確かに、
私も味方が増えたらいいなーとも思ってたしなぁ。

うん、分かった!
じゃあ共闘成立ね」

さっきまで悩んでいたのが嘘のような、さっぱりとした笑顔で握手を求められた。

…え、そんなアッサリ?
ちょっと拍子抜けしてしまった。求めた側はこっちだけど、
そんなに切り替えが良かったら狼狽えてしまう。

「も、申し込んだ側が言うのもなんですけど…簡単に決めちゃっていいんですか…?」
「あなたが私を騙そうとしていてもしていなくても、
今の私には分からないことだし。
深く疑うのとか、考えながらとか、あまり得意じゃないんだよ。
だから、もし君が悪さをしたら容赦なくねじ伏せる。
これでいいでしょ?」

脅しとも取れる約束を示しながら、右手を差し出すマスター。
まあ、共闘できるなら…いっか。
裏切るなんて、そんなこと…


今はする気もない。


「は、はい!あの、よろしくお願いします」
「うんうん、よろしくね。
あ、そうだ」

思いついたように指を鳴らした先輩。
意図がわからなくて、首を傾げてしまう。


「共闘記念。
ちょっと着いてきて欲しいとこあるから、一緒に来てよ」



………



と言われ、連れてこられたのは
街中で大きな病院「オダマキ病院」。

おそらく、花束を渡す相手がいるんだろうなぁ。

病院に入る前に、アーチャーとライダーは
中庭で待ってもらうことになった。

彼女に言われるがままについて行くと、
ひとつの病室の前で立ち止まった。

「私の双子の夕結が入院してるんだよ。
体が弱くなかったら、今頃君の先輩だっただろうね、私と一緒で」

そう言いながら、病室のドアを数回ノックする。
すると奥から、「はい」と返事が聞こえてきた。
男の人…?双子の男の人がいたんだ。

…ていうか、

「その…ライダーのマスターさんって…
先輩って、同じ学校で…双子の方がいらっしゃったんですね」
「………私元生徒会長なんだけど。
え、知らなかったの??」
「す、すみません…」

言えない…
刻まれた魔術刻印の副作用なんて言っても
信じてもらえなさそう…

特に気にとめなかったのか、そのまま病室に入り、ベットのそばの椅子に腰掛ける。

「やっほー夕結。今日は後輩くんも連れてきたんだ。
椿呉羽っていうの」

黒髪で、見るからに優しそうな男の人だった。
でも、なんだろう?
(ほんの少し、ほんの少しだけ既視感があるような…ないような?)
多分、気のせいかな。

「初めまして、椿君。
僕は夕結、よろしくね」
「あ、よ、よろしくお願いします!先輩…の、双子の…」
「あはは、夕結でいいよ。分かりにくいでしょ?」

なんというか、思わず甘えたくなる笑顔だった。
心が暖かくなる。
(ーーーーーーーるな)

「じゃあ私も夕輝でいいよ。私だけ先輩って呼ばれたら、なんか仲間はずれみたい」
「えっと…は、はい」

双子だけど、なんだか真逆の性格だな…。
片方のは大人しくて、もう片方の先輩は元気なイメージだ。

「でも珍しいね。夕輝が他の子をお見舞いに連れてくるなんて。いつも夕輝だけで来てたのに」
「まあねー。
誰も連れてこなかったのは、
夕結のお見舞いの特権は私だけって感じがしてたから。
今回は偶然後輩と出会ってね。あまり話したこと無かったから、この期に仲良くなろうと思って」
「そっか、いい事だね。

ねえ呉羽君?
夕輝はとっても優しい子で、

大切な「僕の」双子なんだ。
仲良くしてね」
「うひっ、は、はい…」

…気の、せいだろうか??
なんか、「僕の」ってほんの少し強調されたような気がするんだけど…
え、気の所為?
オレもしかして、先輩にも怪しまれてる??

「大丈夫だよ夕結、呉羽はいい子だよー。
こうやって、無茶ぶりにも着いてきてくれたんだから」
「分かってるよ。呉羽君、りんごは平気?
仲のいい男の子が分けてくれたんだ。
良かったら一緒に食べよう?」
「は、はい!ありがとうございます!」
「じゃあ私皮向くねー」

先輩は慣れた手つきでりんごの皮をむく準備を始めた。
というより、
生ゴミを入れるための袋も、果物を切るための小さなナイフも全部備えられていた。
多分、先輩が自分で用意したものなのかな。
しゅるしゅるとりんごの皮がむかれていき、
1口サイズにカットされた物が紙皿に並べられていく。
相当慣れてる。

(そうだよね。この2人は家族だもん。
ずっとずっとお見舞いに来ていたんだろうなぁ。

オレは家族と一緒にいた記憶はないから、
あまり分からないけど)

(いいなぁ、家族)


「はい。遠慮せず食べてね」
「あ、ありがとうございます」

爪楊枝でリンゴを1切れ頂く。
…うん。
シャキッとして、爽やかな甘みが広がって……

(…あれ?)

「どうしたの?」
「口に合わなかったら言ってね。無理しなくていいよ」
「い、いえ、甘くて「美味しい」です」

美味しい。


美味しいって、



…なんだっけ。

確かに味覚は感じる。
りんごって分かるのに。



(なんだろうこれ。不思議だ。
美味しいとわかるけれど。
不味くないと分かるけれど。


なんの気持ちも湧かないや)




ーーーーーーー



私たちは病院の外…中庭のベンチでマスター達を待つことにした。
静かに水を流し続ける噴水。
ここの花々は全部落ち着いた淡い色で、
とても落ち着く。

患者や看護師も心做しか、
そばを通る時は穏やかな笑顔になっている。


「それにしても、さっきは助かったわ。何を企んでいるかは分からないけど」
「ほへ?」
「私たちの共闘を認めてくれたこと。
サーヴァントなのだから、まずあなたが否定するものだと思っていたわ」
「えー?だってアーチャー強そうだもん。
強そうな人と一緒に戦えるなら、それで万事OKじゃない?」
「…」

ライダーはなんというか、聖杯に選ばれたサーヴァントらしくなかった。
責任も使命も、殺伐とした敵意も感じられない。
私とは全然違う思考をしている。

「…申し込んだ私から言うのもなんだけれど、もっと緊張感を持った方が良いのではなくて?」
「その時はその時だよー。ライダーはたしかシャルルマーニュの最弱騎士なんだけど、
ユキはとてもすごいんだよ!
多分物理ならライダーより強いかもしれない」

そうであってはならないでしょう。
と言うよりも、自分で「真名」に関することをペラペラ話してしまうのは、どうかと思う…。

(もしかして…ライダーじゃなくてバーサーカーが混じってるんじゃないかしら…
はぁ…共闘を申し込んだとはいえ…頼りになりますの…?)


「ねえねえ」

ライダーでは無い声が、どこからともなく聞こえてきた。
当たりを見渡すと、ライダーの隣に、
小さな男の子がやって来ていた。


「お姉ちゃん、この前も来てたよね」
「んー?君どっかであったっけ?」
「会ってはいないよ。ただ偶然見かけただけ。
夕結お兄ちゃんと仲良しだから、病室の前にいるのみてたの」

現れたのは、6歳、7歳程度の少年だろうか。
そばの少女は車椅子に座って、静かな瞳でこちらを見つめていた。
看護婦さんが車椅子を押して、3人で散歩をしていたらしい。

「こらハヤト君。年上の女の人なんだよ、ちゃんと敬語で話さないと」
「…ごめんなさい」
「いえ、私達は構いませんわ」
「ライダー子供好きだよー。だから全然大丈夫!」

私たちの言葉に、看護師はほっとしたような笑顔を見せた。


「はじめまして、
良ければ、少しお話しませんか?」





「長い方のおねーちゃん早い!追いつけないよ!」
「長い方のお姉ちゃんってライダーのこと!?分かりにくいよ!」
「ハヤトくん!また苦しくなっちゃうから、程々にするんだよー」
「分かってるー!」

ライダーは、ハヤト君という男の子と遊ぶことになった。
見てる分には可愛い鬼ごっこだ。
ライダーは力加減がわからず、ハヤト君と上手く波長を合わせられていないようだった。

そして

「…あの…」
「はい?」
「この、こは…」

車椅子に座って、ずっとハヤトくんとライダーを見つめている女の子。
てっきり、一緒に遊びたいと言うものだと思っていたけらど、
何も喋らなかったので、気になっていた。

看護師は、視線を泳がせて、少し悩んでから
悲しそうな笑顔で話してくれた。

「…体の筋肉が、動かないんです。
辛うじて、車椅子で散歩が出来るくらいで…。

でも、こうやって外に出ると、心做しか表情が柔らかく…なる気がするんです」

そうか…だから、歩きたくても歩けないし、
遊びたくても遊べない。

喋りたくても、喋ることが出来ないんだ。

「名前、呼んであげてください。
「かな」ちゃんって言うんです」

看護師の笑顔な後押しされ、
私はかなちゃんの目をのぞきこんだ。

「…かなちゃん、外はすきかしら?」
「…」

ゆっくりと、瞳だけを動かしていた。
すぅ、すぅと呼吸の音だけ響かせている。
けれど、言いたいことはわかる気がする。

「えぇ、そうですのね」

サラサラとした髪の毛を優しく撫でる。
かすかに目を細めてくれた。
その小さな動作が、とても嬉しく感じてしまう。

「私はこの子が自分の足で歩く姿を見るのが、看護師としての目標なんですよ。
それに、近々この子は大きな手術を受けるんです」
「手術?」
「はい!期間も規模も大きい分、
終わったあとは、自分の足で歩けるだろうって…」

看護師は自分の事のように喜んでいた。
そうか、この子はいつか、
自ら立つことが出来るのか。

「…ええ、それはとっても素敵なことですわね。

子供は、みんな、幸せであって欲しい」

彼女はその言葉を聞いて、驚いた顔をした。
でも、すぐ満面の笑顔をみせ、
「私もそう思います!」
と、言い切った。


「ねーねー短い方のお姉ちゃん」


ライダーと遊んでいたハヤト君が駆け寄ってくる。
その表情はどこか不満そうだった。

「どうしたの?ハヤト君」
「長い方のおねーちゃんすぐ僕を捕まえちゃうからつまんない。
短い方のおねーちゃんが遊んで」
「ライダーを振り回しておいてそれ!?酷くない!?」
「ふふっ、元気が良いですわね」

子供と遊ぶのは本当にいつぶりだろう…と、ベンチから腰をあげようとした時だった。
看護師が、パンと手を叩く。

「ハヤトくん、そろそろ点滴の時間でしょ?かなちゃんも戻らなきゃ」
「ええー、もう?

…短い方のおねーちゃん、また来たら遊んでね」
「ええ、もちろん」

看護師はベンチから立ち上がり、かなちゃんの車椅子を再び押し始める。
こちらに笑顔を見せながら、軽く頭を下げた。

「じゃあね、おねーちゃん達。長い方のおねーちゃんはちゃんた子供との遊び方べんきょーしてね」
「しつれーな子!!!!」

ハヤトくんも、早足で看護師のあとを追いかけた。
ライダーはひとつため息をついて、ベンチに座り直す。

「アーチャーって子供好きなんだね。君のマスターにも見せたことないような笑顔してたよ?」
「そんなつもりは無いけれど…でも、子供が好きなのは事実よ。
守るべきものだし、慈しむべきもの」

予想通りの答えだったのか、それとも期待ハズレな答えだったのか。
ライダーは「ふぅん」と返事をするだけだった。

「さっきの話だけどね」
「…さっき?」
「君を共闘に誘った話」

あぁ、子供たちと話してしまっていたから、忘れていた。
でも、それはライダーが「私の実力を見込んで」受け入れた。
という答えを貰ったような気がする。

「ライダーはそれだけじゃなかったんだよ?」

青い髪を片手で遊ばせながら、彼女(かは分からない)は呟く。


「ねえ、なんでアーチャーはあのマスターに
まだ従っているの?」
「…」


それはとても、
刃のように突き刺さる。


「ライダーね、マスターが「あんな」マスターじゃなかったら、
もっともっと共闘を喜んだよ。
でもね、ライダーの直感は嫌な感じがするよ」

「…」



「アーチャー。
「今の」マスターは、

本当に

信用していいの?」




無垢ながらも、偽りを許さない青い瞳。

(…私は…)



私は、即答することが出来なかった。



ーーーーーー







またひとつ、サンプルが来た。





「ねえ、僕達点滴って聞いたんだけど。
違うことするの?」
「あぁ、今日は代わりに私が担当なので。
いつもより少しだけ変わったことをするだけですよ」


ちょうど良かった。
「マウス」(消耗品)はこのくらいがちょうどいい。
しかし、予期せぬ出会いを経験したようだ。

「なるほど…「崎原ハヤト」に「榊原かな」…
少女の方は、少し体を補助しなければいけませんねぇ。
ま、その位は妥協しますか」


もちろん本命は別にいます。
この前の「モノ」がテストのテストだとすれば…
今回は本命のための「テスト」です。
研究というものは、本当にコストがかかるんですよ。


けれど、「我々」というものは、
その先のものが欲しくて手を伸ばす。


「もういいですかー?もういいですかー??
早くー!早くやりたいです!!うがー!!」
「だから今回は貴方の魔術は使いません。次の本番の時にお願いしますから、今は英気でも養って静かにしていてください」
「ちえーっ!」


フフ、
「それを得たから何になるんです」…と?
おやおや、随分意地の悪いことを。


「あの…?」
「すみませんねぇ。この子は少々子供っぽくて。
大丈夫。すぐに済みますよ」



研究なんてものは、「誰かのためにやる物」では無いんですよ。
世界を変えた大発見も
世に出ることのなかった答えも

結局のところは、
「知らなかった知識が欲しい」
だけなのですから。





「さあ、素晴らしい喜劇の犠牲になってくださいね」





ーーー



病院を去った後、
行き場のないオレ達を、先輩は自らの家へ招待してくれた。
なんでも、
「部屋数だけはあるから、1人2人の部屋用意しても十分事足りるんだよ」
とのこと。

…ちなみに、女子の先輩の家に後輩男子が入るのはいいのかって聞こうとしたんだけど、
何となくやめて置いた。

どこからかずっと圧を感じるんです…。


「よっと、ここが私の家だよ」
「あがってあがって!寒かったでしょ?」
「お、お邪魔します…」
「感謝するわ、ライダーのマスター」

先輩のおうちは、セイバーのマスターとは打って変わって
一戸建て1階建ての和式の住宅だった。
洗濯物が干せる程度の小さな庭と、木製の引き戸。
先輩は懐から鍵を出して、部屋へと迎え入れてくれた。

「おうちの方は…大丈夫なんですか?」
「うーんなんて言うかね…ここは譲ってもらった家というか…?
仲が悪いって訳じゃないんだよ?
とりあえず今は1人かな」

一人暮らしってことは、
あのマスターと同じ状況なんだ。
…あれ?オレは…

そういえばどこに住んでたっけ。
まあ、いいか。


「いつかは夕結と…家族と暮らしたいんだけどね」
「…」

ポツリと呟いたその一言は、
とても哀愁が漂っていて、
なんと声をかけていいのかわからなかった。

「あ、気を使わせちゃった?ごめんね、気にしないで。
ほら、適当に座っててよ。
お茶入れるから」
「あ、は、はい…」

通されたい居間に、大人しく座っておくことにした。
畳式の床に、長方形のコタツ机、近くにはテレビといった、
まさしく日本の家のような作りだった。

「…」

そして何故か、目の前にライダーが黙って座っている。
めちゃくちゃ見てくる。
怖い

「…あ、あの…ライダー…」
「…」
「…ひぃ…」

返事をしてくれない。
なんなんだ一体…

「ほらライダー、困ってるじゃん。
興味があるからって黙って見つめちゃいけないよ。
はいお茶、外寒かったし、暖かいのにしといたよ」
「あ、ありがとうございます」

深い緑の湯のみを目の前へ差し出された。
ほくほくと湯気がたっていて、見るからに熱そうだった。
…少し冷ましてからの方がいいかも。

先輩はライダーの横に腰を下ろし、
アッツアツのお茶をゴクリと飲み干した。
…え、飲み干した?何してるのこの先輩!?
熱さに耐性がありすぎる…。

「それで、本題にはいるけれど」

そして何事も無かったように話し出す先輩。
誰も突っ込まないのか。

「共闘と言っても、私は出来損ないの強化魔術くらいしか出来ないよ?いいの?」
「いやあの、お、オレも…魔術は使えなくて…」

無意識に使える魔術ならあるんですけど…ってのは黙っておこう。

「じゃあ私たち、魔術師の端くれにも及ばないコンビってわけかー。
いざとなったら物理かな…」

当たり前に出来るかのように言わないでください。
すみませんが、オレ、流石にそれは無理です。

「とにかく、共闘を組むことになったのだし、これからのことを考えましょう?
のんびりしていたら、敵陣営が先手を打ってしまうわ」
「と言ってもどーするの?
順番ずつノックしてもしもーし!してく?」
「ちょっとあなたは黙ってて。
貴方たちの中で、特に最優先で撃破したいという陣営がもし居ないのであれば…
私はまず最初にランサーを倒しておきたい」
「うん…オレもそれがいいな」

ランサーは危険だし、またいつ仕掛けてくるかも分からない。
もちろん、強いからそれ相応の対策は必要だろうけど…

「私たちが他マスターに出会ったのって、結局
あなた達とセイバー達しか居ないんだよね。
ランサー達ってどんな感じなの?」

「そうね…。この聖杯戦争においては、危険度が高いと思うわ。
バーサーカーも同じぐらいだけど、相手は「話は通じる」からこそ、狂っているのがよく分かるというか…」
「そんなにヤバいやつなの?」
「昼間にマスターを串刺しにするくらいには」
「なんで生きてるの?」
「マスターは頑丈なのよ」
「そういう問題なの?」

…思い出しただけで痛くなってきた。
ほぼ即死だったから、曖昧だけどさ…。

「まあ他のマスターについても話しましょうか。
バーサーカーはこの前教会から通達された通りね。
だとしても危険度は高いわ。
このメンバーで挑むには、もう少し何か対策がいる」
「それで、あの…先輩は今でも
セイバー達を狙っているんですか?」

「そうだよ」

言い切った。
アーチャーは、2人に何かあるんだと言っていたけれど。
そんなのみじんも感じさせないくらい、
綺麗に断言した。

「…セイバー達を、倒さなきゃ、進めない」

瞳に迷いがない…とは、
言いきれないけれど。

でも、



(なんだ。

じゃあ問題ないじゃん)




「セイバー陣営ね…こちらのマスターが気持ちを切り替えれるのなら、狙ってもいいかもしれないけれど」

「いいよ」




アーチャーの言葉を遮って、オレは答えた。
驚いた顔で、こちらを見つめるアーチャー。

だってそうでしょ?
別に気持ちを切り替える必要も、
落ち着かせる必要も無い。


「いいよ?アーチャー。
セイバー陣営でも」

「なんで迷う必要があるのかな?」


別に、彼らに対して特別な感情を抱いてるつもりは無いから。
アーチャーは、少し口を動かしたけれど、すぐに閉じてしまった。
再びライダー達に向き直る。


「…いいえ。
では、ランサーかセイバーに狙いをつけましょうか」
「サーヴァントって真名があるんでしょ?
それが分かれば弱点が見つかるかもなんでしょ?」
「そうね。
ランサーは中華の英霊…それも武術に長けている者。恐らく彼の本質は槍じゃなくて、
「武術」そのもの…。
中国武術で名を馳せた英雄…って所かしら」

すごい…アーチャーって頭いいんだ。
そこまで分かるなら、少し調べたら出てきそうな気もする。
後でネットで歴史とか見てみようかな?

「授業で習うレベルの歴史なら知ってるけど…武術とかそっち界隈は分からないかもなぁ」
「はいはいはい!ライダーはシャルルマーニュ十二勇士なら全員言える!」
「…。
知識では頼りにならないってことは分かったわ。特にライダー。
あとはセイバーかしら」

ランサーの予想をサラサラと述べたアーチャーだったけれど、
セイバーの話になった途端、急に黙り込んだ。

「…セイバーは、全く検討がつかない」

セイバー。
あの人のことをよく思い返してみよう。



眉目秀麗。
絹のような金色の髪に、美しく透き通った碧の瞳。
赤いドレスのような衣装を身につけていて、その中で光る黄金の鎧がとても煌びやかな印象を与える。
けれど普段の格好は、黒のスーツと黒いネクタイで、引き締まった印象を与えた。
なんというか、見た目だけでは「外国人」かな?
という印象しか浮かばない。

「格好だけで言うなら、西洋っぽいよね?
イギリスとか、そこあたりの…」
「見た目はね。
けれど…なんて言うのかしら…
歴史に名を馳せた英霊なんだろうけど…はずなのだろうけれど…
上手く言えないわね。

セイバーで召喚されたほどですもの。
きっと一国の王や、時代を動かした戦士くらいの逸話があると思うのだけど…」

アーチャーが言い淀む。
こう見ると、セイバーって不思議だなぁ。
あのマスターに、宝具も伝えていなかったようだし。

何がしたいんだろう?

「…」
「先輩?」

セイバーの話になってから、先輩が静かだった。
というか、考え込んでいた?

「う、ううん、なんでもないよ」

先輩はあわてて否定する。
まあ、特に何も無いのだったら、気にはしないけれど。

「セイバー陣営はサーヴァントの正体が絞りこめない…というのはあるけれど、
「手の内」がわかるって言うのは大きいわよ」
「そっか。たしかあのマスターは、
自分で戦うことはしないもんね」
「そう。戦闘面は主にセイバーに任せている。彼はどちらかと言えば、「自分の危険をどうやって避けるか」に長けているのだと思う」

なんだ、それなら。

「じゃあ、

あのマスターを殺しちゃえばいいんだね」



「…ッ…」
「…ぅーわ」
「…マスター。それはそうだけど」



…あれ。
なんかすごい空気が冷たい。
え、何、オレ不味い事言った?
え、怖い。




だって、




事実だよね?
何も、間違ったことは



「…ライダーはねー、
ランサーがいいかもー」
「…あら、意外ね」

ここに来てやっとまともな意見を出したライダー。
以外にも、ランサーを狙うという考えだった。

「というかそもそもね、ライダーもアーチャーも3騎士と真っ向勝負で勝てると思えないんだけど!」
「私はそのうちの一人なのだけれど、まあそうね。
近接戦ではあの二人に挑んで勝てるわけないわ。

そこは作戦でカバーするしかないのだけれど」

ふたたびの沈黙。
それを先に破ったのは、
ライダーだった。

「あー!ライダーいいこと思いついた!
セイバーとランサー、戦わせちゃえばいいんだよ!」
「戦わせるの?」
「どっちも同じくらい強いんでしょ?だったら、
どっちかがどっちかを倒してくれたら、万事解決じゃない?
それに、弱ったところを私たちがどかーんとすればー…すればー…なんだっけ?
漁夫の海苔?」
「…漁夫の利かな?」
「それー!」

確かに、お互いを戦わせてしまえさえすれば、
どちらかを敗退させることが出来るかもしれない。
けど、最大の問題は…

「…どうやって戦わせるのよ」
「分かんない」

わかんないんだ…

「…でも、やり方は問題だとしても…。
考えは悪くないとは思うわ」
「アーチャー、そうなの?」
「マスター、セイバーはこの前ランサーと対峙して、
実力が発揮できなかったのを悔やんでいる。
セイバーは多分、根が真面目なのでしょうね」

そこまで見てたのか…あっ、でも、
セイバーがランサーを狙っていたのは覚えてるな…。

「だからきっと、場所さえ整えば、
セイバーは乗ってくる。
あとはランサーをどうするか、だけど…」

アーチャーがちらりと左上を見た。
視線の先を追うと、夜9時を過ぎた当たりだった。

「その対策は明日にしましょうか。
マスターは今日早起きだったから、きっとそろそろ眠くなるわ」
「こ、子供みたいに言わないでよ!まだ眠く…ないって言ったら嘘になるけど…」

ということで、オレの睡眠を危惧したアーチャーによって、会議は強制終了された。

「あはは、わかった。じゃあ今日はここまでにしよっか。
明日までにこっちでも何か考えておくよ。
じゃあ、あなたたちの部屋まで案内するね」

先輩が笑いながら席を立つ。
慌てて後を追うことにした。

「アーチャー、ありがとうね。
心配してくれるのは、嬉しいよ」
「…ええ、どういたしまして」



ーーーーーーーーーーー
ーーー



アーチャー達を部屋へと送った後、
自分たちも寝室へ戻るために、廊下を2人で歩いていた。


「ねえライダー」
「なーぁに?」


ライダーは、変わらず笑っていた。



「なんであの時、ランサーとセイバーを戦わせようと思ったの?」
「…」


私の疑問に、
ライダーは再び満面の笑顔をうかべる。


「へっへへー。
ライダーはね、「サーヴァントを倒さずしてマスターを倒す」…みたいなやり方好きじゃないんだあ。
でも、ランサーを倒そうにも、私たちじゃ勝てそうもない。
だから、セイバーに全部託すことにした!」

…それはつまり

「他人任せってことー…?」
「あっはは、それだけじゃないよー」

月明かりが廊下を照らす。
青い髪がよりいっそう美しく照らされたライダーは、
さっきとは違う
優しく落ち着いた笑顔を見せた。


「絶対、セイバーが勝つと思うから」


ライダーはゆっくりと私の目の前に来て、目を合わせた。

「セイバーがランサーとの戦いに勝ったらさ、
あのマスターとの共闘はやめようよ」
「!」
「それでね、今度はセイバー達と手を組もう?」

意外な提案だった。
ライダーは共闘に乗り気だったのに。
それに、なんで、セイバー達と、共闘…って…。

なん、で。

「このままの状態でセイバーと戦ったら、多分、
あのマスターは
「セイバーのマスター」を殺す手段をとると思う。


そうしたら、
きっと、夕輝は悲しむでしょ?」
「ーー…」


なんでライダーが悲しそうな顔をするんだろう。
まるで、

鏡に映った自分を、見ているようだ。


「ごめんね。知っちゃった。
「夢の中」で」


謝らないで。
謝らなきゃ行けないのは、
隠していた私の方。

こんな悲しい顔をさせているのは、
私なんだから。


「夕輝、ライダーね、夕輝のために何でもするからさ」
「もう、無理しないで」

「無理をして、我慢して、家族を殺そうとしないで」





「そんな夕輝、ライダーは見たくないよ」
(そんな夕輝、あやめは見たくないよ)







ーーーーーーーーーー
ーーーーー


宿命。

悲願。




奇跡を、この手に

この夜は、相応しい

ーーーー
ーーーーーーーーーー




「…」


眠れない。


「…」



先輩から布団を借りて、入ってみたはいいものの。

眠れない。



なんで、眠れないのか。





(ーーーーーー)


「ー…っ」

声が、聞こえるから。



「っ…だ、れ…」

(ーーーー…)



聞こえる。
聞こえる。

聞こえる。


「きこ…える…」


(7つの魂)


「聞こえる」






「どこにあるの?」
「残りの6つ」



ーーーーー
ーーー
ーーーーーーーーーー
ーーーーー


「…」

ライダーのマスターの屋敷は、とても変わっている。
セイバーの屋敷よりも高さはないけれど、面積は広い。

「…」

マスターは、静かに眠っているのだろうか。
出来れば、このままでいて欲しい。

(もう、マスターの変化を見たくはない)


ー今のマスターは、本当に信用してもいいの?ー

そんなの、私が知りたい。
今のマスターの事、
全部わかってるわけじゃない。


(あなたは一体、何者なの…。
…何に、関わっているんですの?)


自らの思考に浸っている時、
屋敷の入口辺りから、「ガラガラ」という音が響いた。

「…誰かが、出ていった?」

念の為に霊体となって姿を消し、様子を見よう。
屋根を歩き、入口付近を見下ろしてみる。

出てきたのは、赤い色。
黄色い上着をまとった、私がとても見慣れている…

「…マスター?」

寝室で寝ていたマスターが、なぜ?
何か用事…があるとは思えない。
そもそも、こんな夜中にサーヴァントを付けずに外出なんて、そんな危ないことを
マスターであってもするはずが無い。

とにかく、止めなくては。

屋根から飛び降りて、霊体をとく。
慌ててマスターの腕を掴んで引き止めた。

「マスター!!あなた何を考えているの!?
こんな時間に1人で外出をして!!」
「…」

返事はなかった。
夢遊病とでも言うのか、それとも
なにか言えない理由でもあるのか。


歩みの止まったマスター。
ゆっくりとこちらを振り返る。





「ここに」



その目は、
赤黒く濁っていた。



「1つ目」




その声は
心を失っていた。





「ーーーーーッッッ」

思わず手を離し後ずさる。

「…動か、ないで」

彼はこちらを見つめたまま。


本能で弓を持ち、矢を構え、
彼の頭に狙いを定めた。

マスターに向かって何をしているんだろう。

(あんな姿は、見たことない)

見つめると取り込まれる
いや、
「内側」に入り込まれそうで。


あの目は、
あの瞳は

絶対に危険なーーーー


(…落ち着いて。落ち着け。
見定めなくては。
見極めなくては)

首を振って、目を閉じる。
1度深呼吸をしてから、ゆっくりとを目開ける。


再び、あの「黒い瞳」と対峙しようと
顔を上げてーーーー






「…あ…チャー…?」






矢を構えていた手が震える。
目の前には、化け物なんて居ない。
恐ろしい悪魔もいない。




「…なん、で?」



いつもの声だ。
困惑するような、弱々しい声。

構えていた弓をおろし、武装を解除する。
赤い瞳を見つめて、深く、息を吐いた。



(…いつもの、目だ)


赤くて、うっすらと潤んでいて…。
黒い影はどこにもない。



「マスターなのね」
「…う、ん。
あの…」
「さっきのは…違うわ。
私もきっと、疲れているのよ」

マスターの言葉を無理やり遮った。
聞きたくなかった。
本当に私が勘違いしただけだもの。
あなたは悪くない。

あの黒い化け物は、居なかったんだ。


「…ごめんね、アーチャー」
「私が間違えただけなの」



そう思いたいの。

聞いちゃいけない。



「分かるよ、だって」
「アーチャーは、撃つべき人を
間違えるようなサーヴァントじゃないでしょ?」


聞いてしまったら…
貴方の口から聞いてしまったら…


「辞めて、マスター…っ!」




認めざるを得ないじゃない。







「オレ、おかしくなってるよね」
「アーチャーが、矢を向けなきゃいけなくなるくらいには」





その笑顔は、
疲れ切っているようだった。



「さっきまで布団で寝てたはずなのに、
次目が覚めたら、アーチャーが弓を構えていたんだ。
分かるよ、魔術を使えないオレにだって、
オレ自身がおかしいんだってことくらい。

ココ最近は、特に」

「…」

「…ずっとね、オレがオレじゃないようで。
本当はあんなこと言いたくなかった。
本当はこんなこと思いたくなかった。

なのに、どうしてこうなっちゃったんだろうね」


どうして、
どうしてそんなに優しい顔をするの。


「…今はね、ちゃんと「呉羽」なんだ。その事は分かる。
信じて貰えないかもしれないけれど…」
「…そんな事を言わないで。
あなたのこと、まだ、信じていたいんですのよ」
「だからこそ、アーチャーに言わなくちゃ。オレがオレであるうちに」


その目は、いつもの弱々しい彼とは違う。
けれど、ハッキリと「椿呉羽」だと確信できる赤い瞳だった。


「アーチャー、お願い。
もしオレが、本当におかしくなっちゃったら、


ちゃんと殺して」


彼は笑った。
諦めたように、涙を見せないように。


「誰も、傷つけたくないんだ」
「きっとそれが、正しい選択なんだと思う」


カッ…と、眩い赤い光が彼の手を照らした。
「令呪」が発動された。
彼の強い願いと覚悟に、令呪は反応した。

右手に刻まれた刻印が、また1部消えていった。




私は、

彼を殺すことを、命じられたのです。



「…ごめんね。アーチャー」


次にみせたのは、泣きそうな、辛そうな顔だった。
…私は、私は、

「謝らないでください。
私は、呉羽のサーヴァントなのですわよ」


溢れ出る色んな感情を押し殺して、
彼を安心させるために、笑った。


「…。
ありがとう、アーチャー」

彼も、釣られて笑う。
優しくて暖かい笑顔。
そう、これが、この人が私のマスター。

だから







「ならば、試してみてはいかがですか?」






「っ誰!?」

すぐさま武装を再展開し、弓を構えた。
電信柱の後ろから現れたのは、白い白衣。
体の至る所に包帯が巻かれた彼は…確か、

「…監督役の…」
「覚えていてくださったんですねぇ、光栄です。
どうも、束井烙です」

右手を優雅に踊らせ、お辞儀を見せる彼。
警戒は解かない。弓は彼に向けたまま。

「アーチャー…」
「マスター、油断しないで」

彼はきっと、
この世で1番信用しちゃいけない生き物だろう。
本能が拒否している。

(…気を緩めてはいけません。
何を仕掛けてくるのか分からない。
マスターが狙いか…?
いや、監督役が自らマスターに干渉するなんて…)

「あなたの狙いは何かしら。

生憎だけれど、あなたのことは前々から、
ただの監督役だとは思っていないわよ」


おやおや手厳しいですねぇ
と、彼は笑う。


「いえいえ、ちょっとした「プレゼント」をしたくてですねぇ」

ひらりと白衣が大きく揺れた。

その内側はひとつの光も通さない、ただの「闇」だった。
ただの影なのだろうか、それとも「虚の空間」なのだろうか。

影から何かが、「生まれるように」弾き落とされた。
どさりという音が2つ。
地面に倒れ込んでいる小さい体に、水色とピンクの入院着。
動かない体を無理やり引っ張られているかのように立ち上がった。

(…ーーーーー、あの、子は)



見たことがある。
あの姿は、まだ、記憶に…




「さぁ良い子の皆さん、
楽しい楽しいお遊戯の時間がやって来ましたねぇ。

思う存分遊ぶと良いですよ」

白衣の男が2回手を叩く。



小さな少年少女たち…
昼間に出会ったあの子達、

かなちゃんとハヤト君は、

その小さな手に銀色の刃物を握りしめながら、こちらへと歩み寄る。

「…っハヤト君!?かなちゃん!!」

どうして彼らがここに!?

何度も呼びかけてみる。
けれど、反応がない。
意識がないのだろうか、声が届かないのだろうか。

「な、何この子達…!?こ、こっちに来る!?」

弓が見えていないのか、
私とマスターに向かって歩き出す子供達。

かなちゃんの腕や足には、黒く蠢いている影がまとわりついていた。
おそらくあの白衣の男が手を加えていて、
かなちゃんは、より1層無理やり動かされて居るのだろう。

ほぼ引きずられているような歩き方だった。

自らの足で地に経っているのに。
かなちゃんは、自らの意思で歩いてなどいないんだ。


「ッッよくも…良くも子供たちを巻き込んだなっ!!」
「何を言うのです。少女の方は、自ら歩けるようになったではありませんか。
少年走りませんが、彼女にとっては嬉しいことでは無いのですか?分かりませんが」

ギリ…と歯を食いしばる。
ここで感情のままに牙を向けては行けない。
まずは
あの子たちを何とかしなければ。
マスターも危ない。

いても立っていられなくて、私は彼らに手を伸ばす。
(とにかく目を覚まさせないと!!)


ハヤトくんとかなちゃんに触れる寸前、だった。


「おやおや、元気がいいですねぇ」

彼が笑いながら指を鳴らした。

瞬く間に「真下」から、
白い影が伸びる。



「残念ですが、貴方の出番はまだですよ?」



白く細い閃光は私の両足に絡みつき、
体ごと地面へたたきつけた。
彼の体に巻きついているのと同じ「包帯」のような帯。


「ヴっ…ッッ!!」


私が立ち上がるのを阻止しようとしているのか、
ギリギリと両足を締め上げる。

ハヤト君とかなちゃんは止まることなく、マスターへ歩き続けた。

「…っこの…!」

なんとか逃げ出そうと暴れてみても、包帯のような白い帯は強さを増すばかり。

「暴れれば暴れるほど苦しいですよ?時が来ればあなたに少しの自由を与えますから、準備が整うまでお待ちください」
「ッッッ…!!」

こんな体制じゃ矢を放った所で、威力などたかが知れている。

そもそも、人間が使うような拘束魔術であれば、
私の対魔力の前では有効ではないはずなのに!
なんだ…何者なんだあの白衣の男は…!

マスター…マスター…っ!
私は…
どうしたら…っ


「っア゙ア゙ぁうぐッ!!」


マスターの叫び声が聞こえる。

「っ!!」


転がるように、マスターは地面に伏せた。
足首からは血が溢れ出し、コンクリートに広がっていく。
ちょうど、アキレス腱の位置を狙われたようだった。

マスターの頭上に飛んでいるのは、
赤色の、小さなコウモリのような形をしていた。
1種の使い魔だろうか、

体は液体で構成されているらしく、羽ばたく度に
水滴が飛び散っている。

マスターの行動を封じて役目を果たせたのか、
使い魔はそのまま空中で弾けて消えていった。

辺りに赤くどろりとした液体がへばりつく。



…もしかして、あの男以外にも魔術師が…?


(一体誰…!?)

周りを見渡す。誰かいるのか、どこからマスターを…






「…なん、で」





見つけたのは、またひとつの小さな身体だった。
暗い闇に紛れている黒い髪と、
影の中でも目立つ白い髪。

でも、その中で一際目立つ、赤い瞳。




「なんで…

キャスターの、マスターが…」



戸惑う私に、白衣の男はくすくすと笑う。

「言い忘れていました。
ついでに「リサイクル」しようと思い、
この「少年」も使ってみたんですよねぇ。

一応魔術が使えるようなので、雑用にはもってこいですよ」

足を引きずるように歩き出した少年。
電灯が彼を照らし、その姿を現した。


ーーーなんて酷い。


首が座っていないのか、頭は肩に垂れ掛かっていた。
口から血を流し続けたのだろうか、
濁っちゃ茶色が口にこびりついている。

その肌は生きていた色を無くし、
青白く人形のようだ。

拳に力が入る。
悔しくて、腹が立って仕方がない。

この男は少年を弄んだ。


(幼くも、戦いに身を投じた彼をッ!!)


「…ッッッこれ以上…侮辱…しないで下さる…?」
「あの少年は「敗北」して、開放されたのです…ッ」

「それをあなたはっ
あなたという人は…っ」

「これ以上子供を弄ぶなッッ!」

怒りに身を任せて叫ぶ。
それでも、あの男には雑音程度にしか取られていないのだろう。

少年はそのまま操り糸に引かれるかのように、マスターへと歩き出す。
かくり、かくりと力の入らない足を無理やり動かされながら。

倒れているマスターの側まで来た途端、
崩れるように覆いかぶさった。

「ーーーーッッッツ…か…ぁ…ッッ!!」

瞬間、マスターの首元へ、小さな両手を押さえつけた。

ギギ…と骨が軋む音が聞こえる。
少年とは到底思えない怪力のようだ。
これも、きっとあの男の仕業なのかもしれない。

「ぁ…ぉ……ごッ…」

マスターは少年の腕を掴んで、引き剥がそうとする。
けれど、酸素を奪われた体と、操られている身体では勝ち目がないのかもしれない。

かなちゃんやハヤトくんも、銀色のナイフを持って迫ってくる。

どうする…どうする…何とかしなければ…!



「おやおや大変ですねえ。
このままだと、貴方殺されちゃうかもです。


さあ良いのですかぁ?
そこの「貴方」。

このままだと






壊れちゃいますよ?」


「ーーーーッ」





ーーーーーーーーーーー
ーーーー




壊れ、る。



だめだ。
それはだめだ。
生きなきゃ。

生きなきゃいけないんだ。

生きて生きて

イキ、ナキャ
(完成させなきゃ)

(なら、どうするの?)
(決まってる。邪魔だよ)

ーーーー簡単なこと。

(そう。邪魔するものは、殺すんだよ)
(誰であろうとなんだろうと)


ーーーーーーーー分かっていたこと。


(持っているそれはいらないものだから)
(「これ」さえあればいいんだよ)





邪魔するものは





「…」
(ーーーーせ)

「…せ」
(ーーーせ)


「…、せ」




(ーーせ)





「ろ、せ」


(邪魔だ)


「邪魔だから」





「…マス、ター…?」




「殺さないと」





単純明快。
今までで1番納得できる答えだよ。




ーーーーーー
ーー
ーーーーーー


これは3人の物語。
耳を済ませて刻んでね。




ひとつはとっても寂しがり屋さん。
森の中、くまさんもうさぎさんも
いなくなってしまったらしい。

「それは君が迷子の子羊だからだよ」

ほら、こうやってまたひとつ消えちゃった。





ふたつはとっても泣き虫さん。
ケーキも紅茶も無いんだと、
お腹を空かせてわんわん泣いた。

「それは君がうさぎを追いかけなかったアリスだもの」

ほら、またまたふたつめ消えちゃった。






みっつはとっても頑張り屋。
大好きな人のために戦って頑張って
誇り高く剣を掲げて
悪の王様に立ち向かった王子様。

なのに全部消えちゃった。



「それは君が2番目の王子様だから」



あぁ、君は元から消えちゃってた。





ーーーーーーーーー
ーーーー




瞬間
何かが宙を舞った。
それと同時に、
マスターの首を締め付けていた少年の「体」が、
消えていた。

ならば、空高く飛んでいる物体の正体は、
「少年の体」だろうか。


でも、
正しくは、
「上半身」を無くした体だった。


持ち主を失った下半身が中を舞い、地面に激突する。
死亡してから血が固まっていたのだろう、
出血は見られない。
断面は粗く、まるで、なにかに食いちぎられたかのようだった。

では、
彼の上半身は誰に食われたのか?
彼の体を奪った犯人は、探すまでもない。


だって
目の前には、彼しかいないもの。



「…」


マスターは立ち上がる。

無理やり操り糸を絡められた様な、ぎこちない動き。
でも、ハヤト君やかなちゃんのような動き方じゃない。

誰かに操られているのではなく


自分の意思で、立っている。



「ーーーSchattentanz」
「ーーーーErfassung. Erfassung.」
「Innere. Zu einem Wunder.」




『ーーーーAufklärung ist mein lang gehegter Wunsch』





聞きなれない言葉が流れた。
正しく「詠唱」、魔術師が扱うべきもの。

なんで、あなたは、それを知っているの?
何も、知らないんじゃなかったの?


彼の詠唱が終わると同時だった。



ーーーーー彼の「中」から、黒い影が蠢いて、溢れ出す。
まさに彼の内から。
纏っていた黄色の上着から膨れて、溢れて、
マスターの周りを漆黒に染めていく。

蛇のようにうねって、獲物を探すかのように当たりを見渡していた。
それに、命などないはずなのに、
「生きている」ように見えて仕方ない。


「…」


彼の目はいつもの赤い輝きは無い。
黒くにごって、光1つ灯っていない。

まず影は真っ先に
下半身だけになった少年を食らった。
一気に暗闇で覆い隠し、溶かすように己の内側へ取り込んだ。


やがて影は、
目の前にいる「2人」を、標的にした。



「…」
「…」



彼女たちは動かない。
この状況がわかっていないのか、分かっているのか、
逃げようとも、抵抗しようともしない。


「っハヤト君ッッ!!かなちゃんッッ!!」


子供たちはそのまま、黒い影の海に飲まれていく。
足元から影が侵食していき、ブチブチと「何か」がちぎれてく音が聞こえる。
それでも、彼らは動かない。
何も声を発しない。

そうしている間にも、彼らの体は飲み込まれていく。

(っっっだめだ…ダメだ!!
助けなくては…助けなくてはっ!!)

「この…ッッ!なんで…なんでッッ!!」
「しつこいですねぇ」

彼は笑う。
影もなく光もない
薄っぺらの、貼り付けた笑顔で。
憎くて、憎くて仕方の無い

嘲笑うような笑み。


「そこで静かに見ていればいいじゃないですか?
貴方の「マスター」の晴れ舞台を…ふふふっ」


「ーーーぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁあぁあぁぁぁあッッッ!!!!」

どこにも行き場のない怒りが溢れる。
衝動に任せて、足に絡みつく包帯を振り払おうとした。
どれだけ足掻こうと、這いずって逃げ出そうとしても、
「それ」は離れない。
コンクリートを何度も何度も引っ掻いたせいか、
爪が所々剥がれている。
指の腹の肉は爛れて、何度も何度も地面に抉られる。


「まあ、そろそろですかね」


白衣の男は私に興味をなくし、再び子供らへ目を向け、
右手で「パチン」と音を立てる。



「…」


「…っぁ」



まるで、今気がついたかのような、
間の抜けた声。


今まで意識を失っていた人間が、
やっと、やっと我に返って……



「ア゙ア゙ぁぁぁぁぁぁ
ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ぁぁァァァァァっっっっ!!!!!」



次に響いたのは絶叫。
甲高く未熟で…少、年の…


「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙あああああいいいあいいいあいあいいあああア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙アア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙たスケデイダイぃぃぃぃぃぃぃぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁあぁあぁぁぁあぁ」


今まで沈黙を保っていたハヤト君が、
我に返った。

かえってしまった。

「おや、少女の方はそういえば喋られなかったのですね。残念です。

ところで、アーチャーさん?」


しゅるりと、足の拘束がゆるいだ。
足首に絡みつくのみで、立つことは容易になった。

何を、企んでいるんだ。

にたりと、笑った。
さっきまで見た笑顔とは違う

愉快で仕方がないと言ったもの。




「今の彼は、
「狂っている」状態ですよねぇ?

令呪、叶えなくても良いのですか?



今の彼は、
「殺す」に値するものだと思いますが?」




ケタケタと嘲笑う声は、悪魔のようだった。


令呪。命令。指名。

殺す。


1度刻まれたモノは、取り消すことが出来ない。



「ぁ…っ…」

手が震えだした。
天穹の弓が、意思に反して現れる。
けれど

(ーーーっ…違う…違う!!
まだマスターは…マスターは…!)

頭を振って否定する。
私が認めなければいい。
マスターはまだ狂っていない。おかしくない。
私まで、私まで、諦めてしまったら…
もう、

本当に…


「ダズげでおネエちゃんイダインダよォアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙あああア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙アたすけてたすけてたすけでア゙!!!!」


「ーーー…ぁ…ッッ」


ハヤト君の叫びで、再び手に力が篭もる。
涙と口や鼻から溢れる血液で、もうあの幼い顔の原型は分からない。
マスターの影に飲まれていく度に、皮膚を食い破るような音。
骨をすり潰すような音が響く。


決めなくては。
覚悟を、決めなくては行けないのに。

マスターを殺す。
覚悟、を。


弓を、引かなきゃ。
引かなくては、なりません。
あの…マスターの…

命、を…




ーーーーーーアーチャー。





「…ッッッ」














「イダイァオアァオああああああああぁぁぁア゛ア゛ア゛ア゛ア゛いやだア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!!!!」








ハヤト君の叫び声は、影に飲まれていく。
最後まで手を伸ばして、私に助けを求めていた。





けれど私は
その手を取れなかった。



子供の手を、取らなかった。






いやだ。嫌なの。







「…ぁ…え…ちゃ…」









少女の首が、微かに、動いた。






「…い、よ…」






もう嫌なんですの。








「いた…いよ…おね…ちゃ…」








「ーーーーーーーーっっっっッッッッッツ!!!!」



少女が、自らの意思で発した言葉。
最後の言葉は

喜びでもなく、悲しみでもなく、

苦しみの叫びだった。

彼女の最後の希望も消えていく。
全部全部、黒い影に飲まれていく。

やがて叫びは聞こえなくなった。
影は少年たちを全て飲み込むと、
流れるように彼の元へと戻っていく。

彼らがいた場所には、大きな血溜まりが残っていた。

あの影が、食らった後なのだろう。



(…)



持っていた弓が、地面に落ちる。
ただただ地面を見つめて、
自分の選択の責任に頭が潰される。



だって、もう、

もう、大好きな人に
遠くに行って欲しくないのです。

私は





ーーーーーーーお前には関係ないよ。僕のことなんか







わたくしは、
友人の知らないこ所を、知りたかっただけなのに。




こんなことを、やりたかったわけでは、


ないのに





ーーーーー

ーーーーーー

ーーー


黒。
捨てられた。
明かり。
治らない。
血溜まり。
余命。
叫び。
末期。
静か。
来ない。
赤い。
見捨てた。
赤い。
見捨てた。
赤い。
見捨てた。
匂い。
見捨てられた。
見捨てられた。
見捨てられた。
見捨てられた。
見捨てられた。



暗い。



「…あ、れ」

「な、に。これ」



目の前にいた子供たちはどこに行ったのだろう。
早く助けてあげないと早く殺してあげないと。
どこに行ったんだろう誰に殺されたんだろう。


でもそれよりも、
なんだろうこの「違和感」




「だ、れ」



これは何?
この人は誰。
オレの中にいるのは誰。
「オレ」を侵食しているのは誰。
こんなのじゃない。
これはちがう。
これは求めていたものじゃない。



でも、もう、手遅れなのかもしれない。



「……」




真っ暗に消えていく。

守りたかったものも、
思い続けていたかったものも、消えていくんだ。


これがオレのたどり着く先。



ーーー
ーーーーー
ーーー




「「彼」へのプレゼントでもあったんですけれど、じつは実験も兼ねていたのですよ。
そこはお伝えしていませんでしたね。
内容としては、

「どこまで生き残れるか」なんです」

「本番の実験でどうしても必要でしてねぇ。
とりあえず消費期限が近くて、ひ弱な生き物を選んでみましたよ」

「まさか、「頭」さえ残っていれば意識がはっきりしているとは。
これで次にも活かせそうです」

「それに、彼も良い出来でしたね。
ありがとうございます、面白いものが見れました」



ぱちぱちと手を鳴らし、賞賛を送る。
その相手は力を出しすぎたようで、動かないのだが。

片方のサーヴァントに視線を向ける。
膝をつき、力なく項垂れ、こちらに敵意を向ける気力さえないようだ。

主を助けられなかったのを悔やんでいるのか、
はたまた、殺せなかった自分が許せないのか、

それとも、子供たちをを利用した私を許すことが出来ないのか。

どれが正解でも不正解であろうとも、特に何も思いませんがね。
今あなたか感じている感情は、
私の研究には関係の無いことです。


「なるほど、「令呪」の命令でも、
本人の判断に委ねられるケースの場合は、
威力が弱まり、強制的な力は発揮できない…と」


令呪の命令は、サーヴァントの意思に関係なく執行される。
アーチャーの場合は、レアなケースなのだろう。

「貴女はどこかで、まだ、
彼が「正常」であると信じているんでしょうねえ」


全く、これだから


「どう見ても狂っているでは無いですか。
人の目は盲目になる場合があるのですね」



「人」というものは面白い。


「どちらにせよ、
今の貴女程度では、彼を殺すことなど出来ないでしょう」
「彼は、また1歩、「近づいて」しまったのですから」


その弱さ、理解は出来ませんが、私は否定しませんよ。


付け入る弱さを持っていたからこそ、
貴女はここに呼ばれているのですからね。




ーーーーーーーー
ーーーーーーーー



「おーおーすごいすごい。めちゃくちゃカッコイーじゃないですかー」

彼がテストのテストをすると言い出したので、
俺達は距離が離れた公園の、木の上から見守ることにした。
木の上がいいと言い出したのはマスターだ。
なんでも
「ヒールっぽくてかっこよくないですか?」
とのこと。

謎の魔術が発動した後、
赤髪のマスターが地面に伏した。
動く気配はない。

(…あの魔術、似たようなものを、どこかで…)

マスターはそれを見届けると、今日に木の枝の上で立ち上がった。


「実験結果は成功ってことですかね?
あの人何したかったかよく分からないんですけど。
早くカキハラは本番をやりたいんですがね」
「…」
「ランサーサン、戻りましょうかー。
なかなか見ものでしたね」


今日は月がよく見える。
小望月…というのだろうか。

見事な満月は、明日見ることが出来るだろう。


「こんな夜だったな」
「何がです??」




「…俺が奴と、「初めて」刃を交わした時は」





あの時は、

「今」と違って、



何もかもを閉ざした眼をしていた。



「今の姿は「進歩」と言うべきか、
「退化」と言うべきか。

少なくとも」




「月夜に相対した時のような刃ではなかったな」





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本番まで暇ですし、回想でもしちゃいますか。
ちょっと遊び道具(実験体)を弄りながらですけれど。



さてここで質問です。
人はいつ、楽しいと感じるのでしょう?




『ーーーーーただ俺は、任務を全うするだけだ』




人類未踏の技術を見つけた時?
見たことも無い回路を発見した時!?
人類初、対戦型ロボットを発明した時!?


『無理難題をおっしゃいますねぇ。
きっと彼女、壊れちゃいますよ?』


多分全部正解!
そう!
「楽しい」と思えることを行った時です!


あ、ちょっと実験体さん静かにしてください。
痛いのは我慢ですよーそのうち何も感じなくなりますからー。



『合う合わないじゃないわ。
合わせるの!』
『「お前」は、そういう奇跡を産むために
選ばれたんだろ』



えーなんだっけ。そうそう、
楽しいと思うことって、すごくいいことだと思うんですよ。
それだけで存在している意味があると思いませんか?
カキハラは、今までずっと
そうやって生きてきました!


『そうですねぇ』
『私以上に、
奇跡を冒涜する行いをする者は居ないかもしれませんねぇ』
『奇跡を起こした我がマスターを裏切るような行為ですものねぇ』


確かに、強制的に合わない刻印と回路を埋め込まれてしまって
正直に言うと全身がめっちゃ痛いです。



『「後継ぎ」なんて、本当は作りたくはない』
『だって、私達は「私達」で完結するもの』



悲鳴をあげています。
1日12時間休まないと、壊れてしまいます。
よく寝る子は育つということわざがありますが、
成長する様子がありませんね。おかしいですね!


『あーあ!
任務を全うするとかいいながら、
結局あの人もいなくなっちゃいました』


けれど。それがなんだと言うのでしょう?
カキハラは楽しいことをずっとやり続けていました。


『ここは人間が沢山います!
楽しいことが沢山できます!』


そしたらなんとびっくり!
痛いことも苦しいことも、
消し飛んだではありませんか!カキハラ天才!


『聖杯戦争、特に目的はありませんよ。
なんとなくー、楽しいこと出来そうだなって思っただけですよ!

あ!聖杯に願うのは、巨大ロボを生産する工場とかどうでしょう!?
テンション上がりません!?』


「前の方」が教えてくださった、死霊魔術もとても楽しいですし


『ーーーーーーーーー、マスター。
指示を』


「あの病院」で好き勝手できることも楽しいですし


『…こんな偶然もあるんですね!』


この聖杯戦争も、とっても楽しいです!エンジョイしてます!


『もしかして、貴方って本当は「人間」だったとか!?』


だから、カキハラを可哀想なんていう
赤い人はお門違いなんですよー。


『人違いだろう』


むしろ、カキハラから見たら、あなたが「可哀想」ですよー。


『えー、カキハラでもこんなに似ている人を間違えたりしないんですけどねー』



楽しいことも我慢して、自分の運命も知らずに
ただただ苦しいイバラの道を歩もうとしている。




『少なくとも、俺はマスターのことを知らない』





正しく
常人じゃありませんね!





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私は、マスターを頼りないと思っていた。
弱気で、臆病で、何も魔術を使えなくて
聖杯戦争のことや、魔術師の事を何一つ知らない。

まるで何も知らない「子供」だ。

今は、それでもいいと思った。
そうであって欲しいとさえ思った。

運命を何も知らない純真な幼い心。
それを私が守ることが出来たら、
なんと幸福な事だっただろう。

今のアレはなんだ。

どうして吾々は、無垢に生きることさえ許されないのか。
どうしてマスターは、「死ぬしか」救いがないのか。

私/私を呼んだ声は、
「生きたい」という
強く眩しい願いだったのに。


「彼」を殺してこの戦いが終わるのならば、もはや本望とさえ思い始めてきた。

この侮辱的な、屈辱的な聖杯戦争を。


しかしそれは、私が決めることでは無いのだろう。


呼び寄せられたのは
あくまでも「汝」である。



……………………………




倒れこんだマスターに、駆け寄ることも出来なかった。

遠くから見るだけなら何も変わりない。
いつもの彼なのに。


私が選んだのは、マスターなのに。
救いたかった子供たちを、見捨てて選んだはずなのに。


(どうして私の周りの人達は、
私に何も言って下さらないの?)


こうやって私はまた、きっと、
寄り添っていたいと思った人から

離れて行くのでしょう。


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ーーーー
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今夜はとても月が綺麗です。
きっとこんな夜なのでしょう。
「奇跡」が完成した瞬間は。



「あんよが上手、あんよが上手

そうやって、そうやって、衝動のままに手を伸ばせばいいのです」

「あなたはそうであるべきです」


あなたこそが最後の
希望。
奇跡。
願望。


「しかし思った以上に良い出来です。
このままだと、2日や3日でたどり着けてしまうかもしれません」

クロユリの考えは正しかったのです。

「しかし…なにやらクロユリが期待していたものと少し違う…
誰でしょう…?我らが奇跡を蝕まんとする者は…」


ダメですよぉ。
それは、

こちらのものなのに。


美味しい所だけ取ろうとしている厄介者がいますね。


「まあいいでしょう。

凡そ、予想は出来ますから」



「我らが兄達も、それを承知の上だったのか。
そうではなかったのか」



「今となっては、どうでもいいですねぇ」


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