エレベーターを降りて、駐車場の自分の車の前に着いて鍵を開けた遙は、画材の入った袋を助手席に置いた所でスマホが震えた。確認するとコナンから『わーってるよ、ワトソン』との返信だった。遙は子供扱いされて不服そうにしている様子のコナンが思い出されて顔に笑みを滲ませた。スマホをバックに戻していると、車の窓をコンコン、と叩く音がしたので振り向くと、そこには見知らぬ若い男性が立っていた。遙が首を傾げながら、車のドアを開けて「何か?」と問いかけると、男が「これ、落としませんでしたか?」と聞いて一本のペンを取り出した。車の助手席に置いた袋の中を見てみると、一本足りなかった。机の上を片付けた時に落としたのかと遙は思い、男に頭を下げた。
「すみません、俺のです!」
「ああ、間に合ってよかった…どうぞ」
「追いかけてくださってありがとうございます!」
「いいえ、……あなたに、話しかけるチャンスをこうしてあなたが落としてくれたことで作れた。感謝ですよ」
「…?俺のことを知ってるんですか?」
「ええ…ここに良く画材を買いに来るのを知っていたので…でも、決まった日に来ている訳ではなかったので、いつも待ってました…あなたのことを」
「…はい?」
「――…あなたの名前を、あなたの口から聞きたいんです、教えてくれませんか?」
そう告げた男が、口元に笑みを浮かべて一歩、遙に近付いた。遙がその笑みに背筋が冷たく凍るような思いがして、一歩下がる。この駐車場には、遙とこの若い男以外に誰の姿もない。助けを求めようにも、スマホも車の中だ。落ち着け、と自分に言い聞かせて、そして、この目の前の男が、自分の名前を知っていることくらいは会話から分かった。物凄く言いたくない。…見られていることにも、全く気付いていなかった。男はいつもと言っていたが、一体いつからなのだろう。信じたくないが、俗にいうストーカーという奴なのだろうか?でも、家に押しかけてきていた訳でもないし…遙は冷や汗を流しながら、目の前の男から、ゆっくりと距離を取るが、男がその分だけ、距離を詰めてくる。
「ねえ、言ってください」男の声が歪む。
手が、遙の腕を強く掴んだ。びくりと、遙の肩が震えた。
「あなたに、俺の名前を言う気はありません」遙が答える。
腕を掴む力がより一層強くなった。抵抗してみるが、緩むことはない。遙は思わず、「っ離せ!」と声を荒げたが、男はそれすらも喜んでいるらしく「そんなこと言わないで」と顔を近付けた。男の息衝いが、遙の頬に触れる。酷い嫌悪から、目を瞑って顔を背けた瞬間だった。
「―― 何をしているんですか?」
己の腕を掴んでいた手が、消えた。男の息衝いも。遙が、ゆっくりと目を開けると、目の前に、自分を隠すようにして金髪の男が立っていた。どうやら、助けてくれたらしい。
「…彼が嫌がっているのに、あなたが執拗に迫っているように見受けられましたが?」
「いえ、その…彼に、話があっただけだ」
「ホー…その話とやらはなんでしょう?僕にも聞かせてくださいませんか?」
「っ、きっ君には関係ない!」
「……おや、あなたの顔、何処かで見たと思いました…あなた、3日前に駅前で職務質問されていたでしょう?」
「……!」
男が、背を向けてその場から逃げ出した。男が見えなくなると、遙がほっと息を吐いた。金髪の男性が、遙の方を振り向いた。端整な顔立ちに、遙は一瞬呆けてしまった。
「大丈夫でしたか?」
「ええ…助けていただいて、ありがとうございます」
金髪の男性が、遙の言葉に微笑むと、「あ、ちょっとすみません…」と断りを入れてスマホを操作し始めた。遙は目の前の男を警察官なのだろうか…?と眺めていると、金髪の男性はスマホをポケットに戻し、遙の腕に優しく触れた。「痣になっていますね…」と呟くように告げたので、遙も見てみると、青赤くなっていた。
「病院に行きますか?僕で良ければ付き添いますよ」
「え!?いやいやいいですよ!助けていただいただけで十分です。それに、今貴方に言われるまで自分でも気づいてなかったんで…」
大丈夫ですよ!と遙が笑うと、金髪の男性は少し困った顔をした後に「ああ、そうだ」と白のRX-7に近付いて車のドアを開けたので、遙は目を丸くして「貴方の車なんですか!?」と生き生きと問いかけたので金髪の男性は「ええ」と頷いた。
「これ、スポーツカーですよね!もう廃止になってるモデル…!」
「良く知っていますね。もしかして車がお好きとか?」
「いいえ、特別好きという訳でもないんです。ただマツダのRX-7は、車好きの友人がよく買いたいと言っていた車で、俺も一緒に見てて一目惚れした車の一つだったんで!」
遙が懐かしむようにそう目を細めると、金髪の男性が人好きのするような笑みを溢して「それだけ元気があれば、大丈夫そうですね」と答えた。遙が先程の男のことで恐怖を覚えているのではないかと思ったのだろうか。
「あ、すみません…!」
「いいえ。謝ることなどありませんよ。…そうだ、僕探偵をしているんですよ。これ、名刺です」
「(“職質”って単語で警察官かと思ったけど…違ったか)ありがとうございます。…“安室透”さん?」
「はい、何か困ったことがありましたら、いつでも電話してください。…貴方のお名前をお聞きしても?」
「はい。倉敷遙と言います。本当に助けていただいてありがとうございました」
「いいんですよ、遙さん」
そう言って笑みを浮かべた安室の金髪が、太陽の光に照らされる。良く手入れをされているようで、美しく遙の目に映った。安室の羨ましいほどの端整な顔立ちと健康的な肌に、その金髪は一層眩しくて「綺麗だなあ」と呟いた声に安室が目を丸くして声をかけようと口を開いた所で、安室のスマホのバイブレーションが鳴った。画面を確認した安室の表情が翳りを帯びた。それに遙が「あ、すみません。俺はこれで!名刺、ありがとうございます!」と告げてると、安室が少し残念そうな表情で「僕の方こそ。……また、逢いましょう」と柔らかく微笑んだので、遙は笑って頷いて自分の車に乗り込んで、泊まりの準備をしに家路へと急いだ。
▼▲
自分の車に乗り込んだ安室は、電話に出ると、「風見、先程の男捕えたか?」と告げると『はい、降谷さん。身柄はすでに取調室の方に』と答えると「そうか」と短く答えてから通話を切ると、先程まで会っていたベルモットから渡された書類の中身をもう一度確認した。その書類には、顔写真が写っている。一枚は毛利小五郎。そしてもう一枚は………――
「倉敷遙…」
“監視対象”と書き殴られた文字。書類の項目には≪宮野明美の友人。彼女の私生活から詳しい家庭環境を知っていた可能性あり。組織のことを話している恐れあり。≫
「……組織のことを知っているかも知れない青年、か…」
安室はそう呟いて、書類を元に戻したのだった。