うそから出たなんとやら_5

「今度の日曜、部活休みなんじゃが、」
「ふぅん、じゃあゆっくり寝られるね。良かったじゃん」
「……おまんなあ」

 カラカラと回る車輪の音に、仁王のため息が乗っかった。
 両手で自転車を押す私と、ポケットに両手を突っ込んだ仁王の影がゆらゆらとくっつくか否かの距離感を保って歩いている。初めて手を繋いだ時以来、両手がふさがってしまうのが惜しくてバス登校にしようかなと幾度も考えた。しかし、来週訪れるこの契約期限満了の日の喪失感が膨れ上がりそうな予感がしてやめた。
 自分を守るのに必死な私は、ガリガリと後頭部を掻いている仁王を見やった。

「私? なんか変なこと言った?」
「人の話は最後まで聞きんしゃい」
「あ、話遮っちゃってた? ごめん、続けて」
「日曜オフやけ、出掛けんか?って言おうとしたんじゃ。デートぜよ」
「デート……」

 話の続きが予想の斜め上を飛んだため、ぱちぱち瞬きを繰り返す。デート、なんて可愛い響きが似合わない彼は、私の目の前で手のひらを数回振った。生きとるか? と失礼な心配に、取り敢えず死んだ覚えはないかなと答える。
 それにしても突然降って湧いた貴重なオフを私との外出に使っていいのだろうか。たっぷり寝て体力回復に努めた方が良いだろうに。
 考え込む私の顔を覗き込んだ彼の瞳が少し揺れる。その理由が私の返事への不安だったら良いのになと自分勝手なことを思った。

「なんか用事ある?」
「ううん。暇だよ。けど……」
「けど?」
「折角のオフでしょ?本当に付き合ってるわけでもないし、わざわざ面倒なことしなくても良いよ?」

 “面倒なこと”と言う単語に手のひらが湿っていくのを感じた。前に仁王のファンの子と揉めた時指摘された内容はまだ私の胸の中で渦巻いている。それとなく、遠回りに探りを入れた私は横目でチラリと彼を確認する。
 仁王くんは嘘をつく時、声のトーンが少し低くなるんですよ。以前柳生にこっそり教えられたリーク内容を頭で反芻した。
 わたしは耳をそばだてて返事を待つ。緊張で心臓が早鐘を打っていた。

「……面倒やったらこんな話せん。まあ、そうじゃの。そしたらここ数日のお詫びも兼ねてってことでどうじゃ?」

 彼はいつも通りだった。私はホッと胸を撫でおろす。ビクビクしている自分が滑稽だった。
 それを隠してひとつ頷く。

「それなら行くよ、デート。カノジョ役も来週で終わるから、最初で最後だろうしね」

§

 ゆらり、ふわり
 水の中を上下するクラゲの動きを目で追う。時間がゆっくり流れる空間にいるはずなのに、私はまったくリラックスできていなかった。握られた右手がまたじんわり湿ってきた気がして気が気じゃない。

 仁王は約束の5分前に集合場所である駅前へやって来た。10分前行動が癖になっている私は彼をだいぶ待つことになるだろうと当たりをつけていたため、その事実に目を丸くしたのだった。
 軽くランチをした後、秘密にされたまま連れて行かれたのは水族館だった。休日ということもあり、客はかなり多い。カップルや子連れの家族が笑顔を浮かべる中、私たちの関係はイレギュラーを極めている。明らかに人ごみを嫌っている仁王にしては奇妙なチョイスだなと思ったことを口にすると、「けど、おまんは好きじゃろ、水族館」とさも当たり前のように返されて驚いた。動物園や水族館が好きだという話は、何年か前にたった一度言ったきりだったはずだ。

「そんなのよく覚えてたね」
「そりゃあ、彼女のことじゃし」

 恥ずかしいことこの上ない。歯の浮くような台詞のせいで言葉に詰まる。照れを誤魔化そうとして無理やり顔をしかめると、軽く笑った仁王が私の手を攫ったのだった。
 仁王の言った"デート"は、詐欺師ならではの冗談だと思っていた。なんてことはない、私の心臓に悪いブラックジョーク。
 しかし。まるで、まるでこれでは本当のデートではないか。
 一際大きい水槽の中では、大小様々な魚が行ったり来たりを繰り返している。右、左、奥、上、下。なにか法則があるのかもしれないが、詳しくない私にはでたらめに泳いでいるようにしか見えない。目的地が見当たらず迷子になっている自分の姿とそれが重なった。

「おい、生きとるか?」
「えっ、あ、うん。死んだ覚えはないかな」
「デート中に物思いにふけるとは妬けるのう。"本命"のことでも考えちょる?」
「……馬鹿じゃないの」

 周囲の音にかき消されないよう、仁王は私の耳元に顔を寄せる。息が耳朶を掠めてくすぐったい。私が顔を背けると、仁王は繋いだ手を緩めた。空気が手のひらに割り込んでくる。

「あ、」

 無意識に洩れた声は明らかに落胆の色を含んでいた。パッと右隣を見上げた私の馬鹿正直な脊椎反射に対し、ニヤリと口角を上げた彼はそのままするりと指を絡ませてきた。私たちは、いわゆる恋人つなぎという形に落ち着いたことになる。

「ちょ、」
「デートやき」
「誰か見てるかも……」
「もうこれが恋人のフリとか誰も思わんろう」

 そう言ったきり、仁王は水槽に視線を移した。手を振りほどけない私は、チョロい女だと思われているかもしれない。でもこんなの期待したくなるじゃん、馬鹿。

 大きな水槽、定番のイルカショー、水中を飛ぶペンギン、暗さの増した深海ブース。せっかく水族館に来たのだからと好き勝手に動きたがる私が順路を辿ったり、逆らったりしている間も手は離れなかった。人間の順応力は高いもので、しばらくすると自分以外の体温に慣れてしまった。岩肌にひとり佇むペンギンを指差し「仁王に似てるね」と冗談を言って笑う余裕も出てきたのだから。ちなみに、それがお気に召さなかったらしい彼はすまし顔のまま私に体重をかけてきた。
 出口付近のショップは館内以上に人で溢れていた。流石にこの中では邪魔になりかねない。仁王を見上げると、案外簡単に手は離れていった。少しだけ個人的に店内をひやかし、人を避けるようにして待っていた銀髪と合流する。

「仁王は見つけやすくて助かる」
「おまんも銀髪にすれば」
「目立ちすぎるからヤダ」

 軽口を叩きながら水族館を後にし、電車に乗り込み腰を落ち着けると仁王はラッピングされた何かを私に握らせた。

「やる」
「えっ、今開けて見てもいい?」
「おん」

 ガサツな部分がバレないよう丁寧にシールを剥いだつもりだったと言うのに、袋が少し破けた。くつくつ笑う仁王は無視する。
 手を入れると、ひんやりとした金属が指に触れた。
 包装から顔を出したのは先程私が指差したペンギンのキーホルダーだった。手のひらサイズのぬいぐるみと目が合って、思わず驚きの声が出た。なぜなら、実は私も同じものを自分用にこっそり買っていたからだ。デフォルメされるにあたり、ツリ目になっていたそれがやっぱり仁王に似ている気がして。

「これ、」
「彼女役へのお礼ぜよ。俺と思って大事にしんしゃい」

 ニヤリといつもの意地悪な顔をした仁王にもうお手上げだ。今日は彼にしてやられっぱなしだし、何かやり返す気も起きない。気まぐれの化身のような彼の考えていることなんて全然思いつかなくて、私は自分に都合の良い解釈をしまいそうだった。本物の彼女ができたら、その時もこんな風にたくさんのサプライズを仕掛けるのだろうか。
 ピピーッと心の中で警告音が鳴る。つくづく罪作りなやつだと思った。

「またそういうこと言う。イケメンの台詞は心臓に悪いからやめてよ。でもありがとう。……お礼にこれをあげる。自分用のつもりだったからラッピングしてなくてごめんね」
「もらってええの?開けても?」
「うん」
「サンキュ……ほう、これは……」

 中身を確認した仁王はスッと目を細めた。口元はさっき以上に緩んでいる。お互いの中身が被っていたことに慌てる様子もなくて少し悔しい。

「何でこれを買ったんじゃ?」
「だって仁王に似て……あ、違う、何でもない今のは忘れて」
「ふぅん、俺に似とるきにこれを買うたんか」
「……記念にね。思い出だよ思い出」

 顔をしかめてもごもごと言い訳すると、仁王は笑いを堪えたような声で再び「ふぅん」と頷いた。

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