うそから出たなんとやら_3
午前中の雨が嘘のように、午後からは太陽が顔を出した。
「とうとう免許剥奪か」
正門で落ち合った私が自転車をひいていないのを見て、偽物の彼氏様は開口一番そう言い放った。あんまりな言い草に怒りを忘れ噴き出した私が「馬鹿じゃないの」と答えると、彼は珍しくも屈託無い笑みを浮かべた。笑い顔は、彼をいつもよりずっと幼く見せる。あーあ、今日も好きだなぁ。恋する乙女の常套句がすとんと胸に落ちてきた。
雨が降った日は自転車の代わりにバスを利用しているが、仁王には今日は徒歩だと小さな嘘をついた。バス停は正門のすぐそばだ。折角のカップルらしい時間をふいにするのはもったいないと考えた私は、ずるい人間だろうか。
水たまりの干上がった道を歩きながら右側の詐欺師を見上げると、盗み見たつもりだったというのに色素の薄い狐目とバッチリ視線が交わってしまった。
「ん? あぁ、ほら」
目をそらすより速く、したり顔とともに差し出されたのは左手だった。手を差し出されたことはもちろんのこと、それが彼の利き手であることにも驚きを覚えた。テニス以外において束縛を嫌う彼が悪友とも言える私と手を繋ごうと試みるだなんて予想できるだろうか? いや、まぁそう言う妄想をしたことがないと言い切ると、嘘になるけれども。
黙りこくってどうした?と言わんばかりに首を傾げた仁王の口角は上がっている。数秒待った後、目を丸めすっかり固まった私の右手をするりと取った仁王は少しだけ歩みのスピードを緩めた。頭を乱暴に撫でられることは何度かあったが、繊細そうな見た目のわりに硬い手のひらに触れたのは初めてだった。
一連の流れには全く迷いがなかった。もしかして慣れてるのかな。けれども、右手に感じる圧倒的熱量の前ではそんな疑問も無力と化す。
「照れとる?」
「……別に」
「真っ赤じゃ」
「うるさい!」
肯定にしか取れない否定はかえって仁王を面白がらせてしまったようで、彼はこちらを覗き込み目を細める。夕陽のせいにしてしまう機転も利かず、恥ずかしさのあまり反射的に眉間にしわを寄せた私の態度は客観的に見ても可愛くなかった。
「ま、嫌がられんかったけ、喜んどくか」
「私がこういうの慣れてないって最初から分かってやってるくせに!」
ギュッと強く握られるたびに心臓がおかしくなっていく気がした。完全に遊ばれている。抗議の意を込めて乱暴にも、隣を行く大きいローファーを蹴りつければ、詐欺師は怒るでもなく、やはり意地の悪い笑みを浮かべるのだった。
じゃれ合う私たちを追い抜いた女子生徒2人が、何やらコソコソと耳打ちをしている。私が元々仁王の女友達という珍しいポジションにいたとしても、流石に手を繋ぐという行為ははたから見れば決定打となり得るだろう。週明けには私は一躍時の人かもしれないと至極真面目に馬鹿馬鹿しいことを考えていると、私の右手を軽く引いた彼が口を開いた。
「なぁ、」
「うん?」
「土日試合があるんじゃが、彼氏のかっこいい姿見に来んか?」
§
天気は快晴。勝手知ったる学校近くのテニスコートには大勢の女の子が訪れていた。小さな大会とはいえ、雑誌などでも取り上げられることがある男子テニス部は相変わらずの人気ぶりだ。立海メンバーの待機場所には差し入れを手にした女の子たち。流石にあそこに飛び込む度胸はないなと思いつつ、本部に貼られているオーダー表を見て知っている名前のあるコートへ足を向けた。
タイミング良く前の試合が終わったようで、いつものラケットバッグを背負った仁王と柳生がコートに入ってくるのが見えた。仁王の耳打ちに対し、柳生が顔をしかめている。相変わらずちぐはぐでよく似た2人だ。
彼のことは、あまり自分が頑張っているところを人に見せたがらない性格だと思っていたので試合に誘われたのはすごく意外だった。
ふと顔を上げた詐欺師と目が合う。彼は猫背のままゆるく手を振った。途端にギャラリーから黄色い悲鳴が飛んだので、苦笑で返事をすると、サーブ練習が始まった。
一切の乱れがないトス。彼は左手のラケットでスイートスポットを捉える。いつもの猫背が嘘のように感じてしまうほど綺麗なフォームから繰り出されたサーブに、思わず息が漏れた。
昔、サーブ練習をしていた私の背中に「へたくそ」という暴言とともにアドバイスをくれた彼の横顔を思い出す。
テニスに向き合う仁王は本人の言葉通りかっこよく映った。いつもかっこいいと思っていることに関しては、言わぬが花ということで。
ポーチのフェイントにつられた相手がストレートで仁王の横を抜こうとしたようだが、案の定ボールは相手コートできっちり2度跳ねた。ネット際を狙い澄ました角度のあるボレーはそう簡単には返せないだろう。中3の夏に見せた入れ替わりのような大それた詐欺はなく、スマートな試合運びは2人の戦略か。
仁王は珍しくサーブアンドボレーに徹していたものの、疲れた様子もなくひとつ伸びをした。
「なに、お前らとうとうそういう関係になったわけ?」
私と仁王を交互に指差した丸井は、膨らんだガムをパチンと割った。
こちらは丁度、試合後ふらりと私を探しに来たらしい仁王に「かっこよかったろ?」と言われ、素直に頷いていたところだった。
「そういう関係?」
「付き合ってんのかって聞いてんの」
仁王だけでなく丸井まで寄ってきたことで、周囲の女の子が聞き耳をたてる気配を感じる。良くも悪くも目立つ2人だ。
もう一度空気を入れられていく風船ガムを眺めながら、私はこの不思議極まりない現状をどう説明したものかなと顎をさする。
ペテン? 罰ゲーム? 偽装工作? ごっこ遊び? はたまた、恋人……?
仁王に助けを求めようかとも思ったが、会話に割って入ってこないあたりこの状況を面白がっているに違いないからやめた。
「さあ、どうだろうね」
怪しまれるより先に曖昧な正解を伝え笑うと、ボレーの天才は分かりやすく顔をしかめた。納得いかないと言う顔だ。奇遇だね、私もこの関係について詳しくわかってないよ。
「お前、仁王に似てきたろぃ」
「えっ、うそ! そんなに悪いやつじゃないよ私」
「どういう意味じゃ」
「あたっ」
黙って聞いていたはずの仁王が私の頭を小突いた。一応断っておくが、力は全然強くない。この馬鹿げた関係が始まる前から彼はこの手のスキンシップが多い。
「やだな、言葉の綾じゃん。冗談が通じないとモテないよ」
「あの女子ギャラリーを見てようそんなこと言えるな」
衝撃を受けた頭を態とらしくさすりながら唇を尖らせると、その様子を見ていた丸井がげんなりして天を仰ぐ。
「いちゃつくんなら余所でやれよな」
「はぁ? 丸井、目腐ってんの?」
「お前まじふざけんなよ!」
煽り耐性に欠けるモテ男が声を荒げるので、私と仁王は顔を見合わせてケラケラと笑った。丸井の眉間にシワが寄るのが輪をかけておかしかった。
私たちに怒るのは時間と労力の無駄だと判断したらしく、表情をすっと殺した丸井の判断は冷静で適切だ。次に彼は、私の首に腕を回し内緒話のポーズをとった。ぐっと右肩が重くなる。日陰になった頬が秋風に撫でられて急激に冷えていく。
仁王に聞こえないようにだろうか、丸井は声のトーンを落とし耳打ちをする。
「お前らが付き合ってんのかどうか、よくわかんねえけどさ」
「うん?」
「なんつーかまぁ、気を付けろよ」
「何に?」
「女子に決まってんだろぃ。結構強烈なファンもいるんだぜアイツ」
子どもっぽく見えてその実兄貴肌である赤髪の表情は、コンビニでお菓子を選ぶ時と同じくらい真剣だった。
それは心のどこかでひとり身構えている展開ではあるけれど他人に指摘されることで現実味を帯びた気がした。
「うん、ありがと」
おう、とはにかんだ丸井が私の背中をぽんぽんと叩いたのと、拘束されている私の腕を仁王が強く引いたのはほぼ同時だった。
彼の手のひらはひんやりしているというのに、私の体温はじんわり上昇する。
「なに?」
「別に」
「おっ、珍しいモン見たな。でも男の嫉妬は見苦しいぜ」
「そ───」
丸井の揶揄いに何か言い返そうとした仁王だったが、それは桑原くんが相棒を探す声にかき消された。
詐欺師は行儀悪く舌を打つ。ボレーの天才はそれを気にする様子もなく向こうの相棒に手を振っている。
「ま、俺はミョウジのこと全然タイプじゃねえけど」
去り際にそう言い残した丸井は体重を感じさせない走りで相棒の元へ向かって行った。
いやいや、なんで私が振られたみたいになってんの!?
無言で憤慨する私の隣では仁王が苦虫を噛み潰したような顔をしている。それを見て、最近ちょっと表情筋がゆるくなったなと的外れなことを思った。
「そんなに機嫌悪くしなくてもいいじゃん。誰もさっきのが嫉妬だなんて思わないよ」
「おまんも?」
「私も」
「……ほぅか」
一瞬何か考え込んだ彼の頭の中には果たして何が巡っているのか。詐欺師は本音を煙に巻いてばかりだから、どれだけ会話をしても1番深い気持ちはなかなか見えてこない。
もっとずっと私が鋭かったらこんなこと考えずに済むのかもしれないと自信のない自分がひょっこり顔を出す。
「丸井に振られたとしても俺がおるきにええじゃろ。ま、とりあえず今日は丸井を負かしてくるけ、そんな怖い顔しんしゃんな」
知らぬ間にシワが刻まれていた私の眉間を親指で撫でた仁王は不敵に笑った。「いや、振られてないし」そう言って、珍しくズレた彼の指摘に私は笑い声をもらすのだった。