利己主義者



普通の幸せを願った自分は
ただの利己主義者なのでしょうか



ーーーーーー



「十々岐君!今日もお買い物かい?
今丁度、良いメロンが入ってるよ!」
「は?…え、ほんとだ。
くぅ…っ財布に余裕がある時に限って
良い物を入れるなんて、
流石お金にがめついだけありますね…。
人の財布搾り取って楽しいですか?」
「はっはっは!それが商人っていうものだよ!
さあどうする?
一個しかないから、買われちまうかもなぁー」
「ヴ…仕方ありません。
今日だけは!あなたの口車に乗ってあげます。
おいくらですか?」

トートバッグに入れていた財布を渋々取り出す。

夕食の買い出しや、マミヤ先輩へのお菓子やメロンは、ここの商店街で全て補充する。

局の場所から徒歩で20分程の場所。
近くに公園もあって、いつも程よく賑わっていた。

「はいありがとうねー!またよろしく〜!」
「いいメロンが入っていたからです!
いつも利用する訳じゃありませんから、
調子に乗らないでくださいね!」

あの果物の店は人の財布事情を盗み見てるのか…
買ってしまった憎き緑色の球体。

(…こんなの、
植物が受粉して生まれた種なだけ、なのに。
まあ?
メロンは低カロリーでほかの果物と比べて、沢山食べても太りにくいという利点はあるけれど…
だからって、
お前ごときがマミヤ先輩に愛されるなんて、ずるいんだよ)

でも、これで先輩が喜んでくれるのも事実。
深いため息を吐いてしまったけれど、
気持ちをリセットしよう。

「今日は帰りにチョコアイスでも食べようかな…」


他の買い物も早く終わらせようと、前を向いた時

「……ぇ」

視線の先に、
見慣れない「紫色」があった。




「…」
「あのー…君?買うなら商品を…」
「…」


それは何をしているのか。

まるで
「普通の人間のように」ここにいて
(俺と同じようにお店の前に立っていて)



「ーーーーっ…」



驚きよりも先に、どうしようもない苛立ちが湧き上がった。
(なんで今更…!)
排除しなくちゃ。消さなきゃ。
(なんで今更現れるんだよ!)

(だって!俺が普通で居られたのは…!)


「っお前ッッ!!!」
「っ…」

手に持っていた果実を投げ捨てて、そいつの肩を掴んだ。
一見検査着のようにも見える、真っ白な服装。
綺麗に整えられている、紫の髪。

深く見つめれば見つめるほどに、取り込まれてしまいそうな
赤紫の瞳。


「お前は…
あぁ、1031-2か」


知り合いに出会ったような声で…ッ


「そんな名称で呼ばないでくれないかな…っ
俺は「宇須森十々岐」って言うんだよ。
そんな汚らわしい名前なんか…ッ!」


「えーっと、十々岐君?その子って、
知り合い?」


我に返って、慌てて辺りを見渡す。
…少し目立ってしまった。
こいつが見ていた八百屋の店主も、困った顔を浮かべている。

「あ、あぁ、えっと…その…」
「その子さぁ、ずっと野菜を見てるんだよ。
何かいるかいって聞いても、答えないからさー、どうしちゃったのかなって。
十々岐君が知り合いなら、良かったよ」
「…」


なんでだろうか。
これは、嫌な予感がする…。


「この場所は、一体なにを行う場所なんだ?」
「おや兄ちゃん、ここに来たことないのか。
見た目も日本人っぽくないし…外国人か?」
「がいこくじん?
…76はそうなのか?」
「俺に聞かないでよ…」


早くこの場を去った方がいい気がする。
何かに巻き込まれる前に
隙を見つけて…


「そうだ十々岐君!彼に、この商店街を紹介してやったらどうだ?
十々岐君は顔も広いし、みんな優しく接してくれるだろ!」
「え、ええ!?ちょ、待ってください!俺はこいつと知り合いなんて一言も…!」
「…1031-2は、ここを知っているのか?」

店主の屈託のない笑。
コイツの無垢な輝き。

全部が俺を追い詰める。


(なんでお前までそんな顔してるんだよ!

…でも、今冷たい対応取ると
八百屋の人に悪印象だし…。
そしたら…
嫌々!嫌々だけど築いてきた関係も傷が付く。
そしたら、野菜も安くしてくれなくなるだろうなぁ…
………本っ当に、関わりたくないのに…っ!)


2回目の深いため息を着いた。


「…分かりましたよ…」
「さすが十々岐君!優しいねえ!」
「優しくなんかありませんから」
「感謝する、1031-2」
「だからその呼び方やめろって言ってんだろ!?」

今日は本当に疲れそうだ…肉体的にも、精神的にも。


「ところで十々岐君」
「はい?」

「勢いよく何か投げてたけど…いいのかい?」


恐る恐る、横に目を向ければ。
袋の中から転がり、しっかりと地面に密着していた…

マミヤ先輩の…大好物の…





「ぎゃぁぁぁあーーーーーッッッ!!!」




…………




「ほら、気になるところ行ってみなよ。引き受けたからには紹介してあげる」
「さっきよりも陰湿な空気が漂っているな。何かあったのか?」
「お前とメロンのせいかな!!」

なんでこんな世間知らずのお守りなんかしなきゃならないんだよ…
早く帰りたい…

「十々岐君!今日は見知らぬ顔を連れているね!
どうだい?今揚げたてだよ!」

商店街の入口近くで構えている揚げ物屋。
1つ100円の牛肉コロッケが美味しいと、ここでは有名だ。
ちょうど上がった、というのは、
その人気コロッケのことだろう。

「おい1031-2、これはなんだ。これはなんだ」

紫頭はすぐさま釣られ、
油から救い出される、輝くきつね色の物体に興味津々だった。

「だから十々岐だって…あぁもう!
これはコロッケて言うの。
揚げ物のひとつだよ」
「…ころ…け」
「兄ちゃんここに来るのは初めてかい?
ならほら、ひとつサービスしてやる」

店主は上げていた1つを、そのまま小さな紙に包んで、コイツの目の前へ差し出した。

「え、そ、そんな!?なんで…」
「十々岐君は商店街のお得意様だからねぇ。
君のお客さんだって言うなら、この位はお易い御用さ。
君も、ぜひご贔屓にね」
「…」

(そんな優しさを向けられても…俺は、別に…)

赤紫の目を輝かせたまま、
彼はおずおずと受け取っていた。

「…ありがとう、ございます。
ていうかお前、お礼はちゃんと言って」
「はっ…そうだった。
ありがとう、見知らぬ人」
「はいよー」

笑顔で手を振る店主に、軽くお辞儀をしてその場を去る。
紫頭はもらったコロッケを不思議そうに見つめていた。

「食べてみなよ。…美味しいから」
「…」

大きな口を開けて、
パクリとかぶりつく。

「……っ…」

喋らないし、ずっともしゃもしゃと咀嚼しているだけなのに、
目の輝きで気持ちがわかってしまった。

「あ、相当美味しいんだな」と。

(…)

こうしてみると、世間知らずの子供としか思えない。
実質、知識量はそこらの子供と大差はないだろう。
…いや、赤ちゃん…レベル?

「いひへほはんひひひぃ。ほへはほへほはひゃひゃひゅへほ…っ…ーーーーっ…!!」
「喋りながら食べるから…
揚げたてなんだから熱いでしょ」

口の中を火傷したらしい。
静かに悶える彼を見ると、
なんだか、構えていた気持ちが崩れていく。

…俺たちが生まれた原因。
始まりの個体。

数多くの人間に恐怖を与えた殺人鬼の、
限りなく近い複製物であるし、
程遠い生き物でもある人間。

ちぐはぐで、己の存在理由も分からない。
研究所が潰れた今は、より…

(…でも、そんな生き物が、こんな赤ん坊と変わらないような存在だと知ったら、
拍子抜けするだろうな。
正直、俺はした)

「1031-2、ころっけと言うのは暖かくて美味しいのだな。
あれはどうやって生み出されるのだろう…76でも作れるのだろうか」
「材料と料理の知識があれば、誰だって作れるよ。
まあ…あんなに美味しいのは、それ相応の練習がいるけれど」
「…!」

人が話している途中に、彼は次のお店へと早足で向かった。

「1031-2、ガラスの箱に人が沢山入っている。ここはなんだ?収容施設なのか?」
「物騒なんだよ…ここはファストフード…飲食店。
商店街の入口付近には良くあるよ。
ハンバーガーを食べると言ったら、この系列のお店になるね」
「食事をする場所…ということか。
はんばーがー…とはどんなものだ」
「えっと…写真見た方が早いんじゃない?ほら」

指さしたのは、ガラス窓に大きく貼り付けられた、メニューのポスター。
今は期間限定の4段チーズバーガーなんてものがあるらしい。
…え、4段?

「パンに肉などを挟んでいるのか。初めて知った」
「そんな近くで見なくてもいいと思うけど」

目がくっつく程近づいている。
そこまで興味を持つものかな…

「気になるなら買ってこれば?」
「…?」
「ここに値段書いてるでしょ?
自分の所持金と相談して決めるんだよ」
「…」

彼は上着のポケットを漁って、小さな財布を取り出していた。
俺が持っている、実用性のある長方形のものではなく、
本当に子供が使うような小銭入れ。

かぱりと口を開き、その中身と、ポスターを交互に見つめる。

「…銀色が…3枚で、銅色が2枚…
この、1番大きな物が…4と20…だから、
銀色が4枚と…銅色が2枚…

…銀色…」

どうやら欲しいのは、期間限定の4段チーズバーガーらしい。
そこそこボリュームあるコロッケ食べたくせに、どんな胃袋してるんだ。

(持ち合わせが無いもの、それも自分の運だよね)

「足りないなら他のものを選べば?」

なんて、普通に声を掛けてみたのだが
彼の表情を見て、呆気に取られた。

「…」

不服そうな顔だった。
眉を下げて、少し頬が膨らんでいる…のか?
欲しいおもちゃが買えなくて愚図る子供のようだ。

(…そんな、
普通の、人のような顔しないでよ)

化物の、
唯一の完璧な複製品のくせに。

(調子、狂ってしまう)
(…まあ、いいか)


「もー!
いくら持ってんの?320円?」
「…銀色が3枚と銅色が2枚…」
「なら320円!
あと100円足りないんでしょ?
俺の100円あげるから、さっさと買え!」
「…誰かから、お金を貰う時は…
なにか手伝いをしなければならないと」
「何歳の子供だっ!
それに、俺はお前と違って立派に働いてんの。
100円お前に奢るくらいなんて事ないから!」

自分の100円を、無理やり彼の小さな財布にねじ込んだ。
ぱちぱちと瞬きをして、中身を覗き込んでいる。

「ほら早く!買うなら買え!」
「押さないでくれ。さすがに歩ける」
「分かってるよそのくらい!!」


……


「420のものをくれ」
「…えっと?」
「420のものをくれ」

目立って欲しくなかった。
目立って欲しくなかったのに!
まともに注文も出来ないのかよ!

「すみません!期間限定の4段チーズバーガーです!」
「あ、あぁ!かしこまりました!」

商品を受け取った瞬間、ひと目から逃げるように
端の席へと連れていく。

「なんでまともに注文も出来ないのかな」
「…」

文句を聞いているのか居ないのか、
彼は髪に包まれたハンバーガーを物珍しそうに眺める。

「1031-2…この中に食べ物が包まれているのだな」
「…はぁ、そうだよ。

ねえ、その呼び方、本当にやめてくれない?」

こいつと出会った時からの不満をぶつける。
当の本人は理解出来ていないのか、
不思議そうに首を傾げるだけだった。

「何故?識別番号は間違っていないはずだが」
「そうじゃなくて…
俺はもう、あの研究所のサンプルじゃない。

…局の、人間として生きているんだから。
ちゃんとした名前がある」
「…」
「宇須森十々岐って言うの。
宇須森でも、十々岐でもどっちでもいいから。
番号呼びはもうやめて。そもそも他の人をそんなふうに呼ばないでしょ」

「…。
う…ず、もり…」

噛み締めるように、名前を呼んだ。
何回も、何回も。

「うず、もり」
「うん」
「うずもり」
「何回も呼ばなくていい」
「…イノチの一つ一つに、識別番号とは違う名前があることは分かっていた。

…もう、この場所では、
「名前」の方で呼んでいいのだな」
「…」


研究所では、名前で呼ばれることは無かった。

1031とか、616とか、812とか、
76…とか。

あいつらが、サンプルとして区別しやすいように付けた番号だけが、己の証明になる。

でもそれは、生き物の権利なんてものは無い。

「あの場所は無くなったんだから。
そんな忌々しい番号なんか捨てて、
この時代らしく生きればいいじゃん」
「…」

名前は、生物に「個」を与えてしまう。
生きる意味を与えてしまう。
命を与えてしまう。

あの場所にいる生物(サンプル)は、
ただの道具でいい。

だから、
識別番号と一緒に名付けられることはあっても、
「名前」で呼ばれることはなかった。

「俺も…その、
お前のこと、名前で呼び…たい、から…」
「…」
「っなんか言ってよ!
俺がこんなに優しくするのなんて、
滅多にないんだから!
そもそもマミヤ先輩以外は…」




「ヒガンバナ」




ふわりと、笑った。

アイツが…笑ったんだ。


人間から畏怖の対象とされた生き物。
数多くの生物を殺めた殺人鬼の複製品。


「ヒガンバナと言う。
お互い、番号以外は知らなかったな」
「…」


そんな彼が、人間のように。


「どうした10…うず、もり。
黙り込んで」
「…ーーっ…調子狂うなぁ、ホンッット。
早く食べてよね!
俺はさっさとお前の案内を終わらせて帰りたいんだから!」
「わかった」

ようやく包みを外し、また大きな口でかぶりつく。

(…死んでしまったサンプル達も)
(奇跡が起きたのなら)
(こんな未来が、あったのかもしれない)


「でも、ヒガンバナってちょっと言い難い」
「…ひひひふひほはは、ふひひほんへふへえいい」
(…よびにくいのなら、すきによんでくれていい)
「口に物入れながら喋るな。でもなんとなく言いたいことわかった…
じゃあ、そうだなぁ」


「ひーくんでいいや」
「…っん…。
ひーくん。
呼ばれ慣れない名前だ。

とても、不思議な気持ちだな」

「…そっか」



………



「商店街…というものは、とても面白いイノチと食べ物と無機物があるのだな。うずもり」
「…………俺的には、ひーくんの胃袋に驚きなんだけど」
「ひーくんはまだ食べられる」
「自分でその名前言うんだ…番号よりいっか」

ヒガンバナ…基ひーくんは、
牛肉コロッケ1つ。
4段チーズバーガー1つ食べたはずなのに

その後も、団子なりパンなり駄菓子なりアイスなりラーメンなりをぺろりと食べてしまった。
…俺はパンの辺りでギブアップしたけど。

(…なによりも)

不思議だったのは、さっき上げた食べ物を扱うお店の人達が、
「俺の友人なら」という理由で、
ひーくんにタダで提供したということ。

(なんで、こんなにも優しいんだろう)


「うずもりは、ここの人達に好かれているのか?」
「っはぁ!?」

こいつはまたとんでもないことを言い出した。

「なんで俺がここの人達に好かれなきゃいけないの!?
俺が好きなのはマミヤ先輩だけで、他の人間なんてどうでも…!」
「でも、きっと、うずもりが優しいから、ひーくんにも優しくしてくれたのだろう。
人間は支え合って生きていると聞いたことがある。

うずもりは、普通に暮らしていたのだな」


バカにしている訳でもない。
羨ましい、という感情でもない。
「感想」…なんだろうか。


「…。
それ、ここの人たちの前で言わないでよ」
「何故?」
「い、い、か、ら!
ほら、他に行きたいところないの!?」
「…」

ひーくんはゆっくりと指さした。


「公園?確かに、この商店街のひとつみたいな物だけど」
「小さなイノチが沢山いる」
「…迷惑かけないならいいよ」


この歳で公園…。
まあ、たまにはいいか。


…………


公園に着いたのはいい。
ベンチにでも座って、ゆっくりするのかと思いきや。


「紫のおにーちゃん鬼ごっこ知らないのー?」
「おにごっこ?」
「あのねー、鬼を1人決めてー、ほかのみんなは逃げるの!
それで、体のどこかにタッチされたら鬼が交代!」
「なるほど。回避訓練みたいなものか」


なんであいつは普通に溶け込んでいるんだ!
子供たちも、もう少し疑うということを…

「紫のにーちゃんの名前はー?」
「ヒガンバナ」
「変な名前ー」
「ひーくんとも呼ばれている」
「じゃあひーくんから鬼だ!」

あーあ、巻き込まれるし。
ひーくんは、何か言いたげにこちらを見つめる。
ため息をついて、近くまで歩く。

「いい?
子供達と同じように走るんだよ。
分かる?」
「相手の能力に合わせるのだな」
「さ、鬼になったんだから、誰かタッチしてきなよ」
「鬼になった…。
そうか、今ひーくんは鬼か。
鬼は1度、映像で見たことがあるぞ」
「…」


ひーくんは両手を上げて、ゆっくりと走り出した。


「わるいこはいないかー」
「きゃー!」
「逃げろー!」



「…え、なまはげ?」



…………



「ひーくんどこに住んでるのー?」
「…ここでは無い所?」
「ご近所さんじゃないんだねー」
「ねーねー学校どこ行ってるのー?」
「ガッコウ?」
「学校いってないのー?」
「私たちはね、ここの近くの小学校に通ってるの!」


子供たちに気に入られてしまったらしい。
ひーくんは、ベンチに座りながら、子供たちに囲まれていた。
見た目や言動が珍しいのか、幼い好奇心が掻き立てられるのだろう。


「あ、もう5時だ!」
「そろそろ帰らなきゃ」
「じゃあね、ひーくん」
「ばいばーい!」

門限が近いのだろう。
子供たちは一斉にその場から離れた。
さっきまであんなに賑わっていたのに、
急に静かになってしまって、少し違和感を感じてしまう。

「お前は帰らなくてもいいの?」
「晩御飯の時間はまだだからな」
「そっか」


何となく、帰りづらくなってしまった。
ひーくんを1人置いていくと、ふわりと誰かについていきそうで。

(…序盤の自分が今の光景見たら、気絶しちゃうかもな)


…そもそも
彼は、どこに帰るのだろう。
晩御飯…という事は、帰る場所はあるんだろうけれど、

(もし…)

一緒に帰ろうと言ったら、
着いてくるのだろうか。

きっと彼は、普通に生きていけると思う。

(そう、あんな場所の呪縛を取って、
化物なんて形を捨てて、

今の俺みたいに、
普通に生きていけるんじゃないか)


色んな人と接することが出来て
色んな人と仲良くできたのだから
きっと


(俺だけじゃ、なくて)

(こいつも、「人間」になれば
俺は)

(本当に)






「失礼しまぁす」






顔のすぐ側。
耳に直接伝わる生ぬるい吐息。

子供の体温のように暖かい………


「ギャァァァッ!?!?」
「ふふふふふふ、可愛らしい反応ですねえ。
ふふふふふふ」

いつの間にか隣にいたのは、
さっきの子供達よりも、少し身長の高い少年。
青色の髪色に、うっとりとした深海のような瞳…

「って、お前は…」
「覚えていてくれたんですねぇ、クロユリは嬉しいです。
はい、識別番号616のクロユリですよぉ。

お久しぶりですねぇ、
「廃棄物」さん」
「…っ」


嫌な奴だ。
少年の容姿をしたって、
中身はぐちゃぐちゃで、恐ろしい生き物。

目を見つめるだけで、全てが暴かれてしまいそうだ。

「さあ、恐れの王。
もう帰らねばなりませんよぉ。
あまり遠くに行くものではありません」
「そうだな。
…お前は、


クロユリ、だったな」


ぴくりと、小さい体が揺れた。


「聞いてくれクロユリ。
ひーくんは沢山面白いものを見たのだ。食べたのだ。
この世の中には、素敵なものが溢れているのだな」



表情は、前髪で隠れてしまって見えない。



「…畏怖の王」


ゆらりと
影が揺れる。






「貴方は何時から
人間風情に落ちぶれてしまったのでしょう?」






低く冷たい声と共に、ヒガンバナの目を覗き込んだ少年。
見れば見るほど深く、どこまでも飲み込まれてしまいそうな瞳を、
真っ直ぐに彼に向けていた。


「貴方は世を震わせた殺人鬼の複製品。
知らない世界を知ることは結構ですが、
「人の子」の真似をするものではありませんよ」

「…」

「あなたは狂っているべきです。
あなたは見下しているべきです。
あなたは達観しているべきです。
あなたは青い子供たちの父。
頂点。

格を落とすようなマネはおやめなさい」




「…そう、だな」
「帰ろうか、812」




呆気に取られていると、
ヒガンバナは立ち上がっていた。
そのまま少年と共に、その場から歩き出す。


「ちょ…っと、待ってよ!」
「…おやおや?どうしたんですかぁ。
クロユリが恋しいのですかぁ?
廃棄物に恋をする日が来るかもしれませんねぇ」
「…そんなに、言わなくてもいいじゃんか。
今の時代を生きているんだから、それに合わせたって」

「分かっていませんね。1031-2」

熱が籠ったねっとりした声を出したと思えば
冷たい水のように突き放す言葉を刺してくる。

「彼の存在理由は、「化物」であることです。
「人間」であってはならない。

ただの人間になってしまったのなら、
彼の産まれてきた意味は
なくなってしまうじゃないですか。

彼から異常を奪うことは、
生きる意味を奪うことに等しいのですよ」
「そんなこと…ッ」

「そんなことがあるんです。
廃棄が決定し、1度存在理由を捨てた貴方には関係の無いことかもしれませんがね。

それに、人と共存する事の意味を、
廃棄物は理解していないように見えます。


彼らは、簡単に死ぬんですよ 」


当たり前の事実だけれど
それは、「殺人鬼」から生まれた彼らにとっては
理解し難い事柄。


「我らの父は人よりも長く生きるでしょう。
おそらく、この世に存在する方法では、
彼を死に至らせることは出来ません」

「そんな彼が、人と生存することは出来ますか?
できるわけが無い。

いつか、壊れてしまうんです」


大切な誰かを見つけても
必ず別れは訪れる。
必ず。
必ず。

こちらが見送る側になってしまう。


「あなたみたいな劣等種であれば、多少我慢すれば追いかけることも可能でしょう。
けれど彼は違います。
追いかける事が出来ない。

同じ舞台に引きずり下ろすのは、
あなたのエゴイズムでしかないのでは?」

「っ…」

「…でも、クロユリはあなたのこと、嫌いじゃないですよぉ。
1度は捨てられた身でありながら、
普通の人として生きようと、
地に足を下ろしている!
その健気さに恋をしてしまいそうですよぉ…!」


顔を上げることが出来なかった。
握った拳の行き場はない。


「…812、もういいだろう。
今日は世話になったな、

1031-2」

「お腹も好きましたしねぇ。
では廃棄物さん?また会いましょうねぇ」


………


2人は去ってしまった。
追いかけることなんて絶対にしたくない。
何も話すことなんてない。


「…っ…ぅ…」


胃の中の物がせり上がってきて
思わず口を覆う。

(エゴイズムなんかじゃない…
だって、普通に生きなきゃ、

生きなきゃ…

誰も見てくれないじゃんか)


その場に踞る。


(そんなの間違っている。
間違っている。絶対に認めない)

(あぁ、でも)

(あいつを、人間に出来た時を、想像したとき…。

自分が、
ちゃんと、普通の生き物だってことの証明を
したかったのかな)





(あぁ。
やっぱり、出会わなければよかった)


-3-

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